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scribo ergo sum もの書き・八少女 夕のブログ Since March 2012


Posted by 八少女 夕

【小説】不思議の森の名付け親

scriviamo!


「scriviamo! 2021」の第7弾です。もぐらさんは、オリジナル作品の朗読で参加してくださいました。ありがとうございます!

もぐらさんの朗読してくださった作品「桜の福の神 いちょうの貧乏神

もぐらさんは、オリジナル作品、青空文庫に入っている作品、そして創作ブロガーさんたちの作品を朗読して発表する活動をなさっているブロガーさんです。お一人、もしくはお二人で作品を朗読なさり、当ブログの作品もいくつも読んでくださっています。いつもとても長くて本当にご迷惑をおかけしています。

今年もオリジナルの「貧乏神」シリーズでご参加くださいました。日本の民話をアレンジなさった素敵な作品です。貧乏神のシリーズとはいえ、毎年、とてもハートフルなエンディングでお正月にふさわしい素敵な作品ばかりです。とくに今年は、コロナ禍の時代に考えさせられるお話になっています。

お返しですが、今年は、平安時代の「樋水龍神縁起 東国放浪記』でも、もぐらさんのお好きな『Bacchus』関連でもなく、ヨーロッパの寓話風の作品を書いてみました。今年のもぐらさんの作品のテーマである「禍福は糾える縄の如し」を意識して、ヨーロッパの中世で多くの作品のモチーフとなった『死の舞踏』の思想を織り込んであります。また人ならぬ名付け親のおかげで赤ん坊の運命が変わるというストーリーはグリムの作品「死に神の名付け親」に着想したものです。

もぐらさん、なんと1月末に大きなお怪我をなされたとのこと、1日も早いご快癒をお祈りすると同時に、これが厄払いとなり、大きな福が舞い込んでくるように祈りながらこの作品を書きました。


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不思議の森の名付け親
——Special thanks to Mogura-san


 はるか昔のことです。どのくらい昔のことか、もう誰もわからないほど昔のことです。ある街で、同じ日に、3つの別々の家で子供が生まれました。両親は、我が子にそれぞれ立派な人物に名付け親になってもらおうと願いました。

 ところが、その地方では、1度に2人以上の名付け親になることは禁止されていて、ひとかどの人物で名付け親になってもらえる人が見つかりません。そこで親たちは、近くの森へと出かけました。この森には、不思議な力が満ちていてこの世のものでない存在が時おり姿を現すというのです。

 最初に森に着いた親子は、重い緞子どんす の赤い外套を着て狐の尻尾を首に巻いた人物にであいました。
「もうし、あなたはどなたですか。この子の名付け親になっていただけませんか」

 赤い外套を着た男は重々しく頷きました。
「私は、《富裕》だ。私が名付け親になるこの子は大金持ちになるだろう」
両親は、もちろん大喜びで《富裕》に名付け親になってもらいました。

 次に森に着いた両親は、《富裕》が別の子供の名付け親になってしまったことを残念な思いで眺めました。そこに紫色の煌びやかな外套と仔羊を抱えた男が現れました。
「もうし、あなたはどなたですか。この子の名付け親になっていただけませんか」

 紫の外套を着た男は重々しく頷きました。
「私は、《宗教権威》だ。私が名付け親になるこの子は尊敬される立派な大司教になるだろう」
両親は、もちろん大喜びで《宗教権威》に名付け親になってもらいました。

 最後に森にやって来たのは、一番森から遠い所に住む夫婦でした。他の家族が《富裕》や《宗教権威》とともに洗礼式の行われる教会へと急ぐのを残念な思いで眺め、他に立派な名付け親がいないかあちこちと探しました。

 すると、森の奥から、茶色のみすぼらしい外套を羽織り、馬の尻尾のように長い髪を後ろにまとめた男が現れました。
「もうし、あなたはどなたですか。この子の名付け親になっていただけませんか」

 茶色い外套の男は、重々しく言いました。
「わたしは、《馬の守護》だ。《富裕》や《宗教権威》のような社会的栄華は約束できないし、私が名付け親になる子は馬飼うまかい になるだろう。それでもいいのかい」

