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scribo ergo sum もの書き・八少女 夕のブログ Since March 2012


Posted by 八少女 夕

【小説】大道芸人たち (18)東京、到着 - 1 -

お待たせしました(「待ってない」と突っ込まれそうですが)。チャプター3、日本編でございます。私たち日本人にとっての日本旅行と、ガイジン連れの日本旅行は微妙に違います。このチャプターを書けたのは、やはり自分の体験があったからでしょうね。今回も長いので、今日と明日の二回に分けてのアップです。

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大道芸人たち Artistas callejeros
(18)東京、到着 - 1 -


「え。パゴダとか見えないんだ」
レネの成田空港への感想に稔は白い目を向けた。
「見えるわけないだろ」

 蝶子は相手にすらしなかった。
「いいから、ガイジンはあっちに並んで。私たちはこっちだから」

「ガイジンってなんだ?」
ヴィルが訊いた。

「外国人ってことだよ。ほんの少し侮った感じだけど、よく言われると思うから覚悟しとけ」
稔が言った。二人は肩をすくめて大人しく外国人の入国審査の列に並んだ。

 あっという間に入国審査の終わった稔と蝶子は荷物が来るのを待っていた。後からやってきたヴィルとレネは少し憤慨していた。
「指紋を採られて、目の写真も撮られた」
「そんな審査があるなんて聞いていなかったですよ」

 蝶子と稔は外国人審査にそんなものがある事を知らなかったし、だいたいそれが憤慨する事とは思えなかったので、顔を見合わせた。
「イヤなの?」
「まるで犯罪者扱いじゃないですか」

「何もしなければ、問題ないわよ」
蝶子はあっさりと流した。二人ともまだぶつぶつ言っていたが、日本人二人は聞いていなかった。

「とりあえず真耶に連絡してみましょう。いつなら会いにいってもいいか」
「そうだな。そっちはまかせる」

「ヤスはすぐにお家に戻るの? 連絡先を真耶の所にしておけばいいわよね」
「まず、園城の都合を聞いて、それから決めるよ。正直いってどの面さげて帰っていのか、先に電話すべきか、まだ決心ついていないんだ。お蝶、お前は実家には帰らないのか?」
「帰らないわ」

 荷物の引き取りを頼んで、蝶子は公衆電話に歩み寄った。
「蝶子なの? どこからかけているの?」
「今、成田空港に着いたの。一ヶ月滞在するんだけれど、いつなら会える?それにあわせて予定立てるから」
「何言っているのよ。今夜はどこに泊まる予定なの? 決まっていないなら、今すぐここに来なさいよ。東京にいる時はずっとうちに泊まって」
「だって、私一人じゃないし……」
「だから四人まとめてくればいいでしょ。そのくらいの空間はうちにあるわよ」

 蝶子は、手招きをして荷物を持った三人を呼んだ。
「真耶が泊めてくれるって言っているんだけど、反対はいる?」
もちろんいなかった。

「じゃ、お言葉に甘える事にするわ。リムジンバスで行くとしたらどこが一番近い?」
「赤坂のニューオータニにしてそこから電話をちょうだい。車で迎えに行くから」

「赤坂のニューオータニの近く……」
稔の目が宙を泳いだ。レネが訊いた。
「何か問題でも?」
「とんでもない高級住宅地ってことだよ。めったに泊まれるような所じゃないぜ」


「おい。新東京空港って言わなかったか?」
ヴィルが訊いた。バスに乗ってから一時間以上が経っていた。

「成田か? そうだけど」
稔は、絶対文句言うと思っていた、と腹の内でぼやきながら答えた。

「まだ着かないのか?」
「成田は、実は東京じゃないのよ。まだしばらくは着かないわよ。だから寝ればよかったのに、ブラン・ベックみたいに。ジェットラグは大丈夫なの?」
「飛行機で寝れたのか?」

蝶子と稔の二人に心配されて、ヴィルは首を傾げた。
「少しはな。何が問題なんだ?」

「八時間の時差を克服するには初日が一番大切なの。今から、夜になるまでもう寝ちゃダメよ。午後あたりにすごく眠くなると思うけど」
「そうしないと?」
「時差ぼけが悪化するんだ。昼間に眠くて、夜は眠れない日々が続くんだよ」

