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scribo ergo sum もの書き・八少女 夕のブログ Since March 2012


Posted by 八少女 夕

【小説】天国のムース

この記事は、カテゴリー表示のためのコピーです。

今日の小説は『12か月の店』の7月分です。このシリーズでは、このブログで登場するさまざまな飲食店を舞台に小さなストーリーを散りばめています。

今回の舞台は『黄金の枷』シリーズの舞台であるPの街にある『マジェスティック・カフェ』です。Pの街というのは、私が大好きなポルトがモデルで、『マジェスティック・カフェ』も実在する有名カフェをモデルにしています。

今回出てくる男性3人(うち1人は名前しか出したことがなかった)は、おもに外伝に出てくる、つまり、本編のストーリーにはほぼ関わらない人たちです。もちろんこの作品の内容も本編とは全く無関係です。

短編小説集『12か月の店』をまとめて読む 短編小説集『12か月の店』をまとめて読む

【参考】
小説・黄金の枷 外伝
「Infante 323 黄金の枷」『Infante 323 黄金の枷 』
『Usurpador 簒奪者』を読む『Usurpador 簒奪者』
『Filigrana 金細工の心』を読む『Filigrana 金細工の心』



黄金の枷・外伝
天国のムース 


 マヌエル・ロドリゲスは坂道を登り切ると汗を拭いた。この季節にサンタ・カタリーナ通りへ向かうのは苦手だ。それも、いつもの動きやすい服装ではなくて、修道士見習いらしく茶色い長衣を着てきたものだから暑さは格別だった。

 生まれ故郷に戻ってきて以来、彼は実に伸び伸びと働いていた。神学にも教会にも興味もないのに6年ほど前に信仰の道に入ったようなフリをしたのは、家業から逃れ海外に行ってみたかったからだ。だが、その苦肉の策を真に受けた親戚が猛烈な後押しをし、よりにもよってヴァチカンの教皇庁に行くことになってしまった。そして、頭の回転の速さが目にとまりエルカーノ枢機卿の個人秘書の1人にさせられてしまったのだ。もちろん彼がある特殊な家系の生まれであることも、この異常な抜擢と大いに関係があった。

 枢機卿には「早く終身誓願をして司教への道を歩め」との再三勧められていたが、「家業から逃れたいがための方便で神学生になっただけで、本当は妻帯も許されないような集団に興味はありません」とは言えず、のらりくらりと交わしていた。頃合いを見てカトリック教会から足を洗い、イタリアで同国人相手の観光業でも始めようかと思案していた頃、彼は生家が関わる組織に所属していた女性クリスティーナ・アルヴェスに出会った。

 すっかり彼女に心酔した彼は、彼女が組織の中枢部で働くことになったのを機に共に故郷に戻ることに決めた。それも、あれほどイヤで逃げだそうとしていた組織に深く関わる決意までして。とはいえ、クリスティーナには未だ仲間以上の関係に昇格させてもらえないし、教会にいろいろとしがらみもあるので、修道士見習いの身分のまま故郷の隣町の小さな教会で地域の独居老人の家を回り手助けをする仕事を続けている。

 今日、珍しく修道服を着込んでいるのは、よりにもよってエルカーノ枢機卿がPの街を訪問していて、マヌエルに逢いたいと連絡してきたのだ。訪問先の教会にでも行くのかと思ったら、呼び出された先は『マジェスティック・カフェ』だ。Pの街でおそらくもっとも有名で、つまり観光客が殺到するような店だ。なぜそんなところで。マヌエルは首を傾げた。もちろん、サン・ジョゼ・ダス・タイパス教会の奥で面会すれば、終生誓願はまだかとか、現在はどんな祈りを捧げているのかとか、あまり話題にしたくないことを延々と訊かれるのだろうから、カフェで30分ほど適当につきあって終わりに出来るのならばいうことはない。

 彼は、予定の時間よりも30分も早くそのカフェに着いた。観光客に好まれる美しい内装が有名なので、席に着くまで外で何十分も経って待つのが普通なのだが、まさかヴァチカンから来た枢機卿を観光客たちと一緒に並ばせるわけにもいかない。とはいえ、お忍びなので特別扱いはイヤだといわれたので、特別ルートで予約することもできない。つまり、彼が先に行って席についておく他はないのだ。面倒くさいなあ、あの赤い帽子を被って立っていてくれれば、みな一斉に席を譲ると思うんだけどなあ。

