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Posted by 八少女 夕

【小説】大道芸人たち (28)サン・マリ・ド・ラ・メール、 異変

サン・マリ・ド・ラ・メールは南フランスのリゾート地です。ここには聖母マリアがお付きのサラたちと一緒に船で到着したなる伝説があります。そして、このサラが何故かジプシーたちの守護聖人として熱烈な信仰を集めていて、年に一度、ジプシー大集合のお祭りがあります。という知識は、本文とは全く関係ないのですが、よかったら行ってみてくださいね。

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大道芸人たち Artistas callejeros
(28)サン・マリ・ド・ラ・メール、 異変


 海岸には、痛くなるほどの陽光が溢れていた。そろそろ夏も終わりだった。それでも最後の輝きで夏とは楽しむためのものだと教えてくれる。遅めのヴァカンスを楽しむ人たちで、サン・マリ・ド・ラ・メールの海岸はいっぱいだった。四人は一稼ぎを終えて、いつもより実入りが良かったので、海の見えるレストランで食事をした。

 ブイヤ・ベースの皿が片付けられて、極上のアリオリ・ソースに未練たっぷりの一瞥をした後、稔は不意に日本語で言った。
「おい、一般論だけどさ」

 蝶子は片眉を上げた。またかという表情だった。詮索好きな男ね。
「何よ」
「ある男が、とある女に本氣で惚れているとしてさ」

 その話ね、と蝶子はうんざりした顔をした。どうりでブラン・ベックもテデスコもいるのに、ルールを破って日本語で『一般論』をはじめたわけね。
「その男にはけっこうな勝算があると、外野からは見えるのに、まったく手を出さない場合、それって国民性なのかな? それとも女が絶対に断るという確信があるからかな?」

「そんなの、人それぞれでしょ。一般論でくくれると思っているの?」
「だから、お前は、どう思う?」

 蝶子はため息をついた。けれど、結局はいつかは説明してやらねばならないことだった。なんといってもArtistas callejerosは運命共同体なのだ。このまま、二人に黙っているわけにはいかない。ブラン・ベックには折を見てヤスが上手に説明するだろう。この複雑な状況を。

「あくまで一般論だけど」
蝶子はわざとらしく付け加えた。稔にとってはこの辺の枕詞はどうでもよかったが、トカゲ女にしゃべらせるにはこれが一番手っ取り早い。

「民族性とか、相手の反応ってこともあるわ。けれど、たいていはもっと個人的な事情が絡んでいるんじゃないかしら」
「例えば?」
「例えば、その女が父親の元愛人だったとか、それが原因で母親が自殺したとか」

 稔は呆然と蝶子を見た。蝶子は平然としていた。たぶん、ブラン・ベックにはこの話の要旨はまったく想像できないであろう。だが、テデスコは? 稔にはヴィルが理解しているとしか思えなかった。

 蝶子は英語で他の二人に言った。
「あたし、デザート食べたくなっちゃった。頼んでもいい?」
まるで、いままで稔とデザートについて日本語で会話をしていたかのように。

 蝶子はムース・オ・ショコラを、レネはクレーム・ブリュレを頼んだ。稔とヴィルはコーヒーだけを注文した。

 稔はまだ先ほどの衝撃から立ち直っていなかった。お蝶、お前はすごい女だぜ。そこにいるのが例の教授の息子だとわかってて、あのバレンシアの晩以来、どうやっていつも通り普通に接する事が出来たんだ? どうやってムース・オ・ショコラなんて頼めるんだ。

 嬉々としてスプーンを口に運ぶレネとは対照的に、蝶子は「そんなに嫌ならなぜ頼んだ」といいたくなるような食べ方をしていた。氣が遠くなるほど甘い上に、量もハンパではなかったからだ。レネの食べ方は稔には異常に見えた。

 黙ってムースと格闘していた蝶子は、ふと視線に氣づいて目を上げた。ドイツ人はいつものように強い光を宿らせて真っ直ぐに蝶子を見ていた。蝶子は婉然と微笑んで、スプーンとデザートグラスをヴィルに渡した。黙って受け取ると、ヴィルは殺人的な甘みの固まりを口に運んだ。女がその手に持ち、いままで口を付けていたスプーンを使って。なんてひどい女だ。稔は心の中で叫んだ。

 やがて、稔とレネの目の前で、この手の間接キスが何度も行われるようになった。蝶子は同じことを稔やレネにはしなかった。自分の使ったスプーンを黙ってヴィルに渡す。もしくはヴィルの使ったフォークを黙って取り上げる。フルートを吹いていたかと思うと、それをドイツ人に渡し切ない響きを強制する。サディストも大概にしろと稔は憤慨したが、レネは別意見だった。

