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scribo ergo sum もの書き・八少女 夕のブログ Since March 2012


Posted by 八少女 夕

【小説】大道芸人たち (27)バレンシア、 太陽熱

たぶん、この小説で最も大切なシーンのひとつ、ようやくバレンシアの回に辿り着きました。実は、かなり早く書き上がっていたシーンです。そう。私は、小説を最初から順番にではなく、主要シーンから書いて、間を埋めていくような書き方をしているのです。

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大道芸人たち Artistas callejeros
(27)バレンシア、 太陽熱


 ゲルマン人でもこんな風にダンスが踊れんだな。稔は感心した。ドイツ人と日本人ってのは同じような朴念仁民族だと思っていたが、やはりヨーロッパの人種ってのはちょっとは違うらしい。こんなトカゲ女のどこがいいのかさっぱりわからないが、テデスコの本氣度は日に日に強まっている。

 さっきまで、ティントとチョリソーとでばか騒ぎをしていたはずなのに、どうしてこうなったんだろう。俺がギターを持ったのが間違いの元だったのかもしれない。いや、ブラン・ベックなんかにリクエストをきくんじゃなかった。ピアソラの『ブエノスアイレスの夏』などといわれたので、稔は頭を抱えた。ここにはギョロ目もいないし、どうすんだ、こんなラテンの世界を展開して。

 だが、ヴィルは稔とまったく逆の反応を見せた。これ以上ないというくらい真面目な顔のまま、黙って蝶子の手を取ると、居間の中央に連れて行った。百戦錬磨のトカゲ女はこの程度ではビビりはしない。タンゴの腕前もカルロスの館で証明済みだ。だが、レネも稔もまさかヴィルがアルゼンチン・タンゴを踊れるとは思ってもみなかった。金髪のドイツ人と生粋の日本人のダンスにしてはやたらと決まっている。これほど官能的な踊りをこの二人がするとはね。苦しい恋ってのは偉大ってわけだ。

 考えてみると、タンゴほど蝶子に合っているダンスは考えつかなかった。それにヴィルの恐ろしいばかりの情念も今回ばかりはぴったりだ。この家には「らしさ」がある。舞台としては申し分ない。ギターじゃなくてバンドネオンだったら完璧だ。もっとも、これだけみんな酔っぱらっていれば、完璧さなんかどうでもいいんだが。曲が終わると、稔はかってに手酌をして、目を二人から離さずにティントを飲んだ。お蝶もテデスコをおちょくるのはそろそろ考えた方がいい。このままだと早かれ遅かれArtistas callejerosには亀裂が入る。

 バレンシアの海岸から10分ほどのところにあるこの家を貸してくれたのは、バルセロナのモンテス氏だった。レストランで四人が仕事をする時には、カルロスが住居と食事代を負担してくれると言ったので、それならバレンシアに行く時は自分の別荘を提供しようと申し出てくれたのだ。

 ヴィルは日本から戻って以来、蝶子と話す機会を待っていたが、それは簡単なことではなかった。日本ではあれほど近く感じられたのに、戻ってきてからの蝶子は全く別人のようだった。側に寄ることすらも難しかった。必要以上にカルロスと親密にし、ヴィルを避けているようにも思えた。たぶんその通りなのだろう、そうヴィルは思った。だが、自分は愛の告白をしようとしているのではない、ただ、自分が誰なのかを言おうとしているだけだ。まずそこから始めなければならなかった。そうでなければ蝶子に対してフェアではなかった。

 ようやくバルセロナとカルロスから離れて、四人だけになったので、ヴィルはもうこれ以上待つつもりはなかった。レネのリクエストを、稔が奏で始めた時に、ヴィルは自然に蝶子を踊りに誘っていた。たぶん氣がついたに違いない。アルゼンチン・タンゴの名手である父親に仕込まれたあのステップには、彼女なら覚えがあるだろう。


