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scribo ergo sum もの書き・八少女 夕のブログ Since March 2012


Posted by 八少女 夕

【小説】大道芸人たち (24)出雲、 エレジー - 2 -

縁あって、西洋音楽の曲名はいくらでも出てくるのですが、津軽三味線の方はかなり疎いのです。陰調の「あいや節」はYoutubeで見つけた曲目。いやあ、ネットって便利ですね。

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大道芸人たち Artistas callejeros
(24)出雲、 エレジー - 2 -



 やがて稔は静かにバチをとると力強く弾き始めた。誰も何という曲か知らなかったが、強く哀切のこもる曲で、ヨーロッパでは一度も聴いたことのない音色だった。それは陰調の『あいや節』だった。空氣が震えた。木々が稔のバチに合わせて身をしならせた。龍王の池の水面が狂おしいうねりを見せた。

 蝶子は身震いした。稔が三味線の名手であることはもちろん知っていた。しかし、彼はそれ以上だったのだ。天才という言葉がしっくりとくる。大道芸人をしているような人材ではないのだ。稔以外の三味線の音を聴いたことのないレネやヴィルにもそれはわかった。

 稔は『新堂のじいちゃん』とその息子夫婦のために弾いていた。そして、亡くなった父親と、それを悲しむ母親、弟、そして自分自身のために弾いていた。千年前の恋人たちと日本の心を象徴するようなこの神聖な社の龍のために弾いていた。神秘的な龍の心と三味線の音色が響き合い、出雲の、それから大和の魂となって山の中にこだまする。

 ここ日本は俺のルーツだ。この響きは俺の魂だ。そして、今ここにいる三人が俺にとっての現実だ。俺はこいつらと一緒にヨーロッパで生きていく。俺の魂の音を奏で続ける。それが俺の生きていく意味だ。

 瑠水は涙を流していた。東京のコンサート会場で拓人の演奏に涙して以来、人の演奏に涙を流したことはなかった。この人は、結城さんと真耶さんと同じ、音楽で奉職する人なのね。この場にいられるなんて、私はなんて幸せなのかしら。

 その曲が終わると、稔はやはりしばらく身じろぎもせずにいた。再び風と水と蝉の音だけが空間を支配した。誰も何も言わずにそれを聴いていた。

 やがて、稔は蝶子の方を見て微笑んだ。蝶子は頷いて、ゆっくりとフルートを組み立てて立った。透明な細い音が、空に響き渡った。ドボルザークの『我が母の教えたまいし歌』だった。稔の音と対照的な静かで平和な音だった。深い哀切が心に染み渡ってくる。心が痛くなる。失われてもう戻らない人を想う世界に共通した悼みを、切々とした音色が心の奥深くから揺り起こしていく。

 蝶子が自分と母親に対してどういう想いを持っていたのか、ヴィルは初めて知った。ヨーロッパの女なら、こんな風に自分を責めることはないだろう。ヴィルにしてみれば、母親が死んだのは父親のせいではあっても蝶子のせいではなかった。父親は四半世紀以上、母親に興味がなかったのだ。しかし、ヴィルはアーデルベルトとしてそれを蝶子に伝えることができなかった。

 レネはコルシカフェリーを思い出していた。あのとき自分は彼女を口説くことしか考えていなかった。でも、パピヨンはこんなに重い十字架を背負い、迷い苦しんで泣いていたのだ。あのとき自分が思ったような単純な失恋などではなかった。家族に理解されず、恩師との恋愛沙汰に巻き込まれ、誰かに死なれ、どれほど苦しかったことだろう。それでも蝶子はしなやかで強かった。フルートを吹き続け、人生という旅を休まずに続けている。

 蝶子がその曲を吹き終えると、とても短かったので、稔は手振りでもう一曲やれと指示した。肩をすくめると蝶子はヴィルに言った。
「プーランクの『フルートソナタ第二番』の二楽章、一緒に演奏してくれる?」

 ヴィルは黙って頷いて、瑠水のピアノの前に座った。前にコモで蝶子と演奏したことがあり、父親に頼まれて何度も伴奏したことがあるので暗譜で弾くのは難しくなかった。だが、穏やかならぬ心をコントロールするのは困難だった。ヴィルの心を乱しているのは亡くなった母親ではなく、いま、その母親のために繊細で類いまれな音色を生み出している蝶子だった。知れば知るほど愛は深まっていく。想えば想うほど、自分の始めてしまった愚かなゲームのために身動きが取れなくなっていく。そうだ、拓人。こんなことを続けるべきではない。早いうちになんとかしなくては。

