fc2ブログ

scribo ergo sum もの書き・八少女 夕のブログ Since March 2012


Posted by 八少女 夕

【小説】大地の鼓動

今日の小説は『12か月の楽器』の6月分です。このシリーズでは、楽器をテーマに小さなストーリーを散りばめています。

今回の選んだのは、楽器じゃありません、すみません。あえていうならアフリカンビートです。『ニューヨークの異邦人たち』シリーズのアフリカ組の登場です。

といっても、とくに過去の作品を読む必要はありません。固有名詞がわからなくても、飛ばしてノープロブレムです。


短編小説集『12か月の楽器』をまとめて読む 短編小説集『12か月の楽器』をまとめて読む

【参考】
郷愁の丘「郷愁の丘」を読む
あらすじと登場人物

霧の彼方から「霧の彼方から」を読む
あらすじと登場人物

「ニューヨークの異邦人たち」
「ニューヨークの異邦人たち」




大地の鼓動

 ナセラは、リズミカルに肩を揺すりながら、口元だけで何かをつぶやいていた。皿を洗うときも、緩やかに床を掃くときも、彼女はビートを刻んでいた。楽しそうに歌っているわけではない。誰かに聞かせようとしているのでもない。それは、クセのようなものだ。

 ジョルジアは、そのような姿の人びとを他にも見たように思う。マリンディのガソリンスタンドで口笛を吹きながらレジを操作していた青年。ムティト・アンディのスーパーマーケットでモップがけをしていた老人。自然な動きだが、アメリカやヨーロッパではではあまり見ない。

 寡黙なナセラは、ずっとジョルジアと目を合わせなかった。グレッグのところに手伝いに来ていたキクユ族の少女アマンダと違い、ジョルジアを敵視している様子もなかったので、人付き合いの苦手なタイプなのかもしれないと、あえて話しかけたりしないようにしていた。

 ナセラは、マニャニにあるレイチェルの家の手伝いをしている。おそらくジョルジアがはじめてレイチェルの家を訪れたときにもいたのだろうが、記憶になかった。グレッグの父親であるジェームズ・スコット博士の臨終の時に、レイチェルやその娘マディの代わりに子供たちの世話や家族の食事の用意をしたのだが、その時にはじめてナセラと会話を交わした。といっても、掃除や洗濯に関する伝達をするぐらいで、個人的なことは何も話さなかった。

 先週からマディとアウレリオ・ブラス夫妻が、2週間ほどイタリアに行くことになり、子供たちはレイチェルに預けられることになった。
 
 レイチェルがケニア大学で講義をするため、ジョルジアは子守としてこの家にまた泊まりがけで手伝いに来た。前よりも長い時間ナセラと過ごすことになり、雑談もするようになった。そして、彼女がサンブル族出身であることを知った。といっても、ジョルジアはサンブル族を知らなかった。

「ここから近いところの民族トライブ なの?」
「いいえ。ずっと北です。ここからだと600キロくらいでしょうか」

「どうしてここに?」
ここは出稼ぎに行くような都会ではないし、使用人たちはたいてい地元の出身だ。

 ナセラは、少しだけ言葉を探していたが、やがて言った。肩を揺すりながら。
「しばらくイギリスにいました。でも、帰りたくて。助けてくれた人が、マムの知りあいで、それでここに来ることになったんです」
マムというのは、女主人であるレイチェルのことだ。

「故郷に帰りたかったのではないの?」
ジョルジアは訊いた。ナセラは悲しそうに言った。
「サンブルの掟を破ったので、戻ったらどんな目に遭うかわかりませんから」

 サンブル族は、マサイ族と同じマー語系牧畜民で、北部ケニアのサンブル自然保護区でウシやヤギ・ヒツジを飼養する牧畜業に加え、観光客からの現金収入を得て暮らしている。マサイ族同様に昔ながらの特殊な社会システムを維持している。サンブル族の社会は長老による支配が特徴だ。男性は、割礼までの少年、その後15年間にわたる戦士モラン 、そして、結婚してからの長老という3段階の社会階級に分かれている。そして、女性は未婚と既婚だ。それぞれの階級ごとにあるべき行動規範が厳密に決められており、それに反したことをすればンカイと呼ばれる超自然的力による罰を受けることになる。長老が絶対権力を持っているのは、ンカイを発令できるからだという。

