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scribo ergo sum もの書き・八少女 夕のブログ Since March 2012


Posted by 八少女 夕

【小説】夜のサーカスと重苦しい日々

scriviamo!


「scriviamo! 2021」の第8弾です。山西 左紀さんは、今年2回目、「物書きエスの気まぐれプロット」シリーズの掌編でご参加いただきました。ありがとうございます!


 左紀さんの書いてくださった「エスの夜遊び

ご存じの方も多いかと思いますが、サキさんの「物書きエスの気まぐれプロット」にときどき登場させていただいている「マリア」というハンドルネームの友人は、当方の作品『夜のサーカス』の登場人物です。本名アントネッラというドイツ&イタリア・ハーフの中年女性で、コモ湖畔のヴィラで一風変わった暮らし方をしている人物という設定です。

サキさんが、エス関連で「scriviamo!」にご参加くださるときは、アントネッラ系でお返しするのが半ばお約束になっていますので、今回もそのパターンでお送りします。また、メカメカのお得意なサキさんがボカロの曲をモチーフに書いてくださいましたので、こちらも1つ音楽をモチーフにして書くことにしました。イタリア語の歌ですので、追記に動画と意訳ですがだいたいの意味を載せておきました。この曲、コロナに合わせて作られた曲ではありません。が、妙に符合しているので使ってみました。

……で。例によって、オチもないんですけれど、すみません!


【参考】

「夜のサーカス Circus Notte」を読む「夜のサーカス」をはじめから読む
あらすじと登場人物

夜のサーカス 外伝

「scriviamo! 2021」について
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夜のサーカスと重苦しい日々
——Special thanks to Yamanishi Saki-san


 アントネッラは、受話器を置くと深いため息をついた。コモ湖を臨むアプリコット色のヴィラ。彼女は、その本来は屋根裏にあたるかつての物見塔を居室兼仕事場として使っている。

 古めかしいダイヤル式の黒電話が彼女の仕事道具だ。数年前に、アナログの電話はこれからは通じなくなるので、デジタルの電話を導入しろと電話会社に言われたのだが、この電話機でないとどうもうまく仕事ができないので、結局パルス信号をトーン信号にする変換器を取り付けてもらい、無理に使い続けている。

 アントネッラは電話相談員だ。かつては大きな電話相談協会で仕事をしていたが、どうしても彼女だけに相談したいという限られた顧客がいて、このヴィラに遷る時に独立したのだ。そう、回線費用は高い。つまり相談料は安くない。けれど、なによりも「誰にも知られない」ということに重きをおくVIPたちには費用はどうでもいいことだった。

 彼女の顧客の多くは、実のところ相談をしているのではなかった。アドバイスを必要としているわけでもなかった。彼らはとにかく抱えている秘密を口に出したいだけで、アントネッラは高い相談料と引き換えにひたすら耳を傾けるのだ。

 しかし、ここしばらくの相談は、滅入るものが多い。それまでは、人の悩みも秘密も千差万別だったのだが、今はそうではない。ドイツからの相談も、イタリア国内からの相談も、基本的には同じ内容だ。家から出られない。旅行に行けない。レストランにすら行けない。閉じ込められた家庭内で不協和音が響く。隠しておきたい秘密の趣味をパートナーに知られないように、もう何か月も密かなる趣味に時間を使うことができない。

 受話器を置いて、アントネッラはため息をつく。少なくとも彼女は、閉じ込められた家庭でパートナーとの不協和音に苦しむことはない。家族などいないのだから。

 彼女の趣味である小説書きも、ロックダウンで遮られることはない。彼女に必要なのは、狭い机の上にドンと置かれた古いブラウン管ディスプレイとキーボードを備えた、古いコンピュータのテキストエディタだけだ。イタリア有数の保養地の湖畔にあるだけあって、燦々と降り注ぐ陽光もきもちよく、彼女の状況はさほど悪くない。

 だが、それでも顧客たちの不平と、先行きの不安とが、彼女を滅入らせる。そして、もともと出かけることをさほど必要としていなかったにもかかわらず、禁じられた外出が彼女にも小さな苛立ちとして降り積もっていた。

