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scribo ergo sum もの書き・八少女 夕のブログ Since March 2012


Posted by 八少女 夕

心の黎明をめぐるあれこれ(5)意思を持って前へ

本日は、クリストファー・ティンの『Calling All Dawns』というアルバムにちなんだエッセイ連作『心の黎明をめぐるあれこれ』の5作目です。

第5曲は『Rassemblons-Nous』使われている言語はフランス語です。


『心の黎明をめぐるあれこれ』を読む
『心の黎明をめぐるあれこれ』を始めから読む




心の黎明をめぐるあれこれ
(5)意思を持って前へ
 related to 'Rassemblons-Nous'


 さて。この第5曲は、もっとも『厨二病』的な歌詞だ。言語はフランス語。ゲームのサウンドトラックから生まれたアルバムなので、ある意味正しいのかもしれない。この随筆では、ゲームではなく私の内面的な沿革を辿っているのだが、前回書いたように私自身はその病は克服したつもりでいるので、そちら側に引き戻されてはたまらない。

一つになろう
時を同じくし
我らの千の顔が
一つのスクリーンで
一つの声として
宣言する



 この歌詞を訳しながら、はじめに私が思い描いていたのは、某有名アニメをテレビで放映するときのお約束のことだ。作品の一番盛り上がるところで、SNSを通して主人公たちと同時に呪文を唱えるあれだ。

 このアルバムの元となった『Civilization』というゲームをプレイしたことはないので、多くのプレイヤーが同時に何かを宣言することに意味があるのかどうかは知らない。あるとして、宣言するのにフランス語は向くのだろうかと、首を傾げた。 

 知らないことはさておき、フランス語と私自身の個人的な関わりについてここで触れてみよう。私がフランス語に初めて触れたのは、小学校の低学年である。あるカトリック系の私立小学校に通っていたのだが、週に1度フランス語の授業があったのだ。母親がしばらくフランス語を習っていた、大学の第二外国語でフランス語を選択した。

 さらには、結婚した相手がフランス語圏で生まれ育ったお陰で、フランス語を母語だと思っている。現在、私たちはドイツ語圏に住んでいるので、フランス語が必要になることはないのだが、彼としてはフランス語で話せる相手とは、とにかくそちらで会話したがる。

 と、ここまでフランス語と縁のある人生を歩んできたのに、私は一貫してフランス語が苦手である。ペラペラなのに英語では書けない連れ合いと文通するために、涙目になりながらフランス語の手紙を書いていた時期ですら、「なんだ、この言語」とむかっ腹を立てていた。リエゾンが起こったり語尾の子音がどこかに消えてたりすることで、見たままの文字と発音がまったく違うのも腹が立つ。

 言語そのものも苦手だけれど、実はフランス人と会話をするのも少し苦手である。もちろんフランス人といってもいろいろな人がいて、ひと絡げにしてはいけないのはわかっている。同じフランス人でも田舎の人たちとは素敵な思い出がある。たどたどしくしか話せないアジア人が1人でいるときには、フランス語を話すスイス人の連れ合いと一緒にいるときと全く違った対応を受けることも確かだ。何よりもひどい目に遭ったのはパリで、4、5回は訪れているのだが行くたびに散々な目に遭った。だからフランスやフランス語にヨーロッパの他の国よりもいい印象を持てないのかもしれない。

 フランス語は耳障りが優しく美しい言語だけれど、話している人たちがその言葉で柔かく和を以て繋がっているかといえば、決してそうではない。

ラテン系の言語を話す人たちは、ゲルマン系の人たちと比較すると社会的に集まることを好む傾向がある。カフェやレストランで村の仲間がワイワイ話したり、日曜日ごとに離れて住む家族が集まったりする傾向がある。イタリア語やスペイン語、ポルトガル語を話す人たちもたとえドイツ語圏に住んでいてもその傾向が強い。

 フランス語を話す人たちも、その傾向は強いのだが、一緒にいるからといって考え方や心の向いている方があまり一致していないという印象が強いのだ。なので、にこやかに微笑みながら非常に辛辣なことを言い合っている場面に何度も遭遇した。

 意地の悪い人たちと言うことはできない。自分の慣れている方法と違う付き合い方をするというだけで、ひと絡げに悪評を押しつけるのはフェアではない。それで居心地が悪くても、それは彼らが違ったタイプの人付き合いをしたがる人たちなのだと考えて尊重しなくてはならない。

