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scribo ergo sum もの書き・八少女 夕のブログ Since March 2012


Posted by 八少女 夕

【小説】もう存在しない熱海へ

scriviamo!


今週の小説は、「scriviamo! 2024」の第7弾です。TOM-Fさんは、紀行文風小説でご参加いただきました。ありがとうございます!

 TOM−Fさんの書いてくださった「『鉄道行人~pilgrims of railway~』 第二話

TOM-Fさんは、胸キュンのツイッター小説、日本古代史からハイファンタジーまで 幅広い小説を書かれるブログのお友だちです。

「scriviamo!」には皆勤してくださり、毎回趣向を凝らした名作でご参加くださっています。今回書いてくださった作品は、『乗り鉄』としての知識と経験をフルに生かした紀行文的な小説、2022年の「scriviamo!」に参加してくださったシリーズの2作目です。つい先日、国内鉄道全線完乗という偉業を成し遂げられたというTOM−Fさんにとってとても思い入れのある作品ではないかと感じています。

鉄道会社、鉄道ファン、そして、日常の利用者それぞれに想いと意見があって、それぞれの言い分にはどれも納得・理解、または共感できるし、正解のようなものはないのだと思うのです。

美しい文章と描写で表現したTOM−Fさんの作品を読んで感じた、それらのあれこれを何とか自分なりの感情にまとめようとしたのですが、結局その三者をどこかに置き去りにして、自分と鉄道のノスタルジーだけを強調する作品ができてしまいました。

不毛でオチはない作品ですが、日本中の鉄道に乗りまくったTOM−Fさんなら「知っている!」とおっしゃられるはずの古いネタがあれこれあるかと思います。


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もう存在しない熱海へ
——Special thanks to TOM−F-san


 灰色の通路を降りていく。ここはいつも工事中だと思う。以前はそれを嘲笑したものだが、いまはむしろそのことにホッとする。変わらないものがあることはいい。

 横浜駅で東急東横線からJR東海道線に乗り換えるのは何回目だろう。

 記憶にある限り、ここはいつもひとりで乗り換えた。幼いとき、母に連れられて乗ったのは新幹線だったから菊名駅で乗り換えて新横浜駅に向かった。高校生になって以降、ひとり旅で東海道本線に乗ったのは、もちろんそれが経済的だったからだが、他にも理由があった。

 熱海の祖母の家に向かう道中、わたしはいつもひとりだった。たぶん、そのひとりの時間を少しでも引き延ばしたかったのだと思う。

 わたしの子供時代は、自然災害や戦火から逃げ惑う世界の氣の毒な子供たちどころか、日本にもいくらでもいる苦労人たちと比較しても、十分すぎるほどに恵まれていた。にもかかわらず、わたしは幸せではなく、無力な未成年であることに苦しみ、早く自由な大人になりたいとひそかに願い続けていた。

 それでいて、道を踏み外すほどの勇氣も無かったので、平凡で灰色の日常がただ過ぎ去るのを待っていた。学校の長期休暇に、少ないお小遣いを持って、熱海の祖母のところに遊びに行くことが、ほぼ唯一の心ときめく大冒険だった。

 新幹線が30分で走りすぎる道のりを、鈍行列車は80分以上もかけて行く。その時間をあの頃のわたしはひたすら楽しんだ。

 今日のわたしは、ないとわかっているものを探すために、同じ路線に乗る。

 ホームに上がる前に、駅弁を買うために売店に立ち寄る。探している駅弁は今日もない。

 そんなに難しい注文ではない。ただのお好み弁当だ。幕の内風にいくつかのおかずが詰まっていた。魚のフライ、卵焼き、ひき肉と筍の和え物、唐揚げ。

 以前はいつ行っても同じようなお弁当があったのに、いまは流行らないのだろうか。だから、次に食べたいシウマイ弁当を買う。少なくともこれはまだ存在することが嬉しい。

 昔はあったプラスチック容器、ポリ茶瓶に入ったお茶はどこにもないので、しかたなくペットボトルのお茶も購入する。

 すべてはこの調子だ。あの頃を探して見つけられない。

 ホームに入ってくる東海道本線は銀の車体に緑とオレンジの線が入っている。オレンジ地に上下が緑だった113系に乗れるはずはないのだ。でも、わたしはいつもそれを期待している。

