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scribo ergo sum もの書き・八少女 夕のブログ Since March 2012


Posted by 八少女 夕

【小説】風紋 

moz84さんのお題をもとに書かれたMamuさんの作品にインスパイアされた短編です(彼女の素晴らしい作品は、この記事の下に記載しました)。「愚問」に出した私の愚答は「女だったから」。なぜか。お読みください。


風紋

夜の帳が静かに降りてくる。渇きが癒されぬまま、女はかすんだ目で砂の上を見ていた。ゆっくりとにじり寄ってくる、黒く艶やかな蠍が目に入る。その虫はやがて女の肌をよじ上り、頬へと向かう。汗すらも乾ききった女の体で唯一潤う場所、涙を目指して。女を黒い瞳が見つめている。
――なぜ、お前はそれほど愚かなのだ。
女は答えない。

*    *    *

問いかけたのは、私です。あなたはとても正直だった。だから、一度も答えてくれませんでした。

空氣が重くだるい夏の午後、あなたはサルマーと碁盤をはさんで語り合っていました。ジャスミンの香りが馥郁たる春の夕べに、あなたはサミーンと宴の席を囲んでいました。肌でお互いを暖めあう冬の朝は、愛らしいアイーシャと過ごしていました。月の消えて星の冷える秋の夜、あなたは私の作った詩に耳を傾けました。語るのはいつも私でした。あなたは、とても正直だった。あなたの黒い瞳が、私の問いに答えていた。けれど、私は他の答えを待っていたのです。

若い頃から辛苦をともにしたサルマーではなく、あなたに必要な財力を与えてくれたサミーンでもなく、若く妬ましくなるほど美しいアイーシャでもなく、大切なのは私だけだと言ってほしかった。

「教えて。一番、愛しいのはだれ?」
あなたは答えてくれませんでした。あなたの黒い瞳は静かに私を見つめていました。それは、こう言っていました。
――なぜ、お前はそれほど愚かなのだ。

アイーシャがキラキラと輝くエメラルドの首飾りを誇るように身につけていた時に、私は何も言いませんでした。でも、『カリーラとディムナ』の装飾本を見せて来た時には、黙っている事が出来ませんでした。

「なぜ、あの子に私にもくださらなかった高価な本を与えるのですか。あの子は本なんか読まない。宝石や花だけではあの子の氣を引くのに十分ではないとお思いですか。この事がどれほど私を傷つけるのかおわかりではないのですか」
あなたは答えてくれませんでした。あなたの黒い瞳は静かに私を見つめていました。それは、こう言っていました。
――なぜ、お前はそれほど愚かなのだ。

「私は自分がここにいる意味が見いだせません。何のために生きているのか、わからないのです」
あなたは答えてくれませんでした。あなたの黒い瞳は静かに私を見つめていました。それは、こう言っていました。
――なぜ、お前はそれほど愚かなのだ。

泣いて、泣いて、泣いて。その度にあなたの言葉は少なくなっていき、戸口にあなたが現われない日が何日も続き、私は自分からあなたに面会を申し込まねばなりませんでした。

「寂しいのです」
「人はみな孤独だ」
「これではたまりません。ほんのわずかでも、国に帰らせてください」
「もう、戻ってこないつもりか」
ずっとあなたの隣にいたかったのに、私は正直に答える事が出来ませんでした。
「わかりません」
輿入れ以来、一度も出た事のなかった門を出る時、私は何度も何度も振り返りました。あなたが走り出て来て、抱きしめ、「どこにも行かせない。愛しているのはお前だけだ」と言ってくれるのを期待して。

*    *    *

銀の鞍の駱駝に女を載せて召使いのハーシムは砂漠を行った。隊商の影も、街の香りもどこにもなくなった頃、奥方さま、奥方さまと面倒を見てくれた彼は態度を豹変させた。

「風が強いから休めだと。だったらそれをよこすんだな」
女は金貨がたくさん入ったゴブラン織りの財布をハーシムに渡さねばならなかった。

星が降りそそぐ夜は、凍える寒さに震えた。
「火をおこしてほしいだと。だったらそれをよこすんだな」
女はルビーとエメラルドの輝く腕輪を渡さねばならなかった。

砂嵐が起こり、駱駝は一歩も歩こうとしなかった。
「砂よけのテントを建ててほしいだと。だったらそれをよこすんだな」
ハーシムは女の着ていた極東の美しい絹の衣服をはぎ取った。