個人主義が深く浸透している人たちだ。日本人の好きな「みんな」を、彼らはさほど好まないのだ。

 あなたはそう考えるかもしれないわね。でも、私はこうなの。そんな風に主張することを、彼らはためらわない。みなが忙しそうにしているので一人だけ定時には帰れない、などという日本人の発想は理解してももらえないだろう。ファッションブランドが多いけれど、日本人のように右も左も流行の服装で埋まるということもない。自分に似合うかに合わないかを決めるのも個人。

 そんな氣質のフランス人でも、集まるときには集まる。たとえば、フランス革命の時、現在でいえば黄色いベスト運動をはじめとする各種のデモ、フランス人は抗議行動のためには率先して集まる。

 皆がそうしているから、ではなくて、自らの主張を断固として相手に届けるために集まる。革命において絶対王政を打ち倒して、市民の力で勝ち取った民主主義を象徴する大切な政治行動なのだろう。

 ということを考えて、この第五曲の歌詞を考えると、作曲者クリストファー・ティンがフランス語とこの歌詞を組み合わせたことに「なるほどな」と感じる。

我々は服従してはならない
我々は消えてはならない



 彼は、意識的に英語を使わなかったのだと思うが、「団結して、抵抗しよう」と語りかけるのにフランス語が選ばれた理由は、フランス革命から脈々と繋がる市民抗議行動の伝統に敬意を表してのことなのかもしれない。

 フランス人たちは、十分にこうした主張をすることに慣れているのだけれど、自らを振り返り、心の遍歴を辿ってみると、私自身にとってこの五曲の内容は弱点を突かれたように感じる。

 長い時間をかけて、相手の言い分を尊重しつつ自分の意見を言うこと自体は、少しずつできるようになってきた。とはいえ、その主張を社会のためと信じて一致団結し進むようなことには、長いこと拒否感とまではいかないが、他人事に近い感覚を持っていた。

 日本にいた頃は、政党に加わったり、支援者を勧誘するような行為は、する必要もないと考えていた。学生時代や日本で勤め人だった頃も、たとえば昼食時に同僚と政治問題で論じ合うようなことをした記憶がない。

 選挙の前に各政党の出したマニフェストを読み、一番いいと思う候補者や政党に1票を投じる。それだけをやっていめばいいのだとどこかで考えていた。

 現在すむスイスは、日本と違って直接民主制の国だ。私は外国人なので投票はできないのだが、スイス人の手元には、月に1度か2度、投票用紙が送られてくる。ありとあらゆることが国民投票にかけられているのだ。政府や政党が発議することもあるし、国民が署名を集めて発議することもある。投票が近づくと、人々はごく普通に意見を交わす。「賛成」にも「反対」にも利点と欠点があるが、どちらを選ぶ方がよりいいのかを論じ合うのだ。

 たとえば、私の住む州は2026年冬季オリンピックを招致しようとしていたのだが、国民投票で否決された。経済効果よりも負担させられる費用が多く割に合わないと感じた住民が多かったということだ。

 直接民主制は、スイスの長い伝統だ。投票率は常に高いわけではない。あまりにも多くの国民投票があるので、面倒になってしまう人もあるのだろう。「賛成」と「反対」が拮抗するときもあるが、圧倒的にどちらかが優勢になるときもある。政府として「国際問題になるのでこんな決定はしたくない」というテーマであっても、国民投票にかけられればその決定が尊重される。たとえば、イスラム教のミナレット(尖塔)建設禁止が決定されたときは、イスラム諸国から猛反発が起きた。

 スイス国内に本部があるというのに、スイス自身が国際連合に加盟したのは2002年である。それまでも何度か国民投票にかけられていたのに、絶対的中立が損なわれる恐れがあるとことごとく否決されてきたからだ。

 スイスという国は、隣国のドイツやフランスまたはオーストリアなどと違い、絶対王政や貴族制度などがなかった。つまり、支配する側とされる側という明確な線引きがなく、たとえそれがあっても理不尽だと感じれば一致団結して抗議をして覆すという伝統をもっていた。ちょうどウィリアム・テルの伝説のように。

 簡単に支配されない、問題があれば易々と服従しない、その政治的態度は21世紀でも健在のようだ。その世界に日本からやって来た私は、影響されて政治に対する考え方がだいぶ変わったように思う。既に書いたように、スイスの国政には一票を投じられない身なのだが。

