【小説】迷える詩人
「scriviamo! 2019」の第六弾です。前回に引き続き、ポール・ブリッツさんのご参加分。今年は十句の無季自由律俳句でご参加くださいました。
ポールブリッツさんの「電波俳句十句」
毎年ポールさんのくださるお題は難しいんですけれど、今年は更に悩まされました。毎年のお題と違うのは、今回の作品はかなりパーソナルな内容なのかなと思いまして、どう取り扱っていいのか。
ここで私が十句もパーソナルな内容の俳句をお返しすることは、誰も望んでいないと思うので、俳句に詠まれた内容を(一部は申し訳ないのですけれど、正確な意味がわからなかったのですが)、私なりに感じる創作者の共通の悩みのことを書いてみようかなと思いました。そして、書いてくださった十句にちなんで、十のよく知られたラテン語の箴言や格言を散りばめてみました。私が付け焼き刃で書く下手な俳句などでは却って失礼になると思ったので。
登場するのは、「森の詩 Cantum Silvae - 貴婦人の十字架」における「歩く傍観者」こと、(身元が判明する前の)主人公マックスです。ご存じない方も、彼が主人公だったことをお忘れの方も、全く問題ありません。この作品ではほとんど関係ありませんから。
【参考】
![]() | 「森の詩 Cantum Silvae - 貴婦人の十字架」を読む あらすじと登場人物 |
森の詩 Cantum Silvae 外伝
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森の詩 Cantum Silvae 外伝
迷える詩人
——Special thanks to Paul Blitz-san
穏やかな秋の午後、マックスは山道を急いでいた。まだ今宵の宿を見つけていないのだ。足下には絨毯のごとく大量の栗のイガが散らばっていた。
「痛っ」
マックスは、声を上げた。今日は、もう三度目だ。彼はまたしてもそれを踏んでしまったのだ。
この地域は、特に風味豊かな栗を産することで有名だ。鬱蒼と茂る背の高い栗の木々は、村のそれぞれ家で管理している。教会と代官に納める分以外は、乾燥栗や、その粉末に加工されてヴェルドンはもとより、貿易によって運ばれ遠くセンヴリやカンタリア王国の宮廷でも食卓に上ることがあった。
落ちているのはイガばかり、つまり、旅籠で本日の定食を頼めば、彼の足を刺したイガが抱いていた秋の味覚を口にすることが出来るはずなのだ。
まずは栗を煎る香ばしい煙が、それからようやく小さな灰色の家々がマックスを出迎えた。彼は、歩きにくい粗い石畳の小径を進み、《牡鹿亭》と書かれたおそらくこの辺りで唯一の旅籠に足を踏み入れた。
中には旅人らしい影は多くなかった。食事をしているのは、旅籠の亭主らも含めて四人ほどで、おそらく客は奥に一人で座る青年のみだろう。
「今宵の宿を頼みたいのだが」
そう尋ねると、亭主は立ち上がり、中へと招いた。古い栗の木を用いた寝台や机、とても小さな戸棚があるだけの簡素な部屋だったが、マックスは満足した。
「今すぐ来てくれれば、定食を出すが」
マックスは、頷いた。少し早すぎるとも思ったが、食いっぱぐれるよりはいい。
食堂は狭いので、彼は先客の前に案内された。それは青ざめた顔をした痩せた青年で、銀色のタンブラーを右手で持っている。中には半分ほどのワインが入っている。その手がわずかに揺れているのを見て、マックスは「おや」と思った。
「ワインはいかがですか」
亭主がワインの入った水差しを持って近づいてきた。マックスは礼を言ってタンブラーを差し出した。マックスに注ぎ終えると、訊くまでもなくもう一人の客もタンブラーを差し出したので、そちらにもためらいながらも注いだ。
「そんなに飲んで、大丈夫か、アントー? 」
亭主の問いかけに、アントーと呼ばれた客はあざ笑うように言った。
「大丈夫じゃないさ。生まれてからこのかたずっと」
「それじゃ、わざわざ明日の頭痛や悪寒をあえて背負い込む必要はないんじゃないかい?」
