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scribo ergo sum もの書き・八少女 夕のブログ Since March 2012


Posted by 八少女 夕

【小説】ケファの墓標

scriviamo!


今週の小説は、「scriviamo! 2024」の第6弾です。ポール・ブリッツさんは掌編でご参加くださいました。ありがとうございます!

ポール・ブリッツさんの書いてくださった 『城』

ポール・ブリッツさんは、オリジナル小説と俳句、それに鋭い書評や哲学論などを書いていらっしゃる創作系ブロガーさんです。毎年ポールさんのくださるお題は手加減なしで難しいんですけれど、今年もまためちゃくちゃ難しかったです。

ポールさんがくださったお題は、ジャンルとしてはファンタジーとなっていましたが、読む方によってものすごく解釈が分かれそうな作品です。ロールシャッハテストみたいな?

今日発表する作品は、ポールさんの作品の中から、いくつかのキーワードをいただいて再編成して書きました。ポールさんが意図なさったお話とはかけ離れているとはわかっているんですが、あえてこんな風に書いてみました。


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ケファの墓標
——Special thanks to Paul Blitz-san


 テベレ川の向こうがゆっくりとオレンジ色に染まっていく。遠くアペニン山脈の稜線が空とオレンジに染まるローマの街を分けている。

 ローマの街を一望する高さ88メートルのジャニコロの丘は、下町トラステヴェレ地区の近くにある。その素晴らしい光景は、古くから詩人や画家たちに愛された。かつてヤーヌスの神殿があったことにちなんで名付けられたといわれるが、現代この丘ででもっとも注目を集めているのは、ガリバルディ広場に立つジュゼッペ・ガリバルディの堂々たる銅像だ。

 この丘の中腹に、わたしの目指している建物がある。サン・ピエトロ・イン・モントリオ教会だ。この場所は、イエス・キリストの12使徒の筆頭であったシモン・ペテロの殉教地といわれている。

 眺めのよい広場から素晴らしい展望が広がる。南東には、サンタ・マリーア・イン・パルミス教会、通称ドミネ・クォ・ヴァディス教会があるはずだ。

 カトリックの伝承では、ローマでの迫害から逃れようとしたシモン・ペテロが、ここで天に帰ったはずのイエス・キリストと遭ったとされている。

主よ、どこへ行かれるのですかDomine, quo vadis ?」
そう問うペテロにイエスは答えた。
「あなたが私の民を見捨てるのなら、私はもう一度十字架にかけられるためにローマへ行く」
自分の命を惜しんだことを恥じたペテロは、ローマに戻り殉教したという。

 これは2世紀末に小アジアで書かれた『ペテロ行伝』に書かれているエピソードであるが、信憑性については疑問視されている。この教会の建てられた場所が、もともとはローマの再来の神レディクルム神への祭儀に関連しており、シモン・ペテロが引き返したこととの連想で、異教を信じる人びとを取り込む目的に使われた可能性が高い。

 だが、現代イタリアや、世界宗教の1つとなったキリスト教を信じる人びとのあいだでは、そうした背景そのものはもうどうでもいいことなのかもしれない。

 遠くシリア属州ゴラン平原で生まれた漁師ヨハナンの子シメオン(シモン)はガリラヤの地、湖でナザレのイェーシュア(イエス)に従い弟子となった。彼を救済者メシアと信じ、その信仰を告白した。その時に彼は『ケファ 』という二つ名をもらった。

そこでイエスは彼らに言われた、「それでは、あなたがたはわたしをだれと言うか」。
シモン・ペテロが答えて言った、「あなたこそ、生ける神の子キリストです」。
すると、イエスは彼にむかって言われた、「バルヨナ・シモン、あなたはさいわいである。あなたにこの事をあらわしたのは、血肉ではなく、天にいますわたしの父である。
そこで、わたしもあなたに言う。あなたはペテロ である。そして、わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てよう。黄泉の力もそれに打ち勝つことはない。
わたしは、あなたに天国のかぎを授けよう。そして、あなたが地上でつなぐことは、天でもつながれ、あなたが地上で解くことは天でも解かれるであろう」。

マタイによる福音書16章15-19



 ローマカトリックの初代教皇とされる聖ペテロのシンボルが鍵なのは、この記述に基づいている。存命中から十二使徒のリーダー的存在かつ原始キリスト教団の中心的存在でもあったが、同時に人間くさい面も併せ持っていた。

