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scribo ergo sum もの書き・八少女 夕のブログ Since March 2012


Posted by 八少女 夕

【小説】Usurpador 簒奪者(5)弱き者

『Usurpador 簒奪者』の続きです。今回と次回のエピソードは本来同じサブタイトルで書いていたものなのですが、あまりにも長いので、2つの章に分けました。

前作『Infante 323 黄金の枷 』で、母親のいないマイアのことを氣にかけて何かと世話をしてくれていたドラガォンの主治医、若かりし日サントス医師がちらりと登場しています。この方、実はマヌエラの又従兄弟でした。今回のエピソードとは全然関係ないのですが。



『Usurpador 簒奪者』を読む「Usurpador 簒奪者」をはじめから読む
あらすじと登場人物





Usurpador 簒奪者(5)弱き者

 掃除のためにカルルシュの部屋を一人訪れる時、マヌエラはどこか暗い心持ちになることが多かった。22の居住区を訪れる心地よさとは反対だった。

 朝食の席で、彼は当主に叱責されることが多かった。理由は、他愛もないことばかりだ。コーヒーをこぼしたり、服にジャムを飛ばしたりのこともあったし、家庭教師の報告に書かれた情けない試験結果のこともあった。厳格なドン・ペドロが、おそらくカルルシュのために義としている厳しい教育なのかもしれないが、萎縮したプリンシペはさらなる失敗を重ねるばかりだった。

 一週間前に叱咤されたことが、改善されないことにドン・ペドロは苛立ちを見せる。それを自覚しているのか、彼は当主の叱責に項垂れるばかりだ。加えて、身体の弱いカルルシュは無理がきかず、教師の訪問が中断されることも度々あった。

 とくに氣管支が弱く、わずかな急な天候の移りかわりや夜更かしなどが続くと、風邪を引いたり熱を出すことも多かった。ドン・ペドロは「またか」といいたげな様相で、カルルシュの喘息のような発作にも心配を見せなかった。

 彼が体調を崩すと、よほど重い症状でない限りジョアキン・サントス医師が呼ばれてきた。彼は、ドン・ペドロの主治医である老サントス医師の長男でありマヌエラの又従兄弟にあたる。ジョアキンは、手慣れた様子で吸入剤を用意し、丁寧に彼を診察していた。カルルシュは、申し訳なさそうに体を縮こめ、涙を浮かべて身を任せていた。

 学業のさらなる遅れに焦るのか、まだ完全に熱が下がっていないのに起き上がって課題に取り組んでいることもあった。

「メウ・セニョール。氣管支喘息はアレルギーやウィルス感染だけでなく、ストレスからも引き起こされると考えられているのですよ。お体をいたわることも大切ですが、ストレスをため込まないようにすることもお忘れにならないでください。お一人で抱え込まずに、親しい方とお茶でも飲んでゆったりと話される時間をお持ちください」

 ジョアキンは、彼に諭した。必要なタオルなどを持参してその場にいたマヌエラは、医師のアドバイスを聞きながら心の中で(誰と)と呟いた。カルルシュには、自由時間に楽しく語り合う友人などいない。ドン・ペドロの厳しい教育に着いていくことの難しい彼にとって、ストレスを減らすことも難しいだろう。そして、彼は脱落することも、逃げ出すことも許されない立場にいる。

 そして、起き上がり歩けるようになれば、朝食や午餐の席でドン・ペドロに厳しく叱責を受ける日々が待っている。マヌエラは、給仕をしながら、彼の苦難の再開を感じて氣を揉んだ。

 三日ぶりに床を離れた彼は、覇氣のない疲れた表情で朝食の席に座った。ソアレスとその朝の朝食当番のマヌエラは、ドン・ペドロとカルルシュ二人の給仕に当たった。

 22の居住区からは、新しいソナタを練習する音が響いていた。彼が朝食を居住区で簡単に済ませるようになった理由がそれだ。執事と召使いに給仕され、当主たちとのんびりと朝食を取れば簡単に一時間ほど経ってしまう。彼はむしろその時間をピアノの練習に充てたがった。その成果は、マヌエラが掃除にやってくる日のメロディとなるのだから。

