scribo ergo sum もの書き・八少女 夕のブログ Since March 2012


Posted by 八少女 夕

【小説】川のほとりの間奏曲(インテルメッツォ)

読み切り小説です。「十二ヶ月の組曲」の七月分。Seasonsの夏号で発表したものです。季節外れなのは、Seasons秋号が出るのを待っていたからです。



川のほとりの間奏曲(インテルメッツォ)

「おじちゃん、何してんの?」
幼い声がして、宏生は不審げに振り返った。川のほとりに小学校低学年くらいの少年が立っている。ちょうど宏生と猛がこの川の秘密の祠に例のボトルを隠したのと同じ年頃だった。

「なんだよ」
宏生は照れ隠しに少し威厳を持って立ち上がった。

「そこで何してんの?」
少年は首を傾げて繰り返した。それは奇妙だろう。川というには多少ささやかすぎるせせらぎに膝まで浸かって対岸の岩の間を探っている大人がいるのだ。

「ちょっとな、探し物をしているんだ。昔の宝物がまだあるか確かめたくてね」

 そうだ。この木だ。だいぶ大きくなっていたのでわからなかったが、この二つの幹が絡み合ったのを見て猛と友情の誓いを立てたのだった。その下には二人できちっと蓋をした岩のピラミッドはなかった。宏生は奥を覗き込んだ。祠と二人が呼んだ小さな洞穴は確かにそこにあり、その奥に手を突っ込んでみれば、そこには確かにガラスの瓶とおぼしき手触りがあった。

 宏生はそれを引っ張り出してみた。封印は切られていた。蓋は簡単に開き、逆さまにすると中から二つ三つのキャンディーの包み紙がひらりと落ちた。メンコ、プラモデル、ガラス玉、サッカー選手のカードは全てなくなっていた。キャンディーが食えたということは、ずっと昔に封印は破られていたってことだよな…。

 瓶の封印の近くに古く硬くなったガムがこびりついていた。子供の頃の猛の癖のまま。あの時にもう裏切られていたとは。昔の誓いを思い出して、当時の彼のよさを思い出そうとして来たのに。宏生は情けなさに泣きたくなった。

 実際に少年が見ていなかったら、声を上げて泣いたに違いなかった。七月は山奥とはいえやはり蒸し暑い。じっとりとにじむ汗がこめかみを伝わる。生暖かい風が渡っていく。蝉時雨にあわせて宏生は音を出さないように、しかし口を大きく開き全身で叫んだ。憤りの向かう先は風の中にしかなかった。

 幼なじみの猛と前後して東京に出て来た宏生は、疎遠になりつつもできるだけ猛とコンタクトを持ち続けようとした。向こうから連絡が来るときは、頼み事があるときか借金の申し込みばかりなのは残念だったが、宏生は子供の頃の誓いを守り通したつもりだった。

 あこがれの沙耶香とつき合うことができるようになった時も、最初に紹介した友達は猛だった。三年の交際を経てようやく給料三ヶ月分のプレゼントをするめどがつき、結婚を申し込んだ時に沙耶香は言った。
「ごめん。私、他に好きな人がいるの。その人と結婚するんだ」

 沙耶香が二年以上も猛と宏生の二人に二股をかけていたことを、宏生はそれまで知らなかった。


「おじちゃん。どうしたの?」
少年は、顔の向きによって猛に似ている所があったので、もう少しで宏生は怒りに任せて怒鳴りつけてしまいそうになったが、すぐに自制心を取り戻して、できるだけ平静に答えた。

「大切にしていたものを、信頼していた友達に取られるのって悔しくないか?」
「それは悔しいよ。誰かそんなことをしたの? そこにおじちゃんの宝物があったんだね?」
「そうさ。まあ、今となっては、それほど大切なものじゃないけれど、あの時は手放すのがとてもつらかった一番の宝物さ。二人の友情がいつまでも続くように、お互い一番の宝物を祠の神に捧げようって約束したんだ。だけど、あいつはそう言って僕を騙して、僕の宝物を手に入れたんだ」

