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scribo ergo sum もの書き・八少女 夕のブログ Since March 2012


Posted by 八少女 夕

それは簡単にはわからない

今日の話題は、難しい性自認の話。身近な例も含めて、近頃よく考えることです。

大きな虹 by マレーナさん

わりと最近、有名なモデルのカップルの離婚が話題になりました。よくあるような「不倫が原因」というのではなく、公表したコメントから類推するにどうも1人の性自認が原因だったようです。

これって、どんな他のカップルの破局とも同様に、本人たちの問題で外からどうこう言うことではないと思いますし、ましてや当の配偶者が納得しているのなら、それ以上話題にする必要もないと思います。

私がこの話題を取りあげようと思ったのは、実際に知っている人が似たようなことの当事者になっているからです。そのモデル・カップルのケースと同じかどうかは、もちろん私からは判断できませんが、今回は私の知りあいの女性(元男性)Aさんのことを中心に書こうと思います。

Aさんとは別に、私にとってはとても大切な日本の友人の中に、2人いわゆるLGBTQにカテゴライズされる存在の人たちがいます。Bさん、Cさんとしておきましょう。この2人はどちらも生まれたままの性を手術や役所の手続きによって変更することはしていません。

ただし、私は、2人ともに「あなたのジェンダー自認は具体的にはなんなのか」という質問をしたことはありません。恋愛対象が同性なのは知っていますが、自分の内面を生まれ持った性と違うと認識しているかどうかは、また別の問題です。私や他の親しい仲間たちの間でのカミングアウトはとても早くてもう何十年来それが普通だと受け入れていますが、日本という国では「誰かと同じ」であることに価値を見いだす人がまだ多いので、学校卒業後の人生で囲まれている人たちに100%公表するというのもしんどいのではないだろうかと考えています。

私がBさん、Cさんにもっと詳しいことを訊かないのは、それが私の好奇心を満足させる以外、なんの役にも立たないことだからです。その質問に傷つき敏感になっているかもしれないのに、訊いたらまずいだろうなと慎重になっている間に、私と2人の距離は1万メートル離れてしまいました。そして、この手の話は、メールでするようなものではないのです。(実は、チャンスがあったのに、私は戸惑いから無難な対応をしてしまいました。まだそのときのことは少し悔やんでいます)

さて。話はAさんに戻ります。Aさんはトランスジェンダーで、書類上も変更し、現在もホルモン療法を続けています。私がスイスで知り会ったときには既に女性でした。

Aさんは常にファッショナブルです。そして、それが彼女の人生における苦悩の始まりだったそうです。彼女は、インタビュー形式のドキュメンタリー本で、彼女の体験を明らかにしていてその本を貸してもらったので、普段なら到底訊けなかったような詳細まで、私が知ることができたのです。

子供の頃から、女装に興味があり、隠れて母親の服を着てみた、というのが彼女の男性としての違和感の始まりだったようです。そして、Aさんはそれを「罪」と捉えていたようです。その罪の意識から解放されるには、「自分は男性ではなくて、女性なのだ」という方向に進まなくてはならなかった。私はそう分析しています。

私は、「HENTAI大国」日本に慣れすぎているのかもしれません。「女装したければ、(そういう界隈で)すればよかったのに」とどこかで考えてしまうのです。

また、私が女性だからよけいそう感じるのかもしれません。私は男装をすることに罪の意識などカケラも持ちませんし、世間が後ろ指を指すこともないでしょう。反対には、もっといろいろな抵抗があることもわかっています。でも、男性ジェンダーの象徴であるあの器官をカットするほどの罪とはとても思えないのです。それに、女性であることで、男性よりも不利益を被ることもありますし、反対に女性に生まれたから得られるアドバンテージ(若くてきれいだとちやほやされるとか)を、現在のAさんがたやすく得られるとは思いません。

「罪の意識を感じずに、後ろ指も指されずに、女性の装いができること」。それはAさんにとっては夢にまで見た大切なアイデンティティーだと思うのですが、私がそれに全く価値を見いだしていないのは、私がおしゃれに全く興味が無いタイプだからだと思います。「女装/男装が好き/嫌い」という以前に、そもそも興味が無いんです。

