【小説】雷鳴の鳥
今月のテーマは、アフリカのジンバブエにある『グレート・ジンバブエ遺跡』です。私は1996年に、じっさいにこの遺跡を訪れています。
登場する人物は、いまのジンバブエがまだローデシアと呼ばれていた時代に実在した研究者たちです。

雷鳴の鳥
その鳥の小柄な身体には見合わぬ巨大な巣は、ついに屋根で覆われた。それから、シュモクドリは、人間の男性が載っても壊れないほどの強度ある巣の機能面だけでは満足せずに、2メートル以上もある目立つ巣をありとあらゆる装飾品で覆い始めた。カラフルな鳥の羽、草食動物たちから抜け落ちた角、ヘビの抜け殻、骨、イボ猪の牙、ヤマアラシの棘などが運ばれた。
それらは、
伝説上の霊鳥は、白と黒の背の高い鳥で、魅力的な男性または女性に姿を変えることもできるし、生命にとって欠かすことのできない雨と水を呼び寄せる。実際のシュモクドリ(Scopus umbretta)は、ペリカン目シュモクドリ科シュモクドリ属の茶色い鳥だ。全長56~58センチ。カラスと変わらない。その名の通り、頭の後ろの飾り羽が少し突き出ていてハンマーのようだ。オスとメスには見かけ上の違いは比較的少なく、共同で非効率の極みと思えるほどの巨大な巣を作る。
アフリカのサハラ以南、マダガスカル、アラビア半島南西部の浅い水瀬のあるあらゆる湿地帯に生息する。ペアで保持するテリトリーに留まり、渡りのように大きく移動することは少ない。繁殖しているかどうかに関わらず、年間3個から5個の巣を作り、そのうちの1つだけで雛を育てる。
雛たちの多くは1年以上は生きられないが、生き延びた成鳥は時には20年も生きる。
水辺に佇み、空の彼方を見つめるとき、人びとは呪術師たる
人を怖れず、マングローブ、水田、貯水池などにも巣を作り住むが、彼らを捕まえたり巣を壊して追い払おうとする者は少ない。
その遺構は、はるか昔にその地に建てられた脅威だった。1800年代にこの地を「未開の地」として蹂躙しにやって来た白人たちは、アフリカ大陸の南に巨大な遺跡を見いだした。1867年にドイツの狩猟家アダム・レンダーが「発見した」と言われる遺跡群は、実際にはすでに16世紀のポルトガル人たちによって記録されている。
現地のショナ語でそれは「Zimbabwe ジンバブエ」と呼ばれていた。ポルトガル人ベガドは「裁判所を意味する」と報告しているが、現在ではこの言葉の意味については2つの説が有力である。「石の家」を意味するというものと、「尊敬される家々」という言葉に由来しているというものだ。鉄器時代の現地の人びとは、記録する文字を用いなかったので、当事者たちによる正確な由来を書いた文献は見つかっていない。
この遺跡は、単なる「家々」という言葉で表現できるような規模ではない。最盛期には18000人が住んでいたと推測される、その驚くべきスケールと精密さが、逆に過去の偉大な創建者たちを本来賞賛を受けるべき名誉から遠ざけた。
キャスリーンは、彼女の上司であるガルトルード・ケイトン=トンプソンが見せてくれた手紙を読んでため息をついた。それは、彼女たちの緻密で丁寧な論証に対して単に否定的だというだけでなく、明からさまな憎悪に満ちていた。ガルトルードは、「ナンセンスな内容だわ」と投げ出した。
ローデシアをめぐる社会の目は、三重の意味で偏見に支配されていた。白色人種は黒色人種より優れているので植民地支配が正しいのだという立ち位置。オリエントやギリシャなどの過去の優れた文明文化が、彼ら白色人種たちに受け継がれているという曲解。そして、男性の仕事が女性のそれよりも常に優れているという驕り。ケイトン=トンプソン調査団が提示した報告は、そのすべてを根幹から揺るがす内容だった。
1928年に英国アカデミーにローデシア、ムティリクウェ湖近くの遺跡の期限を調査するために招待されたケイトン=トンプソンは、この分野ではまだ珍しかった女性考古学者だ。第1次世界大戦中に海運省に勤務し、パリ講和会議にも出席したことのある彼女は、その後ロンドン大学で学び始め、マルタ島、エジプトなどの発掘調査で経験を積んだ後に、このアフリカ南部の謎の遺跡調査を依頼されたのだ。
