【小説】ウサギの郵便
今週の小説は、「scriviamo! 2023」の第10弾、ラストの作品です。大海彩洋さんは、大河ドラマの第二世代である「ピアニスト慎一」シリーズの作品で参加してくださいました。ありがとうございます!
大海彩洋さんの書いてくださった『【ピアニスト慎一シリーズ】光ある方へ 』
大海彩洋さんは、ライフワークである「真シリーズ」をはじめとして、精密かつ重厚な小説を書かれるブロガーさんです。いろいろなことに造詣が深いのは、みなさんご存じの通りです。今回は大河小説「真シリーズ」のメインキャラの1人、ピアニストでもある相川慎一のお話を別の人物の視点から語ってくださいました。私も大好きなラフマニノフのピアノ協奏曲第3番をメインモチーフに書いてくださった重厚な作品です。
お返しどうしようか悩んだのですけれど、今回は彩洋さんの作品とも、ラフマニノフはもちろんのことクラシック音楽とも関係のない作品にしてみました。いや、ラフマニノフの2番をメインモチーフに作品書いた、めちゃくちゃチャラいピアニストとか出している場合じゃないだろうと思ったんですよ。
かすっているのは「亡くなった人からの手紙」だけです。あまりにも遠いので、どこが彩洋さんの作品へのお返しなのかとお思いでしょうが、個人的に、私の今の心情的に、これがお返しです。
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ウサギの郵便
——Special thanks to Yamanishi Saki-san
家具が全てなくなり、がらんとした窓の向こうに、まだ眠っている庭が見えた。施設の中で割り振られたこの部屋は、偶然にも外に小さな薔薇園とハーブ園があって、生涯にわたって庭仕事を愛してきた母親の最後の住処としてはこれ以上望めない僥倖だと喜んだのが昨日のことのようだ。
彼女は、この部屋に2年半住んだ。たった1週間前には、カリンはここをこんな風に片付けるとは思いもしなかった。このように空っぽの部屋を見るのは2度目で、その時は、誰か親族が一定の期間住んだ痕跡を消し去る作業をしたことを想うことはなかった。思ったよりも早く施設に空き室が出たことを単純に喜んだだけだ。
父親が亡くなってから10年以上住んだ4部屋もあるフラットでの1人暮らしが難しくなり、2年ほど訪問看護の世話になった後、母親は自らの意思で老人施設に入ることを決めた。トイレとシャワーのついた部屋は、キッチンや冷蔵庫・洗濯機などはないものの、備え付きのベッドとテーブルや椅子・ウォークインクロゼットの他に、小さな家具や装飾品などを運び込むことが許されていて、それぞれが小さいながらも自分のプライベートな生活を楽しむことができた。
とはいえ、それまでの暮らしで持っていたたくさんの家具や衣装、寝具、家電などの多くを処分することになった。カリンと、遠くで暮らす姉や弟が受け継いだものもあるが、亡くなった父の遺品を始め多くの品物をその時点で処分することになった。
カリンが受け取ったのは、高価な食器や花瓶などの日用品が大半で、カリン自身が子供の頃に使っていたものなどの大半は処分してもらった。
「これは? 持っていきたいんじゃないの?」
カリンは、その記憶をたどる。その時に母親が見せてきたのは大きいウサギのぬいぐるみだった。郵便屋の制服を着てバッグを斜めがけにしているもので、子供のときの一番のお氣に入りだった。
「やだ。こんなの、まだとってあったの?」
「だって、あなたがとても大切にしていたんだもの。捨てられないわ」
「それは子供の頃だもの。心置きなく捨てちゃっていいわよ。それとも、私がセカンドハンドショップに持っていく?」
そういうと、母親は残念そうに眺めていたがこう言った。
「喜ぶかもしれない女の子を知っているから、要るか訊いてみるわ」
カリンは、それを覚えていたらいいけど、という言葉を飲み込んだ。足腰だけでなく、記憶力が衰え始めたために1人暮らしが困難になって施設に入ることになったのだが、それを指摘するのは残酷すぎる。それに、カリン自身の忙しい生活の中で、徒歩で10分以内の距離とはいえ常に観察し続けることは不可能だったので、ようやく施設に行くことを決意してくれてホッとしていたことへの後ろめたさもあった。
