【小説】お茶漬けを食べながら
今日の小説は「scriviamo! 2022」の第6弾です。ポール・ブリッツさんは掌編でご参加くださいました。ありがとうございます!
ポール・ブリッツさんの書いてくださった 『水飯』
ポール・ブリッツさんは、オリジナル小説と俳句、それに鋭い書評や愛に溢れた映画評論などを書いていらっしゃる創作系ブロガーさんです。毎年ポールさんのくださるお題は手加減なしで難しいんですけれど、今年も例に漏れず。「今年はダメかも」などとおっしゃりながら超剛速球。
ポールさんがくださったお題は、ホラーのショートショートです。結末というか、このお話をどう読むかは、読者の手に委ねられていると思うのです。私はこの作品に直接絡む勇氣はなく、かといってホラーを書く技術もなかったので、お返しには悩みました。
そして、決めたのが、ポールさんの作品の中で、氣になった台詞と題材を組み合わせて、全く別の関係のない話を書いてしまおうということでした。ですから、この話は、ポールさんのお話の解釈などではありませんよ。
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お茶漬けを食べながら
——Special thanks to Paul Blitz-san
目的の店は、既に閉店していた。鉄板の上でジュージューと音を立てるハンバーグステーキ、結局思い出だけになっちゃったか。
由香は、早起きしたのになと唇を噛みしめた。
休職してでも時間を作って、美味しいものを食べ尽くそうと決めたのは、例の布告が出てから2日後だった。公告から実施までたったの2か月しかないのはひどいと思ったが、文句を言ったり、抗議行動したりに費やす時間は無かった。
それは本当に寝耳に水だった。国際連合環境保護計画ならびに国際連合食糧保護機構の指導で、全世界で同時に100年間、人類の食生活を制限し地球環境の保全と回復を実施することになったというのだ。
来月1日より、世界中の人類が個人的な調理と食事を禁止される。生存に必要な栄養は、支給されるパックから摂ることとなる。サンプルを見たところ、小さめのレトルトパックに入った肌色のクリームで、エネルギー、タンパク質、油脂、ビタミン類、食物繊維、必須アミノ酸、ミネラルなどが、効率よく収まっているそうだ。
従来のような食事は厳禁といっても例外はある。環境保護基金に、100万米ドル相当の環境回復準備金を納めることで、同一家計内の家族は60日分の「調理または外食産業による従来形式の食事」が許可されることになっている。つまり、年間600万米ドル払う財力のある者たちは、これまでのように好きな物を食べて飲むことが可能だ。
もちろん、その様な大金を用意することのできない一般市民からは、反発と批判が湧き起こったが、各国の政府は申し合わせたかのように民衆を黙殺し、実施日が決定した。来月より由香のような一般市民は、死ぬまで合法的にまともな食事を楽しむことは許されなくなる。
先月は毎日のように起きていたデモも、今月に入ってからはまばらになった。デモに参加するなど、環境保全に非協力的な者には、数日分の栄養パック支給を停止するという政令が出されたからだ。来月になれば、全てが過去のことになるだろう。
由香のように、休職や退職をしてまで食べ歩きに精を出す者は多数派ではないが、少なくとも人びとの関心は「今日は何を食べるか」に集中した。
それは、外食産業に携わる人びとにとっても同じで、どうせ今月いっぱいで店を閉めることになるならと、既に店をたたみ新たな生業を始める準備をしたり、引退して食べ歩きに専心したりする経営者も多かった。由香が食べたかったハンバーグの店も、そうした理由で店を閉めてしまったらしかった。