すでに19世紀にジェームズ・セオドア・ベントらによって発掘調査は行われていたが、この遺跡の起源についての全く誤った仮説を証明するためだけの杜撰な調査で、考古学者の間からも疑問が出ていたのだ。
彼らの主張は簡単にいうとこうだった。
「下等なアフリカ人に、このような偉大な建築が可能なはずはない。これは過去の偉大な中近東の遺構に違いない」
ソロモン王を訪ねたシバの女王国はここであった、もしくは、古代フェニキア人またはユダヤ人が築いた、アラビア人たちの黄金鉱山だったというような主張だ。
20世紀初頭にデイヴィッド・ランダル・マッキーヴァーの調査では、それまでの調査隊が「取るに足りぬゴミ」として放置していた、現地人が現在も使うのとほぼ同じタイプの土器や、石造建築物の構造の調査から遺跡はショナ人など現地住民の手によるものだと結論づけたが、当時の権威たちはそれを認めなかった。
こうした中で再調査を依頼されたケイトン=トンプソンが編成したのは、写真撮影で協力参加したキャスリーンを含め全員が女性の調査隊だった。これは、全く前例のないことだった。ケイトン=トンプソンは現代でも村人が使用している陶器やテラス造りの壁といった構造と比較することで、マッキーヴァー説を強く支持する調査結果を発表した。
彼女が、他の調査隊と違ったのは、『
データが語っている。これはソロモン王の時代の遺跡ではない。アラビア人たち西アジアの人びとが建設したものでもない。後の放射性炭素年代測定でも、この遺跡は12世紀から15世紀に建設されたものであることが証明されている。
遺跡は50以上の円形または楕円形の建造物の集合体で、3つに分けて分類されている。北側の自然丘陵を利用して作られた通称『
何よりも「原住民には作れない」と偏見の対象となったのは、『グレート・エンクロージャー』で、1万5千トン以上の花崗岩を用い、漆喰などは使わずに精巧に積み上げてある。長径は89m、外壁の周囲の長さは244m、高さは11mで、外壁の基部の厚さは6mに達する。東側には高さ9mを超える円錐形の塔がそびえ立ち、おそらく祭祀的空間であったと考えられている。
『ヴァレー・コンプレックス』は、首長の妻子たちの住居跡地だと考えられている。円形の壁を持つ住居が通路で結ばれた構造だ。鉄製のゴング、大量の食器や燭台、ビーズ、銅、子安貝などで作られた装飾品、犂や斧、儀礼用の青銅製槍などの他、中国製の陶磁器、西アジア製のガラス瓶まで出土しており、まだヨーロッパ人たちが大航海時代を迎える前に、彼らが遠隔地交易との豊富な金属加工で大いに栄えていた証拠となっている。
『ヒル・コンプレックス』の東エンクロージャーには石組みのテラスが敷かれ、祭祀に関連する遺物が出土した。中でも最も重要だったのは、6体の滑石製の鳥彫像だ。似たものが『ヴァレー・コンプレックス』からも出土している。ショナ族の世界観では、鳥は天の霊界と地の俗界を往き来して仲介する使者であり、呪術師はその力を借りて雨乞いなどの儀式を行うために鳥を象った彫像を作ったと考えられている。
キャスリーンは、『ヒル・コンプレックス』で作業をしていたときに、何度も襲ってきた雷雨のことを考えた。遠くに稲妻が煌めくと、次第に灰色の雲が青空を覆い隠していく。
西エンクロージャーは自然の巨石を利用し、花崗岩ブロックのと合わせて直径30メートル、高さ7メートルの巨大な建物に仕立てている。雷雨の激しさを知るキャスリーンは、急いでこの首長の政治統治の場だったと思われる建物に入っていくが、恐ろしげに首をすくめる。
15世紀から今まで絶対に落ちてこなかったのだから、絶対に安全だとわかっていても、屋根となっている自然巨岩の危うげなバランスに強迫観念を感じてしまうのだ。だが、痛いほどに打ちつけるアフリカの夕立に打たれるよりは、ひとときこの岩の下で息をひそめる方がマシだった。
すぐ近くで出土したジンバブエ・バードの黒く滑らかな立ち姿を思い浮かべた。なんという鳥を模した像なのか、キャスリーンもケイトン=トンプソンもはっきりとはわからない。ショナ族にとって重要なトーテムであるチャプング(ダルマワシ)またはフングウェ(サンショクウミワシ)だと考えられているが、どれも決め手に欠ける。
そういえば手伝いに来ていた現地人ンゴニは