 蝶子も稔も日本に帰るのは久しぶりだった。周りの光景に興奮しているのがわかる。

 ヴィルはどこまでも途切れなく続くビルと家とを眺めていた。まったくわからない言葉の並んだ看板。ふと、未だに持っている葉書の事を考えた。今から会いに行こうとしている園城真耶から蝶子にあてた葉書。Artistas callejerosに加わる事にしたのは、あの葉書で蝶子の名前を知ったからだった。家を出る奇しくもその日に届いた葉書。この文字のように不可解な運命。夜は眠れない日々が続く。それはヨーロッパにいても同じだ。ヴィルは自嘲した。


「起きろ、ブラン・ベック。着いたぞ」
稔に叩き起こされて、寝ぼけたレネは間違ってメガネの上から目をこすった。

「やだ。もう真耶がいるじゃない!」
蝶子の言葉にレネは仰天して飛び上がった。噂のマドモワゼル・マヤにみっともない顔は見せられない。

 真耶はあまりに想像通りな四人組に微笑んだ。蝶子は腰まであった髪がセミロングになった以外は、ザルツブルグで会った時からほとんど変わっていなかった。稔は大学時代からは髪型も服装もかなり変わっていたが、朗らかで楽天的な様子は昔のままだった。その横に、蝶子曰くブラン・ベックのそわそわした手足のひょろ長いフランス人と、無表情で必要もなく身構えて見える金髪のドイツ人。

 四人は大道芸人のようには見えなかった。唯一それらしいといえば、荷物がやけに少ない事だった。これは彼らの旅支度ではなく、全財産なのだ。人間はこれだけの物があれば生きていけるのだ。一年間も。そう思うと自分がどれだけたくさんの物を所有しているのかと、真耶は思う。

「ごめんね、真耶。突然こんなに大勢で押し掛ける事になっちゃって。お父様たち怒っていない?」
「今、アメリカだから。二週間したら帰ってくるからそのときに引き合わせるわよ。ねぇ。あなたたちはね。この一年間、私を疑問の固まりにしたのよ。話を聞きたくて手ぐすね引いて待っていたの。一日程度のおざなりな訪問で済まされてなるものですか」

 運転席の真耶と助手席の蝶子が話しているのを、稔は小さな声で二人に通訳してやった。
「あら、ごめんなさい。英語で話せば全員に通じるのね?」
「そうなんだ。俺たちの公用語は一応英語になっている」

「じゃあ、私も英語で話すわね。今日は来れないけれど、拓人にも言っておく」
「真耶、あなた今でも結城さんにべったりなの?」
「なによ、その言い方。私たちは親戚だし、いい音楽のパートナーなの。彼、いい音を出すようになったの。びっくりするわよ」

「楽しみだわ」
蝶子は窓の外のビル街を見ながら言った。赤坂の風景を見ながら、真耶と結城拓人の話をするなんて、夢にも思わなかったわね。自分の国にいるのに夢の中にいるみたいだわ。

 蝶子と真耶、そして稔は同じ音大のソルフェージュのクラスメイトだった。ヴィオラ専攻だった真耶は卒業後日本でデビューし、海外でも様々な賞を受賞して華々しい活躍をしていた。

 真耶のはとこにあたる結城拓人は同じ音大の一年上級生で、最年少でショパンコンクールで優勝したかつての天才少年として有名なピアニストだった。音大ではプレイボーイとしても有名だったが、真耶にだけは頭が上がらなかったのを稔も蝶子もよく憶えていた。二人とも著名な音楽家一族の出で、裕福な上、デビューの機会にも恵まれていた。

 音大に進むことも許されず、苦学をした蝶子は高い授業料とレッスン代を捻出するためにアルバイトに明け暮れていたので、真耶や拓人と親交を深めるような機会はなかった。それにも関わらず、真耶と蝶子はお互いを認め合っていたし、ザルツブルグで再会した後に奇妙な成り行きで蝶子が真耶に返信不可能な葉書を送りつけるようになり、不思議な友情が育ったのだった。