ほぼ毎日のように様子を見にいっていた1人暮らしの頃と比較して、施設に入ってからはずっと楽になった。それでも、毎週、必ず訪問しているのは自分だけで、年に2回ほどしか訪問しない姉と弟についてズルいという想いを持つときもあったし、記憶を失って同じ言葉を繰り返す母親に苛つきぎみに返答してしまうことに落ち込むこともあった。
たった1週間ほど前まで、それは終わりの見えない日常だった。それが突然に亡くなり、そんな風に解放されることは望んでいなかったと枕を涙で濡らす日々だ。
思い出すのは、ここ数週間に交わした会話のあれこれだ。
「もうじき春が来るといいわ」
彼女は、訪れる度に同じことを口にした。そう言ったことを、20分後には憶えていなかった。
昔は春が近づくと「もうじきカリンちゃんのお誕生日ね」と言っていた母親。成人してからはカリン自体が4月に楽しみにするのは復活祭の連休であって自分の誕生日には興味を示さなくなった。それでも、毎年祝っていてくれた母親が、物忘れがひどくなってからはそれも言わなくなった。
彼女が春を待つ理由はなんだろう。私の誕生日は憶えていないし、でも復活祭は待っているのかしら。
「もうじき春が来るといいわ」
何度もそう告げる母親に、カリンはうんざりしたように答えた。
「そもそも冬なんか来なかったようなものじゃない」
今年の冬はとても暖かかったので、1月にはヘーゼルナッツの花が咲いてしまったし、ダフネの花もクリスマスの頃からずっとダラダラと咲いていた。
それでも母親は、窓の外を見ながら言った。
「でも、まだ外で散歩するには早いもの。春になったら……」
カリンは、それで申しわけのない心持ちになって少し柔らかい言葉を使わなくてはと思った。
母親がかつてのように外を出歩けないのは、寒い冬のせいではなくて、歩くのがおぼつかなくなっていたからだ。足がむくみ、それを改善するためにと、施設のケアマネージャーの指示で足には強めに圧力バンドが巻き付けられ、それの痛みと暑さで、彼女は以前にも増して室内で座って過ごすようになっていた。
本を読み、編み物をする。施設の中で与えられた部屋の空間は十分すぎるほどに広いし、彼女はまったく不満を漏らさないけれど、だからといって彼女が幸せの絶頂にいると勝手に判断するべきではなかった。
カリンはそれらの、たった2週間ほど前に心の中にあった逡巡を思い出して涙を流した。母親を大切に思う氣持ちと、苛立ちとを何度も行き来していたあの日々に、母親はその場に、この世界にカリンと共にいたのだ。
今は、こんなに春めいている午後に、それをひたすら待っていた母親のいない部屋に立っている。
家具を自宅の屋根裏へ運び、残っていた衣類や小さな電化製品などをセカンドハンドショップに引き取ってもらい、ほぼ何もなくなった部屋は、掃除をしてゴミと残りの小さな私物を運び出して、ケアマネジャーと確認するだけになっている。
庭に通じるガラス戸を開けると、まだ眠っている庭の脇に、母親が鳥用に吊していたボール状の餌が見えた。そして、その横に小さなプラスチックの卵がつるしてあった。イースターエッグを吊すにはまだ早かったのにね。カリンは、また少し涙ぐんだ。イースターを待っていたんだね。
ノックが聞こえたので、カリンは目許を拭って振り向いた。そこには、ケアスタッフのユニフォームを着た女性が立っていた。
「リエン……」
カリンは、その女性を知っていた。かつて母親の住んでいたフラットの隣人だったベトナム人だ。
「心からお悔やみ申し上げます。一昨日ベトナムから帰ってきて、昨日出勤したらマルグリットが亡くなったって聞いて、私ショックで」
リエンは、涙ぐんでいた。
「どうもありがとう。あなた、ここで働いていたのね。知らなかったわ」
カリンが言うと、リエンは頷いた。
「マイが学校に入ったので、去年の秋から働き始めたんです」
カリンは頷いた。それから、不思議そうにリエンが手に抱えている袋からのぞいているものを見た。リエンは、頷いて中からウサギのぬいぐるみを取りだした。
「これ、マルグリットが、ここに入るときにマイにくれたぬいぐるみなんですけれど……」
