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Posted by 八少女 夕

【小説】森の詩 Cantum Silvae - トリネアの真珠(18)身体のきかない職人 -1-

『森の詩 Cantum Silvae - トリネアの真珠』、第18回『身体のきかない職人』の前編お届けします。2回に切るには短かったのですが、1度で終えるにはちょっと長かったので、困りました。

今回から、現代風に言うと「国境を越えて異国に入った」状態になりました。フルーヴルーウー峠の南側はセンヴリ王国の支配下になります。モデルにしたのはアルプス越えをしてイタリアに入るルートですね。ここからは、センヴリ王国の支配下であるだけでなく、直接の領主はトリネア侯爵ということになります。


トリネアの真珠このブログではじめからまとめて読む
あらすじと登場人物


【参考】
「森の詩 Cantum Silvae - 貴婦人の十字架」を読むこのブログではじめからまとめて読む
あらすじと登場人物




森の詩 Cantum Silvae - トリネアの真珠
(18)身体のきかない職人 -1-


 その日は、昨夜の寒さが嘘のように暖かく、イゾラヴェンナに到着した頃にはむしろ暑いといってもよいほどだった。《ケールム・アルバ》を越えてトリネア侯爵領に入った途端、フルーヴルーウー辺境伯領ではほとんど感じなかった湿度を感じるようになった。イゾラヴェンナは、標高でいえばフルーヴルーウー城下町よりも高いのだが、太陽の光はずっと強く感じられ、男も女も誰ひとりとして外套などは身につけず、袖をまくり上げて歩いている。

 ギンバイカやオリーブ、そしてマンネンロウなど、《ケールム・アルバ》の北側では見られない植物がそこここに見られた。また、見上げるほど大きな栗の木がたくさんあり、緑色のイガがたわわに実っている。

 イゾラヴェンナは、トリネア侯爵領では3番目に大きな街だ。大聖堂の立派な塔をはるか彼方からも見ることができた。

 マックスは、貴族などが好む豪奢な旅籠のある大聖堂の近くを避け、トリネアの街に向かう街道にほど近い西側の地域に向かった。そこは職人たちの住む地域で、靴屋、毛織物工、染物屋、鉄工、石工、塗装工などの工場兼住居の他、同職組合の事務方を兼ねる特殊宿泊施設もいくつかあった。

 開業可能な親方資格を取得するために、どの職業であっても職人たちは少なくとも3年以上の遍歴をしなくてはならない。その遍歴の間、生まれ故郷には足を踏み入れてはならず、故郷からの経済援助も得てはならないことになっている。

 その代わりグランドロン、センヴリ、ルーヴラン各王国内の各組合は、同職組合からの正式な資格証明書を提示されれば、たとえその街での修業受入れ先を用意できない場合でも、2泊の宿と飲食ならびに次の街までの路銀を提供しなくてはいけないこととなっていた。

 イゾラヴェンナの職人街は、各地から集まる遍歴職人たちの宿泊先を職業組合ごとに手配するのではなく、いくつかの組合が共同で大きめの宿泊施設を経営していた。この施設が満室でない場合は、組合に所属していない旅人も有料で宿泊することが可能だった。

 既知の貴族たちと鉢合わせする可能性を避けるためだけではなく、あまり接点を持つことのない手工業者の世界を見てみたいというレオポルドの希望を叶えるため、マックスはこの宿泊施設または近隣の旅籠に泊まるつもりで案内した。

 幸い宿泊施設はさほど混んでいなかったため、5人の宿泊を受け入れてくれた。ただし、男女同室を許可していなかったので、男性3人、女性2人に分かれて宿泊することになった。

 ラウラと同室だと知らされてアニーは傍目からもよくわかる喜びようだった。その様子を見たフリッツはムッとした様相だった。

「なんだ。さんざん不平を言っておきながら『妻』と離れるのはいやなのか」
レオポルドが意外そうに訊くと、フリッツはさらに心外だという表情をした。

「そんなわけないでしょう。まるでいままで私があの娘にちょっかいを出していたかのような言い方をしないでください」

「ちょっかいを出すくらいの面白みがあればちょっとはマシな……」
「何とおっしゃいましたか」
「いや、なんでもない」

 主従のやり取りを聞いていたマックスは、顔を背けて奇妙な咳をした。見ると笑いを堪えているようだ。

 食事までの時間、一同は食堂に隣接されている居間で寛いでいた。その居間にはいくつかの丸テーブルとひじ掛け椅子が置かれていて、5人ほどの職人たちが意見交換をしていた。それぞれは異なった職業のようだが、それぞれの通ってきた地域についての情報は参考になるらしく盛んに質問し合っている。