清潔だけには氣をつけていますが、服装を考えるのが面倒なので特別なTPOがないときはほぼ常に同じ格好をしています。Tシャツとパンツかジーンズに、シャツかカーディガンかジャケット。Tシャツは選ぶのが面倒なので色違いを用意して順番に着ているだけです。石は好きなのでときどきアクセサリーはつけますが、おしゃれでつけているわけではありません。髪も時間がかからない楽なカットをずっと替えませんし、ほぼノーメークで、ネイルはしたこともありません。スイスという国にはノーメークやストッキングをはかない女に、あれこれ言うような人などいないのです。

でも、私はそのことで性自認に悩んだことはありません。恋情を感じる相手は常に男性でしたが、それで「性自認や恋愛指向がノーマル」だと思ったこともありません。たまたまその人たち以外に興味をもたなかっただけです。生まれ持ったジェンダーがアイデンティティー・プロブレムの要因になったこともないのです。女性差別に憤ることはあり、日本の女性の扱いにイラッとしたことはありますけれど。

だから、思うのです。女性らしいといわれる装いと、女性であることは同じではないのだと。もっといえば、「自分であること」とその服装は、あまり関係ないのだと。ファッションに何よりも興味がある人にとっては、「自分であること」イコール「自分らしい装い」でしょうが、それは万人に言えることではないのだと思います。

Aさんは、いつも素敵な服を着ています。会う度にきっちりメークをしていますし、2週間に1度はネイルサロンにも通っています。きっと彼女は、その度に幸せを感じていると思います。私はそのことを祝福しますし、よかったなとも思います。でも、彼女が常に戦い続けているパニック症候群や、ホルモン療法の副作用と思われるさまざまな不調、そして、人生でこれ以上はないというほどの愛だった元奥さんとの破局を思うと、複雑な思いに囚われるのです。Aさんが女性となってからも数年間は一緒にいてくれた元奥さんは、結局は別れを決意しました。

Bさん、Cさんの場合も、恋愛対象が同性だと自認・カミングアウトしても、その後望んだ恋愛相手と出会うことは容易ではなかったようです。少なくともCさんには家計を共にするパートナーはいません。探す界隈が変わればチャンスは増えますが同性ならば誰でもいいわけではない。これは異性同士にも言えることです。私の世代は、経済的に自立している女性が多いせいか、独身を選んでいる人が多いので、Cさんたちのケースが特殊だといいたいわけではありません。つまり、女性だから好きな男性すべてに愛されるわけでもないし、レズビアン女性だから好きな女性につねに愛されるわけでもないということなのでしょう。男性も然り。

そういえば、私が書く小説の中にはゲイのカップル(既にハッピーな状態)はいますが、同性同士の恋愛模様はほぼ書きません。自分の周りの当事者の繊細な苦しみを考えてしまうので、なかなか手を出せないのです。なぜなら、今回私が考察しているように、その苦しみを私自身が理解しているとはお世辞にも言えない状態だからです。男女間の普通の「ぐるぐる」は、自分なりに咀嚼しているものなので見てきたように書いていますが。

Aさんの場合は、少なくとも男性であった頃の恋愛対象は女性で、愛する人と結婚することもできました。彼女を失うことを怖れて、カミングアウトがとても遅くなったとインタビュー本には書かれていました。Aさんは元奥さんだけでなく、ご両親やお兄さん、そして職場の同僚の理解も得て、女性として受け入れてもらいました。誰もがとても驚いたことと思いますが、それでも精一杯の誠実さと優しさで決断を認めてくれたことはAさんにとっては大きな支えだったと思います。

現在のAさんは、奥さんのいなくなった家にひとり住み、女性としての人生を歩んでいます。大きな苦しみと決断との後に、彼女が得たものと失ったものは大きく、そして、それはもう元に戻せるものではありません。堂々と女性として装い、女性として生きることを選んだ決断について、彼女がどう感じているのかわたしにはわかりません。彼女自身にそれがわかっているのかも、わからないのです。
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Comment

says...
LGBTQ、最近ではSOGIとも言われますが、これはいわゆる「個性」なんですよね。
精神的、肉体的なSOGIの不一致は、なんらかの方法で調整されるべきなのだろうと思います。トランスジェンダーも良いでしょうし、そのままで同じような相手とカップリングするのも良し。いずれにせよ、他人がとやかく言う事ではないですよね。