大変な努力を持って作り上げられたシュモクドリの巣は、彼らだけが使うわけではない。空き家の巣はチョウゲンボウやワシミミズクなどほかの鳥たちや、ネズミやなど他の動物たちも利用する。中でもクロワシミミズクは巨大で怖れられ敬われている鳥だが、シュモクドリの巣の上に陣取り1日を過ごす姿が「猛禽が宮殿を守っている」とみなされ、「
不思議な鳥だ。雨を呼び、稲妻を司る
キャスリーン・ケニオンは1950年代にパレスチナ東部エリコの発掘調査を主導し20世紀でもっとも影響力のある考古学者と呼ばれるまでになった。後にオックスフォードのセントヒューズ大学長を務め、大英帝国勲章のデイムに除された。
一方、グレート・ジンバブエ遺跡を発掘したときの上司であったガルトルード・ケイトン=トンプソンも、1934年に女性として初めてリバーズ賞を受賞し、1944年に王立人類学研究所の副所長にも選出された。46年にはハクスリー賞を受賞した。さらには東アフリカの英国歴史考古学学校の創設メンバーとなり、評議会の委員を10年間務めた後、名誉フェローに任命された。
ローデシア時代は、偏見と政治的圧力により覆い隠された「グレート・ジンバブエ=アフリカ人建設説」は、脱植民地化独立運動の後、ジンバブエ共和国が成立すると「未だに謎に包まれている」という公式見解は取り消され、正式に認められるようになった。
過去の偉大な建築物は、新しい国の精神的な支えの中心となり、国名もここから取られた。そして国旗にはジンバブエ・バードの1つが国のシンボルとしてデザインされた。それと同時に、この遺構を示す言葉は、「偉大な」という意味を込めて「グレート・ジンバブエ」と呼び区別されることになった。1986年にはユネスコ世界遺産に登録された。
ローデシア時代の偏見と悪意に満ちた発掘調査のために、多くの部分が破壊・遺棄されたグレート・ジンバブエ遺跡の発掘調査はいまだに進められ、考古学的証拠や最近の調査結果により歴史的背景などについても少しずつ解明が進められている。
古い権威と悪意のヴェールが取り除かれ、アフリカ第2の巨大遺跡グレート・ジンバブエ、1000年前のショナ族たちの栄光は陽の目を浴びた。一方、シュモクドリが巨大な巣作りに偏執的なほどの情熱を傾ける謎は、いまだに解明されていない。
(初出:2023年9月 書き下ろし)
追記
Great Zimbabwe National Monument (UNESCO/NHK)
Hamerkop
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Comment
執筆、お疲れさまでした。
グレート・ジンバブエについては、遺跡とその調査団との不幸な関係を感じざるをえませんね。最初の二組の調査団が、先入観を捨てて真摯に取り組んでいれば、失われずに済んだ遺構とかもあったんじゃないか、という気がします。
マッキーバーやトンプソンたちの調査がなければ、その価値を認められることもなかった可能性すらありますよね。
グレート・ジンバブエは金の交易で発展し、その後、交易路の移転と環境破壊によって滅びたようですが、最盛期には石で円形に囲まれた家(?)が、たくさん立ち並んでいたのでしょうね。
そしてシュモクドリ。身に合わない大きな巣を作り、いろんなもので飾るというのは面白いですね。
グレート・ジンバブエも、後の衰退を思えば、人間にとっては身の丈に余るものだったのかもしれません。
シュモクドリの巨大な巣がなにかを暗示しているような、不思議な読後感がある一篇、楽しませていただきました。
グレート・ジンバブエについては、遺跡とその調査団との不幸な関係を感じざるをえませんね。最初の二組の調査団が、先入観を捨てて真摯に取り組んでいれば、失われずに済んだ遺構とかもあったんじゃないか、という気がします。
マッキーバーやトンプソンたちの調査がなければ、その価値を認められることもなかった可能性すらありますよね。
グレート・ジンバブエは金の交易で発展し、その後、交易路の移転と環境破壊によって滅びたようですが、最盛期には石で円形に囲まれた家(?)が、たくさん立ち並んでいたのでしょうね。
そしてシュモクドリ。身に合わない大きな巣を作り、いろんなもので飾るというのは面白いですね。