「ええ。これ、昔は私のものだったの。母は、あのとき誰かにあげたいと言っていたけれど、マイのことだったのね」
「そうだったんですね。その、それで……」
リエンは袋からウサギのぬいぐるみを出すと、ウサギがしている郵便鞄のボタンを外して中を見せた。
「あ……」
そこには小さな封筒が入っていた。リエンは、それを取りだしてカリンに渡した。
「ごめんなさい。これに氣がついたのは、2か月前なんです。でも、ウサギをもらってから2年も経っているし、次に出勤するときにマルグリットに返せばいいかと思って、そのままベトナムに帰省しました。でも、昨日訃報を聞いて……。これはマイに宛てた手紙じゃないので、お返しした方がいいと思いました」
カリンは震える手で封筒を開けて、手紙を読んだ。
カリンちゃん、7歳のお誕生日おめでとう。
あなたの健やかな成長と幸せを祈って、このウサギを贈ります。
ウサギのように元氣よく飛び回ってください。
好奇心いっぱいに世界を嗅ぎまわってください。
たくさん食べて、ぐっすり眠ってください。
そして、悲しいことや辛いことがあっても、次の朝にはすっかり消えてしまいますように。パパとママより
カリンは、リエンの前だということも忘れて泣いた。母親は、ぬいぐるみの鞄にこの手紙を入れたままにしていることを忘れて、ウサギをマイにあげたのだろう。
カリン自身はこの手紙の存在は全く憶えていなかった。子供の頃は意味がよくわからなかっただろうし、わかっていたとしても今ほどの重みは感じなかっただろう。
リエンは、号泣するカリンの背中をしばらく撫でていたが、やがて言った。
「このカードだけじゃなくて、もしかしたらこのウサギも、今のあなたに必要なんじゃないかと思って、持ってきました」
「だって、マイが悲しむんじゃないかしら?」
「いいえ。マイはほかにもたくさんぬいぐるみを持っていますから、大丈夫です」
カリンは、礼を言ってウサギを受け取った。リエンが去った後、しばらく部屋の中で座っていた。
自分の子供が成人するような年齢になって、大きなぬいぐるみを抱えることになるとは思わなかったけれど、今はたしかにこの温もりが必要だった。
ぬいぐるみに顔を埋めると、長いこと忘れていた今はない実家の絨毯に転がったときと同じ香りがした。まだ子供で、自分も両親もこの世からいなくなるようなことが、まったく脳裏になかった幸福な時代。
大切な人がいなくなり、何もなくなったがらんどうの部屋に、ウサギの郵便屋が遅くなった郵便を届けに来た。
想いも絆も消えていない。ただ、遠く離れただけだ。これから幾度の春を、あなたなしで迎えることになるのだろう。その度に、私はこの手紙を読んではウサギを抱きしめるのだろう。
カリンは、葬儀の日にうたった賛美歌を口ずさみながら、部屋の中に夕陽が入ってくるのを眺めていた。
また会あう日まで、
また会あう日まで、
神の守り
汝が身を離れざれ。「賛美歌 405 かみとともにいまして」より
(初出:2023年3月 書き下ろし)
追記
Gott mit euch, bis wir uns wiedersehn
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Comment
執筆、お疲れさまでした。
大海彩洋さんの小説でも、主人公の奥さんからの手紙が、とても印象的に使われていましたね。あれがあったおかげで、主人公の人生が誰かを犠牲にしたものじゃなかった、ちゃんとパートナーからも理解を得ていた、という幸せなものに感じられましたからね。
そういう意味で、亡くなった人からの予期しない手紙というのは、胸に迫るものがあります。
足腰が弱っただけでなく健忘の気がある母親の世話、なかなかに大変なことなんですね。とくに健忘の方は、世話する側のメンタル的な負担が大きいですからね。つい苛立ってしまうのもしかたないと思います。そして、苛立った自分を責める気持ちもあって、またメンタル面で負荷がかかる。カリンはよく頑張ったと思います。ウサギの中にあった手紙は、そんなカリンへのご褒美ですね。ウサギのぬいぐるみと手紙は、親子のいちばん幸せだった頃の記憶というか、記録というか、そういうものの象徴ですね。カリンの喪失を埋めるには、どちらも必要なものですが、それがちゃんと残っていて良かったと思います。