「俺は、これ以上お前に仕えたりはしない。一生遊んで暮らせるお宝を手に入れたからな」
ハーシムはそう宣言すると、女を突き倒した。
「どうか、置き去りにしないでください」
頼みが聞き入れられぬと悟った女はせめて水を残していってほしいと懇願した。
「だったら、これはいただくぜ」
銀の鞍をつけた駱駝に跨がると、ハーシムは陽炎の先に見えているオアシスに向けて駆けていった。女を砂漠の中に一人残して。

女はとぼとぼと歩いた。灼熱の太陽がじりじりと焼き付ける。オアシスは近づいているようでいつも遠ざかった。ファタ・モルガーナ。歩いても歩いても、何も変わらなかった。ハーレムの中庭の噴水の音が聴こえる。尽きせぬ豊かな泉。望めばいつでも逢えた愛しいひと。黒い瞳が問いかける。
――なぜ、お前はそれほど愚かなのだ。

わずかな水はすぐになくなった。足が砂の中をまともに踏み出せなくなり、倒れては立ち上がり、倒れては立ち上がり、やがて、そのまま横たわった。遠くを隊商が過ぎていく。手を降り助けを求める力は残っていなかった。

あなた。私はまだ待っています。あなたが駆けて来て、「どこにも行かせない」と抱きしめてくれるのを。
――なぜ、お前はそれほど愚かなのだ。


夜の帳が静かに降りてくる。渇きが癒されぬまま、女はかすんだ目で砂の上を見ていた。ゆっくりとにじり寄ってくる、黒く艶やかな蠍が目に入る。その虫はやがて女の肌をよじ上り、頬へと向かう。汗すらも乾ききった女の体で唯一潤う場所、涙を目指して。女を黒い瞳が見つめている。
――なぜ、お前はそれほど愚かなのだ。
女は答えない。死の帳が静かに降りてくる。

第三夫人が供の者と失踪した後、アフマド・ビン・ムクタディル・ビン・ハマド・アル=ジャーミウは再び妻を娶った。不意にできた空白は、新たな婚姻で埋められ、ハーレムには平和が戻った。

どこまでも続く赤茶色の光景は、陽炎に揺らぎ地平線が見えない。わずかに盛り上がっていた丘の周りに風がサラサラと執拗に砂を運び込み、やがて周りとの段差はなくなった。その平かさに安心したかのように、風はいつもの仕事に専念しだした。どこまでも続く赤茶色の大地に戯れの幾何文様を描いていく。乾いた世界は、今日も何事もなく暮れていった。

(初出:2012年8月 書き下ろし)


愚問


日の傾きかけた砂漠を隊商が行く
その駱駝と人の群れを砂の丘に昇って
東洋人の髪のように黒いサソリが眺めている

傍に横たわる骸の女に見向きもせずに
サソリは群れが行き過ぎるのをただ眺めていた

暗澹たる闇が降りてもサソリは動こうとはしない
己が何者かも知らぬ曖昧さで其処に佇んでいるのだ


─ 幾ばくの時が過ぎただろうか
月の焔が 骸の女を恍惚と浮かび上がらせた

サソリは女に眼を遣り愚問する
「何故美しいのか」と

─ 女は答えない

凝固する血の涙にサソリは更に愚問する
「何故泣くのか」と

─ 女は答えない

苦悶の形相におぞましい逸楽を感じながら
サソリの愚問は続く 
「何故死ぬのか」と

─ 女は答えない

そして 四度の愚問を遮るように月は雲に呑まれ
闇が全てを覆い尽くした

答えぬ女の顔を黒いサソリは無造作に這ってゆく
女とサソリの間にはもはや何も無い
其処にはただ生と死が転がっていた



愚問 (特別編) - Poem Spice-久遠の詩-

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