「パピヨンもテデスコが好きなんですよ」
「どこをどう分析すると、トカゲ女がテデスコに惚れていることになるんだよ」
「テデスコは見つめる以外何もしていないのに、パピヨンは挑発しまくりじゃないですか。あれはテデスコが行動を起こすのを待っているってメッセージですよ」

「あの女がそんなまどろっこしいことするかよ。やりたくなりゃ、襟首つかんでベッドに連れていくだけだろ」
「馬鹿だなあ。それだけパピヨンが本氣ってことじゃないですか。ああ、本当にせつない。なんでよりにもよってテデスコなんだろう」

「さあな。そう簡単には片付かないぞ、この話は」
「なぜ? テデスコが行動さえ起こせば、今日にも片付くじゃないですか」
「お前さ。父親のもと愛人で、母親の自殺の原因になった女に惚れたらどうする?」

レネは蒼白になった。
「ほら、お前だって簡単に片付かないって思うだろ?」
稔はそういうと口をつぐんだ。


 蝶子の前には二人のドイツ人がいた。一人は誰よりも大切な仲間。信頼できる無口な男で、誰よりも蝶子のことを理解している。音楽をともに奏でれば、すべてを忘れることができるほどの芸術の恍惚を味合わせてくれる。そして、もう一人が因縁のアーデルベルトだった。その二人が同一人物だということに、蝶子は二週間経ってもまだ慣れることができなかった。

 アーデルベルトの存在を知ったのは、エッシェンドルフの館の楽器置き場で掃除をしていたマリアンと雑談をしたときだった。自分のフルートを箱にしまって置きながら、蝶子はふと、いつもそこに置いてある黒革の箱に手を伸ばした。「A.W.v.E」と小さく金色で刻印されている。ハインリヒのものではないが、フォン・エッシェンドルフ家のだれかのフルートなのだろう。

「ああ、それはアーデルベルト様のものですよ」
マリアンは掃除を続けながら言った。首を傾げる蝶子をその初老の家政婦は興味深そうに見つめていたが、やがておせっかい心をだし、教授には聴かれないように小声で言った。
「旦那様の息子です。こちらの跡継ぎですよ」

「息子さんがいるの? 知らなかったわ」
「それは当然ですよ。ここ七、八年、一度たりともこちらには足を踏み入れていませんもの」
「まあ」
「フルートがとてもお上手で、大学在学中にコンクールでも優勝なさったんですよ。卒業後に旦那様がデビューの準備を大喜びで進めていらっしゃったんです。でも、どういうわけだか急に、どうしてもフルートをやめるとおっしゃって。旦那様は本当にがっかりなさったようでした」

「今は、どこにいるの?」
「生まれたときから、ずっとアウグスブルグですよ」
「跡継ぎ息子なのに、ここでは暮らしていなかったの?」
「正式の婚姻で生まれた方ではないんですよ。旦那様も、もともとは跡継ぎになさるつもりはなかったようです。でも、あまりにも音楽の才能に秀でていらっしゃるので、途中から教育に夢中になられてね」

 蝶子は教授の求婚にイエスと答えたばかりだった。その青年は、私のことをどう思うのだろう。アーデルベルト・W・フォン・エッシェンドルフ。Wはヴァルター、ヴィルヘルム、それとも……?

「どんな人なの?」
「悪い方ではありません。でも、少し変わっていらっしゃいますね」
「どんなふうに?」
「笑ってくださらないんですよ」

 ヴィルは確かにほとんど笑わなかった。音楽の才能にも恵まれていた。けれど蝶子はヴィルとアーデルベルトが同じ人間だと考えようとしたこともなかった。

 会ったはじめの頃から、ヴィルは私のことを知っていたのだろう。だから、あんな風にいつもつっかかってきたのだ。ヤスやブラン・ベックへの態度とは大きくかけ離れて、私にだけとても冷たくて身構えていた。私はその理由を考えたことすらなかった。お母様が私のせいで命を絶ったのだ。

 蝶子が教授のもとから逃げる決心をした時に、心の中にあって行動を急がせたのはアーデルベルトだった。教授はマルガレーテ・シュトルツの葬式にすら行かなかった。アーデルベルトはたった一人で、お母様を弔ったのだ。どれほど私を恨んでいることだろう。それなのにハインリヒは来週にでもアーデルベルトに会えと言った。食事でもしながらお互いに知り合い、結婚式のことや今後のことを話そうと何事もなかったかのように言った。そんな立場に立たされるアーデルベルトの心の痛みを慮って、蝶子は居ても立ってもいられなかった。同情と慰めの想いを伝えたくても、自分が悲劇の原因では話にならない。