 赤ん坊の両親は、すこしだけ落胆しましたが、名付け親がいなければ洗礼はできません。男にお願いして、洗礼堂へ向かいました。

 洗礼堂では、先に着いた2組の家族が待っていました。はじめの両親も、2番目の両親も、みすぼらしい《馬の守護》を見ると、侮るような顔をして笑いました。

 時は経ち、3人の赤ん坊は、みな大人になりました。そして、それぞれ名付け親の預言通りに育ちました。

 1人は国一番の商人となり都に屋敷を構えました。もう1人はこの街出身の者としてはじめて大司教に任命され、大司教領に住むようになりました。そして、もう1人がこの街にとどまる貧しい馬飼でした。

 馬飼の両親は、たまにこの街を訪れる商人や大司教の両親と出会うと決まってこう言われました。
「本当に、あなたは不運でしたね。あの不思議の森で立派な名付け親に会えたおかげで、うちの子は立派に出世し、私たちもこんなに幸せになりましたよ」

 子供の成功のおかげで、2組の両親の生活も以前とはまったく変わり、立派な屋敷に住み、裕福な暮らしをしていたのです。

 馬飼の両親は、悔しいと思いましたが、それをいっても始まりません。貧しい暮らしの中、親子3人で寄り添って暮らしていました。

 ある年、青年の飼っている馬たちが一斉に病にかかりました。青年は心を込めて看病をし、全ての馬が再び元氣になりました。続けて、青年と、それから両親までもが高熱を出しましたが、それもやがて治りました。

 青年と両親の家の近くに住む、多くの人も同じような病にかかりました。彼らは、おかしな病を持ち込んだと馬飼と両親に嫌みをいいましたが、家で寝ているだけで、みなまた健康になりました。

 みなが元氣になったことを喜んでいると、怖ろしい報せがやってきました。隣の国で発生した天然痘が、国境を跨いで襲ってきたのです。人々はバタバタと倒れて、多くの人が亡くなり、助かった者にも醜い痕が残りました。

 街の北側から襤褸らんるまと った《疫病》が鈍色にびいろ の竜に乗ってやってきました。骸骨の姿をしたおびただしい亡者たちが、鎌を振るいながらその後に続きました。鎌には白い布が結ばれていて、このように書かれていました。

Quod fuimus, estis; quod sumus, vos eritis
(我らはかつて汝が今あるところのものだった。
 そして汝はいずれ、我らが今あるところのものになる)


 商人とその両親は、《疫病》と亡者たちがやってくるのを目にすると、震え上がって名付け親である《富裕》に助けを求めました。

 けれど、《富裕》は首を振りました。
「この世のたいていのことは、お金を積めば何とかなるものだ。しかし、《疫病》だけは、お金で買収はできないのだよ」

 大司教とその両親も、神様に祈り、それでも《疫病》と亡者らが大司教領を避けて通ってくれないこと知ると、《宗教権威》に何とかしてもらえないかと頼みました。

 けれど、《宗教権威》も首を振りました。
「この国のたいていのことは、神の威光があれば何とかなるものだ。しかし、我らは神ご自身とは違う。《疫病》の進路を変えることはできないのだよ」

 馬飼は、《馬の守護》に何かを頼めるとは思わなかったのですが、自分や家族が天然痘で死んだら馬はどうなるかと心配になり、名付け親に相談しました。すると《馬の守護》はいいました。
「心配する必要はない。お前と、お前の両親は天然痘にはかからないから」

 さて、竜に乗って馬飼の住む街へやってきた《疫病》は、村はずれの馬飼たちのいる一角を見ると、嫌な顔をしていいました。
「なんてこった。こいつらには手を出せないじゃないか。しかたない、よそへ行こう」

 馬飼は、ひどく驚いて名付け親に訊きました。
「どういうことなのですか」

 名付け親である《馬の守護》は、答えました。
「お前たちは、《馬の病》にかかっただろう。あの病にかかり回復した者は、決して天然痘にかからないのだ」

 それを聞くと、馬飼と両親、そして、《馬の病》にかかった近所の人たちは大いに喜びました。そして、まだ《馬の病》が治っていない人のところに、健康な知り合いを連れてきて、次々と《馬の病》にかかるようにしました。

