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scribo ergo sum もの書き・八少女 夕のブログ Since March 2012


Posted by 八少女 夕

【小説】Filigrana 金細工の心(5)『グラン・パルティータ』-2-

『Filigrana 金細工の心』の5回目『グラン・パルティータ』の2回目です。ライサの回想シーンは、まだ続いています。

これまで22の演奏を聴くだけだったのが、この日を境にCD鑑賞などにも同席するようになりました。今回出てきたモーツァルトの『グラン・パルティータ』は、後々再び出てくる曲です。私は、この曲を数年前まで知らなかったのですが、このストーリーの構想を立てていた頃に『クラシック100曲オムニバス』的なアルバムで聴き、使うことを思いつきました。

さて、少し長かったのですが、次回でライサの回想シーンは終了です。



『Filigrana 金細工の心』を読む「Filigrana 金細工の心」をはじめから読む
あらすじと登場人物





Filigrana 金細工の心(5)『グラン・パルティータ』 -2-

 普段の彼は、昼食の後はいつも1人でヴァイオリンかピアノの練習をする。ライサは部屋に戻って本を読みながらその音に浸った。午後も遅くなると、それまで部分的に練習していた曲を通しで弾き、その後に完成している曲をいくつも弾く。ライサはその頃にそっとサロンに近づくのが常だった。ドアの近くで立っているのを察した彼に呼ばれて、彼女はピアノの正面にあるソファに腰掛ける。

 だが、その日は昼食後にすぐにサロンに行くことになった。モラエスとルシアがアームチェアの前のローテーブルにコーヒーの準備を始めた。勧められて彼女はそこに座った。彼は、ガラス棚からCDを1枚取りだしてモラエスに渡し、それから、ライサの斜め横のアームチェアに腰掛けた。

 ライサの体に強い緊張が走った。彼とここまで接近したことはまだなかった。初めて会った深夜に24と取り違えたのは、月光ではっきりと見えなかったからでもあったが、明らかに他人だと分かっていても思い出さずにいられないほど、彼は彼女にトラウマを与えた男に似ている。今のライサには、加齢による変化、感情の表し方、周りの人との関わり方の違いをはっきりと見て取れる。それでも、彼女は体は意思に反してこわばった。

 彼は、ライサの反応を見て取ったが、何も言わなかった。モラエスがかけたCDが音を立てだした。

 ピアノかヴァイオリンの曲を聴くのだと思っていたが、それは管楽器の音で始まった。ライサは、目を見開いて彼を見た。彼は、その反応の変化に満足したようで、また以前と同じような口元だけの微笑を見せた。
「セレナード第10番 変ロ長調『グラン・パルティータ』というんだ。管楽合奏曲だよ。第6版のケッヘル目録では370aだが、初版のK361で表されることの方が多い作品だ」

 彼は、目を瞑り聴いていた。彼女が『ドラガォンの館』で働いていた頃、24は甘い言葉を囁きながらいつも彼女との距離を縮めようとした。それがあの恐怖の始まりだった。けれど、いま傍らにいるもう1人の、とてもよく似たインファンテは、彼女の存在を無視しているのではないが、何かを意図して近づいてくるという印象を一切与えなかった。自分の事も、ライサのことも何も語らず、ただ『グラン・パルティータ』に没頭している彼の様子に、ライサの緊張は少しずつほぐれていった。
 
 その日から、時おりサロンで同じように彼と食後の時間を過ごすようになった。夕方に彼自身の演奏を聴かせてもらう時には、黙って聴くのみだった。演奏後に彼と交わす会話も短く、曲目や作曲者の意図以外のことを話すことはなかった。だが、食後の時間は、性質が違う。彼が選ぶ曲は、ヴァイオリンやピアノが主役となる曲ばかりではなかった。たとえば管弦楽曲のように。

「ピアノやヴァイオリンの曲よりも、管弦楽の曲がお好きなんですか?」
ライサが聴くと、彼は「どちらも好きさ」と言ってからわずかに自嘲的な笑みを見せた。
「ただ、こちらは破れし夢へのノスタルジーというところかな」
「破れし夢?」

 彼は、CDのジャケットを見ながら言った。
「聴くだけでなく、演奏してみたい。その想いはピアノとヴァイオリンに留まらなかった。だが、1人で弾ける曲には限りがある。20代のはじめに、シューベルトの『ます』の5重奏に挑戦したことがある。ヴィオラとチェロまでは、なんとかそれらしく弾けるようになったので、パートごとに録音して合わせてみた。だが、上手くいかなかったんだ」