 大人しく並んでいると、テラス席の客にコーヒーを運んできた帰りのウェイターが「おや」とこちらを見た。
「ロドリゲスさんじゃないですか!」

 名札に「ジョゼ」とある。顔をよく見ると、知っている青年だった。マヌエルが担当地域でよく訪問している老婦人の孫娘と結婚した青年だ。たしか組織の当主夫人の幼なじみで、結婚祝いを贈ったのだが、それを老婦人と顔なじみのマヌエルが届ける役割をしたのだ。
「ああ、こちらにお勤めでしたか」
「ええ。その節は、どうもありがとうございました。今日は、おひとりでご利用ですか」

 マヌエルは首を振った。それから声をひそめて打ち明けた。
「実は、イタリアから枢機卿がお忍びできていましてね。並んで待たせるわけにはいかないので、こうして先に並ぶことになったんですよ」
「おや。そうですか。じゃあ、お2人さまのお席でいいんですね。奥が空いたらご案内しましょう」

 ジョゼ青年が店内に入って行く背中を見送っていると、通りから聴き慣れた声がした。
「おや、マヌエル。待ちきれずに早く来てしまったのは私だけではないようだね」

猊下スア・エミネンツァ ! もう来ちゃったんですか」
つい大声を出して、エルカーノ枢機卿に睨まれた。
「困るよ。今日はそんな呼び方をするなといっただろう」
「はあ、すみません」

 前後で並んでいる観光客たちのうち、呼びかけの意味がわかった者も多少はいるらしく、響めいていた。この居たたまれなさを何とかしてほしいと思ってすぐに、先ほどのウェイター、ジョゼが戻ってきて「ロドリゲスさん、どうぞ」と言ってくれた。列の前に並んでいた4人の女性たちは、イタリアから来たカトリック教徒だったらしく、恭しく頭を下げて通してくれた。順番がどうのこうのと絡まれることもなく先を譲ってもらえたのでマヌエルはほっとした。

 Pの街に住んでいながら、『マジェスティック・カフェ』に入ったのは3回目くらいだ。コーヒー1杯飲むのに、コインでは足りないような店に入る習慣がないからだが、たとえもっと経済的な値段だったとしても、この店にはなかなか入りにくい。20世紀の初頭に建てられたアールヌーボー様式の装飾が施された店内があまりにも華やかすぎて落ち着かないのだ。

 ピーチ色の壁、壁面に飾られた大きな鏡、マホガニーと漆喰の華々しい彫刻、そして古き良き時代を思わせる暖かいランプ。どれもが晴れがましすぎる。エルカーノ枢機卿は、マヌエルとは違う感性の持ち主らしく、当然といった佇まいで座っていた。普段ヴァチカンの宮殿やサン・ピエトロ大聖堂を職場として行き来している人だから、この程度の豪華さではなんとも思わないのだろう。

「久しぶりだね。先ほどファビオと話していたんだが、君は地道な活動を嫌がらずにやってくれて助かると言っていたぞ」

 帰国以来、彼の上司であるボルゲス司教には、目をかけてもらっているだけでなく便宜も図ってもらっている。マヌエルはサン・ジョゼ・ダス・タイパス教会付きの修道士見習いという立場だが、ボルゲス司教は彼と同じ役割を持つ家系の出身であり、マヌエルが教会の仕事の他にドラガォンの《監視人たち》中枢部としての仕事を行う後ろ盾にもなってくれているのだ。それゆえ、マヌエルは修道士見習いとしては異例ながら、Gの街の小さな分教会での閑職と、地域の老人たちを訪問する業務だけに従事し、宗教典礼の多くから解放されて通常は伸び伸びと暮らしていた。

 エルカーノ枢機卿は、この国の出身ではなくドラガォンとは直接的な関係はないが、役割上この秘密組織のことを知り、時に《監視人たち》中枢部の黒服やドンナという称号を持つ女性たちと面会をすることもあった。どうやら今回の来訪はドンナ・アントニアとの面会のためだったらしい。ヴァチカンにいた頃は、もちろんマヌエルがやって来た黒服ソアレスを人払いされた枢機卿の書斎に案内したものだ。だが、今回の来訪では幸いにも彼は蚊帳の外の存在でいられた。橋渡しをしたのはボルゲス司教だろう。

「それで。君は、いまだにそんな身分なのか。一体いつ終生誓願をするつもりかね」
あららら。この話題を結局出されたか。枢機卿はまだ彼が司祭になんかまったくなりたくないと思っていることを嗅ぎつけてくれないようだ。
「まあ、そのうちに……。それより、何を頼まれますか、ほら、お店の方が待っていますよ」