ガッカリしている時間など無い。どんなに食べたくても、1日に食べられる量は限られている。食べておきたいものは無限にあった。
スーパーマーケットはいつも混んでいる。今までは1度だって買おうとしなかった和牛や、大きな鰻の蒲焼き、皮が軽くて絶妙なサイズと評判のクロワッサン、大ぶり車エビの天ぷら、宝石のようにフルーツが収まったゼリー、贈答用でしか買ったことのないマスクメロン。今月のエンゲル係数はどの家庭でも恐ろしく高くなっているに違いない。少なくとも由香は定期預金を解約して食べ納めの軍資金にした。
中には、今のうちにいろいろな食材を買ってどこかに隠し、後々裏取引で大きく儲けようとしている輩もいると聞いた。だが、そうした取引は厳しく罰せられるので、由香は売ることはもちろん、買うことにも批判的だ。少なくとも彼女は法律に背くようなことはしないつもりだ。合法な今のうちに食べ尽くして、あとは大人しく法に従う予定。
食べたいけれど、食べられない。由香はその苦悩をよく知っている。もちろんこれからのような深刻な制限ではないが。子供の頃、由香は自然派の母親にさまざまな食品を禁止されていた。
子供の頃は、友だちのお弁当を彩る赤いソーセージ、冷凍食品の唐揚げやコロッケを羨ましく眺めていた。キャラクター玩具のついたお菓子、きれいな色をしたゼリー、真っ赤な缶の清涼飲料水。欲しがる度に母は頭を振った。
「これに入っている合成着色料は発がん性があるの」
「増粘剤や安定剤の入っているような食品は、体によくないわ」
「香料や化学調味料でごまかされた味のものを食べていると、本物の味がわからなくなるわよ」
「こんな物を飲んだら、骨が溶けます」
それでも、まだ由香が小学生の頃はよかった。母親は、普通に肉や魚を調理していたから。だが、それから数年して母親は玄米菜食主義に凝りだした。
由香が忘れられないのは、母がそれまで持っていた料理本を全て捨てて、新しくいくつもの料理本を買ってきたことだ。それまでの料理本は、見ているだけでお腹がすいてくる美味しそうな写真が載っていたけれど、新しい本は地味な緑か茶色っぽい料理ばかりで、とてもおいしそうに見えなかった。実際に母親が作る料理は、その写真よりもさらに見栄えがいまいちで、味も薄いものばかりだった。
「なんか物足りないよ。たまにはお肉やお魚食べたいな」
由香がいうと、母はむきになっていった。
「動物性タンパク質は、分解されにくくて身体に負担がかかるの。このお豆腐の方が、良質のタンパク質だからこれを食べるのよ」
「でも、味が薄いよ。もう少し油で焼いてお醤油で焦がしたりとか……」
「そういう調理は身体に刺激が強すぎるのでダメです」
父親は、もともと仕事が忙しいといってあまり自宅で夕食を食べない人だったが、玄米菜食しか出なくなってからは、夕食にはほとんど帰宅しなくなった。昼食も夕食も好きなものを外で食べていたのだろう。たまに休みの日に、自宅で一緒に食卓を囲むこともあったが、それが口論のもとになることも多々あった。
「こんなものばかり食べて、力が出るわけないだろう」
「私は、あなたたちのためにやっているのよ」
おそらくそうだったのだろう。母親はいつも善意と生真面目さから、朝から晩まで家族のために心を砕いて丁寧な家事をしていた。
でも、由香は高校生になると母親に黙ってほしいものを買い食いするようになった。ちょうど父親がそうやっていたように。修学旅行で出てきた海の幸と山の幸を大いに楽しんだし、自動販売機でありとあらゆる砂糖と着色料まみれの清涼飲料水を買った。
家族のためにあれほど心を砕いた母親は、なにか必要な栄養素が足りなかったのか、数年で痩せ衰えて、身体を壊し、若くして亡くなった。