 イエスが捕らえられ裁判にかけられたとき、彼は他の使徒たち同様に逃走した。そして、「あなたはあのイエスの仲間だ」と言われ、彼は3度までそれを否定した。そして、「鶏が2度鳴く前に、あなたは3度わたしを知らないと言うだろう」というイエスの言葉を思い出して泣いた。

 神の子に天国の鍵を預かるまでに信頼された弟子にしては、非常に脆い心と態度であるが、むしろこれこそが人の本質であり、それでも最後には勇氣を振り絞って信仰の道を全うしたことが、崇敬の念を集めているのかもしれない。

 ジャニコロの丘に建つサン・ピエトロ・イン・モントリオ教会も、ローマの多くの教会同様、多くの美術作品で装飾されている。教会が閉まる時間が迫っているので、巨匠の作品をじっくり観察するのはあきらめて、ここに来た目当ての建物を目指す。

 ブラマンテのテンピエット。教会の中庭に、ルネサンスの建築家ドナト・ブラマンテが建てた殉教者記念礼拝堂だ。

 古代神殿に似た柱に支えられたドーム屋根が載った建築は、盛期ルネサンス建築の最高傑作と讃えられると同時に、アンドレア・パッラーディオに継承されて、その後のあらゆるドーム型建築の基本になった記念すべき建造物だ。

 建物の中心、聖ペテロ像の前に格子状の覆いのついた小さな穴があり、地下のクリプタが見えるようになっている。こここそが聖ペトロが逆さ十字架に架けられたと信じられている位置だ。

 ほんとうかどうか、確かめる術はない。それどころか聖ペテロがローマで死亡したことを示す歴史文書も存在しない。

 わたしは、ただ、自分と同じように弱くて、幾度も迷った人物が、背負うにはあまりにも重い重責を載せるケファとしての運命を受け入れたことに、敬意を示すためにこの地を訪れたのだ。

 中世以来ここは聖ペテロの磔刑の跡地として巡礼者を集めていた。小さな土塁でしかなかった土地に、スペインのカトリック両王フェルディナンド2世とイザベラは、1480年から1500年頃にかけて、サン・ピエトロ・イン・モントリオ修道院を建てさせた。

 わたしは、いろいろなことを考えながらモザイクに彩られた緑色の円を眺めた。

 陰氣な顔をした係員が、「時間だ」と言った。18時まではまだ2分ほどあるが、早く帰りたいのだろう。わたしは、頷いて出口に向かった。

 あたりはすっかり暗くなっていた。夜鳴き鳥が、静寂を破る。松のあいだを風が渡っていく。肌寒い。

 ガリバルディ広場へ戻り、ホテルのあるロヴェレ広場を目指して115番バスに乗った。

 バスは空いていて、わたしの他には前方に若い観光客が1人座っているだけだった。

 ロヴェレ広場に着く少し前に、その観光客は「おお」といってスマートフォンを構えた。

 左側にサン・ピエトロ大聖堂の大きなドームが見えている。いうまでもなくローマ・カトリック教会の総本山、バチカン市国にあるキリスト教最大の教会建築だ。
「うわ。やっぱりすごいな。なんて立派な建築なんだろう!」

 その言葉にわたしは複雑な想いを抱いた。
 
 聖ペテロの墓所があったとしてやはり信仰を集めていた場所に、最初の聖堂が建築されたのは4世紀である。この場所が本当に聖ペテロの墓であったかどうかは考古学的には立証されていない。ここにはかつて皇帝ネロの競技場があって、64年の大火の罪を背負わされたキリスト教徒たちが見世物として処刑されたとされている。大聖堂の地下にアウグストゥス時代のコインを奉献された墓所が出土しているので、少なくともここが初期キリスト教徒たちの信仰の対象地であったことは間違いない。