親を送るというのは、やはり重いものだなぁと思います。今回は、八少女夕さんの心情も反映されたお話なんだろうなぁと思いつつ、読ませていただきました。
大海彩洋さんの小説でも、主人公の奥さんからの手紙が、とても印象的に使われていましたね。あれがあったおかげで、主人公の人生が誰かを犠牲にしたものじゃなかった、ちゃんとパートナーからも理解を得ていた、という幸せなものに感じられましたからね。
そういう意味で、亡くなった人からの予期しない手紙というのは、胸に迫るものがあります。
足腰が弱っただけでなく健忘の気がある母親の世話、なかなかに大変なことなんですね。とくに健忘の方は、世話する側のメンタル的な負担が大きいですからね。つい苛立ってしまうのもしかたないと思います。そして、苛立った自分を責める気持ちもあって、またメンタル面で負荷がかかる。カリンはよく頑張ったと思います。ウサギの中にあった手紙は、そんなカリンへのご褒美ですね。ウサギのぬいぐるみと手紙は、親子のいちばん幸せだった頃の記憶というか、記録というか、そういうものの象徴ですね。カリンの喪失を埋めるには、どちらも必要なものですが、それがちゃんと残っていて良かったと思います。
親を送るというのは、やはり重いものだなぁと思います。今回は、八少女夕さんの心情も反映されたお話なんだろうなぁと思いつつ、読ませていただきました。
こんばんは。
こういう手紙ではなかったのですが、日本の母が急逝した後、部屋を片付けていたらちょっとした心がけをメモした紙が出てきて、それを読んで号泣したことを思い出しました。それは私に宛てたものではなかったですが、まるで母からどんな風に生きるべきか教わっているような氣がしました。同様に、母が歌を練習しているときの録音も出てきたのですが、それにも泣かされました。
今回のストーリーは、1か月前の義母の急逝に関わる具体的な描写と、5年前に亡くなった母への想いの両方をミックスして書き上げました。家族との関わりや別れは、もちろん全ての人に共通ではないのですが、それぞれにきれい事だけではない重さを抱えているものだと思います。
私の場合は、父母ともに急逝で、義父母も同じくらい突然に失いました。その分、看病や介護の大変さはあまり経験していません。中にはもっと壮絶な経験をしていらっしゃる方もあるのではないかと思います。
カリンはいい大人になっていたので、母親が施設に入る前は「いまさらぬいぐるみなんて」と処分するつもりでいたのですけれど、母親が亡くなってはじめて、それが単なる子供の玩具ではなくて、TOM−Fさんがおっしゃるとおり過ぎ去った時の記憶と記録、同時に、今必要とする慰めを与えてくれる存在だと氣がついたようです。
私自身は、こんないい年になってもぬいぐるみへの思い入れはなかなか捨て去ることができず、いくつかスイスに持って帰ってきましたよ。(いたたたた……)
コメントありがとうございました。
こういう手紙ではなかったのですが、日本の母が急逝した後、部屋を片付けていたらちょっとした心がけをメモした紙が出てきて、それを読んで号泣したことを思い出しました。それは私に宛てたものではなかったですが、まるで母からどんな風に生きるべきか教わっているような氣がしました。同様に、母が歌を練習しているときの録音も出てきたのですが、それにも泣かされました。
今回のストーリーは、1か月前の義母の急逝に関わる具体的な描写と、5年前に亡くなった母への想いの両方をミックスして書き上げました。家族との関わりや別れは、もちろん全ての人に共通ではないのですが、それぞれにきれい事だけではない重さを抱えているものだと思います。
私の場合は、父母ともに急逝で、義父母も同じくらい突然に失いました。その分、看病や介護の大変さはあまり経験していません。中にはもっと壮絶な経験をしていらっしゃる方もあるのではないかと思います。