「ねえ、真耶。あなたヤスを憶えていた?」
蝶子はずっと抱えていた疑問をぶつけてみた。

「安田くん? もちろんよ。ウルトラ優秀だったじゃない。最初の試験で、邦楽科なのにトップをとられたんで、ものすごく悔しかったの。次の時に一位を奪回するのに必死になったのよ」
「園城が必死になるなんてこともあるんだな。なにもかも余裕でやっているのかと思っていた」
稔は笑った。

「それで? どういうことなのか、説明して頂戴。なぜ蝶子と安田くんが一緒に旅をしているわけ? エッシェンドルフ教授との結婚はどうなったのよ」
「ストップ。そんな話、車でなんか出来ないわ。その話が聞きたいならまず酒屋に行かなくちゃ」
「なぜ?」
「酔っぱらわないと話せないもの。で、このメンバーが酔っぱらうとなると……。真耶のお父様の高級ワイン、みんな空にするわけにいかないでしょ?」


 だが夕食が終わると、稔とレネは音を上げて速攻で寝室に行ってしまった。居間で赤ワインを傾けているのは蝶子と真耶とヴィルだけだった。

「ねえ、蝶子。今度こそはぐらかさないで話してよ」
「ちょっと待って。テデスコ、あなたまだ寝ないの」
「ここの美味い白ワインを飲み過ぎたから眠れない。俺に聴かれたくないなら日本語で話せ」
「そんな事はしないわ。ねえ、真耶。私たちにはルールがあるの。お互いのわからない言葉では話をしない。訊かれた事には絶対に嘘を言わない。話したくない事には答えないけれどそのことを突っ込んだりしない。わかる?」

 蝶子のドイツ語に、真耶もドイツ語で答えた。
「わかったわ。ヴィルさんの前で話せる範囲でいいから説明して頂戴」

 蝶子は少し黙っていたが、やがてヴィルにピアノを示して言った。
「聴いていていいから、そのかわり何か自己憐憫に浸れるようなロマンチックな曲を弾いてよ」

 真耶は、ヴィルがピアノを弾けるとは聞いていなかったので少し驚いた。ヴィルは黙ってピアノの前に座ると、邪魔にならないような音量でフォーレの『ノクターン 第四番』を弾き出した。真耶は目を丸くした。何よ、私や蝶子よりずっと上手じゃない。全然聞いていなかったわ。

 蝶子は真耶の表情を見て口の端で笑った。それからワイングラスに映った自分を睨みつけて、吐き出すように言った。
「私ね、ずっと教授から自由になりたかったの。本当は婚約なんかしたくなかった。それどころか、師弟の壁を越えた関係にもなりたくなかった。でも、それがずっと言えなかったの。言ったら、もうフルートが続けられなくなる、そう思っていたから。ものすごい支配だったわ。フルートの教えも、生活の全ても、それに体も。息が出来ないほどに、反発など考えられないほどに」

 真耶は口を挟む事も出来ないで蝶子を見つめていた。エッシェンドルフ教授のことは、拓人から聞いた事がある。めったに女の弟子はとらないが、目に叶った女の弟子には、必ずといっていいほど手を出す。そして、いつもの遊びのつもりだった教授が、蝶子には本氣になってしまった。名声、実力を持つ絶対権力者に絡めとられていく蝶子の恐怖が伝わってきた。
 
「ねえ、真耶。私はずっとしかたのない事だと思っていたの。フルートを吹き続けるためには、自分の納得のいく音楽を続けていくためには、他に道はないんだって。それでも構わないはずだって。私には帰る所も待ってくれる人もないから。あなたにザルツブルグで会った時にも、そう思って諦めていたの」
「でも、逃げる事にしたのね」

「ええ。ミュンヘンに戻ったらね、ある女性が亡くなっていた。三十年以上、教授のことを待っていらした方が。それで、私は我に返ったの。ここにはいられないって。はっきりわかったんだもの。私は一度だって教授を愛した事がなかった。それどころかいつも憎んでいたんだって。それでどうして結婚できる? どこに行こうとか、これから何をしようとか何も考えなかった。ただ、教授から逃れたかった」

 ヴィルは黙って弾き続けた。蝶子の横顔が東京の独特の青白い街頭に浮かび上がっている。蝶子は真耶に話しているようで、ヴィルに語っているのだった。バイエルンなまりのドイツ語で。ヴィルは蝶子が語っている恐るべき支配を誰よりもよく知っている。二人は同じ男から同じ理由で逃げ出してきたのだ。