「イギリスでは、サンブル族社会が間違っていると言われました。ンカイなんてものはない。割礼は違法だ。女性は男性の所有物ではないって」
ナセラの言葉にジョルジアは首を傾げた。
「あなたもそうだと思ったから離れたのではないの?」

 ケニアでは、割礼は既に違法だ。だが、サンブル族は男女とも割礼を強制する文化を頑なに保持している。長老が幼い少女を強引に性的虐待の対象にすることもあるにも関わらず、未割礼のままの出産があるとサンブルが呪いにかかると無理に中絶させる。それで母子とも命を失うことも少なくない。

 だが、ナセラは俯きながら答えた。
「サンブルが間違っていると思ったことはありません。ンカイはあると思うし、全ての民族の正しさに合う法律が存在するはずもないと……。ただ、私がサンブルの正しさに耐えられなくて逃げ出したんです」

* * *


 レイチェルは戻ってきたが、グレッグが迎えに来るのは明日なので、ジョルジアはもう一晩泊まった。子供たちが寝た後、ジョルジアはレイチェルにナセラのことを話した。

「そうなの。彼女は、まずマラルルにある保護施設に助けを求めて受け入れられたの。サンブル出身の女性が設立した施設なのよ。老人の慰み者にされそうになった少女や、割礼を嫌がる少女たちを保護しているの。そこの援助を受けて学校に通い、知り合った世界の女性の人権問題に取り組む私の友に提案されて、しばらくロンドンに行ったのよ。でも、ホームシックに耐えられなかったみたいで。それで、相談を受けた私が預かることにしたの」

「彼女も、そうした虐待を?」

 レイチェルは首を振った。
「虐待ということではなかったみたい。サンブル族ってね。《ビーズの恋人》っていう、少し変わった習慣があるのよ」

「《ビーズの恋人》?」
「ええ。まず、前提知識なんだけれど、娘の結婚相手は、父親が決めるの。そして、相手は別の一族クランの男性でないとならないと決まっているの。結婚と同時に割礼して相手のクランで既婚女性となるのね。でも、その結婚が決まる前に、クランの中で自由恋愛と疑似婚姻に近いような関係を持つことがあって、それを《ビーズの恋人》っていうの。プロポーズ的にビーズを贈るところから来ているみたいだけれど」

 ビーズを受け取った娘はそのビーズで巨大な首飾りをつくり身につける。 娘は恋人と小さな小屋を建てて夜を過ごす。

 だが、それは結婚ではない。終わることが初めからわかっている。娘は父親から別のクランの見知らぬ男性と結婚することを一方的に宣告され、それが《ビーズの恋人》との関係の終了を意味する。

「それでね。ナセラは《ビーズの恋人》と離れたくなかったから、《スルメレイ》になろうとしていたらしいの」
「《スルメレイ》って?」

「普通は、結婚の直前に割礼するんだけれど、その前に自主的に割礼してしまう女性のこと。割礼と同時に既婚女性と同じ、父親の所有物ではない存在になり、独立して家を建てて住むこともできるみたいなの。でも、そうすると《ビーズの恋人》とは別れなくてはいけないんだけれど」

『離れたくないのに《スルメレイ》になろうとしたのにも理由があったんでしょうか」
「ええ。彼の子供を産むつもりだったみたい。割礼をしていない女性が子供を産むことはタブーなので、《ビーズの恋人》と子供ができてしまったら通常は中絶が強要されるんだけれど、出産前に割礼を施して《スルメレイ》になれば未婚の母にもなれるのよ。そうなると評判も落ちるので、縁談も滞るみたい。ナセラは、知らない男に嫁がされるよりは、恋人の近くで恋人の子供を育てることを望んでいたのよ」