「ヴォワーズ大司教領? いや、あそこは、毛織物工だけでなくて、今いかなる遍歴職人をも受け入れていないと聞いたぞ」
「本当か? ヴァスティエラは疫病で組合自体が閉鎖されたっていうし、センヴリ王国内で受け入れ先を探すのは難しくなってきたな」
「こうなったら、グランドロンに戻った方がいいのかもしれないぞ」
「とりあえずトリネアで探してみてダメならまた北上するか」
「トリネアからなら、そのままルーヴランに入るのもありかな」

 職人たちの話を聞いていたマックスは、ラウラが戸口に視線を向けていることに氣がついた。その視線の先には、1人の痩せた男がひとりで立っていた。
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Category : 小説・トリネアの真珠
Tag : 小説 連載小説

Comment

says...
更新、お疲れさまでした。

峠を越えて気候が変わると、異国へ来たという実感が湧きますね。しかも、なんとはない明るさも感じます。
ようやくトリネアに着いたご一行ですが、ここでも社会見学ですね。貴族たちに身バレしないようにというのもあるんでしょうけど、マックスも陛下も、こういうシモジモとのふれあいが大好きですよね。いい為政者だなぁ。
感心するのは、峠越えの際の交通の整備のときもそうだったんですが、ここでは職人養成のシステムがちゃんと整備されていることです。一国内でならそういう施策もできるでしょうけど、国を超えて協定が機能しているというところがすごい。それだけ職人を大事にしているということなんですね。
陛下、部下いじりを楽しんでますよね。あまりフリッツを攻撃していると、じゃあアンタのヨメは、とか反撃されますよ(笑)
2023.05.31 10:06 | URL | #V5TnqLKM [edit]
says...
こんばんは。

実際にアルプスを越えてイタリア側に入ると、ここでの記述と同じような氣候の変化を実感することが多いです。

さて。
実はヨーロッパの手工業組合の徒弟制度というのはかなり近年まで、こんなしくみになっていたみたいです。
言語や文化は違ういろいろな国なんですけれど、こうした制度をお互いに利用することができることを知って、とても驚いた記憶があります。
もうほとんどなくなっている「徒弟の遍歴修行」ですが、わずかに残っていて、たまに黒づくめの衣装でヒッチハイクしている人たちがいるんですよ。自家用車で遍歴するのはNGなんだそうです。あと、遍歴期間中は、自分の故郷の市町村に足を踏み入れるのもダメらしいです。

さて、レオポルドたちは、遍歴職人などとはもちろん縁がないので、こういう場については興味津々だと思います。

フリッツ、イジられていますよね。
レオポルドは、一人っ子で友達みたいな存在もなかったので、子供の頃からずっと一緒にいるフリッツは、ほぼ唯一のお友だちみたいな存在です。なので、遠慮なくイジっていますが、よく反撃もされています。本当に、いつになったら嫁が決まるのか(笑)

コメントありがとうございました。
2023.05.31 22:57 | URL | #9yMhI49k [edit]
says...
更新、お疲れさまでした。

関東を西から東へ移動しただけでも気候の変化を感じるので、山越えをして異国へともなれば尚更でしょうね。
あいにくリアルでは此処十数年、そんな機会がとんとないのですが。何処か行くならパスポート取得から始めねば。

しかし、気候は良いのに職人たちの会話が若干きな臭いような?
あと、少しだけ調べてみたところ、昔は徒歩限定だったみたいですね。
これで移動先で受け入れ拒否されたら辛いなんてもんじゃないだろうな。
情報収集が大事だ。
その点、現代はスマホがあるからと思いきや、所有禁止されてるとな!? 
今どきとも、当然とも思いますが厳しいー

どれだけ気を使ってもらったとしても、男性と一緒では色々休まらないでしょう。
久しぶりに女性だけとなるのにアニーは他意なくホッとしたんでしょうが、フリッツ、むっとするんだ…w
ただ、その理由が面白くなさいから逆に聞いてはダメなやつな予感がしました。
「ちょっかいを出すくらいの面白みがあれば……」って、本当それだと思います。