 かつてはいつ乗ってもボックスタイプの座席があったけれど、いまは通勤列車風の長椅子座席が多い。ボックスタイプでないと駅弁が食べにくい。それで、やむを得ずグリーン券を購入する。グリーン車ならば長椅子ではないし、それに、東京駅からでなくとも座れる可能性が高い。

 到着を待つあいだ、近くのホームで電車が到着し、防護柵が開閉する度に、さまざまな電子音でのアラームが鳴り響き、心地よく爽やかで特徴のない女性の声で録音されたアナウンスが響く。そして、それに何人もの男性のアナウンスが被る。

 つまり、駅は常になんらかの音声が鳴り響いている。そうだ、これが日本の都会だった。わたしは苦笑いする。記憶の中にこの引っ切りなしに畳みかける音声はない。もしかしたら、当時もそうだったのかもしれないが、当時のわたしにはノイズキャンセル機能が備わっていたのかもしれない。

 憶えている音声は、鳥の声、蝉の合唱など、自然の音ばかりだ。

 平日、通勤時間帯でもないので、グリーン車の停車位置で待っている客は少ない。また、東海道本線は必ず横浜駅で停車するからなのか、防護柵も設置されていない。

 静かに到着した列車は、速やかに出発する。わたしは、せっかくなので2階席に上がる。海を見たかったので進行方向左側を探した。窓際に1人で座ることができてホッとした。思った以上に空いている。

 きれいな青空の下、電車は静かに走っている。まるで新幹線のようだ。電光掲示板、滑らかな女性のアナウンス、英語も続く。

 グリーン車の内装は、展望を考えた窓や、リクライニングもできるシート、そして、頭上にライトがついていたり、折りたたみテーブルがあるところなど、至れり尽くせりで飛行機のようだ。

 昔座った青いビロウドの四角い対面型ボックス席は、当時ですらレトロめいていた。足元の暖房が熱すぎるほどで、たまにシートが焼けているんじゃないかと思うような特別の香りがしたものだ。

 隔世の感があるが、それも当然のことだ。もう何十年も前なのだから。

 窓の外には都会らしい街並みから住宅街に変わって、さまざまな光景が流れていく。

 日本で初めて長距離電車に乗った外国人は、大都市間に郊外といえる景色がないことに驚いたと口を揃える。たとえば東京と横浜のあいだに、田んぼや牧草地だけの光景などはない。ひたすら都市部としかいいようのない建築物のみの光景が続く。

 とはいえ、よく注意して見ると、その光景は決して同じではない。横浜駅を出て大船あたりまでくると、線路から家までの距離はずっと遠くなってくるし、途中駅で待つ人びとの姿も明らかにまばらになっていく。街ごとの人口密度が大きく違うのだろう。

 相模川を越えると、住宅街が姿を消す。青空の下、白い工場や倉庫群が灌木に混じって見える。平塚に到着するというアナウンスが聞こえた。

 あまりのんびり車窓を眺めていると食べ損ねるので、駅弁を開ける。

 ほかの幕の内風弁当ではなく、シウマイ弁当を選んだ理由の1つが木箱だ。このほのかな木の香りに、格別ノスタルジーがある。それに、プラスチック製容器で食べるよりもご飯が美味しく感じる。

 大磯駅を過ぎた辺りから、待ちわびていた太平洋が遠くに見え始める。

 高校生のわたしが、通る度に心躍らせた光景だ。普段の生活圏からは東京湾だってめったに目にする機会はなかったけれど、熱海行きで見える海は、わたしにとって特別だった。汚れていない海の青さは、紛れもなく旅をしているのだと実感させてくれる。

 太平洋は変わらなかった。空よりも一段深い青でどこまでも広がっている。平らで、穏やかだ。

 電車は淡々と進む。二宮、国府津、鴨宮。鈍行に乗らなければ、存在すらも知らない街だけれど、わたしがかつて、1つ1つ心躍らせていた駅名だ。お城で有名な小田原。それから、早川、根府川、真鶴、そして湯河原まで来ればもう次は熱海だ。

