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scribo ergo sum もの書き・八少女 夕のブログ Since March 2012


Posted by 八少女 夕

【小説】大道芸人たち (18)東京、到着 - 2 -

昨日に引き続き、「東京、到着」の章をお送りします。よく考えたら、日本編には、いつもよりも食べ物の話が多いような……。帰国して何をやっているのかがバレバレですね。

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大道芸人たち Artistas callejeros
(18)東京、到着 - 2 -



 翌朝、稔は台東区にある生家に行くといって、早くに真耶の屋敷を出た。残りの三人が起き出してくるまでヴィオラを弾いていた真耶は、この日はオフだったので、東京観光につきあうと申し出た。四人は、皇居の散策をして、それから帝国ホテルでお茶をすることにした。

「真耶さんは本当に大輪の薔薇のようだ」
四人で歩いている時に、レネは真剣に言った。蝶子は頷いた。色は暖かいオレンジ色。華やかでいて心が和む。

 これほど全てに恵まれた女性があるだろうか。蝶子は大学時代に感じた深いコンプレックスを思い出して自嘲した。あの時は真耶に誇れるものなんか何も持っていなかった。たった一つだけ、音楽を学びたいという情熱だけは真耶に匹敵すると自負していた。けれどそれだけだった。アルバイトに明け暮れ、友だちもなかった。いつになったらフルートだけの事を考えて生きられるようになるのだろうと焦りながら、真耶を妬ましくすら思っていた。

 蝶子は今でも真耶に匹敵する音楽家にはなっていなかった。だが、それを卑下する心ももうどこにもなかった。蝶子は自分のしたい事をして生きられるようになり、真耶はうらやむべき相手ではなく蝶子の親しい友人になっていた。

「過分な評価をありがとう。でも、ここにもきれいな女性がいるのよ。蝶子は何の花?」
真耶が微笑んで訊くとレネは少し考えた。
「アヤメかな? それとも百合?」

 真耶はヴィルを見た。ヴィルは真耶と蝶子に答えを期待されて困った顔をした。やがて言った。
「ライラック」

 三人は意外だという顔をした。
「あの薄紫のかわいい花?」
「いや、あの色ではなくて、濃い紫の」

 レネは頷いた。春から初夏に向かう一番心浮き立つ時期の、香り高い花。青空に向かって誇り高く咲くその濃紫は高潔で美しい。さすがテデスコはよく見ているなと思った。


 帝国ホテルのカフェではデザートの食べ放題をやっていた。甘いものに目のないレネが素通り出来るはずがない。蝶子も久しぶりだったのではしゃいだ。

「日本のデザートは小さいからいろいろ楽しめるのよね。味もしつこくないし」
そうやって皿にかなりの量のケーキを載せて戻ってくると、真耶はたった二つ、ヴィルにいたってはテーブルを離れる事すらせず、コーヒーだけを飲んでいた。

 二人が話していて、ヴィルが笑っているのを見た。蝶子が今までほとんど見た事のない、明るくてさわやかな笑顔だった。

 皮肉を言い合う時以外はほとんど感情の変化を見せないヴィルに蝶子は慣れていた。傍から見ると同じように見える表情でも、わずかな動きで機嫌がいいのか、むっとしているのか読み取る事が出来た。でも、その笑顔は反則だわ。出来るんなら、ちゃんと表情を見せなさいよ。それとも私たちには出し惜しみってわけ? 蝶子は思った。

 停まっている蝶子を見て、ヴィルが不思議そうな顔をしたので、蝶子は我に返ってテーブルに歩み寄った。

「真耶、それだけしか食べないの?」
「いま太ったり、吹き出物作ったりするわけにいかないのよ。来週、また撮影があるの」
「撮影って、何の?」
「化粧品のCMよ。数年前から出ているの」
「それはそれは。でも、これを前にして食べられないなんて拷問じゃない?」
「ちょっとね。でも、あなたたちは日本のデザートはそんなにしょっちゅう食べられないんだから悔いのないように食べておきなさいよ」
真耶は優しく笑った。

「このコーヒー、薄いな」
ヴィルが言った。ヨーロッパのコーヒーはエスプレッソ式のものが主流なのでドリップ式の日本のコーヒーはお湯で薄めたように感じる。確かに蝶子も久しぶりに日本のコーヒーを飲んで薄く感じた。日本にいた時は一度もそんな事を感じた記憶がない。

「エスプレッソ、頼みましょうか?」
真耶が親切に言うのを蝶子が止めた。
「そんなに面倒見なくてもいいのよ。日本人と違って遠慮って習慣がないので、欲しければ勝手に頼むだろうし」

「よくわかっているな」
ヴィルは文句を言いつつ、その薄いコーヒーを飲み干し、ウェイターがお替わりを注ぎにきても断らなかった。恭しくコーヒーを注ぐそのサービスが面白いらしい。

 少し遅れてレネが嬉しそうに席に戻って来た。何種類ものケーキ、トルテ、ババロア、ゼリー、その他、隠れて見えないけれどとんでもない量の、蝶子の三倍は盛ったデザートの山を見て真耶は言葉を失った。

「そんなに食べきれるわけ?」
蝶子も疑わしげに訊いた。

「だって、こんなにきれいで美味しそうなのが並んでいるんですよ。素通りできなくて。食べきれなかったらテデスコに助けてもらいますから」

 それを聞いて真耶はヴィルを見た。
「助けられるの? 甘いものは食べない人なのかと思ったわ」
「まったく食べないわけじゃない。わざわざ取りに行くほどじゃないが、おこぼれくらいなら食べるよ」