 地下墓所の祭壇跡の真上に、教皇の祭壇が位置し、この場所が初代教皇とみなされる聖ペテロの墓所であると全世界に宣言している。

 初代大聖堂は、ヨーロッパ最大の教会堂ではあっても、当時のキリスト教総本山たる主席教会堂ではなく1つの巡礼記念教会堂にすぎなかった。

 だが、ブラマンテが2代目サン・ピエトロ大聖堂の主任建築家に任命されたときは、すでに600年以上にわたり首席教会堂となっていた。

 ブラマンテは大きなドームを戴く回転対称にこだわったギリシャ十字形の集中式プラン大聖堂をデザインしたが、アーチと内陣部分が完成した時点で死去した。

 彼の死後に仕事を引き継いだ主任建築家らは、それぞれ完成を待たずに亡くなり、大聖堂の計画プランもその都度変更された。

 ミケランジェロが主任建築家となって、再びブラマンテのギリシャ十字集中式プランに戻し、のちにファサードが追加された以外は現在でも見られるサン・ピエトロ大聖堂の姿になった。

 その建築の最中にも、キリスト教会そのものが大きな転換期を迎えていた。贖宥状販売は、サン・ピエトロ大聖堂の建設のための大きな財源となっていた。それはマルティン・ルターが批判して宗教改革、ひいてはプロテスタント教会の成立を促した。また、1527年ドイツ王かつスペイン王であるカール5世によるローマ略奪がおきるなど、カトリックの権威と永遠の都だったはずのローマは斜陽の状態にあった。

 財政難と政争の中で、幾度も中断されたあげく、ほぼ現在見られるサン・ピエトロ大聖堂が完成したのは1680年だった。

 高さ25.5mのオベリスクを中心としたサン・ピエトロ広場、教皇が祝福を与えるバルコニーのある2階構造のファサード、観光客が 「スタンダール症候群」なる強迫観念の精神状態になるほど詰め込まれた膨大な芸術作品、持てる権力と財力を誇示するかのような内陣の青銅製大天蓋など、サン・ピエトロ大聖堂の威容を語るには言葉が尽きない。

 それは美しく壮大で感嘆の声を呼び起こす。けれど、その建物は、2000年前に信者たちが迫害を怖れながらも心を込めて祈っていた場とは、あまりにも違う存在になってしまった。 

 それを建てる際には、たくさんの贖宥状が売られ、ルネサンスの聖職者たちは豪奢な宮殿で放埒な生活を送り、石材を流用するために古代遺跡をも破壊した。神の代理人を名乗る教皇が庶子を儲けてその影響力を利用し我が子に一国を治めさせるような不品行が公然と行われていた。

 イエス・キリストがケファの上に建てた教会は、天国の鍵を預けられて自分の弱さを悔やみ泣きながらローマに戻り殉教したシメオンの墓は、そのような威容と豪奢を必要としたのだろうか。

あなたがたは、わざわいである。あなたがたは白く塗った墓に似ている。外側は美しく見えるが、内側は死人の骨や、あらゆる不潔なものでいっぱいである。
このようにあなたがたも、外側は人に正しく見えるが、内側は偽善と不法とでいっぱいである。

マタイによる福音書23章27-28



 わたしはサン・ピエトロ大聖堂を眺めながら心の中でつぶやいた。
「2000年前に、ケファがあった……」

 すると前の席にいた観光客が怪訝な顔をしてこちらを見つめた。

 どうやらわたしは、モノローグを心の中にしまっては置けずに、音に出してしまったらしい。恥ずかしい想いをごまかすために、窓の外のローマを眺めた。

(初出:2024年2月 書き下ろし)




追記

ジャニコロの丘と言ったら、誰がなんといおうとこの曲なんですよ。わたしには。


Respighi - Pines of Rome  Karajan Berlin Philharmonic
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Category : scriviamo! 2024
Tag : 小説 読み切り小説

Comment

says...
執筆、お疲れさまでした。

ポールさんのお題作品、あんなに短いのにいろんな解釈ができて、上手いなぁと思います。でも、お返しは大変でしたでしょうね。
で、この小説ですが。
本来なら、教会堂の価値は、大きさや華麗さや豪勢さで表すべきものではないと思いますね。そこに真摯な祈りがあれば、極端なことをいえば、ぼろ小屋でもいいはずですし。
それに、時代を経ていけばいくほど、最初の祈りや目的とは違う形で、「聖地」化されていくということも、残念ながらありますよね。
イエスやペテロが望んだはずもない大聖堂を、数多くの贖宥状の売上金で建設した。サンピエトロ大聖堂はさしずめ、ポールさんの作品の、罪人たちが石を削って持ち去る石切り場といったところでしょうか。
2024.03.06 08:58 | URL | #V5TnqLKM [edit]
says...
こんばんは。