 ジョルジアは、ナセラに「サンブルが間違っている」と言った人の意図がよくわかった。欧米の女性ならそう言わないほうが稀だろう。
「でも、計画通りにいかなかったのですね?」
「ええ。父親が思ったよりも早く結婚を決めてしまったのですって」

 ナセラには、大人しく結婚するか、逃げ出すかの選択しか与えられなかった。《ビーズの恋人》は、ナセラを心から愛していると言っていたけれど、サンブルの掟に逆らうことは何もしなかった。彼女は恋人を失い、間違っているとは思ったことのないサンブルという故郷も失った。

* * *


 アフリカの女性たちは働き者だ。グレッグに連れて行ってもらって見たマサイ族の女性たちも、アメリカ育ちのジョルジアには考えられないほどの仕事を負担していた。重い水を運び、家を建て、子供と家畜の面倒をして、農作業をもする。男たちは、ビールを飲みながら座って会話をしているのに、女たちは休みなく動き続けている。

 ナセラも、緩やかな動きながら休みなく働いていた。洗濯、皿洗い、床掃除の間、肩をゆすりながら口を動かしている。足下も揺れている。地面を緩やかに足踏みしている。歌い踊ることは、彼女にとって祝祭のような特別なことではなく、日常のことなのだろう。

 サンブル社会を憎み否定しているのならば、逃げ出すことに成功したナセラを祝ってあげることができる。けれど、ナセラは、少なくともイギリスにいるよりもケニアに戻ることを願ったのだ。では、ここでは? 彼女は、ここにいることに幸せを見いだしているだろうか。

「ここでの暮らしは? 居心地がいいの?」
ジョルジアは、隣で皿洗いをするナセラに訊いてみた。ナセラは、鼻歌をやめてこちらを見た。不思議そうな顔をしている。

「いいです。マムはときどき厳しいですが、公正に扱ってくれますし、用意してくれた家も快適です」
「イギリスは、快適じゃなかったの?」

 ナセラは、瞑想するように遠くを見つめた。沈黙が台所に降りて、手元のシャボン液が弾ける音が聞こえた。ジョルジアが、何かを言おうかと考えたとき、ナセラはその厚い唇をそっと開いた。
「大地から切り離されて戸惑いました」

「切り離されたって?」
ジョルジアには、ナセラの言わんとすることが飲み込めなかった。

「歩くところに、どこにも土がありません。アスファルトに遮られていました。公園に行けば土はありますけれど、とても遠かったです。クラクションや警笛、地下鉄の轟音など、右や左、上から下から、大きな音が唐突にきこえ、リズムが狂いました。風の音がかき消されて、川の水も滞っていました。騒音に満ちているのに、私が歌うと叱られました。歩くときや働くときは黙ってするものだと。精霊の声が聞こえなくなり、大地の鼓動も感じられなくなりました。それでしぼんで消えていきそうになったのです」

 ジョルジアは、ナセラの足下を見た。今日も彼女は裸足だった。チョコレート色の足は底の部分だけが肌色をしている。その肌色の部分は、台所のひんやりとしたタイルを踏んでいる。

 靴も履かずに歩く人びと。靴を買うお金もない貧しい人びとと憐れむのは私たちの勝手な思い込みだ。ジョルジアは感じた。ナセラも靴は持っている。それを脱いで大地に触れて歩いている。移動することや、美しい姿勢で歩くことに意味があると思っている西欧人の歩き方と違い、ゆっくりと大地を踏みしめながら歩く。彼らの価値観は、違うのだ。