亡くなる前の数年間は、玄米菜食主義は返上し、体調のいいときは、由香と一緒に外食することもあった。由香の初任給で、一緒にしゃぶしゃぶを食べにいったのが最後の外食になった。奮発した和牛を「由香ちゃん、もっと食べなさい」と譲りつつも、美味しそうに食べていた姿が今でも脳裏に浮かぶ。
母が生きていたら、『食生活の制限』をどう思ったことだろう。彼女の繊細な心は、工場でパック詰めされた肌色のクリームを摂取するだけのディストピアに耐えられただろうか。
由香は、この際、母親のことは横に置いておこうと思った。食べ納めの日々を決意してから、由香が食べているのは、ほぼ全て母親が禁止したことのある食品ばかりだった。
大人になって、由香にもよくわかっている。精製された食品に問題があること、焼きすぎた食品に発がん性の恐れがあること、コンビニエンスストアで売っている食品に大量の食品添加物が使われていること、おもちゃやキャラクターが包装に描かれているからといって食品の味がよくなるわけではないこと。
母親のいっていたことの大半が正しく、彼女の「家族のためを思って」の信念が決して間違ってはいなかったことも理解しつつ、由香はそれを無視したひと月を過ごそうとしている。
身体に悪いことがなんだというのだろう。「そんな食べ方をしていたら身体を壊すわよ」という母親の言葉ももう意味をなさない。だってこの食べ方は、このひと月でおしまい、2度とはできないのだから。
ハンバーグステーキがダメだったので、豚骨ラーメンの店を目指したが遅かった。美味しい店は、同じように食べ納めに奔走している客たちが押しかけている。由香は、予定にはなかったが一番好きなファーストフード店に入ろうと思った。
ひと月はあっという間に過ぎ去った。この間に由香は3度の国内旅行もした。讃岐うどんを食べに高松へ行き、帰りに神戸でステーキと明石焼きを堪能した。北海道で海鮮丼と味噌ラーメンを食べた。九州では宮崎の地鶏や福岡の水炊き、そして鹿児島で黒豚とカンパチに加えて文旦も食べてきた。
望んだものを全て食べ尽くしたわけではないが、全ての食事を「後悔の無いように」という選択基準で選んだだけあり、バラエティに富んで好物ばかりの食卓だった。
残りはあと3日だが、由香は外食をやめて自炊をすることにした。2度と使うことのなくなる調理器具をこのまま錆びさせるのもどうかと思ったのだ。
今まで買ったこともない高い米を買ってきた。比内地鶏、鹿児島黒豚、それに鰻の蒲焼きも何とか入手できた。放し飼いで育てられた烏骨鶏の卵、有機農法の野菜も買ってみた。有機大豆を使った味噌、最高級品の本枯かつお節、国産丸大豆の天然醸造濃口醤油など、これまで買うことすら考えなかった高級調味料も揃えた。
最高の味を実現しようと思って大枚を叩いたものばかりだが、よく考えたら母親が口を酸っぱくして言っていた「いい食材」が揃っている。母には、夫の稼いでくる給料を食材ばかりに裂く自由もなかったし、今のように「2度と食べられないのだから」という大義名分もなかったので、こんな高級食材ばかりが揃うことはなかったけれど。
仕事をしていた頃は、丁寧に米をとぐことはあまりなかった。丁寧な暮らしなど半分バカにしていたし、調理して食べることは永遠に続く惰性の一部でしかなかった。
そういえば高校生の時、友だちと「最後の晩餐は何がいいか」って話題をしたことがあったな、米をとぎながら由香は思う。
雑誌に「アメリカの死刑囚の最後の食事は希望を通せる」という記事があり、多くの死刑囚がハンバーガーやピザ、フライドチキンなどを要望したことが書かれていた。それは、由香や友人の「最後に食べたい食事」とは違っていたので、自分なら何がいいかと話しあったのだ。
その時に、由香が選んだのは和牛のすき焼きだった。当時はちょうど母親が玄米菜食主義を貫いていた時期で、無性に美味しい肉が食べたかった。すき焼きならお肉も、しらたきも、白菜もお豆腐も入っているし、生卵やご飯も好きだし。