 蝶子は無心に吹いた。アーデルベルトのために、マルガレーテ・シュトルツのために、それから稔とその父親とのために。失ってしまった祖国への哀歌でもあった。深い信頼と親愛の絆を感じつつも、いつまで一緒にいられるかわからない大切な三人との愛おしい日々に対するオマージュでもあった。

 蝶子が終わると、瑠水は次はヴィルだと期待を持った目で見つめた。それで、瑠水には無表情にしか見えないがかなり困っているヴィルに稔は頷いた。仕事で「お前の番だ」という時の頷き方だった。それでヴィルは肩をすくめてショパンのピアノソナタ第一番の第一楽章を弾いた。

 ヴィルは自分の母親のために弾いているわけではなかった。ヴィルは稔のために弾いていた。彼の父親のために。彼の親戚の老僧とその息子夫婦のために。レネとその亡くなった妹と暖かい両親のために。蝶子の痛み続ける心のために。Artistas callejerosに加わるようにしむけ、ここに自分を連れてきた不可解な運命のために。そして、成就することのないであろう愛のために。

 家の入り口には、仕事から帰ってきた瑠水の夫の真樹が黙って立っていた。三味線の音に驚いてやってきた宮司をはじめとする神職たちも、聴いたこともない見事な奉納演奏の連続に場を離れられずに立ちすくんでいた。

 ヴィルの演奏が終わると、三人は必然的にレネの顔を見た。
「な、なんですか。僕は音楽家じゃないんですよ!」
「でも、あんなにいい声なんだもの。何か歌ってよ。教会で歌っていたなら、ちょうどいい曲があるんじゃない?」

 レネはしばらく抵抗していたが、蝶子が一緒に歌うことを約束させてようやくヴィルにフランクの『Panis angelicus』の伴奏を頼んだ。蝶子は喜んで歌詞抜きでコーラスを歌った。


『たかはし』で、四人と瑠水と真樹、そして摩利子と一が山崎の十八年で乾杯していた。宿泊は好意に甘えるとしても、底なしに飲むから飲食代だけはちゃんととってほしいと頼み、新堂朗の好きだったというウィスキーで乾杯することにしたのだ。

「残念だわ。ものすごい演奏だったんですって。店を閉めて聴きにいけばよかった」
摩利子がため息をついた。

「プロの演奏と瑠水のが全く違うのはあのピアノのせいだとずっと思っていたんですが、ピアノに罪はなかったようですね」
ふくれっ面をする瑠水の頭をなでながら真樹が言った。

「私は始めたばかりだもの。この人たち、真耶さんや結城さんとお友達なんですって。そういうレベルなのよ。比較すること自体間違っているわ」
「宮司もうなっていましたよ。お社で奉納された演奏としてはこの半世紀で最高じゃないかって」
真樹が言うと一は嬉しそうに頷いた。
「和尚さまにさっそく連絡しなくちゃね」

 摩利子は車エビと帆立のマリネを出しながら言った。出た皿はどれも三十秒以内に空になった。
「ああ、美味しい。この村でこういうものが食べられるとは全く思っていなかったわ」
蝶子はにっこりと笑った。


 ヴィルは翌日に瑠水に頼まれてシューベルトの『即興曲』作品九十の第三曲を弾いた。瑠水はこの曲に特別な思い入れがあるようだった。

「いいよなあ。俺もピアノが弾ければ、瑠水さんにあんな風に尊敬してもらえるのに」
稔は悔しそうだった。

「でもそこまでじゃない?ピアノがどうとかいう問題よりも、瑠水さんと真樹さん、あんなに仲がいいんですもの。ああいうのを見ると結婚ってのもいいなあって思うわ」
「トカゲらしくないこと、いうなよ。不氣味だ」

 瑠水はヴィルの音色に、かつての拓人の音色と同じものを感じ取った。CDやコンサート会場で聴く知らないピアニストの演奏では感じたことのない、願いとも痛みともつかない感情がこもっていた。外国人は瑠水にとって異星人と変わらない存在だったが、そうではなかった。昨日はじめて会ったにもかかわらず、瑠水にとって四人はすでに拓人や真耶と変わらぬほどの大きな存在になっていた。音楽は絆として深い心の結びつきをつくることができる。ここが奥出雲で、四人が一ヶ月後には再びヨーロッパに去ってしまうとしても、それは変わらない。お互いに自分にできることを続け、この世界に自らの立ち位置を作り、ひたすら生き続けるのだ。