 アーチ状になった支柱を通して、月の光がレンガ色のテラスに差し込んでいる。先ほどまでの騒ぎが嘘のように、静まり返った居間には誰もいない。ピアノの上まで月の光が差し込むと、そこに蝶子のフルートが置かれているのがわかる。蝶子はティントを飲み過ぎたのかもしれない。普段はそんな所に大切な楽器を置きっぱなしにしたりしないのに。

 冷たいレンガの音を響かせて、ヴィルがピアノに近寄ってきた。ピアノに手をかけてしばらく佇んでいた。それからフルートの箱に手を伸ばし、中から楽器を取り出す。慣れた手つきでフルートを組み立てると、しばし躊躇していたがやがて、口づけをするようにフルートに唇を当てると、静かに月に向かって奏でだした。

 寝ぼけながら、レネは蝶子がフルートを吹いているのだと思った。稔も、目を覚まして、お蝶め、何時だと思っているんだ、ついに乱心したか、とつぶやいたがすぐに氣がついた。その『亡き王女のためのパヴァーヌ』は蝶子のいつもの音色とは違っていた。まったく違っていた。

 蝶子は、フルートの音色を聴いて、すぐに起き上がり、ナイトドレスの上にカーディガンを羽織り、居間に入っていった。そして黙って月明りの中で無心にフルートを吹くヴィルの背中を冷淡にじっと見つめていた。

 アウグスブルグ。年齢。ピアノの腕前。タンゴのステップ。そしてWの頭文字。だいぶ前にわかっているべきだったわ。そうだったとしても、認めなかったでしょうね。騙されていたなんて思いたくなかった。だけど、この音を聴いてわからないと思うほど馬鹿だとは思っていないでしょうね。

 やがてヴィルは最後の繰り返しを演奏せずに、フルートから口を離した。居間の入り口に蝶子が立っているのはわかっていたが、黙って振り向かずに月を見ていた。しびれを切らしたのは蝶子だった。
「なるほどね。アーデルベルト・ヴィルフリード・フォン・エッシェンドルフ。ハインリヒのご自慢の跡継ぎ息子。こんなに長い間、よくも騙し通したものね」

「騙したりしていない。本当は隠したくもなかった」
振り向いたヴィルの目はいつもの通り青く真っ直ぐだった。

 階段の上で隠れてこそこそと様子を伺うレネと稔は、二人のドイツ語のやり取りに全くついていっていなかったが、蝶子が謎に満ちたテデスコの正体を突き止めたことだけはなんとなくわかった。

「フルートが吹けるとはひと言も言わなかった。私の名前を聞いても何も言わなかった。出雲で自分の名前が出ても。よくそんな台詞が吐けるわね。そんなに私が憎い?」
「憎んでなんかいない」

「私の存在とお母様の自殺は無関係じゃないわ」
「あんたがおふくろを手にかけたわけじゃない。おふくろは勝手に夢見ていた立場が手に入らない事実を受け入れられなかっただけだ。それに親父が生徒に手を出したのは、あんたが初めてじゃない。いちいち憎んでいたら、こっちの体が持たない」

「だったら、どうして今まで黙っていたの」
「最初は、単純に知りたかったんだ。親父にとってあんたは遊びじゃなかった。あの親父があんたのどこにそれほど夢中になったのか。それに、なぜあんたが姿を消したのかもね」

 ヴィルは、いまや蝶子を父親以上によく理解していたし、ミュンヘンを去った理由も蝶子の口から直接聞いていた。
「最初はってことは、今では違うわけね。答えて。今まで黙っていたのにどうして急に正体を明かす氣になったわけ」

 氷のように冷たい蝶子の視線をヴィルは真っ直ぐに見返した。少し間があり、会話がわかっていないレネと稔までが手に汗を握って答えを待った。ヴィルは蝶子の方に大股で歩み寄り、すれ違い様にフルートを蝶子に渡した。そしてささやくように言った。
「あんたはとっくにその答えを知っているはずだ」