一方、友人が選んだのは、お茶漬けだった。
「なんでお茶漬け?」
由香が訊くと、友人は笑った。
「カレーにしようかとも思ったけれど、カレーなら刑務所で普通に出てくるかなと思って。でも、お茶漬けは出てこなさそうでしょ? 私、カレーとお茶漬けが好きなんだよ。ずっとそれだけでもいいってくらい」
由香は、米をとぐ手を止めて、冷蔵庫に向かった。先日見かけて買った紫蘇の実漬けのパックが入っている。1人暮らしをしてから初めて買ったその漬物は、母の大好物だった。
茶色い煮物ばかり作っていた時期も、玄米菜食主義に凝り固まっていた時期も、そして、身体を壊して病人食を食べるようになってからも、変わらずに母が好んでいたのはお茶漬けだった。主義を守るために意固地になっているときも、疲れたときも、うまく行かないときも、お茶漬けは常に母親の喉を通っていった。
由香自身も、仕事が忙しくて帰ってきて料理などしたくない日に、とりあえず冷やご飯に漬物や梅干しと海苔を載せてお茶漬けにすることをよくやっていた。
ふかふかのご飯が炊けて、由香はそっと茶碗によそうと、紫蘇の実漬けを載せた。新しいパリパリの海苔は湯氣に踊った。わずかに醤油をかけてから、煎茶を入れた。
サラサラと喉を通っていく白米とお茶は、由香を子供の頃の台所に連れて行った。母親の笑顔と優しい言葉が蘇る。
家族のためによい食事を作りながらうまく行かずに悩んだ母が泣きながら食べていた姿も。そうだ、あの頃の母親は、今の私と10歳も違わない年齢だったな。由香はぼんやりと思った。世界が私の手に余るように、あの時はお母さんの手にも余っていたのだろう。
悲しくてしかたない。試行錯誤を繰り返して、身体によいものを自分と家族のために食べさせようとしていた母親は、その努力の甲斐なくこの世を去った。由香もまた、精一杯の真面目さで暮らしてきたけれど、あと3日でささやかな楽しみすら永久に取りあげられる。
このひと月を狂ったように好きなものを食べることに費やしてきた。でも、不安と悲しみ、怒りはいつも胃の底に蹲っていた。
日本全国の美味で五感をしびれさすグルメの数々を暴食してもおさめることのできなかったなにかが、身体の中からあふれていく。由香は涙を流しながらお茶漬けを流し込んだ。紫蘇の実の香りとみじん切り大根の歯触りが、懐かしい。
人は、栄養素だけでは生きてはいけない。ファーストフードや、黒毛和牛、それに高級フレンチを食べなくても生きていけるかもしれないけれど、大金持ちでなければ、普通の食事がまったく許されないなんて、とことんフェアじゃない。
由香は、法を破る決意をした。買えるだけの米を隠し持とう。バレないように漬物にできるような野菜を栽培しよう。そして、月に1回はこっそりとお茶漬けを流し込んで生きていることを確認しよう。
それを決めた途端、急に晴れ晴れとした心持ちになった。腹の底から笑うと、買いためた他の食材をこの3日で食べ尽くすために、鍋の準備を始めた。
(初出:2022年2月 書き下ろし)
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Comment
執筆、お疲れさまです。
ポール・ブリッツさんのお話も読んできましたが、はっきりしたことはわからないのになんとも言えない怖さがあるし、いい意味で後味の悪さが印象的でした。あれをお題にして、八少女夕さんがどう料理するのか楽しみつつ読ませていただきました。
こちらは、いわゆるディストピアものですが、こういうシチェーションが起きそうだったら、全力で阻止したいですね。あんな配給食だけで生きていくなんて、考えただけでも寒気がします。ある意味、ホラーですよ、これ(笑)