 日々の感染者数や死者を確認することもやめた。医療行政としてはその数字は大切なことだろう。だが、アントネッラにとっては、数値がどうでも同じなのだ。人口十万人あたり何人が感染して亡くなるかは確率と統計という形で提示される。だが、アントネッラ本人にとっては、病にかかるか、かからないか、もしくは、外に出られるか、できないか、それぞれ二者択一の問題だ。そして、いま以上に氣の滅入る情報を得ても、人生はよくならない。

 人びとのバラエティーに飛んだ生き様を、アレンジして小説のプロットにすることを、彼女はずっと楽しんでいたが、ここ数ヶ月はそれもちっとも楽しくなかった。自分がうんざりするものを、読まされる方はもっとつらいだろう。この世界の多くの人々が同じことにうんざりしているなんて、アントネッラの始まったばかりとはとてもいえない人生でも、初めてのことだった。

 アントネッラは、窓を開けた。まだ春というには肌寒すぎるが、コモ湖に反射する陽光は少しずつ明るさを増している。マキネットがコポコポと音を立て、エスプレッソの深い香りがあたりを満たしてくるのを、アントネッラは大人しく待った。

 いま流行のプラスチックカプセルに収まったコーヒーを放り込んでボタンを押すマシンを購入すれば、あっという間に1杯分のエスプレッソを飲めることはわかっている。そういえばあのマシンを宣伝しているハリウッドスターは、やはりコモ湖に大邸宅を持っている。はじめは鼻で嗤っていた隣人たちの多くも、粉だらけのエスプレッソメーカーが不調をきたして、何度目かの修理をすることになったあげくに、結局あのタイプのマシンを使うようになったらしい。

 アントネッラは、揺るがなかった。赤と黒に光る合成樹脂のボディーを見るだけで虫唾が走るのだ。たとえ実際に口にするエスプレッソの味に毎回揺らぎがあろうとも、ふきこぼして本来する必要のない掃除をすることになっても、頑なに銀のマキネットを愛用していた。

 同様に、ずいぶんと昔から使っているラジオも、つまみを回してチューニングをするタイプのものだ。どちらにしろ送信側がデジタルになってしまっているのだから、受信側もボタンひとつで他局に変えられるデジタル式のラジオにする方がいいと、ここを訪れる多くの人が忠告する。だが、アントネッラは、まだそうするつもりになれなかった。

 ラジオのスイッチを入れると、やはりつまみが少しずれていた。わずかに調整をしていつもの放送局を選ぶ。早口で情報を伝えるDJが語り終えぬ間に、イントロが流れてきた。これは、誰の曲だったかしらと、ぼんやりと考えていた。だが、男性の声が聞こえてきて、すぐにわかった。ティツィアーノ・フェッロ。聞き間違えようのない声だ。

 とくに低音は、不思議なざらざらとしたノイズが入る。正確な音程と伸びやかなヴォーカルに纏わり付くざらつき。好きか嫌いかを超えて、決して忘れられない声は、幾億もの遺伝子の組み合わせから偶然誕生した彼だけが持つ声帯の恩寵だ。

 ああ、そうか。アントネッラは、ひとり頷いた。彼女の友人であるエスに聴かせてもらった、ボーカロイドの歌のことを思い出したのだ。日本語だったので、歌詞はわからなかった。エスは意訳してくれたが、その真意までははっきり伝えられないだろう。アップテンポのビートのきいた曲で、失恋しつつもいまだに2人の未来を紡ごうと語りかけているらしいのだが、その様な感情は歌詞なしには伝わってこなかった。「これは宇宙ステーションで昼食のメニューを読み上げている内容」と言われたとしても、言葉のわからないアントネッラには「そうなのか」としか思えない。

 どんな音楽を好むかは、人それぞれだ。アントネッラ本人は、あまり夢中にならなかったが、父親の故郷であるドイツでは、かつて電子音楽グループのKRAFTWERKが一世を風靡した。1960年代にシンセサイザーを用いた前衛的なロックは、現在とは比べものにならぬ大きな衝撃を音楽界に与えた。彼らの斬新さと主張を理解できないほどアントネッラは旧弊した人物でもなかった。