 ドン・ペドロは、22が習慣を変えたことに、何も言わなかった。彼は、屋敷のどのような小さなこともソアレスやその他の腹心から報告を受け、若い世代の様子にも十分に目を留めていたが、22の生活態度に対して意見を言うことはほとんどなかった。22は、午餐や晩餐、または礼拝などにはきちんとした服装で、落ち着いた態度で臨席し、家庭教師や音楽教師からは絶賛されていたし、使用人たちとの関係も良好で問題を一切起こさなかったからだ。

 当主が、カルルシュに厳しくあたる様を目にするのは、あまり心地よいものではない。だが、マヌエラは認めなければならなかった。ドン・ペドロは、理に適わぬことでカルルシュを叱責したことはただの一度もなかった。語氣に苛立ちを込める前に、彼は少なくとも二度はカルルシュに同じことを冷静に指摘している。既に「ああ、次に同じ間違いをすれば、ドン・カルルシュは叱られる」とマヌエラにも予想ができるようになっていた。

 法務関係の課題に関しては、法学を学びたかったマヌエラにもわかるトピックが多かった。今朝、彼が叱られているのは、先週の初めやり直しを命じられた法務に関する課題だ。

「カルルシュ、いいか。お前が弁護士や裁判官として人前に立つことはない。だが、ドラガォンが関わる多くの重要決定事項にはお前が決裁を下さねばならないことばかりだ。契約書を作成するのもお前ではないが、裁決をするのはお前だ。法の強行規定と任意規定の差がわからぬような者に、その役割が果たせると思うのか?」

 朝食の皿を下げながら、マヌエラはカルルシュと目が合わないようにした。当主は、家庭教師から預かった彼の課題である書類をたたき付けるようにして返した。
「午餐の前に、まともな契約書らしい体裁に書き直せ。もちろん、数学の課題も遅れずに出すように。22の課題は、どちらもとっくに終わっているんだぞ」

 朝食の給仕が終わるとすぐに、彼女はカルルシュの部屋の掃除に向かった。ノックに答えはなかったので、中に入ると人影はなかった。

 あらかたの拭き掃除を終えてマヌエラが彼の書斎に続くドアを念のためにノックをして開けると、彼は中にいて先ほどの書類を見ながら真剣な面持ちで考えている所だった。
「失礼しました。また、後で伺います」

 カルルシュは赤い顔をしてパッと立ち上がり、彼の足元に書類は散らばった。
「あっ」
二人はあわてて、書類を拾うためにかがんだ。

 彼のすぐ近くで、目が合うと、彼はさらに赤くなり、その後に項垂れてだまって書類を集めた。
「すまない。一生懸命に考えていて……いや、違う、さっき叱られたのを見られたのが恥ずかしくて、君が掃除に来たのに返事もしなかったんだ」
「メウ・セニョール……」

 マヌエラは、彼をそっとしておくために去ろうかと思ったが、何か言いたそうな彼が助けを求めているように感じたので、思い切って言ってみた。

「あの……、先ほどのドン・ペドロのお話ですけれど……。強行規定とは、たとえば独占禁止法による規制や売買契約における消費者側のクーリング・オフ権など、契約がどうであろうと法律上動かせない規定のことで、任意規定は、たとえば商品引き渡しと支払いの順番のように、両者の合意や契約内容で変更してもいい規定です。だから、どの部分が強行規定に抵触しているのかだけ見つけられれば、修正すべき所もおわかりになるのでは?」

 彼は非常に驚いた様子で、彼女の顔を見た。
「申し訳ありません。出過ぎたことを……」

 彼は慌てて言った。
「いや、違うんだ。ありがとう。本当にどこをどうしていいのかわからなくて、でも、誰に訊いていいのかもわからなかったんだ」

 彼女は、頭を下げてから、ハタキかけを始めた。彼は、そのマヌエラについてきて話しかけた。
「昔は、困っていると22がこっそり教えてくれた。だから、こんな僕でもなんとかやっていけたんだ。でも、22が居住区に移ってからは、そんな風に教えてくれる人がいなくなってしまって」

「お役に立てて光栄です。でも、たまたま知っていたことですので……」
「君みたいな優秀な人は、召使いとして働いているのはもったいないな。きっと、すぐに中枢システムにいくんだろうな」

 マヌエラは、思わず足を止めた。すぐにここを離れて……?

