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scribo ergo sum もの書き・八少女 夕のブログ Since March 2012


Posted by 八少女 夕

【小説】大道芸人たち (30)ニース、 再会

プロヴァンスの明るい風景は心象風景にも影響すると思うのですよね。優しくて楽しい。日差しは強くても、決して過酷ではない、そこが南フランスの魅力です。

今週は事情により、二度目の「大道芸人たち」の更新をしています。


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大道芸人たち Artistas callejeros
(30)ニース、 再会


 二人は二日後にやってきた。あまりいい立地とは言えなかったが、見つけやすいという理由で選んだ駅前の広場で稔とレネがのんびりと稼いでいると、列車から降りた観光客に混じって、二人は普通に歩いてきた。

「ハロー」
蝶子はこともなげに言った。まるで、ちょっと水を買いにいって戻ってきたかのような簡単さで。ヴィルも特に何も言わなかったし、稔もレネも大げさには喜ばなかった。もちろん稔の演奏は突如として元氣いっぱいになったし、レネは眼鏡をとって目をこすっていたのだが。

 蝶子とヴィルは、以前とほとんど変わらないように見えた。少なくともようやく想いの通じた恋人たちのようには全く見えなかった。

 いつも一緒にいる稔とレネにだけは感じられるわずかな変化もあった。たとえば、お互いにあだ名では呼ばなくなった。イタリアや日本にいた頃のような激しい舌戦も帰ってきた。蝶子は『外泊』を再開した。しかし、この『外泊』には稔もレネも反対しなかった。何も言わないが、もちろんヴィルもその晩はいなくなるのだ。

 二人が戻ってきて三日ほどは氣がつかなかったが、二人の薬指にはシンプルな銀の指輪が光っていた。ニースではいつも稔とレネの側にいるのだから、もちろんディーニュで買ったのだろう。

 蝶子はヴィルに対して不要な挑発をしなくなり、ヴィルが蝶子を苦しげに見つめることもなくなった。稔とレネは、憑き物が落ちたかのように心が軽くなった。どれほど二人の間の緊張が強まっていたのか、稔もレネも氣がついていなかったのだ。

 数日して、仕事だと言ってまたやってきたカルロスにもそれは簡単にわかったらしい。
「あれ。あの二人、うまくいったんですか?」
こっそりとカルロスが稔に訊いた。

「げ、ギョロ目、なんでわかるんだよ」
「そりゃ、わかりますよ。前回、バレンシアで会った時は、いやあ、息苦しかった。マタドールと雄牛の死闘みたいでしたからね」

 稔はそのたとえに大笑いした。それから、そういえばという風に付け加えた。
「あんたには氣の毒だけどな」
「私はそんなに心狭くありませんよ。いいレストラン、知っているんです。一緒に乾杯しましょう」

 サレヤ広場には毎日市場が立つ。月曜日は骨董市で、それ以外の曜日には花や野菜のマーケットだ。もともと観光客であふれかえっているニースの中でも、格別に人通りが多い。秋の柔らかい陽光の下、四人は楽しく稼いだ。

 蝶子は幸福をかみしめていた。何も失われなかった。Artistas callejerosは、前と同じに存在し続けた。稔もレネもヴィルも、前と同じように側にいた。それだけではない、これからは優しい青い目をした恋人がいつも側にいてくれるのだ。

 ニースに戻るまでの三時間半、ディーゼルで走る小さなプロヴァンス鉄道の車体が、右に左にと揺れる中、蝶子はヴィルにもたれかかって窓の外を眺めていた。往きは四人で不必要にしゃべりながら来た風景を、逆方向に二人で戻りながらほとんど口も利かずに人生の不思議について考えていた。赤や紫のえも言われぬ色の地層、飛び交う猛禽、蜂蜜色の壁の小さな家、川にかかる石橋、空に広がる天使の羽のような雲。蝶子はその雲を指差して、ヴィルに話しかけようとした。ヴィルは目を閉じて眠っていた。蝶子はヴィルが眠れた事を嬉しく思って微笑み、伸ばした自分の手に光る指輪に目を留めた。

 ディーニュの街を二人で歩いている時に、蝶子は宝石店のウィンドウの前で立ち止まった。目を惹いたのは大きなサファイアがついたネックレスだった。それは、エッシェンドルフ教授がかつて婚約のしるしとしてプレゼントするつもりだったネックレスに酷似していた。けれど、それを受け取る前に蝶子は逃げ出したのだ。ヴィルがその事を知っているはずはなかった。ヴィルは宝石にはほとんど興味がなかった。