 時おり通り過ぎる家の庭木に、取り損ねたミカンが見える。それも、懐かしい光景の1つだ。

 遠く霞んでいるのは初島だろうか。そう思った途端、小さい頃の思い出が蘇る。

 1度だけ母に連れられて行った。母は、決して安くはないフェリーの運賃を払って姉とわたしをわざわざ連れて行ってくれたのだろうが、岩場で見たフナムシにキャーキャーと怯え大騒ぎしたことしか憶えていない。

 何もない島という印象しかなかったのだが、今では、首都圏から一番近いリゾートアイランドとして、グルメスポットやマリンスポーツの拠点、アドベンチャー施設などのあるお洒落で明るい島を売りにしているようだ。

 熱海自体も、高校生のわたしがひとりで歩き回った街とは違っている。

 かつて温泉保養地として名を馳せた熱海は、バブル崩壊後に衰退して1度は侘しいシャッター街になってしまった。それを憂えた地元の人たちの努力と、若者たちを中心とした観光客への新たなマーケティングで、今はまた別の賑わいを見せるようになった。

 2000年前後の、ひどく廃れた街の様子には心を痛めたが、現在の若者で賑わうスポット、行列のできるグルメ店の様子を見ると、やはり別の意味での違和感を感じる。ここは、わたしが知っていた頃と同じ街ではないのだと思い知らされるのだ。

 なにもかもが変わってしまった。熱海も、わたしも、家族も。

 バブル期の訪れる前の、街全体が温泉リゾートか巨大な老人ホームの様相を示していた一時期に、わたしは熱海に通っていた。

 たくさんの高齢者向け分譲マンションがあり、引退した人びとが住んでいた。それぞれの部屋に住みながら、ロビーがあって管理人や看護師が常駐し、食堂や大浴場などで交流する、ゆるい共同生活をしていた。

 そのすべてが、もの珍しくて好ましかった。当時はまだ若くて元氣だった祖母が、山歩きに趣味の陶芸にと1人暮らしを楽しんでいた様子が、わたしの熱海への憧れにつながったのだと思う。

 祖母と部屋で遊び、小さなコンロで焼いた磯辺餅を食べ、屋上から海上花火大会を見た。温泉浴場にゆっくりと浸かり、近隣の山道を散策した。

 東京では見かけない運賃後払いのバスで街の中心に出かけると、大きなホテル裏手の配管から温泉の香りが漂っていた。

 商店街は、少し古くさく感じられる店が多かった。そう、あれは紛うことなき昭和の時代だった。

 街の中心にヤオハンというスーパーマーケットがあった。ひとりで行ったときには、普段は添加物が多いと買ってもらえなかった廉価な3個入りプリンを買ってひとりですべて食べた。

 もっと幼い頃は、母と姉と一緒に最上階のレストランに行った。なんでもない冷やし中華も、熱海で食べているというだけで特別美味しいと感じていた。

 そのヤオハンがなくなってしまったのは、最近のことではない。流通業界の再編は、地方都市では早かった。

 今でも当時食べていたいくつかの憧れの食べ物は、例えば東京で入手することができるのだろうが、それはきっとあの時のように美味しくはないのだろう。あの頃の熱海ではないのだから。

 大好きだった祖母はもうこの世にはなく、彼女が熱海で住んでいた高齢者向け分譲マンションの部屋もとっくに売却された。

 あの頃息苦しくてしかたなかった、逃げ出したくてたまらなかった学校と生活は遠い記憶の彼方に沈み、父母ももうこの世にはいない。姉もわたしも家庭を持ち、実家すらもうなくて、わたしは日本に帰る場のない存在になってしまった。

 わたしは異国に住み、生活費を稼ぎ、したくないことをせずに済む自由を手に入れた。所有する車のキーを回し、アクセルを踏むだけで、実家と熱海を隔てるのと同じ100キロメートルを容易に移動することができる。

 何十万円に相当するチケットを購入し、1万キロメートル離れた日本に里帰りして、思い出の地を訪ねたいからという理由でこうして電車に乗ることに誰の許可も必要としない。

 あれほど逃げ出したかった世界から、完全な自由を得たはずなのに、思い出すのはあの頃のことばかりだ。

 どこにも行けなかった、悲しくて情けなかったあの頃には、今はどれほど望んでも会えなくなってしまった人たちが当たり前のように存在していた。

 ひとりになりたくてしかたなかったあの頃には、もう2度と会えなくなってしまった人たちの面影を探しながら日本を彷徨う未来があるとは想像すらしなかった。

 わたしは、いまの、現代的でおしゃれな店に背を向ける。そして、楽しそうな観光客たちが向かわない、海岸の果てに立った。

 波の音が、あの頃と同じように繰り返す。

 東海道本線を走っていた113系の車体や、暖房の効きすぎたビロード張ボックス席や、ポリ茶瓶に入ったお茶や、ヤオハンや、昭和らしい街角の存在しなくなってしまった熱海に、かつてと同じように押し寄せる。

