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scribo ergo sum もの書き・八少女 夕のブログ Since March 2012


Posted by 八少女 夕

【小説】Filigrana 金細工の心(8)扉

『Filigrana 金細工の心』の8回目です。

このブログで発表している他の小説(例えば『大道芸人たち Artistas callejeros』など)でも、時おり語られますが、ヨーロッパのお菓子は、大きくて異様に甘いものが多いです。その中では、ポルトガルのお菓子は、大きさも甘さもわりと私好みのものが多いのですけれど、たまに「うわ。またこんなのに当たってしまった」というくらい激甘ものもあります。ただ、「蓼食う虫も好き好き」で歯がきしむほど甘いのが好きな人もいますから。

さて、以前ライサ視点の記述で、22が甘党であることがぼんやりと示されていましたが、ここでついにはっきりと出てきます。めっちゃ甘党。でも、素直ではないんです、この人。



『Filigrana 金細工の心』を読む「Filigrana 金細工の心」をはじめから読む
あらすじと登場人物





Filigrana 金細工の心(8)扉

 レイテ・クレームが彼の前に置かれた。濃厚なカスタードクリームの上をパリッとカラメル化した砂糖で覆ったこのデザートを彼は好んだ。

 目の前のアントニアが微笑むと、彼は「そんなに喜んでいるわけではない」という顔をわざと作った。

 アントニアが共に暮らしだすまで、代々の料理人たちは、彼の嗜好がわからなくて氣を揉んだものだ。彼は、食事に文句を付けるようなことは1度もなかった。実のところ、そんなことが許されていると思ったこともなかったのだ。

 20歳の時から、20年近く彼は1人で食事をしてきた。『ドラガォンの館』で格子の向こうに閉じこめられていた頃、そこから出られるのは、食堂で家族と共にする正餐の時だけだったが、あの日から彼はその場に同席するのを拒み通した。……カルルシュがマヌエラに宣告し、彼の幸福の蕾をむしり取ってしまったあの日。絶望に嘆いていたはずの、彼と人生を共にすると誓った女が、あっさり抵抗をやめてカルルシュの愛を受け入れてしまったあの日から。当主としての務めとはいえ、その全てを当然のごとく許した実父への失望と恨みが彼を蝕んだのもあの日からだった。

 カルルシュとマヌエラ、そして当主として父親が上品に食事をする場になど、何があろうとも同席したくなかった。彼の椅子の空虚さが、彼の抗議の証だった。だが、彼がその場に現れずとも、ドラガォンは何1つ滞りなく動いた。

 正餐には、やがてカルルシュとマヌエラの子供たちが加わるようになり、召使いたちもその場に彼がいないことに慣れてしまった。口に出さぬ彼の怒りと憤りが、絶望と憎しみに変わり、ただ時が流れた。

 毎回、召使いたちに呼ばれ出て行かずにいると、しばらくしてから召使いたちがやってきて、居住区の中にテーブルを整えた。彼はその召使いたちが持ってきた食事を食べた。1人で。

 機械的に「ありがとう」とは言ったが、味を好んだかどうかは1度も伝えたことがなかった。子供の頃も、厳格な父親に躾けられて、出されたものを残さないように、よけいな口はきかず静かに食べるようにしていたので、それが当然になっていた。

 『ボアヴィスタ通りの館』に遷ってからも、室内ではなく食堂で食べるようになったこと以外は何も変わらなかった。アントニアが食卓に同席するようになってからも、彼女が使用人たちと料理について話すのを他人ごとのように聞いているだけだった。

 だが、アントニアと暮らすようになってから数ヶ月経った頃、料理人のドロレス・トラードが失敗を繰り返したことがあった。後から聞けば彼女は人間関係で悩みを抱えていたらしいのだが、塩や砂糖の量を間違えた料理が週に何度も出された。

 その日、アントニアはレイテ・クレームをひと匙だけ口に入れると、給仕をしていた召使いに下げるように言った。
「さっきの鴨肉のソースが塩辛すぎたのは野菜で中和できたけれど、これは我慢できないわ」
砂糖が通常の倍は入っている。こんな甘いものを食べられるわけないじゃない。彼女の表情が語っている。

 召使いが恐縮して、彼が食べている器をも下げようとした。彼は、思わず皿を引いて、持っていかれないように器を守った。
「叔父さま。無理して召し上がる必要はないのよ。こんな甘いものを」
アントニアが言った。