グレート・ジンバブエも、後の衰退を思えば、人間にとっては身の丈に余るものだったのかもしれません。
シュモクドリの巨大な巣がなにかを暗示しているような、不思議な読後感がある一篇、楽しませていただきました。
こんばんは。
今回の掌編では、いわゆるオチがありません。(いつもあるみたいな書き方してますが、よくオチないですね……)
単純に、その時代の常識やら良識やらが支配する理不尽に対する問題提起みたいなものを描いてみました。
それと、「ほかの時代や国の人にはわからない謎の建造物」を作っている当人(または鳥)の本人たちにはきっとあるだろう立派な理由についても想いを馳せて書いてみました。
この当時の欧米人たちの横暴はひどいもので、ジンバブエ・バードも、ばんばん持って行っちゃうし、「シバの女王の痕跡を探せ。こんな地元民が使うみたいな土器はゴミ!」と出土品を捨てちゃうし、かなりメチャクチャにしていったそうです。
また、「これは、どうも当時の現地の人たちが作ったっぽい」とわかっていたのに、「植民地支配に差し支えるから」という理由で、ずっと「よくわかりません」で押し切ってきたらしいです。
グレート・エンクロージャーは、今は外側の壁しか残っていないようですが、跡から考えても、現在でも使われるような土壁と茅葺き屋根の家がたくさん並ぶちょっとした都市だったようです。そんな様子に想いを馳せながら、現地に佇んできました。
残念ながら当時は今ほどは英語が達者ではなかったので、ガイドさんたちにもっといろいろと訊けなかったんですよね。
そして、今は、女ひとりでジンバブエに行くのなんて不可能なくらい、治安が悪化してしまいました。
行けるときに行っておいてよかった。
シュモクドリ、生きているのは1度だけ南アフリカの鳥専門動物園でみましたが、本当になんでもない茶色の鳥に見えるのです。
巨大な巣を、夫婦でいくつも作って、氣に入ったのだけ使うとか、非効率の極みみたいなことをしている鳥ですが、そのミステリアスさにとても惹かれますね。
コメントありがとうございました。
今回の掌編では、いわゆるオチがありません。(いつもあるみたいな書き方してますが、よくオチないですね……)
単純に、その時代の常識やら良識やらが支配する理不尽に対する問題提起みたいなものを描いてみました。
それと、「ほかの時代や国の人にはわからない謎の建造物」を作っている当人(または鳥)の本人たちにはきっとあるだろう立派な理由についても想いを馳せて書いてみました。
この当時の欧米人たちの横暴はひどいもので、ジンバブエ・バードも、ばんばん持って行っちゃうし、「シバの女王の痕跡を探せ。こんな地元民が使うみたいな土器はゴミ!」と出土品を捨てちゃうし、かなりメチャクチャにしていったそうです。
また、「これは、どうも当時の現地の人たちが作ったっぽい」とわかっていたのに、「植民地支配に差し支えるから」という理由で、ずっと「よくわかりません」で押し切ってきたらしいです。
グレート・エンクロージャーは、今は外側の壁しか残っていないようですが、跡から考えても、現在でも使われるような土壁と茅葺き屋根の家がたくさん並ぶちょっとした都市だったようです。そんな様子に想いを馳せながら、現地に佇んできました。
残念ながら当時は今ほどは英語が達者ではなかったので、ガイドさんたちにもっといろいろと訊けなかったんですよね。
そして、今は、女ひとりでジンバブエに行くのなんて不可能なくらい、治安が悪化してしまいました。
行けるときに行っておいてよかった。
シュモクドリ、生きているのは1度だけ南アフリカの鳥専門動物園でみましたが、本当になんでもない茶色の鳥に見えるのです。
巨大な巣を、夫婦でいくつも作って、氣に入ったのだけ使うとか、非効率の極みみたいなことをしている鳥ですが、そのミステリアスさにとても惹かれますね。
コメントありがとうございました。
今回の話はほとんど実話なんですね
歴史学は特に政治的都合やオカルト説が多くて大変そうです
でもそれに負けずに調査に行けるのはすごい
歴史学は特に政治的都合やオカルト説が多くて大変そうです
でもそれに負けずに調査に行けるのはすごい
こんばんは。