そうなんですよ。
ポールさんの作品って、すごいですよね。
そして、自分のおバカ丸出しになったなと思いつつも、お返ししないわけにいかず……。

ポールさんの作品を読みながらおぼろげに出てきたものを形にしたのがこの作品なのですが、調べているうちに「あの大聖堂の建築の裏側、思っていたよりももっと酷かった」という(笑)

いまのバチカンの立ち位置から考えると「ゴージャスじゃなきゃだめだったんだろう」と感じてしまいますが、そもそもそういうものでもなかったし、だいたいあれを建てた頃にはプロテスタントが出てくるぐらいには腐敗しまくっていてますますシモン・ペテロが草葉の陰で憤慨するような状況だったんですよね。

書きながらいろいろと考えてしまいました。

コメントありがとうございました。
2024.03.07 00:18 | URL | #9yMhI49k [edit]
says...
世界中いたるところに、日本にも、このような建築はあるのですが、ヨーロッパに行った時にも世界遺産の宗教建築を幾つか見てきました。どれも荘厳でとても美しい建物で、感動ものでした。でもこれを作るのにいったいどれだけの資金と労力がつぎ込まれ、その資金と労力を調達するためにいったいどれだけの犠牲が払われたのだろう。そんなことを考えると、複雑な気持ちになりますね。
荘厳な教会を目の前にした時は只々感動してしまって、そんなことまったく思い浮かべることはなかったのですが・・・。
最初はたった一人の人間が志を持って始めたことでも、それに共感し付き従う人が増え、どんどん巨大化していった先には、好む好まざるにかかわらず、やはり制御の効かない状態になってしまうのでしょう。そして、たくさんの人間を束ねるためには、やはり威厳というものが必要になるのでしょう。また、そうしなければ大きくなれないのかもしれませんね。
でも、存在しているものは四の五の言っても仕方がない。せいぜい世界遺産にでも指定して観光資源として活用しよう・・・ということなのかな?

ポールさんの作品、解釈は難しかったのですが、夕さんのお返しも、う~ん・・・考えさせられました。サキにはちょっと難しすぎたのかもしれません。
2024.03.09 14:12 | URL | #0t8Ai07g [edit]
says...
あのような白昼夢をこんな歴史の薫り漂う話にしてくださってありがとうございます。

ほんとに自分は逆さに振っても鼻血ひとつ出ないようなイマジネーションの枯渇ぶりを呈している今日この頃なので、この作品を糧にして今年も一年頑張りたいと思います。

アウグスティヌスでも読もうかな。
2024.03.10 09:39 | URL | #0MyT0dLg [edit]
says...
こんばんは。

そもそもカトリック教会という存在自体が、まったく変質してしまったんですよね。
今では世界でも最もメジャーな宗教で、その総本山ともなれば立派で当然……ですよね。
ものすごく皮肉だなと思うのは、聖書の中でイエスが大きくなって形骸化したユダヤ教のあり方を批判し、もっと貧しく心のあり方を重視したユダヤ教の改革を目指していたということです。
つまり、シモン・ペテロが自分の墓の場所がこうなったことを見たら、何かひと言はいいたくなるだろうなと思っています。

かといってサン・ピエトロ大聖堂で神に祈る信者たちが敬虔でないということでもないんですね。
美術品にも罪はないと思います。

お城などはそれでもいいのでしょうが、宗教施設に関しては世界遺産としてお金を儲けるべきような存在ではないと思います。
ただ美術品や建築そのものは素晴らしいので、安易に壊されないように保護する必要はあるのでしょうけれど。
難しい問題ですよね。

コメントありがとうございました。
2024.03.10 23:43 | URL | #9yMhI49k [edit]
says...
こんばんは。

こんな作品で本当に申し訳ありません。

「白」「立派な建物」「岩」「2000年」といったキーワードから、じわーっと出てきたイメージで書き進めたら、こんな作品になってしまいました。
ポールさんの作品からにじみ出る神秘性と格調とはかけ離れてしまいましたが、これが精一杯でした。

ここしばらく更新の間が、あいていらっしゃるなあと思いつつ、時おり確実に更新されていらっしゃるのを見て安心しています。
ポールさんのペースで、無理なく更新してくださいね。

今年もご参加いただきありがとうございました!
2024.03.10 23:50 | URL | #9yMhI49k [edit]

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