 階段を上がり、こそこそと隠れようとするレネと稔を一瞥しただけで口もきかずにヴィルは自分の寝床にもぐりこんだ。

 蝶子は、そのまま眉一つあげずにいたが、やがて、フルートを取り上げると、静かにヴィルの止めた所から『亡き王女のためのパヴァーヌ』を最後まで吹いた。先ほどまで、ドイツ人の唇のあたっていた場所に唇を当てて。


 朝食の前に、稔はひとりでドキドキしていた。なにも俺が狼狽えることはないだろう。ブラン・ベックの野郎は狸寝入りを決め込んで、後から出てくるつもりらしい。ずるいやつめ。稔がダイニングに行くと、ヴィルは既にお湯を沸かして、インスタント・コーヒーを淹れていた。

「おはよう」
「おはよう」

 代わり映えのしないいつもの朝だった。稔はパンを割ると、軽くトーストをして、オリーブオイルと塩と完熟生トマトをつぶしたものを載せた。ヴィルの方に、つぶしトマトの入ったポットを差し出すと黙って受け取り、同じようにトーストパンに載せて食べた。

「美味いな」
「ああ、美味い」

 蝶子が入ってきた。
「おはよう」
「おはよう」
「おはよう」

 蝶子は黙ってコーヒーを淹れると、自分もトーストを作り、それから平然とヴィルの隣に座って言った。
「私も、それ食べる」

 ヴィルも何事もなかったようにトマトのポットと塩を蝶子に渡した。稔はオリーブオイルを渡してやった。なんだ、心配した俺がバカみたいじゃないか。稔は腹の中で毒づいた。


「マリポーサ! ようやく追いついた」
カテドラルの前で一稼ぎをしていると、聞き覚えのある声がした。

「ギョロ目か。また来たのかよ」
稔は呆れて叫んだ。神出鬼没にもほどがある。もっと仕事しろよ!

「カルちゃん! ちょうどそろそろおいしいシェリーが飲みたいと思っていた所なのよ。バレンシアで一番のバルってどこかしら?」

 稔は白い目で蝶子を見た。昨日の今日、テデスコの真ん前でお前はギョロ目に媚を売るのか。デリカシーってもんはないのか、デリカシーってもんは。

「何よ。ヤスだって最高のイベリコを食べたいでしょ。来週はもうスペインにはいないんだし」
「そんな! マリポーサ。バルセロナの私の館には来てくれないんですか?」
「多数決で、Artistas callejerosは来週からフランスで稼ぐことになったのよ。でも、カルちゃんも仕事が一段落したら来れるんでしょう?」

 あいかわらず、メシをねだる時の笑顔だけは最高なんだから。稔は呆れて天を見上げた。レネはいつも通り悔しそうにしていたし、ヴィルもいつも通り眉一つ動かさずにいた。だが、その目の光は以前よりも強くなっていた。ゲルマン人って、本当に損な人種だな。ギョロ目の半分でも積極的に誘えば、ブラン・ベックよりはるかに脈ありそうなのに。

 稔はだまってベベベンとバチを当てた。バレンシアってのはいい街だ。太陽が溢れると人は開放的になる。財布の紐も緩むらしい。ギョロ目がおごってくれるなら、思いっきり美味いものが食えて飲みまくれるってわけだ。結構。
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Tag : 小説 連載小説

Comment

says...
す、すごいドキドキしました。
ヴィルさんの正体がとうとう蝶子さんの知れるところになったのですね。

父親とその息子というのは、似て非なる存在なのですけれど、すごくエロティシズムを感じます。
そこにヴィルさんのお母様の存在とお母様の最期も絡んできているので、蝶子さんは自分の気持ちに正直に
なりにくい状況ですよね・・・
加えて、「Artistas callejeros」の存続と・・・

フルートを通して間接的に口づけられた描写がすごい良かったです。
お互いに答えはもう知っているような気がするのに、身動きがとれないようなこの歯痒い状況を、次回もドキドキしながら楽しみにしております!!
2012.09.19 13:26 | URL | #- [edit]
says...
こんばんは。