 エスが人間の声よりも、ボーカロイドを好む理由は知らない。アントネッラの若かった頃に友人のひとりがそうだったように「シンセサイザーの音が近未来的でときめく」というような理由ではないだろう。若い世代にとってコンピューターやボーカロイドは未来ではなく、既に現実なのだから。ボイストレーニングや息継ぎなどの肉体的な制限もなければ、スタジオやギャラなどの制約もない、自由と平等さが好きなのかもしれない。それとも彼女にとって歌は楽器の一種で人間の個性は邪魔なのかもしれない。

 アントネッラが聴きたい声は、機械や機械を模して感情を押し殺した発声ではなく、その反対のところにあるものだった。

 彼女が関心を持ち書き続けている小説は、空想世界で繰り広げられる超人的な展開や斬新なアイデアよりも、むしろありきたりの自分の生活ベースに近いものを題材にしている。

 音楽や詩も、やはり生活に近いものを好む。宇宙や深海よりも地上にあるものに関心が強い。悪魔的な破壊を叫ぶヘビーメタルや、環境問題を訴えるクラウトロックよりも、カップルの間に生じる感情を歌うイタリアンポップスに心地よさを感じるのだ。

 いま耳にしているティツィアーノ・フェッロの歌は、そうしたアントネッラが馴染んでいるジャンルの音楽だった。

 人類最高ではないが、機械はもちろん、他の誰かでも決して真似のできない特別な声。感情の理解できる抑揚は、時に揺らぎ歪む。それは決して高低や大小だけではなく、2度と再現できない毎回異なる波形の中で作り出すものだ。年齢によって深くなることもあれば、やがては衰えて再現できなくなる、一瞬の発露。

 ボタンひとつで、まったく同じ正しい味が再現されるエスプレッソマシンに失敗はないが、何年も使い込んだマキネッタから注がれる粉のざらつくエスプレッソのような、複雑な苦みや旨味もない。それは待たされる時間や、数々の試行錯誤や失敗がスパイスとなって作り出す味だから。

 それにしても、いま聞こえてきている曲の内容は、先ほどの電話相談の続きのようだ。閉じ込められた鬱屈が、本来ならば支え合うはずの2人を疲弊させている。この曲は、確か数年前に発表されたものだから、現状を意識して書かれたわけではない。人々の悩みは、結局、似たようなものだということだろうか。

 世界の未来を憂えるのでもなく、社会正義を歌うのでも、手に入らない儚い愛を夢見るのでもなく、うまく処理できない重苦しい現実を見つめている。病に苦しんでいるわけでもなく、大きな破局がきているわけでもないが、世界中の多くの家庭の中で立ちこめている暗雲そのもののようだ。
 
 彼女の見慣れていた世界は、いつ、もう少し朗らかになるのだろうか。あとどのくらい、仲間たちと笑い合ってワインを傾ける程度の楽しみすらも許されない日々が続くのだろうか。

 冬の真ん中で、「明日春になってほしい」と望んでもどうにもならぬように、人々も苛立ちや重苦しさをなだめつつ、状況が変わっていくのを待つしかないのかもしれない。ボタンひとつで新しい世界に入り込むことができない代わりに、忍耐強く苦難を乗り越えた先には、なんでもない安物のワインや、あくびが出そうな電話相談ですら最高に素晴らしく思える日々が来るのかもしれない。

(初出:2021年2月 書き下ろし)

追記


Tiziano Ferroは多くの歌手とこの曲を歌っているのですが、こちらの動画は、Giorgiaとのデュエットバージョン。
歌詞が動画に出てくるので選んでみました。