そうなんです。事実関係のほうは、すべて実話を元にしています。
この当時の社会状況から考えて、女性だけの調査団とか、よくやったなと思います。
そして、偏見からいいがかりをつけられるとか、踏んだり蹴ったりですよね。
でも、最終的には報われたようです。不遇のまま終わる人もいるから、まだマシだったのかな。
コメントありがとうございました。
そうなんです。事実関係のほうは、すべて実話を元にしています。
この当時の社会状況から考えて、女性だけの調査団とか、よくやったなと思います。
そして、偏見からいいがかりをつけられるとか、踏んだり蹴ったりですよね。
でも、最終的には報われたようです。不遇のまま終わる人もいるから、まだマシだったのかな。
コメントありがとうございました。
昔の西欧の植民地支配は酷かったからなあ・・・。。。
ってところが垣間見える文章で、
歴史に勉強になります(笑)。
いやあ、日本史しか勉強してないので、世界史は全く勉強してないんですよ。
今になって、ちょくちょく、大まかな世界史の勉強をしている私。
夕さんのこういう文章はとても勉強になり、大好きです。
ってところが垣間見える文章で、
歴史に勉強になります(笑)。
いやあ、日本史しか勉強してないので、世界史は全く勉強してないんですよ。
今になって、ちょくちょく、大まかな世界史の勉強をしている私。
夕さんのこういう文章はとても勉強になり、大好きです。
こんばんは。
そうそう、蓮さんは日本史だったとおっしゃっていましたよね。
もっとも私も世界史の授業で、こうした理不尽をよく理解していたというわけではなく、むしろ自分が現地に行ったり、西欧人がたくさんいる環境に身を置いたりして、肌で感じるようになったというほうが近いかもしれません。過去の問題になったというわけでもなく、また、一方的に善悪だけで語れる問題でもなく、根が深いんですよね。
小説を書くことで、またさらに勉強ができるのはいいことだと思っています。
コメントありがとうございました。
そうそう、蓮さんは日本史だったとおっしゃっていましたよね。
もっとも私も世界史の授業で、こうした理不尽をよく理解していたというわけではなく、むしろ自分が現地に行ったり、西欧人がたくさんいる環境に身を置いたりして、肌で感じるようになったというほうが近いかもしれません。過去の問題になったというわけでもなく、また、一方的に善悪だけで語れる問題でもなく、根が深いんですよね。
小説を書くことで、またさらに勉強ができるのはいいことだと思っています。
コメントありがとうございました。
グレートジンバブエについてはまったく知りませんでした。
これも一種の偏見なのでしょうが、アフリカにこんなに偉大な遺跡があるなんて想像もしていませんでした。
ビデオも見せていただきましたが、これはかなり高度な文明が存在したという証拠に他なりませんね。19世紀におこなわれた偏見に満ちた調査はいかにも前時代的ですが、それなりに権威があった先生の調査なのでしょうから、覆すのはけっこう大変だったろうと想像します。
マッキーヴァー先生の調査結果がなかなか認められなかったのも時代を考えれば、まぁ理解できます。
それを女性だけの調査隊で緻密に調査を行い、冷静に一つ一つ反証していったのは偉いなぁ。学者ってこうじゃないといけませんね。サキならすぐにプチンと切れちゃいそうだけど・・・。
シュモクドリの巣とグレートジンバブエの対比、どちらも動機が謎ですが面白かったです。
この壮大な遺跡を作った動機なんて、シュモクドリの巣と同じように理解できないんじゃぁないかなぁ・・・。
これも一種の偏見なのでしょうが、アフリカにこんなに偉大な遺跡があるなんて想像もしていませんでした。
ビデオも見せていただきましたが、これはかなり高度な文明が存在したという証拠に他なりませんね。19世紀におこなわれた偏見に満ちた調査はいかにも前時代的ですが、それなりに権威があった先生の調査なのでしょうから、覆すのはけっこう大変だったろうと想像します。
マッキーヴァー先生の調査結果がなかなか認められなかったのも時代を考えれば、まぁ理解できます。
それを女性だけの調査隊で緻密に調査を行い、冷静に一つ一つ反証していったのは偉いなぁ。学者ってこうじゃないといけませんね。サキならすぐにプチンと切れちゃいそうだけど・・・。