 出発の前に蝶子は龍王の池のほとりに立ってメンデルスゾーンの『歌の翼に』を吹いた。
「なぜかここに立つと、たまらなく吹きたくなるのよね。心の中に幸福な風が吹いてくるみたいなの」
稔にそういう蝶子を摩利子は嬉しそうに見つめた。
「そう、ここはそういう所なの。あなたたちに会えて嬉しかったわ。次に帰国する時も、またぜひ来てね」

 瑠水と高橋夫妻に別れを告げると、四人は真樹の運転する車で出雲まで行った。真樹が出雲大社に案内してくれた。真樹は二人の外国人が平然と手水を取っているのに驚いた。

「昨日、瑠水さんに習ったのよ。私たち四人とも」
蝶子がウィンクした。

「これが出雲大社かあ。俺、はじめてなんだよな」
稔が感激の面持ちで言った。
「私もよ。島根県も山陰もはじめて」

「俺は東京にも行ったことありませんよ」
真樹が笑った。

「あら。じゃあ東京に行っていたのは瑠水さんだけ?」
「ええ。だから俺は結城拓人さんのピアノも園城真耶さんのヴィオラもまだ生で聴いたことがないんです。誰かと指定さえしなければ生演奏のコンサートは松江や大阪まで出れば聴けますが、正直言って、CDで聴く演奏よりずっといいって思ったことはなかったんですよ。でも、昨日、ようやくわかりました。皆さんの演奏を間近で聴いて、すばらしい演奏を聴くならやはり生の方がずっと迫力があるんだって」

「お二人とも、本当に音楽がお好きなのね」
「ええ、俺たち、音楽を絆に結ばれたようなもんですから」

「ちくしょう、うらやましすぎる」
稔がぶつぶつ言った。蝶子が小声で通訳してレネと二人でくすくす笑った。

 出雲大社は圧巻だった。有名な神楽殿や拝殿の注連縄、深い緑に囲まれた、落ち着いた色彩の社の数々。スケールの大きさに息をのむ。四人の軽すぎる服装では正式参拝は不可能だったので、真樹はごく普通の略式参拝のために拝殿へ連れて行った。レネは大感激していた。なんて壮大でエキゾチックなんだ。

 一方、参拝する日本人三人を眺めながら、ヴィルは一つ疑問を持った。
「あんたたち、京都の寺でも参拝していなかったか?」

「うん。俺、仏教徒だ」
「ここはシントーのシュラインじゃないのか?」
「そうよ。私たち、どっちもありなの。つまりどっちも信じているってこと」

 ヴィルもレネもさっぱりわからなかった。
「日本には八百万の神様がいるって考え方があるんだ。だから、出雲の神様もゴータマシッタールダもそれから祈りたければバチカンでも普通に祈るんだよ。どれもありだし、どれも尊重して、どれも信じているんだ。それでいて信じている宗教はないっていうんだよな、みんな」

「そう。神社でお宮参りして、毎年お墓参りして、結婚式はキリスト教式にして、無神論を主張して、困ったら神様助けてって祈って、死んだら仏教でお葬式するのよ」

「なんですって?」
レネが絶句した。キリスト教徒にはあり得ない感覚だった。信仰心がなくて教会から出てしまったヴィルにも全く理解できなかった。シントーの聖職者である真樹までが平然と頷いている。変なやつらだ。
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Comment

says...
>「そう。神社でお宮参りして、毎年お墓参りして、結婚式はキリスト教式にして、無神論を主張して、困ったら神様助けてって祈って、死んだら仏教でお葬式するのよ」

レネの反応が見事に目に浮かぶww宗教に関しては調子のいい緩さが特徴的というか国民性ですよね、もはや
2012.08.23 10:14 | URL | #- [edit]
says...
 こんばんは。
僕も ピアノは 長々と習っていて 弾くのですが…
ピアノって 音を鳴らすのは簡単じゃないですか 鍵盤を叩けばいいのですから
音を出すまでに 苦労する楽器ではないのですが…
本当に 上手い人が ピアノを弾くと ほんとに たった 一音叩くだけでも 違うんだよなぁ…
ピアノは 毎日練習して 手を 指をある程度作ると ある程度まではいけるが それ以上は
無理という 線が思いっきりあるように思う。 