お母さんがやっていたこと、国際機関がやろうとしていること、いずれもだれかのためを思ってのことなんでしょうけど、なんだかねぇ。あれですよね、酒とかタバコとか甘いものとか、やめないと身体に悪いから長生きできないと言われて、長生きできなくてもいいからやめない、ってやつですよね(卑近な例で申し訳ありません)
私も100万ドルなんて出せないから、由香と同じ選択をしそうです。あれこれ隠し持っていたいですけど、最後はやはりソウルフードですかね。米と味噌を隠しそうな気がします。あ、もちろん、餡子もですけど(笑)
ポール・ブリッツさんのお話も読んできましたが、はっきりしたことはわからないのになんとも言えない怖さがあるし、いい意味で後味の悪さが印象的でした。あれをお題にして、八少女夕さんがどう料理するのか楽しみつつ読ませていただきました。
こちらは、いわゆるディストピアものですが、こういうシチェーションが起きそうだったら、全力で阻止したいですね。あんな配給食だけで生きていくなんて、考えただけでも寒気がします。ある意味、ホラーですよ、これ(笑)
お母さんがやっていたこと、国際機関がやろうとしていること、いずれもだれかのためを思ってのことなんでしょうけど、なんだかねぇ。あれですよね、酒とかタバコとか甘いものとか、やめないと身体に悪いから長生きできないと言われて、長生きできなくてもいいからやめない、ってやつですよね(卑近な例で申し訳ありません)
私も100万ドルなんて出せないから、由香と同じ選択をしそうです。あれこれ隠し持っていたいですけど、最後はやはりソウルフードですかね。米と味噌を隠しそうな気がします。あ、もちろん、餡子もですけど(笑)
こんばんは。
TOM−Fさん、今日のコメント、早っ! 朝起きたらもう入っていたので驚きました。ありがとうございます。
ポールさんのお話は、いつも大変難しいんですけれど、今回は特に難しかったです。
茶化すような内容ではなかったし、かといって、ホラーで対抗しようにも、私怖いの苦手で(笑)
でも、そうですよね。本当にこういう世界が来たら、それはそれでホラーか。
とはいえ、まったくのSFではなく、ここまでの規制とは思いませんが、「地球環境のために」といってたとえば肉食を規制するというような話はもう現実に出てきているようです。美味しい和牛は、今のうちにバンバン食べておくのがいいかもしれませんよ。
実は、今回の玄米菜食の話は、私の実話体験から書いています。といっても誰かに強制されたとかではなくて、連れ合いの関節炎のために自分でしばらく試しただけなんですけれど。たぶん間違いなく、多くの部分は正しいんですよ。ですが、身体によくないとわかっていても、全てを断ち切ると生きる喜びが激減してしまうんですよね。なので、エッセンスというか基本は頭に入れて「何がよくないか」を認識しつつときどき「悪いことをする」スタンスで食べています(笑)
「誰かのためを思って」の善意を踏みにじるのって、心が痛いのですけれど、その痛みをもちつつも、自分の想いにも正直に折り合いをつけることも大切だなと思っています。今回のストーリーはそのあたりをテーマにしてみました。
実際にこの世界の3日後からどうなるかはわかりませんけれど、闇味噌汁とか、香りで密告されたりして、それはそれでドラマが起きそうですよね。
TOM−Fさん、餡子も(笑) 私はチョコかな。1年くらいは持ちそうですよね。
コメントありがとうございました。
TOM−Fさん、今日のコメント、早っ! 朝起きたらもう入っていたので驚きました。ありがとうございます。
ポールさんのお話は、いつも大変難しいんですけれど、今回は特に難しかったです。
