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scribo ergo sum もの書き・八少女 夕のブログ Since March 2012


Posted by 八少女 夕

【小説】君を呼んでいる

今日の小説は『12か月の楽器』の10月分です。このシリーズでは、楽器をテーマに小さなストーリーを散りばめています。

今回の選んだのは、南米アンデス地方周辺で使われる弦楽器チャランゴです。最初、ケーナにしようかとも思ったのですけれど、舞台をボリビアにしたこと、それから使った曲のイメージからチャランゴの方が自然に感じたので、あえてこの小さな弦楽器にしました。

このストーリーの主題は、私がアンデスの人びとに感じるある種の「愁い」で、普段はペルーのフォルクローレなどによく感じるのですけれど、今回はあえてボリビアのポップス『Niña Camba(カンバの娘)』にスポットを当てて組み立てました。舞台に選んだのはチチカカ湖最大の島『太陽の島』です。


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君を呼んでいる

 アベルは、湖を見渡す段々畑の一角に座り、チャランゴを構えた。ギターと同じ祖先を持つであろう小さな弦楽器は、現代のギターよりはるかに小さく、南米アンデス地方の民族音楽に使われる。

 ペルーとボリビアにまたがる湖チチカカ湖は、標高3810メートルという高地に存在する巨大湖というだけでなく、300万年以上前から存在する古代湖だ。このユニークな湖は、かのインカ帝国発祥地の伝説も持つが、おそらくそれ以前から聖地として地元の人の信仰対象となってきたと考えられている。

 湖面にはトトラ葦の束を紐で縛って作ったバルサ舟が、観光客たちを乗せて滑っていく。古代から使われている伝統的な舟だが、初めて聞いた者は乗るのに若干躊躇するかもしれない。だが、同じトトラ葦で作った浮島にホテルが建ち人びとが暮らしているという情報を聞いた後は、たいてい安心して乗り込む。

 アベルの住むこの島は、トトラによる浮島ではない。チチカカ湖最大の島である『太陽の島』だ。印象的な藍色の湖のほぼ中央にある。島の東側には港があり、カラフルな家屋と段々畑、そして、インカ時代の80近くの遺跡が残されている。

 チャランゴの響きは、すぐ近くのオープンテラス・レストランに届き、観光客が首を伸ばして奏者を探している。アベルは、忙しく皿を運んでいるメルバも、この曲を耳にしたのだろうかと考えた。

 それがどうしたというのだ。『カンバの娘』は、ボリビアの国民的フォルクローレだ。ありとあらゆるアーティストがこの曲を表現してきた。

Camba, yo sé que te llevo dentro
Porque mi canto y mis versos
Siempre te quieren nombrar
Niña, me llevo todos mis sueños
Me voy esta noche lejos
Donde te pueda olvidar

カンバのお嬢さん、君を心に閉じ込め運んでる
僕の歌と詩はいつだって君の名を呼んでいるのだから
お嬢さん、すべての夢を連れて
今夜、遠くへ行こう
どこか君を忘れられる場所へ
(César Espada『Niña Camba』 より 八少女 夕意訳)


 『カンバ』は、アンデス高地に住む人びとを意味する『コージャ』に対して、低地に住む人びとを指す言葉だ。

 典型的なコージャであるアベルとメルバは、一刻も早く所帯を持つよう周囲に期待されている。メルバは、真面目で働き者のいい娘だ。両親共に子供の頃からお互いによく知っている。鮮やかな民族衣装を纏い、仕事の後は家事手伝いだけでなく、現金収入のために刺繍や織物を作る。お互いの両親が持つ段々畑は、古代からの石垣に区切られて千年以上も変わらずに存在している。簡単には壊れない石垣は、この島の静かな堅牢さを象徴するかのようだ。

 カンバの娘は、この土地で勤勉に働くことなどできはしない。彼らが怠惰だから(そうだと言い張る人もいるけれど)ではなくて、彼らは高地の暮らしには向かないのだ。

「きれいな湖ね」
緑の瞳を輝かせて、彼女はそう言った。フクシア色の都会的なワンピースを翻してチチカカ湖を振り返った。アベルは彼女が眩しかった。黒いピンヒールも、役に立たなそうに小さなハンドバッグも、彼の見慣れた島の人びと、よく来る観光客たちとも全く違って見えた。港に高そうなプライヴェートボートを乗り付けたのは、白いシャツ、白いパンツ、そして白い靴を履いたいけ好かない男で、馴れ馴れしく彼女の腰に手を回して何かを囁いていた。