うん 日本では 同じ町内に 教会と寺と神社と 下手すれば モスクが しれっと 同居している。
そして 教会を立てるのに 神主を呼んで地鎮祭をしている。
でも 宗教は この程度 ゆるゆるの方がいいと思うなぁ。 
2012.08.23 12:10 | URL | #- [edit]
says...
こんばんは。

このくらい大らかだから、日本には血なまぐさい宗教戦争とかないんですよね。
うちの周りのスイス人の宗教、宗派間でのいがみ合いに近い感情、うんざりしますもの。
「隣人への愛」を説くなら、仲良くしようよ〜って、思います。

コメントありがとうございました。
2012.08.23 15:58 | URL | #9yMhI49k [edit]
says...
こんばんは。

なんと! お花だけでなくピアノも? なんて文化的なんでしょう。
ピアノが弾けるのって憧れです。
いや、チャンスはあったんですけれどね。両親ともクラッシックの音楽家だったんで、やらされてはいたんですが、オタマジャクシが読めなくて途中で離脱してしまったのです。弾ける方をみるといいなあと思いますよ。

ただ、芸術家になるのはゴメンかなあ。あのレベルになると、もはや楽しめないし。小説で蝶子たちに演奏させている方が楽です。

教会の地鎮祭するんですね! それは楽しい。教会も目くじら建てないところがいいなあ。日本ってだから好きです。

コメントありがとうございました。
2012.08.23 16:04 | URL | #9yMhI49k [edit]
says...
津軽三味線のテープを持っていたのを思い出したので「あいや節」を聞きながら読みました。
私は「じょんがら節」と「よされ節」が好きです。
2012.08.23 16:11 | URL | #em2m5CsA [edit]
says...
こんばんは。

おおお〜、さすがしのぶもじずりさん。津軽三味線のテープをご自宅にお持ちとは!
稔の設定を考えた時に、ただの三味線奏者じゃなくて津軽三味線にしたのは、一つは「じょんがら節」の威勢の良さが好きだったからなんです。もう一つは家元制度が、普通の三味線よりも自由だったから(笑)つっこみから逃げられるかと思いまして。

この話を書き出してから、津軽三味線も好きになりました。次回、日本に行ったら、何か買ってこようかと思っています。

コメントありがとうございました。
2012.08.23 17:30 | URL | #9yMhI49k [edit]
says...
こんばんは、TOM-Fです。
出雲編、2話一気に読ませていただきました。

「樋水縁起絵巻」は、まだ読めていないのですが、今回のお話は、
とても素敵でした。
四人(三人?)が、龍神の池の前で、それぞれの思いを込めた
音楽を奏でるシーンは、読んでいてゾクゾクしました。
ヴィルの感情や、蝶子の微妙な発言に、おおっと思ったり。
なんだか、結婚っていいなぁっていう流れになってますよね。もしやry

コンサートホールや劇場やライブハウスなんかで聞く音楽も
いいですけど、屋外の、しかも神聖な場所でライブ演奏を聞けたら、
素晴らしいだろうなぁと思います。
人に捧げる音楽、神に捧げる音楽……。
なんだか、久しぶりにライブ演奏を聞きたくなりました。

私も、多くの日本人と同じく、宗教はほとんどOKです。
諸仏を敬い、八百万の神を崇め、クリスマスを祝います。
法事ではお坊さんの話の面白さに感心し、
知人の結婚式に出れば、神父や牧師の説教に感動したりします。
これって、日本人の特権でしょうね。
2012.08.23 17:37 | URL | #- [edit]
says...
こんばんは。

なんか嬉しいな〜。
TOM-Fさんが、すっかりこの四人に馴染んでくださっている感じが。もしやああなったら、こうなったらって、私も「フェアリーテイル……」でいろいろ思うんですけれど、それもお話に入り込んでいるってことですものね。

蝶子は音楽とアーデルベルトにはまじめです。テデスコにはまじめじゃないけれど。その話が出てくるのは、ええとチャプター4ですね。ロンドンに行く前です。でも、エッシェンドルフ教授とも結婚しようとしていたからなあ。拓人にも「名誉挽回させてくれないかしら」とか言っていたし、結婚や恋愛そのものについては、瑠水みたいにいい子じゃありませんね。

瑠水と真樹のお話、「樋水龍神縁起 DUM SPIRO SPERO」の方はR-18じゃないんで、「大道芸人たち」第一部が終わったら。こっちで連載しようかなあと思っています。でも、それよりロンドン編書かなきゃ!