Giorgia - Il conforto (Lyric Video) ft. Tiziano Ferro

歌詞のだいたいの意味はこんな感じです。


もしこの街が眠らないなら
私たちは2人きり
逃げられないように
私はドアをロックして鍵をあなたに渡した。

いま、私ははっきりと感じている。
ぴったり寄り添うこととと、近くにいることの違いを
それはあなたの動き方にあらわれる
この砂漠の天幕の中で

たぶん7月からの雨のせい
あるいは世界が涙を爆発させているから
もしかしたら何ヶ月も外出してないから?
あなたは疲れているのか、単に笑顔を使い切っただけなのか
両手で心の重さを量るには勇気がいる
目隠しされた目で背を向けた空を見る
忍耐、我が家、繋がり、そして、あなたの安らぎ
それは私に関係があるはず
それはなにか私に関係のあるはずのこと

もしこの街が混乱しているなら
あなたたちは2人きり
逃げられないように
私の目を閉じて、あなたに鍵を渡した
今、私にははっきりとわかっている
空間としての距離と、よそよそしさの違いが

たぶん7月からの雨のせい
あるいは世界が涙を爆発させているから
何ヶ月も外出してないから?
疲れているのか、単に笑顔を使い切っただけなのか
両手で心の重さを量るには勇気がいる
目隠しされた目で背を向けた空を見る
忍耐、我が家、勇気、そして、あなたの安らぎ
それは私に関係があるはず
それはなにか私に関係のあるはずのこと

たぶん夏の雨のせい
それとも天から私たちを見下ろす神のみわざ
何ヶ月も外出してないから?
疲れているのか、単に息をするだけで精一杯なのか
両手で心の重さを量るには蜃気楼が必要
どれほどの安らぎが、あなたと関係あるのか
どれほどの安らぎが、あなたと関係あるのか
両手で心の重さを量るには勇気がいる
そして、多くの、多くの、多すぎる愛を量るのも



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Comment

says...
執筆、お疲れさまでした。

アントネッラ、なかなかこだわるタイプですね。
まあ、住んでいるところ(ロケーションじゃなくて)からして、利便性とか関係なさそうですし。
コーヒーといえば、職場にネ○レのバリスタが置いてあるんですけど、ボタン一発で、インスタントの粉をめっちゃおいしいコーヒーにしてくれるんですよ。あれ味わっちゃうと、自分でお湯沸かして粉を入れてって、もうできないです。
音楽も、昔はアナログレコードをどうやって高音質で再生するかにこだわってましたが、CDが出てからはもうアナログには戻れなくて。

アントネッラのようなこだわりも、もちろんいいと思います。
その瞬間の煌めきというか、毎回同じものではないからこそ尊いっていうの、まちがいなくあるわけですし。
たぶん、人それぞれに、そういう「こだわり」は持っているんでしょうね。

動画、拝見しました。
なかなかいい声ですね。きれいなだけじゃなく、すこし癖のある声って、印象に残りますよね。

ところで、『歌(声)は楽器の一種』という一節、なんか、すごく腑に落ちました。
いや、アントネッラが言っているのは、ポジティブな意味じゃないのかもしれませんけど(笑)
私にとって歌声は、最高級の楽器なんですね。なので、曲に合っていると感じれば、アイドルや声優でもいいし、なんとなればボカロでもいい。もちろん、情感たっぷりの歌手の声でもいい。
わかったようなことを言ってますが、『天城越え』を、石川さゆり じゃなく、水瀬いのり で推すヤツですからね。程度はお察しです(笑)
2021.02.24 10:58 | URL | #V5TnqLKM [edit]
says...
エスのいつもの軽~い調子で2つ目の参加掌編を仕上げてしまったので、お返し掌編の濃い内容に恐縮しています。
ここでちょこっとマリアを登場させて・・・とか、本当に軽いノリで書いちゃったんですよね。