 会話の邪魔をしないように立つジョゼの方を示しながら、彼はメニューを開けてエスプレッソが5ユーロもすることに頭を抱えたい思いだった。いつもの立ち飲みカフェなら10杯飲めるな。

「うむ。このガラオンというのは何かね」
枢機卿は、ジョゼに対して英語を使った。

「そうですね。ラッテ・マッキャートみたいなものです」
「じゃあ、それにしよう。……それからデザートなんだが」

 枢機卿はしばらくメニューのデザートのページを眺めていたが、小さく唸りながら首を傾げた。
「おや、ここではなかったのかな」

「何がですか?」
「いや。いつだったか、この街に来たときに食べたムースが食べたかったんだが、それらしいものがないなと思ってね」

「どんなお味でしたか?」
ジョゼが訊いた。

「砕いたビスケットが敷いてあって」
枢機卿は考え考え言った。

「はあ」
「甘くて白いクリームと層になっていて……」

「それは……」
マヌエルはもしやと思う。

「それに、名前が確か天国のなんとかという……」
「「天国のクリームナタス・ド・セウ 」」
マヌエルとジョゼが同時に言った。

「おやおや。有名なデザートなのかね」
「そうですね。この国の人間ならたいてい知っていますね」
マヌエルは、枢機卿のニコニコとした顔を見ながら言った。

 ナタス・ド・セウは、砕いたビスケットと、コンデンスミルクを入れて泡立てた生クリームを交互に重ねて作るデザートだ。たいていは一番上の層に卵黄で作ったクリームが載る。

「そういえば、以前、メイコのところで美味しいのをいただいたっけ」
マヌエルが言うと、ジョゼは「ああ」という顔で頷いた。

「メイコというのは?」
「私の担当地域にお住まいの女性ですよ。よく訪問しているんです。で、この方の奥さんのお祖母さんです」
「ほう」
「そういえば、明日また訪問する予定になっていたっけ」

 それを聞くと、枢機卿は目を輝かし身を乗りだしてきた。
「訪問すると、そのデザートが出てきたりするのかね?」
「いや、そういうリクエストは、したことはないですけれど……」
「してみたらどうかね? なに、私は以前から、こちらでの君の仕事ぶりを見てみたいと思っていたのだよ」

 何、わけのわからないことを言い出すんだ。いきなり枢機卿なんかがやって来たらメイコが困惑するに決まっているじゃないか。同意を求めるつもりでジョゼの顔を見ると、彼は肩をすくめて言った。
「差し支えなければ、彼女に連絡しておきますよ。明日、猊下がいらっしゃるってことと、ナタス・ド・セウを作れるかを……」

 そんなことは申し訳ないからとマヌエルが止める前に枢機卿は立ち上がってジョゼの手を握りしめていた。
「それは嬉しいね。どうもありがとう、ぜひ頼むよ! 親切な君に神のお恵みがありますように!」

 遠くからそのやり取りを眺めていたジョゼの上司がコホンと咳をした。そこで3人は未だにこのカフェでの注文が済んでいなかったことに思い至った。
「あ〜、猊下、何を頼みますか」
「うむ。そうだな。明日のことは明日に任せて、今日もなにかこの国らしいデザートを頼もうか。君、この中でどれがこの国らしいかね?」

 ジョゼは、メニューの一部を指して答えた。
「このラバナーダスですね。英語ではフレンチ・トーストと呼ばれる類いのお菓子なんですが、シナモンのきいたシロップに浸してから作るんです」

 枢機卿は重々しく頷いた。
「では、それを頼もうか。それも、このタウニー・ポートワインとのセットで」
「かしこまりました。そちらはいかがなさいますか?」

 マヌエルは、メニューを閉じて返しながら言った。
「僕はエスプレッソシンバリーノ と、パステル・デ・ナタをひとつ」

 頭を下げてから奥へと去って行くジョゼの背中を見ながら、マヌエルはため息を1つついた。やれやれ。ここで30分くらいお茶を濁して逃げきろうと思っていたけれど、明日もこの人にひっつかれているのか。メイコの天国のクリームナタス・ド・セウ が食べられるのは嬉しいけれど、味わう余裕があるかなあ。

 マヌエルは居心地悪そうに地上の天国のような麗しい内装のカフェを見回した。

(初出:2021年7月 書き下ろし)

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