 天然痘の猛威が収まり、人々に平和が戻ってきた頃、その国も隣の国も人口が6割ほどに減ってしまいました。たくさんの貧しい人たちが亡くなりましたが、同じように王侯貴族も聖職者も亡くなりました。

 ただ、《馬の病》にかかった人たちは、みな無事でした。人々は、神と貧しい身なりの《馬の守護》に感謝して、貧しくても助け合いながら暮らしました。

(初出:2021年2月 書き下ろし)
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Comment

says...
楽しく読ませていただきました。
うまく言えませんが、感想を述べさせていただきます。
3番目の親子は馬飼になるだろうと告げられましたが、自分は「この子はきっと
幸せになるんだ」と思いました。
事実、最後にそういう展開になって嬉しかったです。メデタシ、メデタシ(^^♪
2021.02.17 08:10 | URL | #- [edit]
says...
執筆、お疲れさまでした。

お、今回は『東国放浪記』じゃないんですね。
今年は出番、ないのかなぁ。残念。

さて。
今回の寓話、まさしく「禍福は糾える縄の如し」を地で行っている内容ですね。
財産を得て裕福になったり、権威を得て出世したりすることは、たしかに幸福ではあるけど、馬飼として貧しく尊敬もされずに暮らし、しかも一見不幸な病にかかったからこそ、大病を退けるという幸福を得られた。
科学的に見れば、馬痘に感染して抗体を得たことで、天然痘のワクチン接種を受けたのと同じ効果があった、ってことになるわけですが、まあそれは野暮な話ですね。
もっとも、昨今の状況を考えると、生き残った『馬の守護』の子がいちばん幸せだった、と言いたくなりますけどね。
とはいえ、他の子たちもそれなりに社会貢献したり、いい思いもしたわけですから、そういう意味では『裕福』の子や『宗教権威』の子と『馬の守護』の子の幸福の総量は同じで、じつは帳尻は合っているのかもしれませんね。
なんにせよ、世俗的な成功だけが幸福ではない、ということですね。
2021.02.17 09:37 | URL | #V5TnqLKM [edit]
says...
執筆お疲れ様です。

そう言えば、ワクチンは畜産業の方が天然痘かからない辺りから生れたそうですね。患者の瘡蓋や膿を擦り付け、わざとかかる方法あったとか。
一歩間違えば普通に死んでしまうやり方をせずに済む、現代に生まれて良かったです。

何が幸福かはその人にしか分かりませんね。
短くても太い方がいいか、細くとも長い方がいいか。うーん、難しい。
取り敢えず、暖かいコーヒーを何も心配せずのんびり楽しめる程度の幸せはキープしていたいと思います。
2021.02.17 10:58 | URL | #yl2HcnkM [edit]
says...
こちらにもありがとうございます!

このコロナ禍でもそうなんですけれど、これが起こるまではずっと続くだろうと思っていたことが、まったく当たり前でなくなってしまいうことがあるんですね。

この寓話で言えば、大金持ちになったり、大司教になったりしたら、後は生涯安泰でめでたしめでたし、と本人も周りも考えていたのに、そうはいかなかったというあたりです。

馬飼は、生き残ってもやはり馬飼で、楽な暮らしではないでしょうが、それでも怖ろしい疫病でにかからずに、周りの人々と仲良く暮らせたことはハッピーエンドですよね。人生万事塞翁が馬ってことで、私も頑張っていこうと思いながら書きました。

コメントありがとうございました。
2021.02.17 22:34 | URL | #9yMhI49k [edit]
says...
こんばんは。

ああ、『樋水龍神縁起 東国放浪記』は、何らかの形で今年1回くらいは書きたいですねぇ。
あ、こう言うのやめておかないと、また書く書く詐欺団の犯行を重ねてしまう!