マリアの生活パターンならお篭り生活になっても大きな影響は無いだろうと気楽に考えていましたが、生活パターンとして自ら篭るのと強制的に篭らされるのとでは雲泥の差なんですよね。
第一マリア、設定上の年齢はわかりませんが、今のヨーロッパの現状から考えて、罹患しないならしないほうがよさそうですものね。ヨーロッパの人は重症化しやすいんじゃないかとか言われてるし、リスクを考えると少ないコミュニケーションをさらに減らさなくちゃなりません。食事の買出しとかちゃんとできているのかな?
それに電話機ですらこの状態ですから、リモート会話なんかとてもできそうにないし。メールくらいが精一杯でしょうか?あ、チャットくらいはできていましたっけ?
エスがコミュニケーションの一助になっていたら嬉しいんだけれど。
それにそうか、いつもなら小説のネタとしても使えるバラエティに富んだ打ち明け話が、ほとんどコロナ関係に染まってしまうんですね。
それに加えて収まらない感染爆発、先行きの不安、彼女が日々の感染者数や死者を確認することもやめたのはよくわかります。サキもそうですもの。あの繰り返される予防接種の針をポンポンと突き刺すシーンも気を参らせますね(サキは注射嫌いです)。
本当に重苦しい日々です。拝読させていただいていて、早く収束が見えてほしいと心底思ってしまいました。

そしてそうですね、ボーカロイドについてはマリアの意見にも賛成です。
マキネットとエスプレッソマシンの比較。辛辣だなぁ・・・。
エスは、じゃないや・・・サキはボカロを愛してやまないのですが、決してアナログ嫌っているわけではないのです。
なんか、別ジャンルのものとして分けて考えているみたいです。
どう表現したらいいのかわからないのですが、ただのプログラムがあそこまで歌えることが面白いのかもしれません。
美空ひばりのボーカロイドも作られていますが、かなり再現できていたと思います。ひばりファンクラブの重鎮たちが涙していましたもの。初音ミクとはまったく別の使い方ですが、こういう試み(亡くなった方を蘇らせることには賛否がありますが)、面白いなぁと思っています。

そうそう、この曲はボーカロイドに歌わせると、まったく別の曲になってしまうと思います。渋くてパワーの有る声だなぁ。もちろん人間バージョンに一票です。
ボーカロイド(特に初音ミク)にはできないことがたくさんあります。

マリアが気持ちよく執筆にまい進出来る日が一日でも早くやってくることを祈っています。
素敵なお返し掌編、ありがとうございました。
2021.02.24 11:45 | URL | #0t8Ai07g [edit]
says...
こんばんは。

そうなんです。もともとアントネッラのキャラクター設定で、こういう人なので、今回はその頑なな部分にスポットを当ててみました。

アントネッラは若干過ぎた部分がありますが、ヨーロッパにはこういう人はわりと居ます。
パルス信号をトーン信号にする変換器を取り付けるなんて、まったくシンプルじゃないし、そこまでしてダイヤル式の黒電話を使い続けるなんて意固地以外の何ものでもないんですけれどね。

私はコーヒーに関しては、好みの味のものを見つけて以来インスタントで済ませています。
カフェやバーにあるみたいなエスプレッソマシーンで淹れれば美味しいのは知っていても、付随する手間が多すぎてシンプルじゃないのですもの。無理無理。

反対にアントネッラは、住環境そのものはかなりカオスですよね。
本来の部屋の部分は崩れそうで埃だらけのまま、住んでいる物見塔は足の踏み場もないし、机の上にハンモックをかけてそんなところで寝ているとか、その辺はこだわりがなさ過ぎです。
まあ、何もかもこだわるのは無理ってことですよね。

声楽を楽器の一種として使ったといえばベートーヴェン(笑)
「こんなの歌えるか!」と歌手に文句を言われて「書き直せ」と言われても断ったとか。
TOM−Fさんも楽器派ですね。

ボカロ界に詳しいわけではないので、分からないままいっていますけれど、きっとボカロが一番合う曲というのもあるんでしょうね。

もっとも、私自身は歌のある曲よりもない方を聴くことが多い人なので、人間の声を必要としない音楽ならインスト一択かなあ……。もちろんボカロの存在意義は、まったく違うところにあることは十分承知の上で。

コメントありがとうございました。
2021.02.24 23:22 | URL | #9yMhI49k [edit]
says...
こんばんは。

なんか、ちょっと申し訳ない感じのお返しになってしまいました。
エスとマリアの名前が出てきていなければ、ボカロに触れることもなくまったく別の話でお返ししてもよかったのですけれど、アントネッラに「夜に駆ける」ボカロ版を聴かせたという記述がありましたので、スルーもできず……。

アントネッラは、意固地なまでのアナログ人間としてキャラ設定をしていますので、「ボカロもいいかも」という感想は出てこないでしょうね。
ヨーロッパには、この手のタイプが日本よりも多いかもしれません。あ、「アントネッラ=私」ではありませんので!