 わたしが思い出を共有した人がまったくいない海岸。

 おそらく未来のいつか、わたしがこの世に存在しなくなっても、この波はまったく変わらないだろう。

 帰りは、新幹線で帰ろう。わたしは、熱海駅に向かいながら考える。ただでさえ失われた世界に感傷的なわたしが、夕闇の差し込む東海道本線の郷愁に80分以上も堪えられるとは思えないから。
 
(初出:2024年3月 書き下ろし)
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Tag : 小説 読み切り小説

Comment

says...
執筆、お疲れさまでした。

横浜駅が常に工事中、は有名ですよね。サグラダ・ファミリア教会かよ(笑)
私が鉄道旅行を始めたのは高校1年のときでしたが、八少女夕さんも同じような年代で熱海行を楽しみになさっていたんですね。
登場する国鉄113系電車、ほんとうによくお世話になりました。描写されている車内の様子、懐かしいです。当時は車内で喫煙も飲食もあたりまえでしたから、紫煙と酒の匂いに満ちていたものです。
駅弁には、ポリ容器のお茶がセットでしたね。蓋がコップ代わりになるんですよね、あれ。しかも駅のホームに立ち売りさんがいて、窓を開けて買うんですよ。風情があったなぁ。そして横浜名物シウマイ弁当。今でも出張に行った帰りには、時々買って食べてます。あの木の弁当箱がいいんですよね。
駅や車内のアナウンス、昔は自動音声じゃなくて駅員や車掌の肉声でしたからね、あんなにずっと流れっぱなしじゃなかったですね。駅もわりと静かだったと思いますよ。仰るように、年齢ノイキャンかしれませんが(笑)

東京から西に向かって、太平洋が車窓に現れると旅情を感じるというのは、わかる気がします。一部を除く首都圏の方にとって、太平洋が見えるというのは、それだけで非日常体験ですよね。そして、列車の様子や都会の車窓は移り変わりが早いけど、海や山や田舎の車窓は変わらない安心感もありますし。
熱海のような町は、昭和から平成にかけて、いい意味でも悪い意味でも様変わりしていて、昔を知る人にとっては「そうじゃない」感があるでしょうね。そこですごした懐かしい時間がある場合には、とくにそう感じるんじゃないかと想像します。八少女夕さんにとって、熱海滞在は青春時代の一ページなんだろうなぁと感じました。
鉄道も町も人も、うたかたのように移り替わってしまっても、浜辺に打ち寄せる波は同じなんだろうし、またそれがゆっくりとした、しかし確実な時の流れをも実感させますね。
帰路は新幹線にして正解だったと思いますよ。郷愁をふっきるには、あの速度とドライさが必要ですね。
今回もまたとても素敵なお返し作品でした」。「あるある」だけでなく、いろいろ共感させられました。
2024.03.13 08:51 | URL | #V5TnqLKM [edit]
says...
こんばんは。

なんで横浜駅の工事終わんないんでしょうね?
サクラダ・ファミリア教会だって終わるっていうのに……。

さて、TOM−Fさんの筋金入りの乗り鉄ライフが始まった時期を考えると、もしかしたら当時からニアミスしていたかもしれませんね。
あのオレンジと緑の国鉄電車、TOM−Fさんなら絶対に乗り慣れていただろうなと思いました。
そうそう、あのころはフツーに喫煙車ばかりでしたよね。
灰皿ついていたし。

そしてお弁当のお茶、懐かしいんですけれど、なぜ絶滅しちゃったんでしょうね。
あれ、復刻したら絶対に懐古者が殺到すると思うんですけれど。
横浜シウマイ弁当はまだ残っていてありがたいです。次回いったら、また食べようっと。