余計なことと思いつつも、マックスは言ってみた。
男は片眉を上げると、マックスにタンブラーを差し出して答えた。
「正にその通り! それでは、明日の頭痛と吐き氣に乾杯しよう、旅のお方」
マックスは、盃を合わせて少し飲んだ。
「君は、この村にしばらく逗留しているのかい? 詳しいなら少し教えてくれないか」
アントーは、口の端だけで笑いながら言った。
「何を知りたいのかね、旅のお方。俺は、確かにこの辺りのことに少しは詳しいさ。今は歓迎されず、長居をすることはないが、何といっても隣村で生まれ育ったのでね」
「そうなのか! 僕は、サッソ峠を超えてグランドロンヘと入るのは初めてなんだ。初雪が降る前に街道へと出たいんだが、どこを通ると一番いいだろうか」
「そうだな。俺なら、少し西へと向かいエッコ峠にするな」
「ずいぶんと遠回りなのにかい?」
「サッソ峠は、日が当たらないためか辺りはひどく貧しくてね。旅籠はないし、食べられるものや安心して休める場所も見つけにくい。ここを出てしばらくはひもじい思いをすることになるし、追い剥ぎにやられる可能性も多い。道は一本なので、迷うことはほとんどないと思うがね」
「じゃあ、君がここに居るのは、故郷に帰るためなのか?」
そうマックスが訊くと、アントーは引きつったような笑い方をした。
「俺は、二日ほど前に故郷の村へ行ったんだが、追い払われたんだよ。金の無心だけのために戻ってくるなってね。名をなして、豊かにならない限り、故郷にも帰れないのさ」
そう言うと、苦しそうにワインをあおった。
「故郷を離れてから、どこに居たんだい?」
「あちらこちらさ。宮廷で雇ってもらおうなんて野望は持っていないが、大きな町に行けば、詩人として名をなすことも出来るかもしれないってね」
「君は、詩人なのか」
「今は、ただの酔っ払いだ。言うだろう、『In vino veritas.(真実とはワインの中にある)』ってね」
マックスは肩をすくめた。
「つまり、これから君は、本当のことをペラペラとしゃべってくれるというわけだね」
アントーは、おやと言うようにマックスを見た。
「ラテン語がわかるってことは、お前さんは、ずいぶんと教育を受けているんだね、旅のお方」
「ほんの少しね」
マックスは、酔っ払っていないので、真実を吐き出してはいなかった。実際には、彼は当代で受けられる最高の教育を受けており、宮廷や貴族たちの家で教師として働くことで生計を立てていた。そして、この旅籠の主人らが生涯に一度も見たことがないほどの大金を質素な旅支度に隠し携えていたのだ。
「そうか。俺は、だが、ラテン語に詳しいというわけではない。さっきのはたまたま知っていただけだ。そもそも、まともな教育を受けることなど不可能だったしな。まともに食うものもない貧しい村で、詩人になりたいといったら、誰もが笑ったよ。ただ、親は喜んだ。小さな畑を二人の息子が引き継ぐのは不可能だったし、詩人になるなら村から出て行くに決まっているからな」
「そして、君はそうしたんだね」
「ああ、したとも。ヴォワーズ大司教領へ向かい、門前町で自慢の詩を朗々と歌うところから始めた。まさか、村でよりもひどい嘲笑に迎えられるとは思いもしないで」
「『Sedit qui timuit ne non succederet.』」
「なんだそれは?」
「ホラティウスの言葉だよ。『失敗を怖れ成功したくなかった者は、静かに座っていた』つまり、何もしない人間は失敗もしない代わりに成功することは絶対にないって意味だ。君は詩人になる努力を始めたんだろう」
アントーは頷き、タンブラーから酒を飲み干すと、亭主に合図してお代わりを要求した。亭主は、先にマックスにスープを運んできた。わずかに茶色いクリームスープからはほのかに栗の香りがした。
アントーは、酒をもらうと、低い声でブツブツと詩らしきものを唱えていたが、マックスにはほとんど聞き取れなかった。彼は、顔を上げてマックスに語りかけた。