 その時に、彼は初めて意識したのだ。彼はいつものレイテ・クレームよりもこの極甘味の方が好きであることを。

「私は、これでいい」
召使いとアントニアは顔を見合わせた。それから、彼女が恐る恐る訊いた。
「叔父さま、その味がお好きなの?」

 彼は、答えなかった。子供の頃、彼は食事について好みを口にすることを許されなかった。自分好みの味にわざわざ調理してくれることがあるなど、考えたこともなかった。自分の運命を呪い、食堂へ出て行かなくなってから、運ばれる食事は命を長らえるために供給される餌のような存在になった。彼は食事に喜びも怒りも何も感じなかった。そのことに、誰かが関心を持つとも思えなかった。

 だが、いま口にしているクリームを取り下げられるのは残念だった。甘くて濃厚な味。

 そのわずかな意思表示は、アントニアと使用人達に初めての希望の光を灯したらしかった。一切問題は起こさない代わりに、決して心を開かないインファンテ。何をすることで彼を喜ばせていいのか途方に暮れていた彼らは、ようやく彼の表情を変えさせることができたのだ。

 アントニアは、それから彼を喜ばせるために様々な菓子を買ってくるようになった。そして、彼はその誘惑に抵抗できなかった。こんなことで飼い慣らされてたまるかと思いながらも、手に取ってしまう。彼女は菓子に合うコーヒーや茶、それにヴィーニョ・ド・ポルトを絶妙に選んで微笑んだ。

 彼女は直に、虚勢を張っている彼のわずかな喜びの表情を、正確に見分けられるようになってしまった。そして、菓子だけではなく、食事で何を彼が好むのか、身につける物で何を心地よいと思っているのかを、彼に代わって館の使用人達に告げる役割を果たすようになった。

 それだけではなかった。ずっと1人で奏でるしかなかった彼の慰め、音楽においても彼女はますます彼の期待していなかった位置にたどり着きあった。

「お前がまともに弾ける日など来ない」
12年前に彼女のレッスンに苛立って冷たく言い放った彼自身の言葉を、彼が撤回しなくてはならないと思いだしてどのくらい経ったであろう。彼は、未だに謝罪と賞賛の言葉を口にしていなかった。「悪くない」程度の言葉を口にするのが精一杯だ。だが、彼女はその言葉に満足して微笑む。彼のヴァイオリンの伴奏をすることをこの上なく喜ぶ。
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Category : 小説・Filigrana 金細工の心
Tag : 小説 連載小説

Comment

says...
更新お疲れさまです。

今回は、22とアントニアはもちろん、ドラガオンのスタッフの皆さんも、えらく可愛らしいですね。
みんなで拗ねっこの機嫌をとっているみたいだし、22が見せるわずかな喜びにみんなも喜んでいる、そんな感じがします。なんだよ22、けっこうみんなから愛されているじゃん……というわけでもないのか(笑) まあ、始終しかめっつらで不愛想な主人よりは、すこしでも喜んでくれる方が、使用人たちも働きやすいですもんね。
なるほど、超甘党だったことは、本人もその味を覚えるまで知らなかったんですね。たまたま甘すぎるクリームを食べて、それが発覚したというわけでしたか。

で、22が引きこもった心情は、わかります。のこのこと食卓に並ぶ方が、むしろおかしいだろうなぁ。

すこしずつ餌付けされて……失礼、好みの食べ物を出してもらえるようになって、嬉しいくせに、それを表に出さない(出せない)22は、いろいろ器用なくせに変なところが不器用で、しょうがない人だなぁ。
使用人たちにはまあそれでもいいでしょうけど、アントニアに対しては、もうちょっと素直になって、優しく接してあげればいいのに。彼女、がんばってますよね。いい子だなぁ。
2020.11.25 08:01 | URL | #V5TnqLKM [edit]
says...
こんばんは。

『ボアヴィスタ通りの館』の使用人たちは、そもそも22の若い頃(わりと人気者だったころ)のことは知らない人たちばかりで、問題は起こさないけれどヤバい事情があった人物として、腫れ物に触るように仕えてきていたのですよね。なので「おっ。なんと甘いもの好きだったとは!」と色めき立ったでしょうね。しかも、本当に少しずつ餌付けされているし(笑)

アントニアが同居をはじめる以前も、居住区に閉じ込められていた頃も、「今日のは甘くて美味しいぞ」くらいは思ったことはあるでしょうが、感想は伝えないし、そもそも「こんな甘いもん食べんな」と取りあげらようとすることはなかったので、だれも彼が甘党であることを知らなかったのですね。