構内のアナウンス、引っ切りなしですよね?
しかも、あの謎の音楽風ベルが独特なんだよなあ。
普通にベルや笛でいいのにと思うんですけれど、ダメなのかしら。

海を見ると、ぐっときます。
海のない国に引っ越してしまったのでよけいなのかもしれませんが、やはり鈍行に乗って熱海に行っていたときのあのトキメキが原体験となって、あれだけでちょっと泣きそうになりますね。

熱海もそうですが、東京を含めて日本のどこに行っても浦島太郎的において行かれた感じが半端ないです。
もちろんわたしが熱海に通ってい時代はもちろん、日本に住んでいた頃そのものが○十年前ですから、しかたないことなんですが……。
だからこそ、変わらない海にぐっときたりしてしまうのでしょうね。

すっかり自己満足な電車紀行になってしまいました。本当にすみません。
今年もまた素晴らしい作品でのご参加、本当にありがとうございました!
2024.03.16 00:32 | URL | #9yMhI49k [edit]
says...
昭和は遠くなりにけり・・・なんでしょうか?
サキは昭和を知らないのですが、それでも時代は動いているなぁと感じることはあります。昭和はもっと前ですから、なおいっそういろんなことが(自分さえも)変わっていっているのでしょうね。
昭和を知らない人が昭和に憧れを感じる昭和ブームなんてのもありますが、エネルギーにあふれ、がむしゃらに突き進んだ、コンプライアンス?何?それ!的な、今から考えれば変な時代だったんだろうと想像しています。
このお話を読んでいてサキは郷愁の小旅行に出かけているような気分になりました。たぶん夕さんの実体験をベースに書かれているんでしょうが、よく調べて書かれているなぁと感じました。そうだなぁ、幕の内風駅弁、ポリ容器のお茶、冷凍ミカンをはじめ、昭和をなぞろうとしてもすでに消えてしまっているものはたくさんあって、そのままというわけにはいかないですね。
鉄道マニアは、やれどこそこ行きの特急が無くなると言っては大挙最終列車のホームに押しかけ、廃線になると言っては大挙サヨナラ列車に乗車し、昭和の名残の追跡に躍起になっていますが、サキはなかなかそういう気持ちにはなれません。サキも負けないくらい鉄道ファンなんですけれど・・・。

過去のものになってしまった時代も人も、時の流れに変化して、同じ場所に戻ってももう元通りになることはない。もう存在しない。そうなんですよねぇ・・・とっても考えさせられました。

ええ、帰りは最新式の移動システム“新幹線”。これが正解ですよ。あっという間に現実世界に復帰です。
2024.03.16 14:23 | URL | #0t8Ai07g [edit]
says...
こんにちは。

そうですね。
今の子供たちからしたら、昭和って、わたし達の時代の大正ではなくて明治なんですよねぇ。うーん。
たしかに私の祖母は明治生まれでしたし、そろそろ周りに「子供が」ではなくて「孫が」が出てきていますしねぇ。
昭和は遠いのか……がっくり。

個人的には「特別な時代」ではなくて「単なる日常」だったんですよ。
そもそも昭和天皇が崩御する日が来るなんて、考えもしませんでしたし。当時相当高齢だったにもかかわらず。
エリザベス女王と同じ感覚でしょうか?

さて、この話、グリーン車そのものは調べて書いています。あと現在の熱海の様子も。
でも、昭和の話は全部実体験なので、あまり調べていないんですよね。
当時の初島が「何もない島」だったかどうかは実はちょっとあやふや。単にわたしがそう感じただけなのかもしれません。
ま、リゾートアイランドではなかったような。

わたし自身は鉄道マニアではないので、車体などについては詳しくないので「どこそこ行きの特急」のために駆けつけることはしないのですけれど、でも、氣持ちはわかります。そういえば明治のチェルシーがなくなるとわかった途端、どこでも売り切れだそうですけれど、きっと同じ心境なんだろうな。なにもかも永遠にあるわけではないと知っていても、普段はそうそうなつかしいお菓子を買ったりしませんよね。前回の帰国で買っておけばよかった(笑)
そんなことばかりです。

帰りは新幹線。さすがに鈍行で往復はちょっとキツいかも。

コメントありがとうございました。
2024.03.17 12:09 | URL | #9yMhI49k [edit]

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