 そういうわけで、私の政治や主義主張に関する感覚は、移住してからゆっくりと変わってきた。デモンストレーションという形では、福島の事故以後に原子力発電の停止を求めた行進に参加したくらいだが。もとより日本の政治に対する行動は、遠くて直接参加するのは難しい。

 現在では、自分の意思を表示するためにウェブ署名運動やTwitterデモによく参加している。また、スイスの国民投票は外国人で権利がない代わりに、日本の選挙では毎回意思表示をしている。

 更にいえば、デモンストレーションのような行動だけが政治ではない。たとえば、環境問題に対する意見を持つのならば、規制を求めるだけでなく自分でも自然環境を守るための日々の行動がともなわなくてはならない。意見を表明するだけでなく、生活態度が合致していなくては意味がない。意見を口にすることには多くの責任が伴う。おそらく、それが大人ということなのだろう。今さらだけれど。

 そんなことを考えながらもう一度歌詞を読むと、もうそれは『厨二病』的なバーチャル空間にフワフワと浮かぶ言葉ではなく、やはり、私の人生の心の旅路と重なる内容だ。たとえ苦手なフランス語であっても。

 ところで、歌詞に出てくる「大聖堂」「銀の塔」に私は勝手にパリのイメージを重ね合わせてしまう。つまり、ノートルダム大聖堂とエッフェル塔だ。実際にそれを意識して歌詞を書いたどうかを知る術はない。それに、日本語訳だけを見ていると「格好いい言葉をなんとなく並べたよう」に思えるかもしれないが、原文を読めばすぐにわかるように、これは韻文だ。なんとなく選んだ言葉ではなく、考え抜いて使った言葉。だから、そこに私の想像するようなぼんやりとしたパリ観光名所を散りばめる意図があったかどうかは疑問だ。

 とはいえ、勝手にイメージしてしまったので、私の中では「銀の塔」はエッフェル塔だし(別に銀というわけでもなかったが)、「大聖堂」はつい先日無残に焼けてしまったノートルダム大聖堂の姿をとって脳内再生される。なんだかんだいって、私の発想は実に単純である。

(初出:2020年5月 書き下ろし) 

追記



【歌詞はこんな意味です】
一つになろう
時を同じくし
我らの千の顔が
一つのスクリーンで
一つの声として
宣言する
我々は服従してはならない
我々は消えてはならない

我が運命、我が血、
それは暗闇の深みへ導く
手放すことを怖れていたにもかかわらず
我は前へ踏み出す
真実の瞬間に立ち上がるために
服従してはならない
消え去ってはならない

君の兄弟、君の友
我々は夜に再会する
みなで一緒に
街に繰り出そう

一つになろう
時を同じくし
我らの千の顔が
一つのスクリーンで
一つの声として
宣言する
勇気を持とう

空港から
大聖堂へ
男であろうと女であろうと
構うものか
運命への巡礼の旅で
手を取り合おう

汚れた牢屋から
名もなき街から
神聖なる空間から
銀の塔へと
四方八方より集まろう
時を同じくして
覚醒の鐘を鳴らそう

絶え間ない戦いの中
我らは声を合わせ
足踏みを揃え
行動を同じくしよう
怖れも憎しみもなく
来たりくるその日に
ステージに上がろう

一つになろう
時を同じくし
我らの千の顔が
一つのスクリーンで
一つの声として
宣言する

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Category : エッセイ・心の黎明をめぐるあれこれ
Tag : エッセイ

Comment

says...
更新、お疲れさまでした。

なんと、バ〇ス祭りをご存じでしたか。なんか名物になってるみたいですけど、誰があんな遊びを思いつくんでしょうね。

で。フランス語、私も大学で第二選択外国語で単位をとりましたが、いやはや難解な言語でした。仰るように、変化が多すぎなんですよね。
そしてフランス人は、英語ができても頑として喋らずフランス語で通す、と聞いたことがあります。
なにかにつけ、他とは違うという独自性を重んじるんですかね。たぶん、日本のような同調化圧力なんて、ないんでしょうね。多数の人がそうやっているから、ではなくて、他人はどう思おうと私はそれが正しいと信じるからやる、ということなのでしょうね。
政治のあれこれについては、思うところはありますが、他人様のブログのコメントに書くことではないので、一言だけ。日本も直接民主制にしないとダメ、絶対(笑)
そして『意見を表明するだけでなく、生活態度が合致していなくては意味がない。意見を口にすることには多くの責任が伴う』という一文、ほんとにその通りですよね。いいね、を連打したいくらいです。
バ〇ス祭りのように、お遊び感覚で滅びの呪文を唱和した結果、現実社会でなにかが滅びているなんてことにならなければいいのですが。