「どうしてですか?」
「演奏というのは、メトロノームのように、正確に速さを刻んでするものではないんだ。何人かが同時に息を合わせてこそ合奏が成り立つ。だが、私は5人に別れることはできないんだ」

 彼は、インファンテだった。Pの街の中で演奏家たちと合奏することも、不特定多数の人間と知り合いになることも許されていなかった。金銭的には、どんな贅沢でも要求できたが、それでも、世間的には『存在しない者』として生きる他はなかった。

「今は、だいぶマシになった。ピアノの2重奏も可能になり、ヴァイオリン・ソナタで伴奏をしてもらうこともできるようになった」 
ドンナ・アントニアのことだろうと、ライサは思った。

 かつて彼には、伴奏者も、観客もいなかったのだろう。心を揺さぶる美しいメロディーも、情熱ほとばしる弓遣いも、虚空に消えていただけだと思うと、ライサの心は痛んだ。彼女にとって苦しみしかなかったあの鉄格子で閉ざされた空間に、彼もまた閉じ込められていたのだ。

追記



K. 361 Mozart Serenade No. 10 in B-flat major, III Adagio
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Category : 小説・Filigrana 金細工の心
Tag : 小説 連載小説

Comment

says...
更新、お疲れさまでした。

うんうん、22はいろいろと心得てますね。ライサへの接し方なんて、カンセラーみたいじゃないですか。彼の慎重な性格が出ているんでしょうね。ライサにとってはありがたいことですけど、それがマヌエラを横取りされる原因のひとつでもあったわけですから、なんだかなぁですね。
モーツァルトのグランパルティータ、紹介の動画を見ましたが、やっぱり聞いたことがない(というか記憶に残っていない)曲でした。
で、そうですか、22は合奏したかったんですね。彼の音楽への思い入れは強いみたいですけど、でもねぇ、合奏したい曲に『ます』とか、この『グランパルティータ』とか、よく選びましたね。楽器、多いじゃん(笑) しかも、ひとり合奏にチャレンジとか、いくら才能があるからって、よく思いついたものです。
ドラガオンの掟は厳格だから、貧乏旗本の三男坊や、越後の縮緬問屋のご隠居よろしく、身分をかくして市井に出るなんてことはできないんですよね。そう考えると、優雅なくらしができているとはいえ、じつに残酷なものですね。
22にとって、アントニアの存在が、かなり大きなものであることがわかります。
が、22はそのあたり、どういうふうに思っているんですかねぇ。いずれぜひ伺いたいものです。

P.S.前話のコメントの「22の秘密」は、超甘党のことです。てっきり、なにかの病気かと思いまして(笑)
2020.09.30 06:48 | URL | #V5TnqLKM [edit]
says...
こんばんは。

22は、そもそもは「できる子」で、人当たりもよく、心くばりもできるのです、やろうとすれば。
怒りにまかせて引きこもりになり、さらに出てくるきっかけも掴めなかったので、『ドラガォンの館』にいた頃は完全な困ったちゃんとして中枢部を悩ませてきましたが、そもそも悪いのは当主本人ということもあって、ずっと腫れ物扱いでいたのですけれど。

『グラン・パルティータ』をここで持ってきたのは、こちらの大人の事情がありまして(笑)
もう1人、まだ1度たりとも出ていない主要キャラがいるのですけれど、その人との絡みのために必要だったのです。
私も、この曲はまとめてダウンロードした『クラシック名曲100』系のアルバムに入っていなかったら永久に知らなかったかもしれません。

今でこそアントニアが「おじさま。カラオケ録音してもらいましょう」とか言って、カルちゃんを使い走りにしていますが、かつては「ソロだけじゃつまらない」と1人で根暗に録音したりしていたようです。で、ピアノソナタくらいならなんとかなったので、「ます」もやろうとして挫折したと(笑)なので、さすがに管楽器まではトライしていません。

身分を隠して脱出といえば、23がやっていたように、おそらく22の方も可能だったのではないかと思いますが、この人は23みたいにいじけていたわけではなく意固地だったので、「どうぞ出てください」といわれても無視を決め込んでいたんじゃないかしら。そして、23も、出てはいたけれど、常に《監視人たち》を怖れつつ、現金ももてずにウロウロしていただけなので、演奏の友を見つけるなんて不可能だったでしょうね。

> 22にとって、アントニアの存在が、かなり大きなものであることがわかります。
> が、22はそのあたり、どういうふうに思っているんですかねぇ。いずれぜひ伺いたいものです。

これは、この話の中で、かなり全編にわたってばっちり出てきますので、ご期待ください。

> P.S.前話のコメントの「22の秘密」は、超甘党のことです。てっきり、なにかの病気かと思いまして(笑)