「コルシカ島で二週間くらいぼうっとしていたの。あそこから逃げ出した時点で、私のキャリアは終わってしまった。どこにも行くところがなかった。これからどうすればいいのかもわからなかった。フルートを吹く以外の人生なんか考えた事もなかった。でも、実家には帰れなかった。私にはまだ馬鹿げたプライドが残っていたから。リボルノに向かうフェリーの中で、氣がついたら泣きながらフルートを吹いていた。そうしたら、たまたまそこにいたヤスが私を見つけたのよ。彼は当時からもう立派な大道芸人だった。それで仲間にしてって頼んだの」

 蝶子は箱を開けてフルートを取り出した。それからヴィルに伴奏を頼んで、フォーレの『シシリエンヌ』を吹いた。コルシカフェリーで吹いた曲だ。あの時は苦しくてしかたなかったのに、今はこれほどに穏やかな心で吹く事が出来る。これから行くところはわからない。どうなっていくのかもわからない。でも、私には帰る場所と思える仲間がいる。何があろうと、観客や喝采などなくとも、フルートを吹き続ける。

 真耶には蝶子の決断を完全に理解する事は出来なかった。真耶にとって音楽は町中の路上で小銭を稼ぐためのものではなかった。もっと神聖な存在だった。けれど、同じ至高の存在を目指したはずなのに、恩師に望まぬ未来を強制された蝶子の苦しみはわかった。

 真耶は自分が恵まれた環境にいる事をよくわかっていた。現在の自分のキャリアはその環境なしには実現し得なかった事も知っていた。蝶子は両親に受験も留学も許してもらえなかった。必死で音楽のために闘うしかなかった。その血のにじむ努力と不屈の意志が実を結び、今の蝶子は音楽の神の恩寵を身につけている。この演奏を聴けばわかる。それでも、彼女は、そしてこの謎のドイツ人は、彼らにふさわしい立派なコンサートホールではなく、街から街へと流れながら自由を謳歌して生きる事の方を望んでいる。

 音楽の神に仕える方法はたった一つではないのだ。真耶がこの二人の演奏からおぼろげに理解できるのはそれだけだった。
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Tag : 小説 連載小説

Comment

says...
お邪魔しています、TOM-Fです。
日本編、お待ちしておりました。

成田って、都心から遠いですからねぇ。
京成の新線が開通したけど、上野~成田空港は最速のスカイライナーで45分くらいだったかな。
不便ですよね~。

「音楽の神に仕える方法は一つではない」という表現、ちょっとどきりとします。
私は音楽は素人で、しかも聞くほうが専門ですが、どちらかというと、真耶の発想に近かったですね。
プロの楽団員やソリストに比べると、大道芸人って、ちょっと低く見てました。前者は芸術家で、後者は職人、みたいな。

四人は、日本でどんな旅をするのかなぁ。
蝶子とヴィルの関係も、気になります。

明日の更新も、楽しみにです。
では、では。
2012.07.12 13:04 | URL | #- [edit]
says...
こんばんは!

ああ、なんて嬉しいひと言。待っていてくださったなんて。

そうなんですよ。遠いんです。羽田にスイスインターナショナルエアラインが就航しないかなあと、一生懸命祈っちゃうわけですよ。スカイライナーや成田エクスプレスだと早いんですが、荷物もって人ごみの中をちゃっちゃと歩けないガイジン連れて行くのは、ほとんど無理なんですよ(泣)

大道芸人に関する認識は、TOM-Fさんので正解だと思いますよ。本来、名もない学生なんかが小遣い稼ぎ程度にやるもので、芸術を極めるためにやるものじゃないですよね。そこがレネ以外の三人の「やむを得ない事情」で……。
たとえは悪いですが、指名手配者が本名でまともな職に就けないのと同じみたいな感じでしょうか。「じゃあ、音楽捨てちゃえばいいのに」ってのが出来ない所もこの三人には共通しているのかもしれませんね。

連日読みに来させて、すみません。明日もどうぞよろしくお願いします。
コメントありがとうございました!
2012.07.12 17:29 | URL | #9yMhI49k [edit]

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