 彼女は、ひらりと身を躱し、秘密めいた笑みを見せてアベルに話しかけた。
「高台になっているレストランというのは近いの?」

 それ以上の会話を交わしたわけではない。彼女は、白尽くめの男とメルバが給仕するレストランへ行った。2人が考えるレストランとは全く違ったようで、特に男の方が「キオスクかよ」と馬鹿にした発言をしたが、彼女のハイヒールで他のレストランまで行くのは無理と思ったのかとりあえずそこで食べたあげくチップも置かずに帰ったという。

 もう1か月前のことだが、アベルの脳裏からはあの緑色の瞳が消えない。

 チャランゴをかき鳴らすことが多くなった。他の曲を弾くこともあるが、氣がつくと『カンバの娘』の旋律に変わっていることが多い。農作業の合間のわずかな自由時間に何を弾こうが勝手だ。そして、それをメルバが耳にしていようがいまいが……。

 輝く湖水が遮られたので顔を上げた。薄紫のスカートを着ているのは、予想通りメルバだった。黒目がちの瞳は、特に何もなくても常に悲しげだ。

「なんだ。今日の仕事は終わったのか」
アベルは、訊いた。

「ええ」
短く答えてから、メルバはもの言いたげに口を開いてはやめた。アベルは、若干イヤな心持ちになって、チャランゴをかき鳴らした。メルバは、結局何も言わなかった。

「メルバ。送っていくよ」
「どうして? あなたはまだ仕事中なんでしょう?」
「君の父さんに、高枝ハサミを貸してもらう約束なんだ」
「そう」

 コムニダー・ユマニの村は、山へとひたすら登っていく石畳の道に沿って存在している。アベルはおそらく植民地時代とほとんど変わらない服装をしたメルバと共にやはりその時代と変わらぬ石畳を登っていった。

赤茶色の壁、乾いた道、赤道直下の太陽は照りつけるが、風は冷たい。村から眺める段々畑とチチカカ湖は広大で、揺るぎない。インカ帝国が興り、栄え、滅亡していった時間すらも変わらずにここに存在した光景だ。

 人びとの服装はかつて盟主国に強制されてスペイン風のものになっても、飾りとして身につける民俗模様の織物、ベルトなどの小物に先祖たちの伝統が残る。

 『太陽の島』はインカ帝国以前よりケチュア族ならびにアイマラ族の聖地だった。段々畑では通常この高度では到底栽培できないジャガイモやキヌア、トウモロコシが栽培可能だ。アルパカ、牛や豚、クイ(テンジクネズミの一種)も飼育されている。

 「Ama Sua(盗むな)、Ama Llulla(嘘をつくな)、Ama Quella(怠けるな)」古来の戒めを守り、精を出して働く『コージャ』の民は、観光客たちが日帰りで立ち寄り、戯れに土産物を買い、また去って行く繰り返しを横目で眺めながら、数千年変わらぬ営みを続ける。

 観光客が急いで選びやすいように、メルバやアベルたちが、仕事の合間に伝統色の濃い土産物を作成する。アルパカの毛織物やインカ柄の刺繍を施した雑貨、トトラ葦で小さなバルサ舟の模型も作る。

 メルバは、自宅の扉を開けて「お父さん、いる?」と声をかけた。

「ああ。いるぞ」
「アベルが来たわ」
「ああ。いま行く。待っててもらってくれ」

 暗い室内に目が慣れてきた。メルバは、アベルに座るように言い、台所の方へと消えた。アベルは、見るともなしに、織機にかかっている織りかけの布を見た。それから、ふと記憶をたぐり寄せた。以前、メルバが織っていたショールや、テーブルセンターなどと色合いが全く違う。

 伝統的な織物はみなカラフルだ。赤、青、黄色、緑、紫、白、オレンジ、フクシア。それらの色を縞や模様にして鮮やかに織り上げる。そのカラフルさが当然となっているので、シンプルな色の組み合わせにむしろ目がいくほどだ。

 メルバはかつて、ごく普通の鮮やかな色合いで織っていた。この家に来る度に、見慣れた色合いの布が常に織機にかかっていた。

 いま目にしているのは、紫と黄色と白。向こうに積まれている布は青と白と赤。その色合いがおかしいわけではない。その組み合わせを見たことがないわけでもない。だが、メルバの心境の変化が氣になる。何かが……。
 
 そして、氣がついた。緑とフクシアを避けているのだと。あのカンバの女を思いだすとき、彼はフクシア色のワンピースとあの印象的な緑の瞳を脳裏に描いている。そして、メルバが打ち消そうとしているのも、同じあの姿なのではないのかと。それとも、これは、カンバの娘に捉えられている僕の考えすぎなのか。そして、あの女にメルバが嫉妬を燃やしていると思いたがる僕の自意識過剰なのか……。