さてさて。
一応、寓話で書くので、人間じゃない何かを登場させていますが、それがいなかったとしてもちゃんと通じる話にしたくて馬痘と天然痘の話を中心に持ってきました(笑)
はじめは牛飼で書こうとしたのですが、一応裏を取ったら、ジェンナーが牛痘ウイルスだと思っていたのは馬痘ウイルスだったというので、じゃあ馬飼にするか、ということになりました。

この話ではあえて大商人と大司教がどうなったかは書きませんでしたが、天然痘で亡くなってしまったかもしれないし、うまく逃れたかもしれない。結局そこそこいい暮らしを続けたかもしれないし、疫病の大被害で社会不安が広がり財産や地位を失ってしまったかもしれない。その辺は、読者の想像に任せることにしました。

幸福の総量という意味では、本当に平等なのかどうかはわかりませんけれど、でも、少なくとも言えるのは自分たちの努力の結果でも何でもないことに対して「大司教になれたうちの子に比べて。あんたのとこは不運だね」とあざ笑った人たちは、傲慢すぎたということでしょうか。

本当に人生は、何が幸いで何が不幸かはわからないものですよね。
なんだかなあな日々も、くさくさせずにとりあえず頑張っていきたいものです。

コメントありがとうございました。

2021.02.17 22:58 | URL | #9yMhI49k [edit]
says...
こんばんは。

そうなんですよね。
もともとは「牛痘や馬痘にかかった人は天然痘にかからない?」からの大発見だったのですよね。
その前に千年前の中国では、天然痘患者のかさぶたから免疫をつけようとしていたようですが、その方法だと30人に1人は亡くなってしまったとか、かなり危険な方法だったのですね。

ただし新型コロナのワクチンは、「感染による被害より、ワクチンの副作用による被害の方が大きくなる可能性あり」と危惧されるほどのスピード開発なので、ワクチンさえ打てばいいという単純な話でもないみたいですけれど。

いずれにしても、本当に何が本当の幸福なのかは、ありきたりの尺度では簡単に測れないのでしょうね。
去年から、今後どれだけ続くことなのかはわからないこの状況は、あまりありがたくないのですけれど、おっしゃるとおり、少なくとも家でお菓子でも食べながらゆっくりコーヒーを飲めるだけの幸福はあることに感謝して、焦らずのんびり乗り切りたいですね。

コメントありがとうございました。
2021.02.17 23:24 | URL | #9yMhI49k [edit]
says...
人生何が役に立つかはわからないものなんですね
一生安泰と思ってて無理とか言われたら
さらにショックが大きそう
昔話っぽいけどリアリティもありました
2021.02.20 14:45 | URL | #- [edit]
says...
こんばんは。

まさに人生万事塞翁が馬ですよね。

大金持ちだったり、立派な地位を手に入れたら、平常時はそれでめでたしめでたしなんですけれど、平常時でなくなるとそうもいかなくなりますよね。
トランプゲームの大貧民で、大富豪になってワハワハしていたら、革命が起きてせっかくのラッキーも無駄になる、みたいなことが現実でも時おり起こります。ま、現実のコロナ禍では、貧富の差がさらに広がったなんて話も聞きますので、世の中はこの寓話ほど平等ではないのかもしれませんけれど……。

とはいえ、中世のペスト禍では、貧富の差なく人びとがなくなり、それが「死の舞踏」の芸術の流行に繋がったらしいので、今回はそんな話をイメージして書いてみました。

コメントありがとうございました。
2021.02.20 21:17 | URL | #9yMhI49k [edit]
says...
素敵なお話 ありがとうございます。
いろいろな立場の人が登場して、どの立ち位置からどう物語を読むかも楽しかったです。

「禍福は糾える縄の如し」とは人生の決まりみたいなものだなぁと思っています。
でも不幸も不運も不公平も、捉え方次第かなと。
「あの人と比べたらマシ」という捉え方ではなく、不幸や不運や不公平の中にすっぽり入ってしまって、うまくあきらめる。
人からどう見えても、うまくあきらめることができる人が強い人かな。
ただあきらめる「時」を間違わないようにしないといけませんね。

私そういう考え方だからいつも後ろ向きなのかしら。( ̄▽ ̄)