今回も、いろいろと考えさせられました。
2020.05.27 14:17 | URL | #V5TnqLKM [edit]
says...
こんばんは。

バ●ス祭、日本にいたら1度くらいは参加したいかも(笑)
本当はああいうヒマで平和なトレンドの方がいいと思うのですけれど、しかしながら、ええと、タイムラインがうるさくて申し訳ないです。でも、心配で言わずにいられない……。

さて、フランス語。なんかフランコフォンの人って絶対に英語に対抗心燃やしていますよね。
自分たちだって世界言語なんだから、英語同様に扱えって感じに。そしてその根拠がいつも「郵便とオリンピック」いや確かに採用されている公用語でですけれど、でも、やはり世界では英語の方が圧倒的に通じるよなーと、小さい声で呟いている私です。

さて、それとは別に、同調圧力、あるのかもしれませんが誰も言うことを聞かない、なのかも。
フランス語圏に限りませんが、欧米の人間は子供の頃から自分の意見を言うように訓練されていますし、学校の教育も「正解を書く」ではなく「自分がどう思うか」「いくつかの可能性の中でどう正しいと思うものを見つけていくか」に重点が置かれていると思います。日本のやり方と欧米のやり方と、それぞれ利点欠点があるのはご存じの通りだと思いますが、いずれにしてもどちらかだけに偏るのはよくないことなのでしょうね。

とくに、率いている方に問題がある場合は、黙って従っているだけではだめだなのかなと思います。

ただ、無責任に(とくに匿名で)根拠も責任もないことをいい散らかすだけでは、百害あって一利なしでしょうから、口にするからにはそれに恥じない生活態度でいたいと思っています。難しいのですけれど。

長々と書いているのですけれど、毎回丁寧に読んでいただけて感謝です。

コメントありがとうございました。
2020.05.27 20:47 | URL | #9yMhI49k [edit]
says...
う~ん、フランスって不思議な国ですよね。ヨーロッパ旅行をよくしていたときも、行き先はほとんどイタリアだったので、フランスに行ったのは随分大きな大人?になってからでしたが、なんか思い描いていたイメージとは随分違う国でした。要するに、巨大な農業国!じゃないか、思ったよりも田舎なのに、なんでヨーロッパでこんなに態度が大きいんだ?(すみません、決して悪い意味ではなく、存在感がでかい印象だったので)、しかもストばっかりしてるのに、なんで食っていけるんだ? とかあれこれ思っていたんですが、行ってみて、うん、なるほど、ものすごく権利と義務の明確な環境で人々が生活しているから、こういう存在感になるんだなと思いました。まさにこの歌詞のイメージ、よく分かる気がします。

縁あって日本人女性のガイドさん+フランス人の旦那さんの運転手さんという組み合わせの方に数日間個人的にガイドをしていただきました。で、ある日、けっこう突っ込んだ議論になったのですが……胎児診断の結果によるabortionの是非について、でした。
あ、もちろん、私はフランス語はち~っともしゃべれません。一応1年間は勉強したんですけれど、2年目に断念してラテン語の授業をとってしまったのでした。で、フランス人旦那さんは日本語片言、日本人女性ガイドさんの通訳付きで、時々英語(パリジャンじゃないし旅行業だからでしょうか)でしたが、ものすごく合理的な考えなんだなぁと思いました。
日本人の考え方はウェットで個人の責任感がなさ過ぎって腹立つことも多いけれど、それも悪いことばかりじゃないんだなぁとも思ったり、一方でここまで割り切った考え方ができるのも歴史のたまものやなぁと思ったり。帰結先は、個人の考え方や権利に重点があって、権利には義務が伴い、義務を果たせないなら権利も主張できないって……明確ですよね。
人と国の在り方を作るものって、その歴史の中にちゃんとあるんだなぁと思いました。日本はね、室町時代に方向転換してしまったかもなぁ。こういうワビサビ・物事は包み隠す・忖度文化・空気読む……の基礎があの時代にあったような。良し悪しですけれどね。偏らないって大事だ。