茶化すような内容ではなかったし、かといって、ホラーで対抗しようにも、私怖いの苦手で(笑)
でも、そうですよね。本当にこういう世界が来たら、それはそれでホラーか。
とはいえ、まったくのSFではなく、ここまでの規制とは思いませんが、「地球環境のために」といってたとえば肉食を規制するというような話はもう現実に出てきているようです。美味しい和牛は、今のうちにバンバン食べておくのがいいかもしれませんよ。
実は、今回の玄米菜食の話は、私の実話体験から書いています。といっても誰かに強制されたとかではなくて、連れ合いの関節炎のために自分でしばらく試しただけなんですけれど。たぶん間違いなく、多くの部分は正しいんですよ。ですが、身体によくないとわかっていても、全てを断ち切ると生きる喜びが激減してしまうんですよね。なので、エッセンスというか基本は頭に入れて「何がよくないか」を認識しつつときどき「悪いことをする」スタンスで食べています(笑)
「誰かのためを思って」の善意を踏みにじるのって、心が痛いのですけれど、その痛みをもちつつも、自分の想いにも正直に折り合いをつけることも大切だなと思っています。今回のストーリーはそのあたりをテーマにしてみました。
実際にこの世界の3日後からどうなるかはわかりませんけれど、闇味噌汁とか、香りで密告されたりして、それはそれでドラマが起きそうですよね。
TOM−Fさん、餡子も(笑) 私はチョコかな。1年くらいは持ちそうですよね。
コメントありがとうございました。
そうきたか、という感じで面白かったです。藤子先生の定年退食的ディストピアですね。
こんな世界が実際に来たらもう自分的には完全アウトなので冷や汗を長しましたが、
小説の感想以外の場所では、
テレビに映った「ロシア軍ウクライナ侵攻」のニュースを見て、
「戦争 → 世界大戦 → 土地荒廃 → 食糧危機」
という構図が頭に浮かんで、この小説が俄然「リアル」に思えてきたのがホラー以上に怖かったっす……。
こんな世界が実際に来たらもう自分的には完全アウトなので冷や汗を長しましたが、
小説の感想以外の場所では、
テレビに映った「ロシア軍ウクライナ侵攻」のニュースを見て、
「戦争 → 世界大戦 → 土地荒廃 → 食糧危機」
という構図が頭に浮かんで、この小説が俄然「リアル」に思えてきたのがホラー以上に怖かったっす……。
こんばんは。
お。藤子先生というと、あのドラえもんの……ですか?
そういう作品があるのですね。存知ませんでした。
このネタは、その、現実にひそかに言われているいわゆる「陰謀論」ですが、私はかなり現実味を帯びていると感じています。
こんな世界になるのは嫌ですけれど、2年くらい前から、この手の噂が「空想のお話じゃない」らしいとわかってかなり落ち込んでいます。
少なくとも、ここ数日でもう穀物の先物取引がすごいことになっていますよね。
で、ポールさんのお話の中では、本題の怖い部分とは別に、「お母様」の姿にとてつもない哀しみを感じてしまったので、それをテーマにしてみました。大切な人(や、地球環境など)をないがしろにはしたくないのだけれど、でも、それを貫徹すると自分の中の譲れない何かを犠牲にしなくてはならなくなり、その葛藤があるんですよね。
ウクライナ侵攻のニュースは、もちろん、どんな武力侵攻もあってほしくないことなんですけれど、それとは別に世界に蔓延るろくでもないあれこれや、それに負けない自分の利己主義なども見せつけられて、やるせない想いです。
ともあれ、今のところ私は、粛々と生活と執筆を続けるつもりです。お互いに、世界や未来に対する重苦しさにめげずに頑張りましょう。
今年も素晴らしい作品でのご参加、ありがとうございました。
お。藤子先生というと、あのドラえもんの……ですか?