彼の人生の不幸は、失恋したことではなくて、その後「現場」から去ることができなかったことだと思うんですよね。普通は、元カノとその夫の家庭にずっと同居してなんてことないじゃないですか。なので、あの館から離れることができた(23が閉じ込められたので)時から、はじめて人生をやり直すことが可能になったのかも。もっとも、いわゆる青春の時期はとうに過ぎてしまっていたんですけれど。

アントニアに優しくしてあげないのは、この人が意地っ張りだから……かな。
ま、すでにご存じの理由(あの2人の娘であること)と、それからもう予想は出てきているでしょうが、まだはっきりとは記述していない事情と、その両方の理由で彼はめちゃくちゃイケズです。でも、彼女が一番彼によくしてくれる存在であることもわかっているのですよね。そのあたり、ものすごく複雑な心境なのです。

あ、上の事情は、すぐに出てきますのでご安心を。

コメントありがとうございました。
2020.11.25 22:42 | URL | #9yMhI49k [edit]
says...
読んでいて思ったのは病院の食事ですね。
当たり前ですけど、病院の食事は美味しくない。
それは治療が目的であって、健康を維持するのが目的。
美味しいと思える方が稀ってことですし。


だからといって、
美味しくないと食べないのも職員としては困る。
とてもジレンマに襲われますね。
2020.11.26 11:25 | URL | #- [edit]
says...
こんばんは。

ものすごく不思議なんですけれど、私もずっと病院食はまずくて当たり前だと思っていました。普段と同じものを食べられるはずもないだろうしと。

でも、スイスの病院食って、ほとんどレストランと変わりなくて、しかも選べるんですよ。いや、いろいろあるわけではないのですが、それでも「今夜は軽くいきたいから」などと、自分で取捨選択できるんです。日本の病院食との違いに衝撃を受けました。

実際には私自身はまだ1度も入院したことはないのですが、入院していた人はみな「美味しいわよ」というんですよね。

もっとも、もともとの食のレベルが、日本の人たちの食べているものはめちゃくちゃ美味しいということもあるので、日本人が食べておいしいと感じるかどうかは分かりませんけれど。

コメントありがとうございました。
2020.11.26 23:32 | URL | #9yMhI49k [edit]
says...
コメに来ました(*^_^*) 
やっとお休み~。あれこれ修羅場っていると、頭が働かなくて(;_;)
2回分まとめてのコメになって済みません。

さてさて、彩色されたお土産物、ぬいぐるみ、あれこれ、同じような物が並んでいても、なんか違いがあるような気がして、いつも比べて選んでいるなと思いました。そんなに変わらないはずなのに、なんか違うところを探しているのですね。22が作っている雄鶏も、もし自分が土産物屋で買うとしたら、きっと並べてどれがいいかすごく吟味するんだろうなぁ。特別なことをしてはいけないとはいえ、ドングリがいっぱい並んでいて、よく似ていても、ひとつひとつ違うように、きっとどこか違っている。
みんなそれぞれオンリーワンなんだけれど、その小さな違いって、逆にちょっと切ないものがありますね。22の世界も、立派で貴重な血筋なのに、同じように、いくらでも替えの聴く、おなじような顔のものがいっぱい並んでいる、そんなふうなんですね。
でも、アントニアは、そんなドングリの中からなぜかおじさんを気に入っちゃったみたいで。

二人の間には何とも切ない感情があるのでしょうかね。ある意味、その切なさが、おっちゃんの頑なさのせいでマスクされているような感じです。「にっくき」マヌエラの娘に癒やされていること自体がなんか許せないって気持ちもあるけれど、でも受け入れちゃってもいる。そんなアンビバレンツが、ちょっと滑稽にも思えて、ちょっとかわいいかも。
ところで、二人の関係は実際どうなのかな。お互いになくてはならない存在であることには気がついていると思うけれど。でも、お互いをよく見ているからこそ、色んなことに気がつくんですね。
甘党の件もしかり(*^_^*)
2020.11.28 15:30 | URL | #nLQskDKw [edit]
says...
こんばんは。

うう、あいかわらずハードな日々のよう、どうぞご自愛くださいませ!