同様に、男性が女装をする(女性が男装するのは、なんの障害もないので)ことについても、それは「個性」であり自己主張のひとつなんですよね。仰るように、性と衣装は切り離してしまっていいと思います。そもそも、日本の袴はキュロットスカートだし着物はワンピースだし、スコットランドのキルトにエジプトのシェンティなどなど、昔は男子も堂々とスカート履いてたんですから。男性だって、女性のように多彩な服飾を楽しみたいという人は、少なくないのではないかと思います。そういった人が肩身の狭い思いをしなくていいように、HENTAI大国日本から、スカート男子をどんどん売り出せばいいんじゃないかなぁ。
2022.09.06 08:08 | URL | #V5TnqLKM [edit]
says...
こんばんは。

ものすごく繊細な問題であると同時に、最近は分類が細かくて、ますますわからなくなっている私です。

女性が男装すると(宝塚もそうですけれど)むしろ「カッコいい」と憧れの対象になったりするのとは逆に、男性が女性的な装いをすると嘲笑の的になったり嫌な顔をされたりする、そういう現実はあると思うんですよ。女装をする男性は、往々にして女性よりもきれいになさるものですけれど、その努力が報われないこともありますよね。氷川きよしくらいきれいに装えば賞賛のもとになりますけれど……。

誰だって好きで自分のSOGIに疑問を持ったりするわけじゃなくて、本人にしかわからない理由があるんですよね。
それは尊重すべきだと思うし、他人がどうこう言うのは絶対的に間違っていますよね。
その一方で、その変化に付随する多くの他の問題を目にすると、黙った現状維持をしている人たちの氣持ちもわかるんですよね。
全く簡単な問題ではないんですよね。

実をいうと、オスよりもメスが派手なのってヒトだけなんですよね。普通はオスの方がきれいにカラフルに装うんだから、そういう文化があってもいいのになあと思います。

スコットランドのキルトもそうですけれど、スイスのアッペンツェルの男性も片耳にスプーンのピアスをするなど、服装も装身具も「男のもの」「女のもの」とはっきり分けずに着用していいと思うんですけれどねぇ。

日本のHENTAIのすべては広まらなくてもいいですけれど、「男の娘」や女装バーみたいな文化はそうした秘密を持って苦しんでいる人たちに広がってもいいですよね。もっと軽く楽しんでもいいんだって。

コメントありがとうございました。
2022.09.06 19:14 | URL | #9yMhI49k [edit]
says...
色々と難しいのが現状としてはありますよね。
この辺の苦しみというのは本人しか分からないことですからね。

あれ?私が看護師っていうのは言ったかな。。。
まあ、医療従事者の看護師で、看護専門学校に通っていたのですが。
クラスに一人は必ずいるのが実情でしたね。
っていうか、男性の性的マイノリティの方が多かったか。
まだ、私の時は看護師は女性の方が圧倒的に多かったですからね。
(今でもそうですけど)


私のクラスの、その方も色々大変だっただろうな、って感じはします。
話を聞いていると、高校生まではクラスでのけ者にされて、
登校も最低限にしていたって話を聞きましたけど、
看護専門学校では、女子とキャピキャピ楽しそうに話もしていましたし、
とても充実した生活を送っていたような感じがします。

医療従事者っていうのは、特に看護師っていうのは。
まあ、性別なんて関係なくて、ちゃんと仕事をやってくれれば、
それでいいって感じな社会なのでジェンダーに関しては寛容ですかね。
(代わりに仕事が出来なかったら、村八分にされるけど。。。)


ただ、ハード面がどうしようもなくて。。。
トイレ問題、更衣室問題、どっちも行けない問題は常にあって。
不自由な思いをさせた看護学生時代だっただろうな
ってところは今でも心に残っております。