 メルバがチチャモラーダを運んできた。トウモロコシ発酵飲料だが、ごく普通のチチャのようにアルコール分がない。おそらくこれから仕事に戻ると言ったからわざわざこれにしたのだろう。アベルは、グラスを受け取り、ほんのわずかを大地の女神に捧げるためにこぼしてから飲んだ。
「ありがとう。これ、織りだしたばかりか?」

 できるだけ、さりげなく訊いたつもりだが、声に緊張が走っているのを上手く隠せなかった。メルバは、とくに氣にした様子もないように「ええ」とだけ言った。

「そうか。前に織っていたのと、色合いが変わったなと思って……」
なんのためにこんなことを言っているんだ、僕は。メルバは、そっと織機に触れて答えた。
「そうね。あなたが、そんなことに氣がつくとは思ってもいなかったわ」

 メルバのお下げ髪が揺れているように感じた。

 すぐに、メルバの父親が入ってきて、高枝ハサミを見せた。
「やあ、アベル。これでいいのかな」

 アンデス高原アルティプラーノは4000m近い高山なので、大きな木はほとんどない。高枝を切る必要があることは稀だ。メルバの父親もめったに使わないので探すのに手間取ったのであろう。
「ありがとうございます。明日にはお返しできると思います」

「急がなくていいさ。次に必要になる時なんて、思い浮かばないしな。それより、コイツの方は、どうだ。あまり待たせると、織りまくる嫁入り道具で我が家が埋まっちまうんだが」
そう言って、明らかに前回来たときよりも増えている布の山を見せた。

 アベルが、答えに詰まっているのを見て、メルバがイヤな顔をして答えた。
「お父さん、やめてよ。嫁入り道具にしようと織っているんじゃないわ。アベルだって土産物屋に売っているの知っているでしょう」

 アベルは、急いで立ち上がると、高枝バサミを持って戸口に向かった。それから取って付けたように、もう1つの手に持っているチャランゴを見せながら、メルバとその父親に言った。
「遠からず、まともなセレナーデでも、練習してきます」

 父親は、満足そうに笑った。メルバは、愁いを含んだ黒い瞳をそらし、なにも言わなかった。

 アベルは、1人でもと来た道を畑に戻りながら、ため息をついた。アベルは、この島で数千年前の祖先たちと同じように生きていく。そうでない人たちと人生が絡み合うことはない。黒いハイヒールとフクシア色のワンピースを身につけた緑の瞳の娘も、プライヴェートボートを所有する白尽くめの男も、生涯にたった1度面白半分に訪れて、そして、青い湖面と遠い雪山に感嘆し、それから都会生活の面白さに戻りここを忘れていくだけだ。

 アベルにもわかっている。あの緑の瞳が自分に向けられることはないことを。あの娘を想うことが何ひとつ生み出さないことを。それでも、チャランゴが奏でるのは同じメロディーで、アベルが彷徨うのは同じ幻影だ。忘れようとすれば、より想うことになる。湖に沈めようとすれば、犠牲になるのはあの娘のではなく、自らの心臓だ。

 段々畑とチチカカ湖は広大で、揺るぎない。古代から変わらずに存在する奇跡の湖は、アベルの迷いやメルバの愁いを氣にも留めぬように、冷たく穏やかに広がっていた。

(初出:2022年10月 書き下ろし)

追記




Niña Camba - AnnaLu & Shavez

(チャランゴのバージョンも貼り付けておきます)

Niña camba (Taquirari)
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Tag : 小説 読み切り小説

Comment

says...
執筆、おつかれさまでした。

アベルが『彼女』に心を奪われていることは、メルバはお見通し、という感じですね。そして、それにもかかわらず、周囲に勧められるままに自分と結婚しようとしていることも。
メルバが織物から特定の色を抜くのは、そんなアベルへの無言の抗議なのか、それともやはり『彼女』のイメージを打ち消したいのか。
結局、アベルとメルバはいずれ結婚して、多くの先祖たちがそうしてきたように、この地で暮らしこの地で人生を終えるのでしょうね。そしてチチカカ湖は、そんな人の営みなど、さざ波にもならないくらいに平然と存在し続ける。眩い「太陽の島」の、哀愁というか翳りというか、そういうものを感じる一篇でした。
2022.10.05 09:40 | URL | #V5TnqLKM [edit]
says...
こんばんは。

メルバは、よーくわかっている感じですよね。
何も言わないので、彼女が何を思っているのかは謎のままです。
織物にフクシア色を避けているのは、なぜなんでしょうね。メルバもまた、何らかの想いに悩まされているのは間違いないようです。