そんなこんなで、行ってみて、議論してみて、は~なるほど、意外にキライじゃないかも、になったのでした。意見は違ってもね。ご飯おいしいし、巨大な遺跡たちは素晴らしいし。
でも、ガイドさんたちはフランスの南の片田舎の人。パリジャンは嫌いらしい(フランスあるある)。私の旅行も、パリは3時間しかいませんでしたので、パリジャンがどんなのか、味わっていない^^;

あ、また、他人様のぶろぐで長々書いちゃった。お邪魔さまでした。
このシリーズ、いつも色々考えながら、楽しく拝読しております!
2020.05.28 09:53 | URL | #nLQskDKw [edit]
says...
こんばんは。

そうなんですよ。フランスってパリ以外は壮大な田舎ですよね。しかも、謎の自負というのか、「世界で一番」の自信に満ちているのですよね。しかし。有休が最低で6週間あって、ばっちり定時で帰って、ストもめっちゃして、それでもまあまあやっていけるというのは、生産性高い国なのかもしれませんね。

そして、彩洋さんの出会ったガイドさんご夫婦のお話、おお、わかるそういう感じ! と思いましたよ。日本人だけだったら、普段はともかく、お客さんの前でそんなセンシティヴな議論はしませんよね。でも、どんどん議論する。そして、全然折り合いは付かなくてもバンバン意見を戦わせる。なのに、ここが重要なんですけれど、それで関係は壊れないのですよね。日本の社会では「議論を激しく戦わせる=人間関係にひびが入る」というところがあるじゃないですか。若干、関西はそれでも意見を戦わせても、大丈夫というイメージはありますけれど、全体的に「余計なことをいわない方がいい」に流れがちな国民だと思うのですよ。たとえば、自分より偉い人には、思っていても論破はしないとか。欧米人、とくにラテン系の言語を話す人たちは、論破した後に、またニコニコと仲良くしていたりするので、それでいいのかもと思うんですよ。

で、その日本人の遠慮・忖度文化は、室町からなのですね。ふむふむ。それで上手く行くこともあるので、一概に「欧米サイコー」というつもりはないです。とはいえ、空気を読みすぎて、自分が壊れてしまうのはよろしくないので、適度に発散するのは大事かなと思います。大阪のおばちゃんみたいなのは、ある意味健康ですから。

あ、コメントで語り合うのは大好きですので、どうぞ遠慮なさらずに〜。このシリーズ、独りよがりがひどすぎるかなと怖れつつ書いているので、楽しく読んでいただけるのは嬉しいです。

コメントありがとうございました。
2020.05.28 21:51 | URL | #9yMhI49k [edit]
says...
かなり強い意味合いの言葉ですよね。
あまり日本では馴染みがないというか、
どこか遠い外国の詩(うた)な感じがするというのが率直な意見ですね。

日本は戦後で色々変わったところがあるので難しい部分があるんですよね。
選挙権や市民権などの民主主義にしても、
戦後に与えられたモノみたいな感覚であって、
自分で勝ち取った権利という認識が乏しいので。
その辺が、どこか他人事のように思えるのだと思います。

私個人で言えば、与党のJ党支持ではあります。
最大の理由は、ウチの職場がJ党支持で、福祉関係の金銭面の旨味があること。
困ったときにはJ党の息のかかった法律事務所を紹介してくれて、
便宜を図ってくれること。
・・・などなど、自分の実生活に関して利点があることが最大の理由ですね。
それを服従していると言えば、服従しているのですが。
服従することのメリットもある、というのは日本的な発想があるのでしょうね。

2020.05.30 00:12 | URL | #- [edit]
says...
こんばんは。

自由や権利を自分たちがで勝ち取ったという認識が薄いのは、民主主義が当たり前になってきた現代では多くの国が抱える問題でもあるようです。加えて「他人と合わせる」ことに不必要なほどの努力を重ねる傾向のあるタイプの人たちは、上からの指示なしには現状を変えたがらないのかもしれません。上手くいっているときには、それでよく回るのですが、だからといって考えることや行動することを放棄していると、持っていたはずの権利を失うこともありますよね。