 肩を揺すりながら口を突き出し何かを歌い、緩やかに裸足で床を踏みながら動くナセラは、ツァボ国立公園に近いこの家で大地の鼓動を感じながら生きている。

 ジョルジアは、ナセラ自体が楽器であり大地の鼓動の受信機なのだと思った。水に乏しい大地に根を生やしたアカシアの木は、過酷な日差しに苦情も述べずに立ちすくみ、負けることなく生き延び続ける。ナセラの刻むビートは、ひ弱な西欧の女性たちが泣き叫ぶような人生の悲哀に、楽天的な香りをつけて昇華させていく。

 グレッグが、ここに帰ってきたのも、もしかして同じ理由なんだろうか? 生まれ故郷だったというだけでなく、ナセラと同じように、西欧世界における大地がアフリカのそれと全く違うことに馴染めなかったから。そして、私が故郷ではないのに、このアフリカの大地を懐かしく離れがたく感じるのも。

 硬く冷たい世界には馴染めなかった者たちが立ち戻る大地には鼓動が脈打つ。子供たちの、女たちの、男たちの生活と歌と踊りを受け止め、それを打ち返してくるのだ。土ぼこりと灼熱の太陽と、呼応し合う手拍子と足踏みと歌とが、自分もまた地球という生命体の一部であることを教えてくれる。

(初出:2022年6月 書き下ろし)

追記


イメージを膨らませた動画です。

Cee-Roo - Feel The Sounds of Kenya

サンブル族のビーズ飾りをつけた女性についてはこの動画で

関連記事 (Category: 短編小説集・12か月の楽器)
  0 trackback
Category : 短編小説集・12か月の楽器

Comment

says...
執筆、お疲れさまでした。

ナセラは、どこにも居場所がない(なかった)んですね。
村に残れば悲惨だし、ロンドンでは息が詰まる。アフリカではあるけど、村の呪縛から逃れられるレイチェルのところは、ナセラにはありがたいでしょうね。
村の掟はすでに違法なわけだし、ほんとうにひどいとも思いますが、それでも否定はできず、耐えられなくて逃げ出したんだという発想は、辛いなぁ。でも、村の掟や人々へ恨み言も言わず、しっかりと大地を踏みしめて生きていく姿はすごいと思います。悪しき習慣をも飲み込んで、生きるということの力強さを感じる一篇でした。
2022.06.15 10:56 | URL | #V5TnqLKM [edit]
says...
こちらにもありがとうございます。

NGO的なところにいた西欧人にしてみたら「可哀想な女性を救ってやった」的な行動だったのだと思いますが、実はナセラはあまり嬉しくなかったのでしょうね。そういう噛み合わなさは、ときどき現実世界でも感じることがあります。もちろんヨーロッパに喜んでやって来て、しっかり根を張る人たちもいるんですけれど、それは全人類の共通認識ではないってことでしょうね。

レイチェルは、グレッグほどではないですけれど、それでも土着の民族の文化や考え方にも理解があり、わりと親切な人でもあるのでナセラにとってはラッキーな雇い主だと思います。

何がよくて、なにがよくないことか、自分の基準しかしらないとなかなか理解ができないことだと思うのですけれど、それはナセラの所属していた民族社会もそうですし、日本の「みんなそうだよ」の常識も、それにスイスで「それが当然でしょ」の圧力もみな同じなんですよね。
法律は、自分が制定する側ならば、もちろん絶対正義でしょうけれど、多民族国家ではライバル民族が勝手に決めた悪法だと思う人もいて、何がよくて何がいけないかは本当にその場に身を置いてみないと断じられないということを、もやっとでも感じていただけたらという想いで書いてみた作品です。

実際に、アフリカの女性たちは本当に強いんですよね。しかも明るい。
そういう姿を目の当たりにして、私は快適な生活に甘やかされてひ弱に育ったんだなあと、実感しましたよ。