 夕暮れに輝く小麦畑のような髪をした男の湖のように青い目がいつもじっとこちらを見つめている。恋をしている優しいテデスコに見える時もあるが、痛みを消化できないでいる冷たいアーデルベルトに見える時もある。そのどちらもを、蝶子は抱き寄せたかった。強い想いで引き寄せられていた。けれど、どちらもルール違反だった。ひとりはArtistas callejerosのメンバーで、もう一人は他ならぬ自分が償うことのできない傷を負わせた相手だった。離れることなど考えられなかった。けれどこれ以上近づくこともできなかった。
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Tag : 小説 連載小説

Comment

says...
爆弾すぎる(笑)稔から始まったのに、結局お蝶のペースのまま終わる……さらりと投下。どうなるんだ、この先。この上ないアンバランスさ、ほんの一つのアクションでなにもかも崩れそうな感じだから、う~ん、先が読めない(笑)お蝶の選択と周りの状況をただ静観するに限るようです。
2012.09.27 06:40 | URL | #- [edit]
says...
こんばんわ、TOM-Fです。

蝶子さん、デッドロックですね。
もっとも、ブレークスルーのカギもまた、彼女の手の中にあるわけで。

それにしても、ヴィルもたいがい辛抱強いですね。
稔とレネにもすべてが明らかになって、さあどうする、どうなる?
ヤキモキしながらも、なんだかワクワクする展開ですね。

次回も楽しみです。

サン・マリ・ド・ラ・メール、ネットで調べてみましたが、いいところですね。
南仏プロヴァンスの海岸や、コートダジュールって、憧れるなぁ。
一度は行ってみたいです。
2012.09.27 12:10 | URL | #- [edit]
says...
テデスコとしてもアーデルベルトとしても、踏み入れず、離れられない、そんな状況、気持ち、しがらみ、
いろいろなものがすごく伝わってきました。

ヴィルさんの描写が、何て言うかこう・・・すごく上品な官能というか・・・
好きとか、愛してると、そういう言葉はないのに、これだけ複雑な心理描写をされる八乙女さんのセンスというか、感覚というか、洗練というか・・・
もう、すごいドキドキして、文字のひとつひとつから目が話せなくて、今もすごいドキドキが止まらないです。

私も、レネさんの意見に同意見です///
蝶子さんは、どこかでヴィルさんの方から歩み寄ってくれるのを待っているような気がするのですが、はたして・・・
蝶子さんは、本当はすごく繊細で優しい女性なんですよね。気配りも人一倍出来て、だからこそこの状況を自ら積極的に動いて壊す事を良しとしないような・・・
大人の会話、大人の本気の恋、八乙女さんの描写は毎回本当に素敵!かっこいい!
続き楽しみにしております!
2012.09.27 13:39 | URL | #- [edit]
says...
こんばんは。
稔的には、玉砕ですね。しかし、まあ、情報は無事に引きだせたので、目的は達した訳ですが。
オロオロするレネと、事態収拾を試みる稔の努力を無茶苦茶にしてまわる二人。っていうか、紅一点の誰かさん。
次回をお楽しみに〜。

コメントありがとうございました。
2012.09.27 18:04 | URL | #9yMhI49k [edit]
says...
こんばんは。
いじめがいのある人を、とことんいじめる誰かさん。いい子は真似をしないように、ってとこでしょうか。
次回は、「ディーニュ」でございます。お見逃しのなきよう。

真夏の陽光が印象的な小さい過ごしやすい街でした。連れ合いがうっかり頼んだエスカルゴ(エスカルゴバターではなくてトマトソースだった)が食べても食べても終わらない、とんでもない多さで、それに泣かされた思い出ばかりが……。でも、本当はとても素敵な街です。もう一度行きたいですね。

コメントありがとうございました。
2012.09.27 18:09 | URL | #9yMhI49k [edit]
says...
こんばんは。

おお。ありがとうございます。
「異性のオリキャラに理想を投影したりするのは、かなり痛いそうです(笑)」という、かつてのcanariaさんのどなたかへのコメ返信を読んで「どっき〜ん!」としていた私です。と、投影なんてしてな……、いや、して……(以下略)稔みたいなのも好きなんですけど。(救いようのない親バ○)

トカゲのような誰かさんは、あれですね。「なら、そんなにいじめんなよ」ですよね。困ったお人です。

来週、ちょっと事情があって、「大道芸人たち」が二本更新になります。お忙しいところ恐縮ですが、たぶんcanariaさん好みの展開になると思いますので(あくまで多分、ですが)、またどうぞお越し下さい。

コメントありがとうございました。
2012.09.27 18:22 | URL | #9yMhI49k [edit]

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