あはは、たんなる超甘党です。この件もこれからちゃんと出てきます。日本人だと「お酒を飲む人は甘いものは好まない」や「甘いのが好きなのはどちらかというと女コドモ」という認識が強いので、「男なのに超甘党?」と思われるかもしれませんが、ヨーロッパには普通にいます、「それ、砂糖の塊じゃん」みたいなお菓子を好む男性。そういえば私の作品には甘党の男が多いですね。レネもそうだし、カルちゃんも(笑)

コメントありがとうございました。
2020.09.30 20:13 | URL | #9yMhI49k [edit]
says...
やはり誠実な人ですね。
ええ、22のことですよ。
ライサが徐々にでも心を開いていく様子が良く伝わってきます。
22、素っ気ないようですが、ライサのことを注意深く見ているんですよ。そしてここまでなら・・・と判断してから、新しい領域に入っていっているんでしょう。自分が24にそっくりだということは自覚してますよね。だから慎重に、でも時には大胆に?
この曲は聴いた覚えがないですね。でも、いつもと趣を変えた管楽器のゆったりとした演奏が、彼女の硬く強ばった精神をゆっくりとほぐしていったんだろうな、と想像しています。
5重奏って、まぁ技術的には可能なのでしょうが、5人でお互いの音を聞いて合わせながら演奏するのと同じようにはいかないでしょう。
ただ単純に同じテンポの演奏を5つ合成して5重奏にするなんて、彼の肥えた耳ではとても満足できないんだろうと思います。
彼の腕ではまだ2重奏が精一杯と言っていますが、そのうち3重くらいならなんとかなるのでしょうか?あ、どこかの超有名オケとバーチャルコンチェルトをやってたっけ。
これくらい楽器の演奏にのめり込む彼にとって、伴奏をしてくれるアントニアの存在は大きいでしょう。そうか、演奏を聴いてくれ、そして自分の音楽感を語れるライサの存在も嬉しいんでしょうね。それも彼女に積極的に係わる理由の1つなのでしょう。きっと・・・。
2020.10.03 11:53 | URL | #0t8Ai07g [edit]
says...
こんばんは。

そうですね。
基本的には、22は悪い人ではないです。
もちろん、誰にでも親切にするような人でもないのですが、ライサは(マヌエラに似ている=)彼の好みの容姿ですし、さらにいうとシステムの明らかな被害者ですから、多いに同情もしています。だから、アントニアに協力してライサが回復するように彼なりに考えて行動しているようです。

基本的に、この館で(仕事もせずに)好きにライサの治療につきあうようなヒマがあるのは、彼ひとりです。
アントニアは、この当時はドン・アルフォンソの名代としての仕事があって、とても忙しいですし、ほかの使用人は上司の許可なしにあれこれ動くことはできません。で、ヒマなおじさんが、自分の趣味の音楽鑑賞を兼ねて、ライサのお守りをしている状態でした。モラエスたちは、ホッとしていると同時に、わずかにハラハラして見ていたはずです。システムとしてはなんとしてでもライサを回復させなくてはならないのですが、一方で、この館ではインファンテである22の行動の監視と、そのご機嫌を損ねないためのケアが第一命題でもあるからです。

シューベルトの「ます」で挫折して以来、彼はピアノとヴァイオリン以外の楽器を自ら演奏することはやめています。
現在、2重奏が可能になったといっているのは、生演奏の話で、これはアントニアが彼好みの演奏をできるレベルになっているからです。
3重奏は、そういうわけでおそらく不可能でしょう。ほかに弾く人がいませんから。アントニアは、カルちゃんに頼んでカラオケを用意したりしていますが、これまた、「叔父様」を喜ばせるための彼女の努力の1つです。

こんな具合に、『ボアヴィスタ通りの館』で療養していたライサですが、ご存じの通り、充分に回復した後に実家に戻っています。

次回でライサの回想はいったん終わります。

コメントありがとうございました。
2020.10.03 21:20 | URL | #9yMhI49k [edit]
says...
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2020.10.05 10:48 | | # [edit]
says...
こんにちは。

そうです、そうです。
この話は、ライサも大きく絡んでいますが、主人公は22なんです。
この回想が終わったら、ようやく本人の視点が登場します。

さて、嬉しいな、ありがとうございます。
お訊ねの件、せっかく鍵コメにしてくださったのに、ここで答えるのはアレなので(笑)DMしますね。

コメントありがとうございました。


2020.10.05 13:45 | URL | #9yMhI49k [edit]

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