「ふ~ん。じゃあ、これあげる」
蝶子は小さなエクレアの一つ残った皿をヴィルに差し出した。久しぶりだったのでたくさん取ってしまったが、蝶子はもう甘いものに飽きたのだ。

 ヴィルは軽く非難している印に片眉を上げると、皿を引き寄せた。そして蝶子の手からフォークを取り上げると黙ってエクレアを片付けた。

 真耶はその様子を見ていた。ものすごく自然だったという事は、この人たち、普段からこういう事をしているんだわ。真耶にはフォークを共有するほど近い関係の男性はいなかった。はとこの結城拓人とは、子供の頃から双子のように育ちいつも一緒だった。また真耶には何人もつきあった男性がいた。しかし、拓人にも恋人たちにも黙ってフォークを取り上げられたら抗議するだろう。

 レネの方は、ヴィルに助けてもらう必要はなかった。全部食べたのは見事だったが、レネ本人だけでなく見ていた他の三人も甘いものは当分けっこうと思った。


 帰りも堀の近くを歩いた。舞い上がったレネが真耶に張り付いて必死で話しかけているので、蝶子とヴィルは少し遅れて歩いていた。蝶子には懐かしい東京のアスファルトの道、ヴィルにはまったく異国の不思議な光景だった。二人とも昨夜の事はまったく話さなかった。蝶子は今エッシェンドルフ教授の事は話したくなかったし、ヴィルも同じだった。

「少しは眠れたの?」
蝶子は静かにドイツ語で訊いた。ヴィルもドイツ語で答えた。
「ああ、あんなに深く眠った事は、ここ数年なかったかもしれない。朝、ブラン・ベックに起こされたときもしばらく日本にいる事を思い出せなかった」

 昨夜遅くまで起きていたおかげでヴィルはもっとも大きい苦しみから解放された。父親に嫉妬する必要はもうなくなったのだ。

「日本は氣に入った?」
「日本そのものはまだほとんど見ていないからなんともいえないが、あんたの友人は氣に入ったよ」
「わかっているわ。さっき、とっても楽しそうだったもの。期待しないように言っておくけれど、あんなにきれいで才能のある人は、日本中のどこに行っても、他には見つからないわよ」
「心配するな。日本に女を探しにきたわけじゃない」

 蝶子はいつものような減らず口を叩かなかった。ヴィルは蝶子が誤解していると思った。けれど、それを口にすれば抑え続けている心が表に出てしまう。それを蝶子が好まないのをヴィルはよくわかっていた。彼はあきらめて別の感想を口にした。

「不思議だな。あんたにはどんなに残酷で冷徹でも、どこかしなやかで細やかな機微があると思っていた。それはあんたの友だちにもある。それが日本人女の特徴なのかもしれないな」
「それ、誉めているんだか貶しているんだかわからない言い草ね」
「誉めているんだよ」
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Tag : 小説 連載小説

Comment

says...
 美味しそう、じゃなくて、楽しそうですね。
 日本にいると当たり前なので気づかないことでも、外国人には新鮮なことってコーヒーやサービス以外にもあるでしょうね。
 そのあたりのことも、楽しみに読ませてもらいますね。

 う~ん、蝶子は「今、自分は幸せだ」と感じているのでしょうか。
 ヴィルやレネや稔との旅は楽しいのだろうけど、それでいいのかな。だれかと比較するようなことじゃないとは思いますが、真耶という存在を目の当たりにすると、どうしてもそこが引っかかりますね。
 あ、でも、四人の旅はいつまでも続けてほしいです。
 日本編が終わったら、東欧や北欧にも行ってほしいなぁって、おねだりしておきます(笑)

 日本では、東京以外にも、どこか行くんですか?
 楽しみだなぁ。
 では、また。
2012.07.14 02:49 | URL | #- [edit]
says...
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2012.07.14 04:47 | | # [edit]
says...
おはようございます。

うちの連れ合いはレネのごとく甘いものを愛するのですが、出発直前に別々の親切なお友達が一度に三人いらして全員がケーキの詰め合わせをお持ちくださったことがありまして、まさか一人暮らしの母親の所にそんなに放置するわけにもいかず二人で涙目で食べた経験が……。日本と言ったらケーキです(笑)

蝶子の件は、鋭いですね。来週の更新の回あたり、若干その辺も出てきますが、まだ先は長いです。幸福の尺度はいろいろあって、少なくとも蝶子は真耶の境遇にはもう嫉妬していないのですが、(っていうか、真耶みたいに恵まれた女性を尺度にするとそれだけで不幸ですからね)かといって、超ハッピーなわけでも。今の所まだ余裕ですが、そのうちにね(笑)

日本は、東京以外に三カ所行く予定です。

北欧……。いったことないです。第一部はもう完結していますが、現在執筆が止まっている第二部、リクエストにお応えしちゃいましょうかね。ついでにロンドン辺りに行ってマイケルとニアミスしたりして。あ! そうか。番外編でコラボってのも楽しいかもしれませんね。


コメントありがとうございました。
2012.07.14 08:35 | URL | #9yMhI49k [edit]
says...
おはようございます。

また、いらしていただけて、そこまでお元氣になられた事、本当に嬉しく思います。
ご無理をなさらずに、ゆっくりなさってくださいね。

「大道芸人たち」も読んでいただけて嬉しいです。長くて恐縮ですが、この辺から話がサクサク進んでいきます。時おり目についた時にでも読んでくださると嬉しいです。

また、そちらにもお伺いしますね。
コメントありがとうございました。
2012.07.14 08:39 | URL | #9yMhI49k [edit]

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