コメントありがとうございました。
2022.06.15 23:23 | URL | #9yMhI49k [edit]
says...
民族によってそれぞれに文化や考え方があり、何が正しいなんて誰にも言うことはできない・・・ってことは充分に理解しているつもりなのですが、どうしてもそんな理不尽な!と思ってしまうことはあります。
種族が生き残っていくためにちゃんと理由がある習慣だったりするのでしょうが、なんだかなぁ・・・と思ってしまいます。
でも、大地の鼓動については彼女にとても共感します。
彼女が持っている基準を尊重してくれる場があってとてもラッキーだったと思いますが、彼女にとってはこの地へ帰るのがもっとも自然なことだったのですね。
アフリカの大地と共振する楽器かぁ。なんだか納得。
2022.06.16 12:02 | URL | #0t8Ai07g [edit]
says...
なんだか複雑で大変な掟があるんですね
自分のところの掟は嫌だけど異国の生活もなじめない…ありそう…
日本国内に限ってもDVを受けた女性が施設に保護されても
夫が迎えに来ると一緒に帰る人が結構いるとか
そしてまたDVを受けて再び施設に…
ナセラさんは良い居場所が見つかったみたいでよかったです
2022.06.16 13:04 | URL | #- [edit]
says...
こちらにもありがとうございます。

まあ、サンブル族の伝統はかなり理不尽だと思います。基本的にアフリカの女性たちの立場は、理不尽で私は絶対に代われないと思います。
ただ、それと、「ここで生きる方が100%いいでしょ」という上から目線は、違うのかなというところが出発点ですね。

たとえば、日本の働き方や、子育てをしている若い世代の女性たちにかかっている負荷の話をすると、こちらの人たちは「ありえない」と口を揃えます。実際、本当にとんでもない不平等でもあるんですけれど、それと「さっさと日本なんか捨てて海外で暮らしなさい」というのはまた別の問題だと思うんですよね。

さて、話はナセラに戻りますけれど、彼女はとてもラッキーな着地点を得たと思います。わたしの設定では、レイチェルは非常にバランスの取れた白人ケニア人です。単なるヒューマニストではなく現実的な面もありますが、根底には人の心の痛みのわかる温かい人です。ナセラの雇い主として厳しく指示する一方で、彼女の生活と心のケアもしています。自分の事で手一杯のグレッグだとこうはいきませんよね。

今回、最初はジャンベという打楽器をモチーフにしようかと思っていたのですが、そういうことじゃないんだよなと考えた末に、人間そのものが楽器というイメージで書いてみました。

コメントありがとうございました。

2022.06.16 21:58 | URL | #9yMhI49k [edit]
says...
昼休みまとめ書きコメントですみません~
それぞれの民族、広く言うと生物すべてにおいて、何が是で非なのかって、枠組みの外にいるものが口出しするものではないのでしょうね。例えば、すごい昔に私もある医療ボランティアに参加していたことがあるのですけれど、やっぱり日本のやり方を持って行くような形だったので、なんか違うなぁと思ってやめたことがありました。今はずいぶん考え方が変わっているようですが、本当にその場所の人間になりきらないと(そして、なりきれる人というのはまさに波長の問題で、合う合わないがはっきりある)できないことがいっぱいある(だから、やっぱり中村哲さんは私にはずっと憧れの人。あんまり真っ白じゃないところもみんな含めて)。
例えば、ガンジス川。そんな汚い川に入ったら病気になる!というのは確かに衛生学的に正しいのですけれど、それが聖なる川であるということとは全く別問題なのですよね。チェルノブイリに住み続ける人、他の人から見たらとんでもないってことになるけれど、それはそれで満足だったり。
時々、縄張りって重要だなぁと(アニマルプラネットやダーウィンが来た!を見ていて)思うのですけれど、そこはやっぱり不可侵、なんですね。

ただ、このお話の中で、どちらにも居場所がないようなナセルの立ち位置は、実は決して悪くないのですよね。時々、両方の枠組み/縄張りに片足ずつ立っていても不安定にならない人っていると思うのですけれど、レイチェルのようなそういう人と出会えて、まさにラッキーだったような。