「そうさ。でも、詩人を目指すのと詩人になるのは同じではなかった。大きな壁があった。みな俺の詩には、教養がないと言うんだ。韻は踏めていないし、故事も含めていないと。だけれども、どうしたらそんなことが出来る? 俺は、何も知らないし、習う相手もいないんだ。金もないし。なあ、旅のお方、詩人の資格とはなんなのだ?」
マックスは同じホラティウスの言葉を思い出した。
「『天賦の才、人より優れた心、そして偉大な物事を表現する雄弁さを持っている人は、詩人の名誉を受ける権利がある(Ingenium cui sit, cui mens divinior, atque os magna sonaturum, des nominis hujus honorem)』ってね。雄弁さの部分は、技術的な問題もあるから学ぶ必要があるのかもしれないが、そもそも大切なのは何を表現したいかじゃないのかな」
アントーは、顔を上げた。暗い想いにわずかな陽が差したかのように。
「表現したいこと……それならいくらでもある」
「こうもいうよ。『魂があるところに、歌がある(Ubi spiritus est cantus est)』僕は、全く詩人ではないから、知識があっても詩は作れない。詩を作りたいと想うことこそが、既に一つの才能なのではないかな」
「じゃあ、俺はまだ詩人でありたいと願い続けていてもいいのだろうか」
「もちろん、いいと思うさ。名をなして金持ちになるかどうかはわからないけれど、もともと金がないから詩人を目指してはいけないなんてことはない、そうだろう? もし、君さえよければ、僕に一つ聴かせてくれないかい?」
アントーは、小さく頷くと、うつろな瞳を宙に泳がせ詠じた。
「少女が戸口で頼む 火のついた炭を分けてくれと
隣人は怠惰なのろまと罵り 戸を閉めた
冷えた家に戻った継母は 怒りにまかせて少女を叩き
彼女は叩かれた数を 腹の中で数えた」
詩は、次の連へと進み、いくつもの傷跡を受けて謎の死を遂げた継母を置き去り、少女が街へと出て行く様子を述べた。少女は街で早々に男たちに売られて、悲惨な生活へと流されていくやるせない物語だった。マックスがこれまで聴いた詩と違うのは、確かにそのアントーの詩は韻律を全く無視しており、平坦な文章にしか聞こえなかったことだ。だが、物語そのものは、非常に興味深かった。
亭主がやってきて、詩には全く感銘を受けた様子を見せずにアントーをじろりと睨んだ。
「おい、なんの役にも立たない物語でお客さんを悩ませるんじゃないぞ」
青年詩人の声は小さくなり、語るのをやめてしまった。その様子を見て、マックスは、この近隣でのアントーの立場を思いやるせなくなった。
『何故笑っているのか。名前を変われば、物語はあなたのことを語っているのに(Quid rides? Mutato nomine et de te fabula narrator.)』
そう言ってやりたいと思ったが、それが却って故郷でのアントーの立場を悪くしてはならないと思い、黙った。
亭主は、マックスの空になったスープ皿の椀を下げると、平たい麺にラグーをかけた料理を置いた。ラグーには煮込まれてバラバラになった肉が見えたが、塊はなかった。その代わりに大きな栗がいくつか見えた。
「スープはいかがでしたかい」
「ありがとう。美味しかったよ。栗が入っているんだね」
「へえ。そして、この麺にも栗の粉が練り込んでありやす」
その麺を、マックスは一度も見たことがなかった。指ほどの長さに切れていて、グレーと茶色の中間の色をしている。少しざらりとした舌触りだが、もっちりとして弾力のある歯ごたえだ。
「土台になっているのは小麦ではないのかい?」
「ソバ粉、栗の粉、それにほんのわずか小麦でさ。この谷の名産としてお代官さまに献上する品目に入っておりやす」
この地域は、小麦がよく育たなく、むしろソバの生育に適しているのであろう。ないものを憂えるのではなく、その土地だからこそ出来る物を強みに、人々が生き抜く様を、マックスはここでも感じた。
「『Aut Viam Inveniam Aut Faciam』と言うとおりだね」
「なんですかい、それは?」