チチカカ湖は本当にすごい湖らしいのです。もともと湖ってこんなに長く存在しないものらしいんですが、古代からそのまま存在していること。
それに、あの高度だと本当はとっくに凍ってしまうらしいのですが絶妙な深さのおかげで存在し続けているらしいのです。
その辺が奇跡の湖みたいなんですね。で、富士山のてっぺんより上にあるので、赤道直下とはいえ常に冷たい感じらしいです。
そういう特別な湖で、日々やってくる観光客を横目で見ながら、日々を生きていくしかない人びとたちの、なんとも言えない愁いを書いてみました。

チチカカ湖、1度いってみたいです。

コメントありがとうございました。
2022.10.05 22:43 | URL | #9yMhI49k [edit]
says...
凄く牧歌的な文章ですよね。
こういう流れるような小説を書けれるのは凄いですよね。

やっぱり観光で食べている街というのは色々と大変だなあ。
・・・ということを感じますね。
日本で典型的なところと言えば、京都、ということになるんでしょうけど。
「日本らしさ」というのを演じなければいけない住民がいるわけであって。
観光で食べていくというのも大変だと感じるものでした。
読ませて頂きありがとうございます。
2022.10.06 12:14 | URL | #- [edit]
says...
こちらにもありがとうございます。
お褒めに与り嬉しいです。

そうですね。観光客を相手にしている土地で、入れ代わり立ち代わりやってくる彼らを横目で見ながら、変わらぬ日々を送り続けるというのは、彼らにとっては日常なんでしょうけれど、大変なことも多いと思います。
都会に住んでいるのと違って、自分たちには代わり映えのする楽しみというのもそんなにはないでしょうし。

京都などの古都もそうですし、観光をメインの産業にしている離島などもそうでしょうし、観光客にしてみれば一生に1度の珍しい経験でも、彼らにとっては毎日同じことの繰り返しですしね。同じ説明に飽きることもあるでしょうし、また、腹の立つようなこともあるでしょうね。でも、それで生活しているということもあってなかなか大変だと思います。

コメントありがとうございました。
2022.10.06 22:47 | URL | #9yMhI49k [edit]
says...
ううむ・・・一発逆転を狙う刺激的な人生か、ありのまま自然に(無難に?)流れてゆく人生か、どっちが幸せなんだろう?・・・と考えました。サキならば自然に後者を選択するんだろうなぁ。
アベルも結果的に後者を選びそうな雰囲気なんだけど、そのうちにフクシア色のワンピースも印象的な緑も忘れていくのでしょう。
それでもいいんじゃないかなぁ。
チャランゴ、この物語のテーマにピッタリの哀愁ある音色でした。こんな可愛らしいボディーなのに素敵な音が出ますね。これこそ自分へのお土産になると思いませんか?それなりに高価でしょうし他人にはあげません。上手く演奏できるかどうかは別として。

ところで琵琶湖も古代湖だという事はご存じでしたか?
Wikipediaによると、この湖は約440万年前に形成された古代湖であり、40-100万年ほど前に現在の位置に移動してきた・・・だそうです。
2022.10.10 11:08 | URL | #0t8Ai07g [edit]
says...
こんばんは。

アベルには選択の余地があるってわけでもないですしね。
アイドルに憧れるのと変わらぬレベルの話ですし。

チャランゴ、南米の音楽ではよく耳にする音色なんですよね。
私はペルーが好きで、よくペルーやケチュア族、そして伝統的な音色を題材にした話を夢想するんですが、今回は意識的にボリビア、アイマラ族、そして、ポップスと融合した音楽を持ってきました。
チャランゴを自分へのお土産にというのは、なかなかいいアイデアだとは思いますが、弾くのはなかなか大変そうです。
チューンが一般的なギターとは違いますし、習える機会も限られそう。ただのオブジェになっちゃったりして。

古代湖は本当に数も限られているらしいのですけれど、琵琶湖もカスピ海もそうなんですよね。
ちょっと眉唾の界隈の話で「日本雛形論」というのがあるんですけれど、日本の地形と世界の地図に共通したところがあって、それでいうと琵琶湖はカスピ海に対応するんですって。そのどちらもが古代湖というのは面白いですね!

チチカカ湖は、本当に奇跡のような湖らしく、凍りもせずなくなりもせず現在も存在し続けているのが不思議な存在なんですって。
1000年以上前のインカ以前の遺跡と段々畑もそのままあって、そこで生き続ける人びとの姿が、なんでもすぐに変わってしまう私たちの住む場所と対照的だなあと思いながら書きました。

コメントありがとうございました。
2022.10.10 22:32 | URL | #9yMhI49k [edit]

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