そして。リズムですね! これ、最近よく話題になるのですけれど、音楽の三要素(メロディ、ハーモニー、リズム)のなかでどれが一番大事かって、それはどれも大事だけれど、でも何よりもリズムが崩れたらコケるって話。胡弓の師匠「そのリズムじゃ、踊れない」。ピアノ先生「音間違えても、リズムあってたら気持ち悪くないけれど、リズム崩れたら気持ち悪い!」(「気持ち悪い」って・・・・・・弾いている方は結構しょんぼりする(;_;))。確かに、聞いていても、音が間違ってても、脳内で正しい音に変換して聞けるけれど、リズムがくちゃくちゃだと、音楽にならない・・・・・・
リズムは、民族の言葉であり踊りなんですよね。日本人はこの踊りの部分の感性が欠けているようで、リズム取りが苦手なんだとか。アフリカの人たちの体の中には大地のリズムがあるのですね~
2022.06.28 07:55 | URL | #nLQskDKw [edit]
says...
こちらにもありがとうございます。
貴重なお昼休みにたくさんのコメントいただき恐縮です。嬉しいです。

そうなんですよね。
何が幸せかは、誰かが勝手に決めちゃいけないことなんだと思います。
昔、ピーターラビットシリーズの中に、田舎のネズミと都会のネズミの話があって、自分にとって最高の場所はお互いに相手にとっては「勘弁してくれ」だったことに、子供ながらも少しそのことを理解した記憶があります。
今回の話は、もう少し深刻な問題も含んでいて、確かに「うちが天国!」では全くないのですけれど、かといって「西欧の方が絶対にいいに決まっている」はそれはそれで傲慢な決めつけかなと。

そうそう。中村哲さんのような関わり方が、私もいいなあと思っています。
反対に聖人化されたりしている方が、ちょっと胡散臭かったりします。

ナセルにとっての最終的な着地点であるレイチェルのところは、かなり幸運な場所だと思います。
ただ、ナセルが将来的にどんな道を選ぶかは、これまたわからないんですよね。
「なぜそんな方へ行く」という道を選ぶ可能性だってありますけれど、それはそれで彼女の人生……ですよね。

さて、リズムです。
身体を使うということにかけては、ある種の人たちには敵わないと思っているんですけれど、たとえば同じ作曲家の同じ作品を歌っても、アフリカの人たちと、ヨーロッパや日本の人たちではどうしても違うものになってしまうようにおもいます。声帯もリズムのとり方も、もう遺伝子の段階で超えられない違いがあるというか。

アフリカの人たちは、普段の生活そのものがリズムを取りながら踊っているようなものなので、これと同じように日本人がなろうとするのは大変だろうなあと思います。周りの迷惑にならないように怖々萎縮して声を出している人たちには特に。

コメントありがとうございました。
2022.06.28 20:35 | URL | #9yMhI49k [edit]
says...
こちらのコメントにお返事していない状態になっていたことに今日氣がつきました、ごめんなさい!
返信書いた記憶はあるので、吹っ飛んだのかも……。

そうなんです。
このサンブル族というのは本当にそういう特別な風習を持っていて、私たちから見ると「信じられない」という感じなんですけれど、でも、日本の風習にも他の国の人から見ると「21世紀にまだそんな我慢しているの?!」がけっこうありますよね。でも、「海外に逃げれば?」は解決策とはちがうんですよね。

「DV受けて保護されても、結局戻ってしまう」は、聞きますよね。ストックホルム症候群ってこともあるみたいですし。
ナセラは逃げ出して、ハッピーエンドというわけでもないみたいですけれど、それなりに居場所を見つけて生きているのでラッキーな方でしょうね。

コメントありがとうございました。
2022.07.15 21:29 | URL | #9yMhI49k [edit]

Post comment

管理者にだけ表示を許可する

Trackback

trackbackURL:https://yaotomeyu.blog.fc2.com/tb.php/2053-2133da24