宗教観は、私も蝶子みたいな感じですね。表向きはカトリックだけれど、本当は八百万の神様派(御仏とキリスト教の神様含む)。そういう意味では完膚なきまでに日本人ですね。

コメントありがとうございました。
2012.08.23 18:27 | URL | #9yMhI49k [edit]
says...
前後編拝見しました!
今回のお話は、「樋水縁起絵巻」とも少しリンクされているという事でいつもと少し違う気分で拝見しました。
「樋水縁起絵巻」、どこにおかれているんだろう?とずっと探していたのですが、FC2小説というのがあるんですね、ずっとカテゴリを探してました(笑)

今回の音楽を奏でるシーンは、とっても幽玄的で、日本的な感覚をすごく感じました。
演奏を通して、故人への想いを通して、皆の絆にまた深みが出来たのですね^^
「樋水縁起絵巻」は、八乙女さんにとってとても大切な物語なのですよね。
ゆっくり、大事に、これから少しずつ拝見していきたいです。
創作頑張って下さいね!それでは、また!
2012.08.24 11:46 | URL | #- [edit]
says...
こんばんは。

もともと「樋水龍神縁起」は公開を意識して書いたのですが、震災で公開を一度断念し、その後に書き始めた「大道芸人たち」の読者は、当初私一人だったので、勝手にあの世界で遊んだりしていたのでした。でも、公開するにあたって、どうしてもこの出雲のシーンは外せなくなってしまいました。言うまでもなく、金髪の誰かさんのせいなんですが。

「樋水龍神縁起」は私にとっては、canariaさんにとっての「侵蝕恋愛」の世界に近くて、四部作の中で「恋」「性愛」「因縁の愛」「すべてを越えた愛」を突き詰めていった小説なのです。で、突き詰めすぎて疲れちゃったので、それから後に書いたものは、愛を描くなら突き詰めていない等身大のものをという形になっています。だから、何を書いていてもけっこうてきとーにガンガンと書けるのかもしれません。

この間の、そちらでのコメントにありましたが、canariaさんの書くものと描くものは、日本的であろうと、仮想の世界であろうとすべてcanariaさんの投影であると私も思います。そして、それはそうあるべきで、それ以外の何物でもないんじゃないかなあと思います。canariaさんのファンの皆さんも、きっとそれを待ち望んでいるんだと思いますよ。もちろん、私も、ファンの一人です。

私が書いているヨーロッパや比較文化も、あくまで私自身の投影でしかありません。時々、薄っぺらさが露見しても、それはそれで仕方ないかなと思う部分もあります。まあ、等身大の異邦人の目だと思って、これからもおつき合いいただけると嬉しいです。

コメントありがとうございました。
2012.08.24 18:46 | URL | #9yMhI49k [edit]
says...
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2014.11.22 03:14 | | # [edit]
says...
おはようございます。

リンク間違い、教えてくださってありがとうございました! 本当に助かります。
どんな寝ぼけ頭でリンクはっていたんだか……すみません(><;)

この「エレジー」の章は、かなり想いをこめて書いたものだったので、嬉しいです。
長編の中ではあまりやらないのですが、この章だけは「大道芸人たち」が「樋水龍神縁起」とその続編「樋水龍神縁起 Dum Spiro Spero」とコラボしてしまっている状態で、発表した時には読んだことのない方がほとんどでみなさん「?」だったと思います。「樋水龍神縁起」の本編は官能表現があるために別館に隔離しているのです。長いのですが、私としては「大道芸人たち」と並ぶ代表作ということになっているので、派生作も多く……お時間のある時に読んでいただければこんな嬉しいことはありません。

私は東京育ちでしかも神道のことは何も知らなかったのですが、「 樋水龍神縁起」を書いてから出雲大社と島根県が特別な存在になってしまい、日本に行く度に通っているという変なヤツです(笑)前回もついうっかり旧暦神在月に日本に行ってしまい、ホテル確保で苦労しました。でも、行けると本当に嬉しいですよね。夜神楽! うらやましいです。

私は三味線のことは本当に素人で、よくわからないまま書いているのですが、この章を書くためにずいぶん沢山の動画を聴きまくって「あ、これだ!」と思って書きました。稔、ああいう性格なので、芸術家の部分があまり出てこないんですが、その一端を出さねばとこうなりました。

この四人、最近外伝ばかりの登場で、ちゃんと第二部を書いてあげないといけないんですが、ちょっと重くなっていくので筆が鈍っております(orz)

こうして読んでいただけて、とても嬉しいです。

コメントありがとうございました。
2014.11.22 09:15 | URL | #9yMhI49k [edit]

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