そういう作品があるのですね。存知ませんでした。
このネタは、その、現実にひそかに言われているいわゆる「陰謀論」ですが、私はかなり現実味を帯びていると感じています。
こんな世界になるのは嫌ですけれど、2年くらい前から、この手の噂が「空想のお話じゃない」らしいとわかってかなり落ち込んでいます。
少なくとも、ここ数日でもう穀物の先物取引がすごいことになっていますよね。
で、ポールさんのお話の中では、本題の怖い部分とは別に、「お母様」の姿にとてつもない哀しみを感じてしまったので、それをテーマにしてみました。大切な人(や、地球環境など)をないがしろにはしたくないのだけれど、でも、それを貫徹すると自分の中の譲れない何かを犠牲にしなくてはならなくなり、その葛藤があるんですよね。
ウクライナ侵攻のニュースは、もちろん、どんな武力侵攻もあってほしくないことなんですけれど、それとは別に世界に蔓延るろくでもないあれこれや、それに負けない自分の利己主義なども見せつけられて、やるせない想いです。
ともあれ、今のところ私は、粛々と生活と執筆を続けるつもりです。お互いに、世界や未来に対する重苦しさにめげずに頑張りましょう。
今年も素晴らしい作品でのご参加、ありがとうございました。
TOM-Fさんがコメントしておられるように、この作品、ホラーですよ。
そしてジワジワと近づいてきている現実なのかもしれません。戦争になんかかまけていないで、人類にはもっとやるべきことが、優先すべきことがあるんじゃないの?そう思わせられる作品でした。
サキは思うのですが、美味しい食べ物って概ね健康に悪くって、健康に良い食べ物って概ね美味しくないんですよ。欲望に命じられるまま食べ続けると概ね健康を害する方向へ向かうようなんですね。でもねぇ・・・サキは欲望に流されがちなんですよ。
そしてこの地球で生産できる食物の量は当然限られていて、人類すべての欲求を満たすことなんてできないのは、ちょっと考えれば当たり前のことなんです。
この作品のような状況に追い込まれる前に、なにか良い解決方法を見つけなくちゃならないんだろうけれど、どいつもこいつも何やってるんでしょう?
ポールさんの作品は訳もわからず怖かった(コメントしようが無いくらい)ですけれど、夕さんの作品は別の意味でとっても怖かったです。
そしてジワジワと近づいてきている現実なのかもしれません。戦争になんかかまけていないで、人類にはもっとやるべきことが、優先すべきことがあるんじゃないの?そう思わせられる作品でした。
サキは思うのですが、美味しい食べ物って概ね健康に悪くって、健康に良い食べ物って概ね美味しくないんですよ。欲望に命じられるまま食べ続けると概ね健康を害する方向へ向かうようなんですね。でもねぇ・・・サキは欲望に流されがちなんですよ。
そしてこの地球で生産できる食物の量は当然限られていて、人類すべての欲求を満たすことなんてできないのは、ちょっと考えれば当たり前のことなんです。
この作品のような状況に追い込まれる前に、なにか良い解決方法を見つけなくちゃならないんだろうけれど、どいつもこいつも何やってるんでしょう?
ポールさんの作品は訳もわからず怖かった(コメントしようが無いくらい)ですけれど、夕さんの作品は別の意味でとっても怖かったです。
こんばんは。
実はですねぇ。
この「食べ納め」シチュエーションの背景は、いろいろなパターンを考えたのですよ。
作品中にも出てきている死刑囚のラストミールや、スイスで合法的に行われている安楽死前の数日間など、他のパターンも考えたのですけれど、どれも実際にその立場にある人やその周りの方が読むことも考えて、採用しませんでした。そして、今回の話の背景ならば少なくとも現在はまだ「フィクション」と言い張ることはできますからね。でも、実際は完全なフィクションとも言えず、サキさんがおっしゃる通り解決策が必要とされている案件で、もうこのような解決策に近いものまで検討されているらしいというところが「ぞっとする」要因なのかなあと思います。
さて、食べ物に限らず、「健康にいいもの」「環境にいいこと」「善いもの」というのは、美味しくなかったり、ワクワクしなかったり、嬉しくなかったりするものが多いように思います。たとえば旅行1つをとっても、化石燃料を費やし、環境を汚し、よけいな物を買い、ゴミを増やし、マイクロプラスチックを増やし、文化財に悪影響を与え、生態系に影響を及ぼし、食べるものも身体によくなくて……と、考えれば考えるほど、行かない方がいいという結論になってしまいます。そんなことを考えて旅行はできないので、結局「そうはいってもねぇ」と無視することになってしまうんですけれど、どこかでひっかかっている、そんな感じでしょうか。