そうならないことを望んでいるのですけれど……。

コメントありがとうございました。
2020.05.30 19:51 | URL | #9yMhI49k [edit]
says...
こんにちは。
いろいろ人目を気にしてしまう、ザ・日本人の私には、フランス人の気質がうらやましいと思う反面、丸ごとフランス人気質になりたいかと聞かれれば、いえ今のままで頑張りますと言ってしまいそうな……笑。
直接民主制って、いいと思う部分もあるけれど、例えば憲法改正も国民の意思で……となると、今の日本には危険な気がします。
昨今は、バラエティ番組を見るよりも、ニュースを見る方がおもしろい(と言っては語弊があるかもしれないけど)、目が離せません。というか、目を放したら危険な方向に日本は傾きそうで、ハラハラします。
私も今までは、選挙前にマニフェストに目を通し、それを目安に投票し、それでちゃんと政治に参加していた気になっていたのですが、今となってはお恥ずかしい。
自分が今、政治やネット上の右とか左とかの声に敏感になったのは、やはり3年前にK-POPのグループを好きになったからでしょうね。
それまでは、ただkポを好きになるだけで、ネット上でこんなに嫌がらせを受けるなんて思ってもいませんでした。(想像を絶する誹謗中傷なんです)
こんな、アイドルのファンに四六時中攻撃する人たちはいったい、どういう思想に嵌っているんだろうと、彼らと抗争を繰り広げながら(笑)政治や歴史を学んでいきました。
驚くべきことに、そういう嫌がらせ行為と、今の日本の政治の問題とが、密接に関わっていることに行き当たったんです。
そんなこんなで、いま、政治から目を離せません。

ちなみに、私はアイドル応援用にSNSのアカウントを持っているのですが、そのアカウントにも、ファンによる政治的なリツイートが一杯です。
K-pop好きの女の子たちは、「お花畑」と揶揄されていますが、ところがどっこいです。
みんな、とてもまじめに政治を見つめています。偏見を持たずに日本の政治を見つめようとする若者が、これからきっとたくさん出てくるはず。少しだけ、期待を持って、現状を見つめています。
ああ~、なんか少し内容がずれてしまってごめんなさい。
ネットデモ、リツイートも加算してくれればいいのに←ぼそっと愚痴る。
2020.05.31 05:04 | URL | #GCA3nAmE [edit]
says...
こんばんは。

そうなんですよ。
フランス人みたいなコミュニケーション、本当にしたいかと訊かれると、実は少ししんどい(笑)
直接民主制は、そうですね。実をいうと選挙権のある者にそれなりの成熟が求められるのですよね。
もっともそれは間接民主主義も同じで、たとえば、アドルフ・ヒトラーもベニート・ムッソリーニも、民主主義で選ばれたリーダーです。
ネロやカリギュラと違って、「かわいそうな民」では終わらせられない背景があるのですよね。

直接民主主義でいいなと思うのは、たとえ国会である政党が与党になっても、その党の出す全ての政策が無条件で通るわけではないので、国民は少し安心していられるところでしょうか。たとえば某国のように、与党があからさまな公約無視をしたり、総理大臣が法律無視の閣議決定を強行しても、国民投票でひっくり返すことができます。

また、これだけ政治が国民にとって身近だと「政治のことは何も知りませんし、これから勉強します」と平然と口にするようなアイドル上がりの人は、まず国会議員にはなれません。そもそも、そんな人を担ぐ党もないですね。

かつてたとえば共産圏の国のことを文化的に好きだというだけで「アカ」と誹謗中傷されたのと同じように、現在ではたとえばK-POPのファンに、いわゆる「ネトウヨ」からの攻撃が向いてしまっていますよね。腹立たしい風潮です。顔が見えないのをいいことに、見ず知らずの人を攻撃して自分のストレスを発散する人たち、多くなったのか、もともといたのだけれど、ツールが揃って表に出てきただけなのか、非常に迷惑な存在だと思います。こういう人たち、絶滅は難しいでしょうが、社会全体が成熟することで珍しい存在になってほしいと、強く願います。

とりあえず、新聞もテレビもSNSも、かなりよろしくない集団に牛耳られている感がありますので、それに氣付いたごく普通の人たちが少しでも声を出さないと、そんな風に思っています。もっとも私が声を出しているSNSも電●に牛耳られているそうで、はあ。頑張りましょう。limeさんもめげないでくださいね。好きなものを好きといって何が悪い!


コメントありがとうございました。
2020.05.31 18:41 | URL | #9yMhI49k [edit]

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