「欲しいのか?」
ヴィルは困ったように蝶子に言った。贈りたくても、そのサファイアは大道芸人が買えるような値段ではなかった。

 蝶子は微笑んだ。
「いいえ。欲しいものはこれじゃないわ」
そういうと、ヴィルの手を取って、一緒に宝石店に入っていき、一緒に嵌める事のできるこの銀のペアリングをお互いにプレゼントしたのだ。約束の徴に。


 その朝、蝶子が目を醒ますと、隣には誰もいなかった。蝶子はすっかりうろたえて叫び声をあげた。その声を聞きつけて、洗面所のドアが開き、シェービングクリームが半分残ったままでヴィルが顔を出した。蝶子は勘違いで動揺したことを恥じて窓の方を向いて黙り込んだ。タオルでクリームを拭きながら、ヴィルがベッドに戻ってきた。顔を見られないように蝶子はシーツを被った。

「蝶子」
「何よ。髭、剃り終えていないんでしょ。続けなさいよ」

 ヴィルはシーツを剥いだ。
「やめてよ」

 蝶子は半泣きだった。ヴィルはその頬に優しく触れながら謝った。
「悪かった。俺はまたあんたの信頼を失う事をしたんだな。俺は、あんたが側にいてほしいと思っているなんて夢にも思っていなかった」

「平氣よ。ずっと独りだったもの。フルートさえ吹ければ、それでよかったのよ」
「俺もそうだった。自由にさえなれれば、それだけでよかった。自分が孤独である事すら知らなかった」

「行きたければ、行ってもいいのよ。私たちには、あなたを縛り付けることはできないもの」
蝶子は顔を見られないようにシーツを被って身をよじった。ヴィルはシーツの上から素直でない蝶子を抱きしめて言った。
「ニースだろうが、どこだろうが、あんたの行く所に一緒に行く。これから、ずっと一緒にいて、あんたの信頼を取り戻すよう努力する。約束する」

 蝶子は、それで泣き出したのだ。二人で買った指輪は、その約束の徴だった。
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Tag : 小説 連載小説

Comment

says...
2日、思ったよりも早かったな、と思いきや、指輪!!そう来ましたか。これは予想していなかったなあ
そして、サファイアは後々ありそうですね……
2012.10.07 10:05 | URL | #- [edit]
says...
おはようございます。

> 2日、思ったよりも早かったな、
いやぁ、蝶子は、ハンドバッグしか持っていないんですよ。荷物は電車に置きっぱなしにしたので。

> そして、サファイアは後々ありそうですね……
す、するどっ! げほ、げほっ。 (さ、さすが名探偵)
サファイアはともかく、教授はね……

コメントありがとうございました。
2012.10.07 10:24 | URL | #9yMhI49k [edit]
says...
こんばんは、TOM-Fです。

おめでとう! > ヴィル&蝶子

今回は、コートダジュールの陽光のような明るくて幸せなお話でしたね。

蝶子は、エッシェンドルフ教授から離れる覚悟が出来たんですね。
あとは、どう決着をつけるのか、でしょうか。

それにしてもカルちゃん、いい男だなぁ。カッコイイです。
教授もこれくらいの度量を見せてもらいたいものですが……
まあ、それじゃあお話が面白くないですね(意地悪な私)

次回も、楽しみです。
2012.10.07 14:46 | URL | #- [edit]
says...
こんばんは。

お祝いありがとうございます!  (from 蝶子 & ヴィルは照れて無視してます)

蝶子としては教授との事は、このまま、なかった事にしたいのでしょうがそうは問屋が……(以下略)
カルちゃん、立派です。パトロンたるもの、「金は出しても口は出さない」を守るべし。(ごめんなさい、殴らないで)

来週は、少なくとも平和です。再来週には、あれも待っていますし!

コメントありがとうございました。
2012.10.07 21:41 | URL | #9yMhI49k [edit]
says...
ぁぁ…

帰りの電車でも不審者… グシュグシュ。
2013.03.07 11:30 | URL | #- [edit]
says...
akoさんは、本当に感受性の豊かな方でいらっしゃるのですね。

私も、恥ずかしながら自分の作品のことで泣いたことがあります。「大道芸人たち」ではなくて、もう一つの代表作的な長編「樋水龍神縁起」本編の最終巻「春、青龍」のオチを思いついたときです。通勤途中で自転車に乗っていたのですが、いやはや……。もちろん「なに自分で泣いてんだ」と自分にツッコミを入れましたが……。

嬉しいコメントをありがとうございました。
2013.03.07 19:19 | URL | #9yMhI49k [edit]

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