ドキドキしていただけましたか? う、嬉しい。
この辺りは、私がこの世界に一番入れ込んでいた時のものなので、傍目から見ると「おいおい」に近いのですが、書いた本人としてはすごく好きなシーンです。

金髪の誰かさんは、ようやくドツボ状態からの脱却を目指して、行動に移した訳なのですが、結局口では言えないところがこの人らしい。
トカゲのような誰かさんも、ちゃかしたり攻撃したりする余裕はなくなっていますね。この人、余裕のある時には、どちらかというとおじ様タイプとゆったりと楽しむのが好き(ファ○コン?)なのですが、金髪の誰かさんは、外見だけで言うと父親にあまり似ていません。でも、やはり親子ですし、音楽に関しては20年近くエッシェンドルフ教授に叩き込まれていますから、近いものがあるでしょうね。歳取ったら、もっと似てくるだろうというのが、私の想像です。

事態の収束まであと少し。しばらくヤキモキするかと思いますが、引き続きおつき合いください。

コメントありがとうございました。
2012.09.19 19:38 | URL | #9yMhI49k [edit]
says...
おはようございます、TOM-Fです。

……。
面白い。すごく、面白かったです。
タンゴの場面から、深夜のフルート演奏の場面。多くは語っていないのに、二人の気持ちがひしひしと伝わってきました。
器用なようで不器用な二人にヤキモキしますが、そう簡単にいってもらっても、読者としては面白くないし。
翌朝の朝食のシーンが、またいいですね。大人の恋愛沙汰は、こうでなきゃって感じで、読みながら悶絶していました(笑)
ラストの稔の独白なんか、もう心憎くて。

「亡き王女のためのパヴァーヌ」は、私の大好きな曲のひとつで、いつか小説のネタにしてやろうと目論んでいます。
次話の更新も、楽しみにしています。
2012.09.21 01:42 | URL | #- [edit]
says...
こんばんは。

わ〜い。嬉しいなあ。
この章はアップするのがドキドキでした。「独りよがりか?」って。
蝶子の激怒は、怒ったエミリーちゃんの怖さの足元にも及びませんが、怒っているのに、結局はまっている、その感じが出したくて場面が決定するまでいろいろと考えましたね。

稔とレネがいて、本当によかったと思います。この二人を同行させていなかったら、ストーリーも簡単に行き詰まったでしょうね。

私も、ラヴェル、大好きなんです。普段は管弦楽を聴くのですが、「大道芸人たち」を書き出してからピアノ曲などソロの曲を多く聴くようになりました。「亡き王女…」はピアノにもフルートにも出来て、さらにもともと私の大好きな曲で、このお話では拓人とのシーンにも使っちゃいました。TOM-Fさんが使われるのも、楽しみです。

来週は、またしてもヤキモキするかと思いますが、また懲りずにおつき合いくださいませ。

コメントありがとうございました。
2012.09.21 18:39 | URL | #9yMhI49k [edit]
says...
こんにちは~(*^ ^*)

月明かりの静寂と、二人の緊迫したやり取り……
どうするんだろう、どうなるんだろう? と
手に汗を握って読んでしまいました! ><; 凄くドキドキしました…

こ…これからどうなって行くのでしょうか。とても気になります。
(個人的には稔さんの心労もちょっぴり心配です~)

ではでは…☆
2014.12.02 07:43 | URL | #6a.Lnp6o [edit]
says...
こんばんは〜。

あはは、ここはみなさんドキドキとしてくださるようで、作者としてはにんまりでございます。
これから、ええと、いじめっ子の蝶子が本領発揮します(笑)

稔は、ええ、次回にぎょっとしますが、基本は面白がっています。
いやあ、こういう状態のチームにいるって、そんなに多くないですからねぇ。

読んでくださって嬉しいです。
コメントありがとうございました。
2014.12.02 20:26 | URL | #9yMhI49k [edit]

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