食べ物の話に戻りますね。
健康にいい食事、古今東西いろいろなメソッドがありますよね。そして、どれもある意味正しくて効果があるのもわかっている。
でも、実践してみるとなかなか続けにくいんですよね。
とりわけ、日本にいたら難しいと思います。誘惑が多すぎて。
日本のグルメはものすごくレベルが高いですし、それが嫌でも五感に訴えてくる世界で、シャットアウトして信じる食生活を続けるのは難しいでしょう。少なくとも私はシャットアウトする自信がありません。なので、自分の欲望に負けるだけでなく、自分の中で基準を設けて取捨選択したり、廃棄の問題解決に取り組んだり、「より善い」世界のために何かはすべきだと感じています。
由香のように、もう取り返しがつかない世界になってから、泣く泣く折り合いをつけることも、現在の私たちのようにまだ選択の余地がある世界の中で折り合いをつけることも、根本的には同じだと思っています。誇張された背景は、テーマを浮き立たせるための舞台ですけれど、それで読み手の感情を動かして何かを考えるきっかけにするのは小説の役割の1つですよね。そういう意味で「怖い」と言っていただけたのは、嬉しいです。
コメントありがとうございました。
実はですねぇ。
この「食べ納め」シチュエーションの背景は、いろいろなパターンを考えたのですよ。
作品中にも出てきている死刑囚のラストミールや、スイスで合法的に行われている安楽死前の数日間など、他のパターンも考えたのですけれど、どれも実際にその立場にある人やその周りの方が読むことも考えて、採用しませんでした。そして、今回の話の背景ならば少なくとも現在はまだ「フィクション」と言い張ることはできますからね。でも、実際は完全なフィクションとも言えず、サキさんがおっしゃる通り解決策が必要とされている案件で、もうこのような解決策に近いものまで検討されているらしいというところが「ぞっとする」要因なのかなあと思います。
さて、食べ物に限らず、「健康にいいもの」「環境にいいこと」「善いもの」というのは、美味しくなかったり、ワクワクしなかったり、嬉しくなかったりするものが多いように思います。たとえば旅行1つをとっても、化石燃料を費やし、環境を汚し、よけいな物を買い、ゴミを増やし、マイクロプラスチックを増やし、文化財に悪影響を与え、生態系に影響を及ぼし、食べるものも身体によくなくて……と、考えれば考えるほど、行かない方がいいという結論になってしまいます。そんなことを考えて旅行はできないので、結局「そうはいってもねぇ」と無視することになってしまうんですけれど、どこかでひっかかっている、そんな感じでしょうか。
食べ物の話に戻りますね。
健康にいい食事、古今東西いろいろなメソッドがありますよね。そして、どれもある意味正しくて効果があるのもわかっている。
でも、実践してみるとなかなか続けにくいんですよね。
とりわけ、日本にいたら難しいと思います。誘惑が多すぎて。
日本のグルメはものすごくレベルが高いですし、それが嫌でも五感に訴えてくる世界で、シャットアウトして信じる食生活を続けるのは難しいでしょう。少なくとも私はシャットアウトする自信がありません。なので、自分の欲望に負けるだけでなく、自分の中で基準を設けて取捨選択したり、廃棄の問題解決に取り組んだり、「より善い」世界のために何かはすべきだと感じています。
由香のように、もう取り返しがつかない世界になってから、泣く泣く折り合いをつけることも、現在の私たちのようにまだ選択の余地がある世界の中で折り合いをつけることも、根本的には同じだと思っています。誇張された背景は、テーマを浮き立たせるための舞台ですけれど、それで読み手の感情を動かして何かを考えるきっかけにするのは小説の役割の1つですよね。そういう意味で「怖い」と言っていただけたのは、嬉しいです。
コメントありがとうございました。
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こんにちは。
ごめんなさい、メールをいただいていたのですね!
どうも行方不明のようです。
ご依頼の件、もちろんOKです。
どうぞよろしくお願いします。
ごめんなさい、メールをいただいていたのですね!
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どうぞよろしくお願いします。
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