それと、現在のヨーロッパの閉塞感は、おそらく日本だと実感しにくいかもしれません。
もちろん日本にも不安はありますけれど、なんだかんだ言って8時までならレストランも開いているし、CDを売る店も開店しているわけじゃないですか。スイスはイタリアよりも緩いロックダウンですが、レストランやカフェも営業禁止ですし、服やCDなど生存に即必要でない店の対面販売は禁止なんですよ。イタリアに至っては、用もないのに外に出ることは禁止だと思います。スーパーは行けると思いますが、おそらく決まった許可のあるとき(許可書をもらうシステムだと思います)以外は行けないはずです。

さて、アントネッラは、キャラ設定上この作品のような考え方をする人間になっていますけれど、ボカロにはボカロの面白さや存在意義があるというのはその通りだと思います。私自身も普段はけっこうSiriのお世話になっていて、それはそれで楽しいと思っていますし。

それにアントネッラのマキネット偏愛は、たんに意固地なだけですから(笑)
無理して使い続ける黒電話の例がそうですけれど、もはやシステムそのものがなくなっていて意味のなくなったことを、無理して延命していてかえって物事を複雑にしていますよね。まあ、ネス○レッソのシステムは、ゴミ問題や同社のカプセルへの依存が独占的なので、この手の人たちから嫌われる要因になっていることは確かですけれど。

ティツィアーノ・フェッロの声は、とても独特で、私ですら聴いただけで誰が歌っているのかわかるくらいです。
この不思議な発声は、美しいかと訊かれると悩んでしまうかもしれませんが、唯一無二の存在として存在意義があるように思うんです。わからないですけれど、ひずみもなく、間違えることもなく、衰えることもない初音ミクだからこそできることもあるのでしょうが、たぶん、「いずれなくなっていく儚い生命の一瞬の輝き」みたいなものは、ボーカロイドとは相容れないのかもしれませんね。(たとえ本物の美空ひばりと遜色なく聞こえるとしても)

今年も2本の作品で盛り上げていただき、ありがとうございました。
オチのない暗い作品になってしまいましたが、来年はもっとウキウキする世界に戻っていることを願いつつ。

素敵な作品でのご参加とコメント、どうもありがとうございました!
2021.02.25 00:10 | URL | #9yMhI49k [edit]
says...
宿題をしに来た気分(^^) 夏休みの追い込みみたいな? コメント出来ていなかったお話にコメントにきました(^^) 眩暈はまた悪化しているけれど、まぁ、もう付き合うしかなさそう。3月になって忙しくなって、でも明らかに睡眠時間と眩暈は連動しているようなので気をつけています。
文字をじっと見る時間には限界があるのですけれど……

さて、アントネッラの拘り、なんか意識してそうなったのか、結果的にそうなったのか、ただ何となくそうなってきたけれど困っていないからそのままになっているだけるなのか、ちょっと自分に重ねて面白がっていました。私もぎりぎりまでスマホに変えずにガラケーを使っていましたし、テレビもぎりぎりまでアナログで粘っていました(^^) スマホは嵐のコンサートに行くのに必要になったから、テレビは放送が停止になったから替えたけれど、アントネッラはまさに困らなかったら、それを切り離してしまったんでしょうね。でもヨーロッパの人たち、こだわったらとことん、こだわりそうですものね。

声についてはどうでしょうか。
人間の声って楽器だなと思うのは、ホーミーとかヨーデルとか聴いたとき、それから、日本の民謡でもかなり特殊な発声をするものがあって(江差追分とか越中おわらとか)、発声のために特別な訓練を要するってあたり、まさに楽器ですね。それにそもそも管楽器、あれもある意味、声の延長ですよね。