「先ほどから、僕たちが話しているラテン語名言集のひとつさ。『私は道を見いだすか、さもなくば自ら道を作るだろう』っていう意味だよ。他の土地のように小麦を植えるのは難しいかもしれないが、栗にしろ、蕎麦にしろ、この谷だからこそよく育つ植物を利用して、他にはない強みを作った先人たちの知恵に感心しているのさ」
「そうなんですかね」
そういって亭主はまた下がった。
「自ら道を作るか……」
アントーが、つぶやいた。
「そうだ。君の詩も、おそらく道を作りかけている最中なのではないか?」
マックスは言った。
アントーは、自信なさそうにマックスを見た。
「聴いてくれるのは、貧しい人たちばかりだ。金のある奴らは、俺の語りかけに立ち止まることをしない。それに神父がやってきてたしなめるんだ、善きことをした者が報われる物語を、きちんとした韻律で語れと。この世に善きことをした貧しい者が報われたことなど、俺は一度も見聞きしていない。そんな耳障りのいい絵空事を語るために詩人になりたかったわけじゃないんだ」
マックスには、アントーの悩みの本質が見えてきた。韻律や故事などは習うことが出来よう。だが、彼が望むのは世の中の矛盾と不正義に対する告発を詩にすることなのだ。そして、それを望む限り金銭的な成功や名誉を得ることは難しいに違いない。
「僕には、君を助けてあげることが出来るかどうかはわからない。でも、名を成すことと、伝えたいことを同時に実現するのは、詩人に限らず難しい。君の物語に僕は心を動かされたから、受け入れられることは可能だと思う。でも、それが難しいのは確かだ。少なくとも韻律を学んで、体裁を整えれば、聴いてくれる者が増えるかもしれない。もしくは耳障りのいい詩で先にパトロンを作ってから、より伝えたい詩を詠じるという道もある」
アントーは、しばらく黙ってマックスを見つめていた。
「お前さんは、まじめに聴いてくれるんだな。そうか、そうかもしれないな。今すぐに全てを実現しようとするから、上手くいかないのだろうか」
「新しいことをしようとすれば、時間はかかるだろう。『滴は岩に、力によってではなく、絶え間なく落ちることによって、穴をあける(Gutta cavat lapidem, non vi, sed saepe cadendo. )』って言うからな」
アントーは、タンブラーを脇にどけて、真面目にマックスの顔を見つめた。
「体裁を整えるために韻律を学ぶか。だが、どこで、誰に……」
マックスは、少し考えた。
「もし、またセンヴリに向かうつもりならば、マンツォーニ公の領地へと行くがいい。サン・ジョバンニ広場には、アレッキオという年老いた詩人がいる。彼とは、一年ほど親交を持っていたが、人の心のわかる立派な魂を持った男だ。彼にマックス・ティオフィロスに紹介されたといって教えを請うといい」
「ありがとう。是非そうするよ。なんとお礼を言っていいか」
「『苦難の中にいるものには、恐らく、よりよいものが続くであろう(Forsan miseros meliora sequentur.)』もしくは『過ぎ去った苦しみの思い出は、喜びに変わる(Jucunda memoria est praeteritorum malorum.)』っていうからね。君の志が実を結ぶことを応援させてもらうよ」
それからマックスは、懐から財布を出して、銀貨を一つ渡した。一つの詩に対する賞賛にしては高すぎる金額だったので、アントーはぎょっとして訊いた。
「どうして?」
「君の未だ世に認められていない才能にさ。『Magna voluisse magnum.』(全ては我が槍に至る - 偉大なことを欲したということが偉大である)、そう思って受け取るといい。僕に出来るのはここまでだ。このあとに運命が開かれるかどうかは、君次第だ」
マックスは言うと、彼自身のワインを飲み干して、青年の幸運を願った。
(初出:2019年1月 書き下ろし)
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