2023.06.02 17:16 | URL | #yl2HcnkM [edit]
says...
こんばんは。

私の執筆には少しブランクがあって、スイスに移住してから再開した後の作品に旅行の描写が多いのは、実際に私が目にしたものの驚きが文章にしやすいからかもしれません。
日本のように国境線がすべて海だと、くっきりと分かれるのですけれど、ヨーロッパの国境って基本ただの線なので、文化や生活がファジーに、またはダイナミックに移り変わる様を「へええ」と感動しながら見る事ってけっこう多いです。

ちなみにスイス人がイタリアに行くのに、パスポートは要りません。IDカードで大丈夫なんです。日本人は必要なんですけれどね。

さて、この徒弟や職人たちの遍歴というのは、現在でも徒歩限定で電車に乗っちゃいけないんです。
ただし、(家族や友人の車はダメですが)ヒッチハイクは許されているらしく、たまに高速道路の入り口に立っている人がいますよ。

アニーは、そもそもこの一行の中でもっとも身分が低い立場なので、何をされようとも文句はいえないのですが、わりと氣を遣ってもらっていますよね。フリッツはムッとしています。同室になれなかったことにムッとしているのではなく、自分と一緒でないことを明からさまに喜ぶ様に(笑)

フリッツは、この朴念仁さが災いして、嫁に逃げられています。
人はそう簡単には変わりませんけれど、まあ、この後の展開はお約束ということで。

コメントありがとうございました。
2023.06.03 20:06 | URL | #9yMhI49k [edit]
says...
峠を越えると明らかに雰囲気が変わりましたね。
職人さんの修行の仕組みはどこかで聞いたことがあるのですが、現代でも一部はそのまま残されているのですね。さすがは欧州。こういうことには拘るなぁ。ま、維新や敗戦などがあって、日本の方があっさりしすぎているのかもしれませんが・・・。
さて、お忍びとはいえ面白いところに宿泊していますね。マックスのナイスチョイス?目立たないうえにいろんな情報が入ってきそうです。王様の勉強にもなりますしね。
フリッツの憮然とした表情を想像して笑いました。アニーはなんにも考えてなさそうですが・・・。少しずつ、少しずつ、ですね。
そして痩せた男の登場。彼が“身体のきかない職人”その人でしょうか?どんな役割を与えられるんだろう?
2023.06.04 14:17 | URL | #0t8Ai07g [edit]
says...
こんばんは。

実際のアルプス山脈も、南側に入るとものすごく変わるのですよ。
中世はどうだったのかはわかりませんが……。
欧州は、もともと国境というものがしょっちゅう変わっていて、それだからこそ普遍的なものは国を超えて共有する事が多かったようです。
たとえば、今でも、正式の卒業証書があれば、どこの国の大学でも入れるというようなしくみがあったりします。
職人の徒弟制度については、昔ほど万国共通ではなくなっていますが、指物師の遍歴修行などはいまだにやっているので驚きます。

さて、今回の宿泊施設のあり方は私の創作ですが、これは登場したばかりの特殊な遍歴職人を登場させるために用意した舞台です。
この職人のモデルとなった人物は実在したらしいです。

フリッツとアニーの話は、本筋とは関係なくダラダラと続きますので(笑)

コメントありがとうございました。
2023.06.04 22:43 | URL | #9yMhI49k [edit]
says...
やはり、この辺は、
「旅をしている」って情緒が感じられますし。
日本では感じない描写っていうか、
日本は島国だから、また違う感覚の描写ってところで、
異国の描写だなってところは、
やっぱり夕さんのこれまでの経験が活きているところですよね
ってところは感服するところですよね。


峠を越えると、異国ってところは、
やはり陸続き大陸の旅をしているなって感じになって。
そういうところはとても勉強になります。

2023.06.08 21:55 | URL | #- [edit]
says...
おはようございます。

日本にいたときには、ほぼ電車でしか旅をしなかったので(それもとても少なかった……)、こちらにきて峠を越えて言語も氣候もガラリと変わるということにひどく驚きました。旅の描写では、そうした自分の経験をよく書き込んでいます。

国境の不思議、つまり踏み出したらそこが異国という感覚は、やはり島国から来ると新鮮ですよね。
それと同時に、この国境のファジーさが人びとの異国人に対する受け止め方の違いにもなるんだなと感じることもあります。

そんなこんなで、現実と空想の入り交じった小説、まだまだ続きますのでお楽しみいただけたら幸いです。

コメントありがとうございました。
2023.06.10 07:21 | URL | #9yMhI49k [edit]

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