2022.09.10 05:13 | URL | #- [edit]
says...
う~ん。当事者じゃない私などは、そんなこと(あなたがLGBTQであろうとなかろうと)気にしないよ、って言えるけれど、やっぱり当事者の身になるとね……。怪我したときに松葉杖生活だったことがあって、ほんのちょっとの段差がこんなにしんどいのか~と思ったことがありましたが、普段気にならないことが、当事者になると「むり」「できない」ってことがいっぱいあったなぁと思い出しました。怪我は一時的なものだけれど、一生涯続くとなると、その人の気持ちってどんなのかって、ほんとに分からないですよね。
私の周囲にはご存じのように赤ちゃんの時から障害を持って生まれてきて、成長していく子供達がたくさんいるのですけれど、赤ちゃんの時から生死の分かれ道にいる子供や家族というのは、ほんとにどんな気持ちだろうと、子供達が複雑な思春期や成人期を迎えるたびに思います。たぶん、分かりたくても分からないだろうなぁと思う。分かりすぎたらできないことってあるような気もするし。自分がある程度の歳になって人生を逆算し始めてから、なんとなく少しこういうことかって分かったこともあるけれど、それも彼らの人生とはやっぱり違うものだし。
って、ちょっと話がずれちゃいました。
現実的に頭で分かるって思っても、そのことに対応する側にもいろんな人がいて、嫌悪を感じる人だっているだろうから、安心して良いよって言ってあげられませんよね。1対1であれば、その個人がどういう人であるかってことがとても大事なんだけれど、社会の中、団体と団体(国と国)となると、それを受け入れいるのが難しくなっちゃうんですよね。1対1なら、この人とはつきあえないっていうのは男女関係ないし、恋愛じゃない好意を抱くのも性別とは別のことなんだけれど。
2022.09.10 15:56 | URL | #nLQskDKw [edit]
says...
こんばんは。

あ、そうなんですね。医療のお仕事だとは存じていましたけれど……。
そして、ある程度の人数のいるクラスには、そういう方がいても不思議はないですよね。
周りの受け入れ方によっても、ご本人の自己肯定感やつらさも大きく変わってくる、その点はとても強く感じます。

確かにハード面はキツいでしょうね。
自分が行きたい方に行けば犯罪者扱いされることもあるでしょうし、期待されている方に行くと今度は自分がつらい。
最近は多目的トイレなどニュートラルな空間も増えてきたのかもしれませんが、日本の都市部では空間あたりの地代がとても高いので、まだまだ例外でしょうしね。

いずれにしてもそうした方たちにも居心地のいい場所が見つかることを祈るのみです。

コメントありがとうございました。

>



>
> ただ、ハード面がどうしようもなくて。。。
> トイレ問題、更衣室問題、どっちも行けない問題は常にあって。
> 不自由な思いをさせた看護学生時代だっただろうな
> ってところは今でも心に残っております。
2022.09.10 21:24 | URL | #9yMhI49k [edit]
says...
こんばんは。

そうなんですよね。
自分が躓くようになると、ようやく「こんなに大変だったのか」ってことはたくさんあると思うんですよ。性自認の問題だけじゃなくって。
でも、この問題に関していえば、同じ立場になって感じてあげられることはない……んですよね。だって私自身は全く疑問に思わないのだから。

そして、おっしゃるように、あまり氣を遣いすぎて、それがこちらとしては思いやっているつもりでも、相手にとっては「いちいちそのことを思い出させられるのはつらい」って方もいるので難しいんですよ。

で、また性自認と恋愛対象の話が、まったく違うことなのに、ゴチャゴチャになって語られるのでよけいわかりにくくなっているんですよね。あと、性癖と恋愛対象というのも、本当は分けて考えなくちゃいけないんだけれど、一方で分けると話が進まなくなるということもあります。それに宗教が絡むとさらに話がややこしくなって……。やめましょう。

いずれにしても、単純に「こうあるべき」と断言できるような問題ではないし、誰かの心のあり方や生き方を私に決める権利はカケラもないってことですよね。

コメントありがとうございました。

2022.09.10 21:58 | URL | #9yMhI49k [edit]

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