カリンはいい大人になっていたので、母親が施設に入る前は「いまさらぬいぐるみなんて」と処分するつもりでいたのですけれど、母親が亡くなってはじめて、それが単なる子供の玩具ではなくて、TOM−Fさんがおっしゃるとおり過ぎ去った時の記憶と記録、同時に、今必要とする慰めを与えてくれる存在だと氣がついたようです。
私自身は、こんないい年になってもぬいぐるみへの思い入れはなかなか捨て去ることができず、いくつかスイスに持って帰ってきましたよ。(いたたたた……)
コメントありがとうございました。
サキはなるべく死というものに近づかないように、触れないように生きてきたのですが、このお話は身につまされました。
誰かの死の後始末をこれまでは他人任せで済ませていたことが、自分を中心に行わなければならなくなった時、いったい自分はどんな気持ちでどんなふうに行動するんだろう?ちゃんとできる?そんなことを考えました。
ウサギ郵便は不意打ちでした。こんなものが届けられたら、普通泣いちゃいますよね。
サキはこれまでこういう出来事に冷静に(時には冷淡に)あたり過ぎていたような気がします。もう少し自分に素直に向き合おう・・・そう感じました。
彩洋さんのお話にあまり関係ないように仰っていますが、夕さんの今の心情を反映した素敵なお返しになっていると思います。
誰かの死の後始末をこれまでは他人任せで済ませていたことが、自分を中心に行わなければならなくなった時、いったい自分はどんな気持ちでどんなふうに行動するんだろう?ちゃんとできる?そんなことを考えました。
ウサギ郵便は不意打ちでした。こんなものが届けられたら、普通泣いちゃいますよね。
サキはこれまでこういう出来事に冷静に(時には冷淡に)あたり過ぎていたような気がします。もう少し自分に素直に向き合おう・・・そう感じました。
彩洋さんのお話にあまり関係ないように仰っていますが、夕さんの今の心情を反映した素敵なお返しになっていると思います。
こんばんは。
私がサキさんくらいの年齢だった頃には、身内の死というのはあっても悲しむだけでよかったんですよ。
父は比較的早く亡くなりましたが、「悲しんでいる場合ではない」という部分はすべて母がやっていました。
この年齢になると、そうした後始末をせざるを得なくなってくるのですね。
みんなちゃんとやっているように見えますが、おそらく誰もが「こんなこと知らなかったよ」「うわ、しまった、ちゃんと聞いておけばよかった」と
慌てながらやっているんだろうと思います。
死というものに冷淡でいたというおっしゃり方には、実はとても共感できる部分があります。
とくにティーンエイジャーの頃は、それがけっこう「カッコよく」思えたりもしたものです。
でも、それは、死が一種のファンタジーと同じくらい遠いものだったからだと思います。
大人として、冷静に「後始末」に対処できているとしても、やはり身内を失った痛みや悲しみは出て行く場所や抱きしめる何かを探しているんじゃないかと思います。今回の話は、そういう想いと、それから三途の川を隔てて離れてもなくならない絆のようなものを表現してみました。
コメントありがとうございました。
私がサキさんくらいの年齢だった頃には、身内の死というのはあっても悲しむだけでよかったんですよ。
父は比較的早く亡くなりましたが、「悲しんでいる場合ではない」という部分はすべて母がやっていました。
この年齢になると、そうした後始末をせざるを得なくなってくるのですね。
みんなちゃんとやっているように見えますが、おそらく誰もが「こんなこと知らなかったよ」「うわ、しまった、ちゃんと聞いておけばよかった」と
慌てながらやっているんだろうと思います。
死というものに冷淡でいたというおっしゃり方には、実はとても共感できる部分があります。
とくにティーンエイジャーの頃は、それがけっこう「カッコよく」思えたりもしたものです。
でも、それは、死が一種のファンタジーと同じくらい遠いものだったからだと思います。
大人として、冷静に「後始末」に対処できているとしても、やはり身内を失った痛みや悲しみは出て行く場所や抱きしめる何かを探しているんじゃないかと思います。今回の話は、そういう想いと、それから三途の川を隔てて離れてもなくならない絆のようなものを表現してみました。
コメントありがとうございました。