例えば缶詰などは、生産が全て機械化されているのですが、23の作っている靴とか、22の作る民芸品とか、アズレージョのタイルの絵付けとか、プラリネ作りとか、なんだかんだ言って誰かの手が入っている製品というものもいろいろとあって、普段は考えないけれど誰かが作っているその手作業に支えられているのだなと思います。この話とは関係ないですけれど、日本の練り切りなんかも、作った職人の技が凝縮しているし。

インファンテたちは、お仕事を頑張ってそこに生存の意味を見いだすタイプと、全然まともにやらずに遊んで暮らすタイプに分かれています。22は、お仕事をちゃんとやることで自尊心を保っているタイプかな。でも、その自尊心はあくまで心の中にだけあるもので、実際には業績が認められているわけでもなく、ひとりでグルグルしていたというところでしょうか。

23には、靴の良さを絶賛して、絵を描いてくれたマイアの存在が大きかったように、22にも近くに来て、彼のありとあらゆることを肯定してくれるアントニアの存在は、かなり大きいようです。

アントニアの22に対する感情は、ええと、そのうちに出てきますけれど、ドン引きされるかも……。
アンビバレンツというのは、まさに彼のアントニアに対しての感情をドンピシャに言い表した言葉で、彼はアントニアのことをよく分かっていて(っていうか、マイア以外のみんなが分かっていて固唾を呑んでいる状態)、どうにもできない膠着状態でいます。

そういえば、第1作で、23がお外でマイアと遊んでいたのがバレちゃったあと、ドン・アルフォンソが居住区に来て説教をたれたシーンがありましたよね。その時に、お兄ちゃんは23に「お前とアントニアは、変なところが似ていて困ったものだ」なんて語っていましたが、そのアントニアの事情が、このストーリーの根幹というわけです。

ま、なんだかんだいって22は、日々アントニアに甘いもので餌付けされているんですけれどね。

コメントありがとうございました。
2020.11.28 22:08 | URL | #9yMhI49k [edit]
says...
22の反応を見ているとサキはなんとなく先をイメージしてしまいます。あ、変なものと比べちゃってすみません。
もちろん、奴は22とはまったく比べものにはならないんですけど、『まったくそんなことには興味は無い』なんて顔をしながら本心はバレバレとか・・・。しょうがないなぁと思える部分はちょっと似ているのかもしれません。なんか、無性に意地を張っちゃうんですよね。
でも、アントニアに徐々に解されていく22の心の動き、なんか好きだなぁ。音楽の分野でもそうですが、彼にとってアントニアはもう不可欠の存在になっていると思うんですよ。
「悪くない」が最高の褒め言葉だということはアントニアにはもうバレバレですね。
で、そのはっきり記述していないもう一つの事情ってなんだろう?
サキは鈍感なのでやっぱり予想できていません。すぐに出てくるんですか?では楽しみに待つことにします。
人は見かけによらない・・・わかってはいるけれどこの2人の関係、とても面白いです。
やっぱり22は超不運な環境に生まれてしまったんですね。抜け出すことがかなわないなら、その与えられた範囲の中で最高の幸せを得ることができることをサキは祈ってしまいます。
2020.11.29 11:26 | URL | #0t8Ai07g [edit]
says...
こんばんは。

おお、先さんにそんなかわいいところが! (おっと、先さん、失礼いたしました!)

22は、アントニアが自分のためにものすごく心を砕き、使用人たちと一緒に彼を喜ばせようとしてくれていることをよく知っています。
なので、ふつうに「ありがとう」とは口にするのですけれど、「おお、めっちゃ喜んでいる」と思われるのは癪でツンツンしています。バレバレなのですけれど。

そして、22にとってアントニアが唯一無二の大切な存在になっていることは間違いなくて、彼自身もそれを認めています。本人にそれを言えばものすごく喜ぶことは分かっているのだけれど、言ってあげません。イケズなので。

アントニア側の事情……というか、問題というのか、その辺がはっきりと記述されるのは間もなくなんですけれど、あれ、ちょっと次の回が長いせいで来年に持ち越すかも。って、ことは「scriviamo!」明け?
ううむ。
でも、特にひねりのない話ですので、たぶんちょっと予想したらそのままだと思います。ええ。

このストーリーは、22が齢50を過ぎて、ようやく自らの運命に折り合いをつけるまでが語られていきます。それが幸せかどうかは、一概には言えないんですけれど、ラストまで読んでいただければと思っています。

コメントありがとうございました。
2020.11.29 22:19 | URL | #9yMhI49k [edit]

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