 そうであって欲しいと、彼女はずっと願っていたはずだった。それなのに、その言葉を聴いたときに「ここから離れるのは嫌だ」という想いが頭をもたげた。心のどこかに流れているピアノの旋律と共に。

「その……。もし、またこういうことがあったら、また君に助言をお願いしてもいいだろうか」
カルルシュは、消え入りそうな声で訊いた。

「もちろんです。お手伝いできることがありましたら、いつでも」

 彼が書き直した課題は、完璧なものとはいえなかったようだが、それでも午餐の後にそれを読んだドン・ペドロは彼の努力と改善を認めてさらなる改善点を静かに口にした。向かいに座る22も微笑んで頷くのを見て、カルルシュは頬を紅潮させた。

 ちょうどマヌエラが「どうぞ」と目の前に運んできたコーヒーを置くと、彼は顔を上げて万感の思いを込めて「ありがとう」と言った。

 それから、カルルシュは、マヌエラの顔を見ると緊張を解くようになった。

(読者からのご指摘に基づき強行規定の例を訂正しました)
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Category : 小説・Usurpador 簒奪者
Tag : 小説 連載小説

Comment

says...
ほほ・・・徐々に流れ始めましたね。マヌエラの気持ちはどこか別の所に置いておいて。
その流れは初めは微かに出来たひび割れからの漏れのように微かに滲み出るだけなんだけど、やがてそのひびは徐々に大きくなり、そして気がついたときには・・・。
でもわらにもすがりたい気持ちだったカルルシュにはありがたかっただろうなぁ。
ドン・ペドロの態度は酷いとは思いますが、同情の余地はあります。カルルシュに求める物が大きすぎるだけなんですよね。才能を持っている者にはその才能を持っていない者の気持ちってわからないんですよ。「どうしてこんな事が・・・」って思っちゃうんだなぁ。
カルルシュの気持ちは痛いほどわかります。
でもカルルシュ、ちゃんと投げ出さずに努力しているみたいだし、22とはまた別の分野の才能を持っているに違いないと感じています。
カルルシュの気持ちの動き、目が合った後のマヌエラの態度、とても可愛かったです。
2020.04.29 07:12 | URL | #0t8Ai07g [edit]
says...
更新、お疲れさまでした。

周りが出来すぎると、平均的な人間は辛いだろうなぁ。カルルシュは、いろんな面で平均点以下な感じだし。でも、次期当主としての務めを、頑張って果たそうとしている姿に、好感が持てます。しかも、なんというか、純ですね。ペドロや22に認めてもらえて、ほんとうに嬉しかったんだろうなぁ。そして、その手助けをさらりとやってくれたマヌエラは、孤独な彼にとっていろんな意味で、支えになってくれる存在に見えたんでしょうね。もちろん、好意も含めて。
マヌエラの方は、すっかり22の虜になってますね。こっちも可愛いですけど……。
この先、急転直下があるんですよね。ううん、どうなるんだろう?
2020.04.29 09:08 | URL | #V5TnqLKM [edit]
says...
こんばんは。

この『Usurpador 簒奪者』は『Filigrana 金細工の心』への橋渡し的作品なので、あまり長々と書かないようにしようとトライしたのですが、さすがにこの辺はある程度描写しないわけにはいかず……。この後は結構すぐに終わってしまいますので。

カルルシュに同情していただけて嬉しいです。

『Usurpador 簒奪者』を全く書かずに『Infante 323 黄金の枷 』から直接『Filigrana 金細工の心』を連載してしまってもよかったのですが、そうすると単純に出てこないカルルシュがダメなヤツ、ろくでもないヤツで終わってしまうんですよね。

創作の主人公では、ものすごい才能を持った人、もしくは持っていなくても幸運に恵まれて上手く頂上に達してしまう人などの方が多いと思うのですけれど、カルルシュはそうでない人の代表です。これ、もし街のどうでもいい家に生まれた一市民なら、ダメダメでもささやかな幸せを見つけて生きたかもしれないのですが、たまたまドラガォンの跡継ぎとして生まれてきてしまったために、こんなに苦労する羽目に陥っています。

本人は、頑張って付いていこうとしています。実際に、彼はおよそ12年間にわたり当主としてドラガォンを率いています。
ま、マヌエラとアントニオ・メネゼスが目一杯サポートしたんですけれどね。