シュモクドリの巣とグレートジンバブエの対比、どちらも動機が謎ですが面白かったです。
この壮大な遺跡を作った動機なんて、シュモクドリの巣と同じように理解できないんじゃぁないかなぁ・・・。
こんばんは。
今回は、純粋に建築に焦点を当てた作品を考えてみました。
ケニアで「せっかくアフリカに来たんだし、少し旅行しよう」と決めたとき、最初に頭に浮かんだのがジンバブエでした。
このグレート・ジンバブエ遺跡とビクトリア大瀑布に行きたくて。行けてよかったです。いまはもう危険すぎて、女性1人で行くのは無謀になってしまいましたし。
9世紀頃といったら、ヨーロッパではまだカロリング朝だの、ゲルマン人の移動だのがあった中世のはじめの頃です。この頃にはもうグレート・エンクロージャーがあって、中国とも交易をしていたんですから、おそらく世界で一番遅れていた文明はアフリカ大陸ではなくヨーロッパだったのかもしれません。でも、それは認められなくて、思い込みで遺跡の発掘を強行してきてしまったのですね。
面白いなと思ったのは、ケイトン=トンプソンの調査隊が、みな女性であったことです。今と違い、女性が教育を受けることも難しかった時代で、さらにアフリカなどの海外で調査することはいろいろな障害もあったことでしょう。そして、偏見と悪意に晒されながらも、緻密で論理的な調査結果を残し、その後の調査のお手本になったんですよね。恵まれていなかったからこそ、ここまで出来たということなのかもしれません。
そして、シュモクドリは、私にとっても特別な鳥で、1度は小説に登場させてみたかったのです。
建築というテーマは、ちょうどいい機会でした。
巨大すぎる巣自体が、無駄に思えますが、それどころか1年にいくつも違う巣を作り、その中の1つだけしか使わないそうです。
なぜそんな無駄なことをするのか、わからないそうですが、彼らにはなんらかの理由があるんでしょうね。
コメントありがとうございました。
> シュモクドリの巣とグレートジンバブエの対比、どちらも動機が謎ですが面白かったです。
> この壮大な遺跡を作った動機なんて、シュモクドリの巣と同じように理解できないんじゃぁないかなぁ・・・。
今回は、純粋に建築に焦点を当てた作品を考えてみました。
ケニアで「せっかくアフリカに来たんだし、少し旅行しよう」と決めたとき、最初に頭に浮かんだのがジンバブエでした。
このグレート・ジンバブエ遺跡とビクトリア大瀑布に行きたくて。行けてよかったです。いまはもう危険すぎて、女性1人で行くのは無謀になってしまいましたし。
9世紀頃といったら、ヨーロッパではまだカロリング朝だの、ゲルマン人の移動だのがあった中世のはじめの頃です。この頃にはもうグレート・エンクロージャーがあって、中国とも交易をしていたんですから、おそらく世界で一番遅れていた文明はアフリカ大陸ではなくヨーロッパだったのかもしれません。でも、それは認められなくて、思い込みで遺跡の発掘を強行してきてしまったのですね。
面白いなと思ったのは、ケイトン=トンプソンの調査隊が、みな女性であったことです。今と違い、女性が教育を受けることも難しかった時代で、さらにアフリカなどの海外で調査することはいろいろな障害もあったことでしょう。そして、偏見と悪意に晒されながらも、緻密で論理的な調査結果を残し、その後の調査のお手本になったんですよね。恵まれていなかったからこそ、ここまで出来たということなのかもしれません。
そして、シュモクドリは、私にとっても特別な鳥で、1度は小説に登場させてみたかったのです。
建築というテーマは、ちょうどいい機会でした。
巨大すぎる巣自体が、無駄に思えますが、それどころか1年にいくつも違う巣を作り、その中の1つだけしか使わないそうです。
なぜそんな無駄なことをするのか、わからないそうですが、彼らにはなんらかの理由があるんでしょうね。
コメントありがとうございました。
> シュモクドリの巣とグレートジンバブエの対比、どちらも動機が謎ですが面白かったです。
> この壮大な遺跡を作った動機なんて、シュモクドリの巣と同じように理解できないんじゃぁないかなぁ・・・。