揺らぎといいますか、ほんのちょっとした間合いの違いとか、そういうものが心地よいと感じるのは、ニンゲンの脳の不思議ですね。だって、機械的には「合ってない」んですもの。
デジタルのものはベつの音楽と思う、っての、正解ですね。ただ、ピアノのデジタル演奏は聞けたモノじゃ無いんですけれどね……脳が拒否する(^^) 

今の災害(COVIDは災害ですよね)については。
最近、あの震災から10年であちこちで色んな番組をやっていて、久しぶりにあの映像を見たり、10年経ったからかわりとそれを扱ったドラマとかも出てきていて、やっぱり直視できないものがあります。
風化させないという気持ち、それを生き抜いてきた人たちへの賛歌、亡くなった方々・行方不明の方々への悼み、それはよく分かるけれど、それについて何か語るのってほんとに、難しいなぁ。だから沈黙してしまいます。軽い言葉・分かったような言葉で済ませたくないのかなぁ。
アントネッラの気持ち、分かるなぁ。
2021.03.14 05:42 | URL | #nLQskDKw [edit]
says...
こんばんは。

眩暈が悪化しているって、なんてこと! コメントはいつでも構わないのですから、どうかお休みください!!!
文字を読むのがおつらいのに、うちの小説長い……。申し訳ないです。でも、読んでくださって感謝です。

アントネッラ、意固地な懐古主義ですけれど、じつは数名ほどモデルがいます。
日本と比べるとこの手のこだわり派がゴロゴロしているのがヨーロッパなのかもしれません。
なので、たとえばルドヴィコのように、わざわざ日本に来て謎の懐古主義を貫くキャラクターなんかもつくっちゃっていますが、創作上の大袈裟設定ではなく「そういうヤツいるわ」なんですよね。
日本だと、「そりゃお釜で炊けばいいかもしれないけど、毎日のことだし」と普通の炊飯機買いますよね。もしくは檜のお風呂がいいのはわかっているけれど、普通のお風呂のシステムで建てますよね。その辺の妥協をしないタイプ? アントネッラはそういう人たちのひとりです。もちろん私は違います(笑)iPhoneには飛びついたし、お風呂も蛇口ををひねってお湯が出てくる方がいいし、コーヒーに至ってはインスタントを愛用しています。

このコラボ、わりとサキさんとエスが重なる部分を多く書かれているので、アントネッラと私を近いのかなと混同される方もいるのではないかと思いますが、私とアントネッラは近いのは年齢くらいで、後はほとんど共通点はありません。なのですが、このストーリーに出てくる声に関する考え方は私の普段感じていることを投影しています。人間の声にしろ、ヴァイオリンやギターなどの楽器にしろ、もともとの存在する素材にひとつとして同じものがなくて、それに作り上げた誰かの技術が関わって、最終的に全く同じものが再現できない特別な音に意味を見いだしてしまうんですよね。

失敗もする、息継ぎも必要、速さなども自在にはならない、そうした制限があるからこそ、ピタリと嵌まった一瞬の音に感動するんじゃないかと。一瞬の揺らぎや間が、正確な音程と速さよりも感動を生むというところも、不思議だけれど、そうなんですよね。

もちろん音楽に限ったことではないですけれど。

さて、COVID-19は大災害ですよね。といっても、1つ大きく違うのは、他の災害のように「あの人たち、かわいそうに」的に対岸の見物をできる人が地球規模でほとんどいない、希有な災害だということかな。戦争のように「終わった! これから復興だ!」的なひと区切りも全く見えませんし。

アントネッラも、それから書いている私も、やはり客観的にはなれませんし、「正解」も全くわからない。どうしていいのかわからなくて右往左往しているだけ。幸いこれまでは健康でなんとか生き延びていますが、今後のこともわからないし。そんな状態でわかったような顔をするのは戸惑われますよね。

実は、私も東日本大震災10周年については、何も言えませんでした。そもそも経験していないんですよね。あの時私は、上のたとえで言うと完全に安全な対岸にいましたし。福島の状況を見ても決して過去のこととはいえません。そんな中で今も生きていらっしゃる方のことを思うと、軽々しく何かを語るのはちょっとはばかられるのですよね。

コメントありがとうございました。
2021.03.14 21:36 | URL | #9yMhI49k [edit]

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