残念な跡継ぎカルルシュの話、そしてマヌエラの恋の話、次回も続きます。

コメントありがとうございました。
2020.04.29 21:05 | URL | #9yMhI49k [edit]
says...
こんばんは。

そうなんですよ。
カルルシュも、別に街のそこら辺の家の子なら「ま、しかたねーよな」で済んだと思うのです。
ヨーロッパに来てつくづく思うのですが、こちらではたとえば勉強のできない子は、受験戦争に参戦しなくていいのですよ。
何か自分に合っている仕事でも習って、給料は安いけれど定時に帰って日の高いうちからお酒飲んでいたりする生活できるんですよね。
だけれども、カルルシュは、ちょっと特殊な所に生まれてきてしまい、のんびりと「平均以下の子ライフ」を送ることができなかったのですね。

書いていて自分で思うのですけれど、カルルシュと、グレッグは、性格が少し似ているのです。少なくともお勉強はそこそこできて、振る舞いも普通くらいにはできたグレッグよりも、カルルシュはもっと残念なタイプです。あわあわして、失敗してしまうタイプでもあります。いずれにしても二人とも自己否定がとても強く、自分を肯定してくれた数少ない人に対する思い入れが強くなるという共通点があります。

そんな経緯があって、カルルシュはマヌエラに惹かれていくのですけれど、マヌエラとしては、そりゃ優秀なイケメン一択ですよね。

ええ、急転直下あります。読者の皆さんご存じの通り、カルルシュがマヌエラと結婚して、23たちが生まれるのですから。
この話、さほど長くないので、ご心配なく。
長いのは『Filigrana 金細工の心』なんだよなあ。急いで書き終えないと。

あ、とてもわかりやすいご指摘もありがとうございました。改稿まで少々お待ちくださいませ。

コメントありがとうございました。
2020.04.29 21:20 | URL | #9yMhI49k [edit]
says...
ご無沙汰しています。
いろいろ忘れている部分が多くて、キャラや、制約などを思い出しながら、ここまで読み進めました。
そうか、これは次の章に行くための、準備段階と言うか、補足的な意味合いがあるのですね。
読む上ではとても助かります。
ここで出て来たカルルシュ。ああ、この世界独特の理不尽全開で、普通なら逃げ出しちゃえ、とアドバイスしたくなってしまうのをぐっとこらえ。
それでも、この家では、厳しさの中にそれなりの愛情があるのだと言う事もじわじわ思い出しました。
マヌエラとカルルシュのやり取りに、ようやくほっこり一息。それにしてもマヌエラは、何きっかけであの22からカルルシュへ……?
これからの展開も、楽しみにしています。
2020.04.30 04:56 | URL | #GCA3nAmE [edit]
says...
こんばんは。

半ロックダウン中、いかがお過ごしですか!

さて、忘れちゃって当然です。
そもそも、設定上しょうがないとはいえ、わかりにくすぎますよね、このストーリー。
単純に言うと、23たちの両親がなんで結婚することになったのか、という話です。

カルルシュは、limeさんに「scriviamo!」で描いていただいたイラストに合わせて書いた「願い」という外伝で回想的に出てきましたが、この通りかなり残念なタイプの人だったのです。そして、同時に同情すべき余地もいろいろとあったという事情が、この『Usurpador 簒奪者』で語られています。いきなり『Filigrana 金細工の心』にいくと「なんなのそのろくでもない男」になってしまうので、クッションを一つ入れたというわけです。

マヌエラがカルルシュと結婚することになったきっかけは、とても簡単なことだったのですが、そのきっかけにむかってあと二回くらい、22とカルルシュの事情が語られます。

この話、結構すぐに終わる予定なので、もう少しお付き合いください。

コメントありがとうございました。
2020.04.30 21:27 | URL | #9yMhI49k [edit]
says...
私もアトピー性皮膚炎はあるんだよな。。。
今でも毎月、ドクターのところに行ってます。
夜勤などの20時間労働とかになると、終わった後に、ストレスが原因で
かなりの発作状態になるので、仕事が終わった瞬間に内服してます。
そうすると発作もかなり軽減されますね。
まあ、その後、車も運転できないぐらいの眠気になりますけど(笑)。
2020.05.04 11:52 | URL | #- [edit]
says...
こちらにもありがとうございます。

アトピーなんですか。
それはお氣の毒です。あれはつらいですよね。
私はじんましん体質でもあるのですけれど、幸いそんなにひどくなくて助かっています。
不思議なもので、ストレスっててきめんに出てきてしまうのですよね。

どうぞご無理なきように! 車の運転も……。

コメントありがとうございました。

2020.05.04 21:30 | URL | #9yMhI49k [edit]

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