ありがとうございました。
2021.02.21 06:02 | URL | #8tY9vXl2 [edit]
says...
こんばんは。

その後、お背中はいかがですか? もうPCに向かわれても大丈夫なのでしょうか。
ご無理鳴らさないでくださいね。

そうですね。赤ん坊(育ったけれど)だけでも3人いて、それぞれの両親がいて、さらには馬飼の近所の人たちもいて、それぞれにジェットコースターな感情のアップダウンを体験したと思うんですよね。

いま「これは不幸だ」と思っていることも、長い目で見たら決して不幸ではないことってあるのですよね。
その逆も然りですし。
おっしゃるように、幸不幸は絶対数値のようなものではなく、それぞれの人生の一局面として捉えて黙々と適応していくのが一番なのかもしれませんね。

もぐらさんは、ちっとも後ろ向きじゃないと思いますよ。後ろ向きの方にはほっこりする貧乏神さんの優しいお話は書けませんもの。
今年も素敵な作品でのご参加、本当にありがとうございました。
今回の事故も、転じて山のような福となりますように。どうぞお大事に!!!

2021.02.21 20:58 | URL | #9yMhI49k [edit]
says...
まぁ、分相応ということなのでしょうか。
持って生まれたものというのが与える影響というのはとても大きいですからね。不公平なような気はしますが・・・
この物語での名付け親というのが、そういう要素に当たるような気がしました。
でも、いくら才能を持っていようと、病や災害はそういうのはまったく考慮には入れてくれないんですよね。無情というか・・・。
コロナ禍の現在を上手く繁栄させた御伽噺だったと思います。
結局、この3人、誰が一番得をしたのか、いい人生だったのか、幸せだったのか、それぞれがそれぞれで一概には言えない気がしますが、ある意味、それぞれがみんな不幸で、生涯を見通して満足な人生が送れた人は居ないんじゃないのかな?そんな気がしました。
貧しくて苦しい生活が続いては伝染病の難を逃れても、サキはとてもめでたしめでたしでは済ませられません。ある意味夕さんらしい?
グンッと心に引っかかる物語、堪能させていただきました。
こんな感想でいいのか、ずっと引っかかってますけれど・・・。
2021.02.22 11:59 | URL | #0t8Ai07g [edit]
says...
こんばんは。

そうですねぇ。
私自身、人間はみな平等とは、あまり思っていないんですよね。
もちろん貧困層から見事な立社出世をした人もいるのですが、それは特別な才能かもしくは特別な幸運に恵まれた結果であり、統計的に見るとどうしてももともと恵まれていた人が楽に恵まれた地位を手にしがちだという前提があります。例えば教育や環境、コネなどが違うという意味でです。このストーリーは寓話ですので、不思議の森の名付け親というのは、まあ、そうした存在の擬人化みたいなものだと思っていただいても構いません。

でも、そうした楽に歩めるレールを敷いてもらっても、どうすることもできないのが死や病魔や災害といった存在で、もちろんそれは恵まれていない人たちもやはり避けることはできない、もしくはもっと大きな危険にさらされるというのが現実ですかね。

もぐらさんのお話は、「貧乏神さんと福の神さん」を絡めた温かい人情譚になっていますが、私の方はもう少しヨーロッパ中世の「死の舞踏」もしくは同時期に流行った「運命の(残酷な)女神フォルトゥーナ」といった、あまり救いのない思想をベースに書き進めています。そのせいで救いがないように感じられるのだと思います。

結局誰が幸せだったか、という命題には答えは出なくていいのだと思います。個人的には、誰が一番幸せかというよりも、本当に「禍福は糾える縄の如し」だけですね。なので、あえて最後の一文に「貧しくとも」を加えたのでした。ええ、天然痘が去ってもいきなり「チートで大逆転、国で一番幸せになりました」というようなことにはならないのです。でも、私はそこそこ貧しくても、健康で笑顔で暮らせるならば、それはそれで十分幸せだと思いますよ。自分の実感としても(笑)

コメントありがとうございました。

2021.02.22 16:52 | URL | #9yMhI49k [edit]

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