「そんなひどいやつ、殴ってやりなよ。絶対に許しちゃダメだ」
少年は真剣に憤っていた。猛に似た顔でそんな事を言われるのは滑稽ですらあった。

「ありがとうよ。君がそう言ってくれて、ちょっと氣持ちが収まったよ」
そういって、ボトルを祠の中に放り込むと、せせらぎを渡って少年の側に行った。

「君、なんて名前? あ、僕は宏生っていんうだけどさ」
「僕は吉男だよ。宏生おじちゃん、どこから来たの?」
「東京さ。もっとも十年前はここに住んでいたんだけどな」
「ふ~ん。じゃあ、母ちゃんはおじちゃんを知っているかもね」

 君の母ちゃんって誰なんだ、と訊こうとした時、二人は遠くから吉男を呼ぶ女の声を聞いて黙った。声は近づいて来て、茂みの中から女が姿を現した。

「あ、母ちゃん!」
少年は女の腕に飛び込んだ。

「妙子……」
宏生は確かにその母親を知っていた。幼なじみの『みそっかすの妙子』だった。

「……。宏生君? まあ、びっくりしたわ。いつ帰って来たの?」
「たんなる週末の遠出さ。それより、妙子、結婚したんだ。おめでとう。知らなかった」

「していないわ」
妙子は少し悲しそうな笑顔を見せた。宏生はうろたえた。シングルマザーかよ、あの妙子が。


 妙子と吉男はその川の近くにある村はずれの小さな家に人目を避けるように住んでいた。吉男は妙子に叱られて、泥を落とすために風呂に入った。妙子は宏生に手ぬぐいを出してやり、彼が足を拭くのをじっと眺めていた。

「かわいいいい子じゃないか、吉男君」
「そうね。素直ないい子に育ってくれて、ありがたいって思っているわ」

「その、さっきはごめん。知らなかったから……」
 妙子は、お湯の沸いたやかんの火を止め、ほうじ茶を淹れて宏生に出すとまた食卓に座った。
「いいのよ。普通はそう思うでしょうから。陰口を叩かれることもあるけれど、私は吉男を産んで本当によかったと思っているわ」

「吉男君があの年齢ってことは、僕やほかのヤツらがここを離れる前後だろう?」
「……わかっているのでしょう? 似ているから」
妙子が目をそらしたので、宏生はようやく理解した。

「まさか猛の?」
そんなことがあるだろうか?

 妙子は三月生まれだったのでクラスで一番背が低かった。発達が遅かったためにクラスでの成績も芳しくなく、体育でも皆の遅れをとっていた。ドッジボールのような競技では、みな妙子と同じチームになるのを嫌がった。

 猛は『みそっかすの妙子』を一番いじめていた。宏生は妙子のことを時々氣の毒だと思うことがあっても、親友の猛に対する裏切りは許されないと思っていたので、手を差し伸べたりはしなかったのだ。そして、そのことに良心の呵責があった。

 まさかその猛と妙子がそんな仲だったとは夢にも思っていなかった。ここ一週間で宏生の世界は天地がひっくり返ったようだった。

「いじめられていたのは、好意の裏返しだったのかって、勝手に解釈して嬉しかったのよ。でも、猛君はただ女の体ってものに興味があっただけみたい」
妙子はいたって冷静に言った。

「あいつを好きだったのか?」
「あんまり優しくされたことがなかったから。でも、妊娠したとわかった途端に態度が変わったの。私がどうしても産みたいって言ったら、東京に逃げちゃった。でも、それでよかったのよ。あのままここにいられたら、絶対に堕ろさせられていたから」

妙子は猛がどうしているかを訊かなかった。宏生が猛の消息を知っているのはわかっているだろうに。

「今日は、ご両親の所に泊まっていくの?」
妙子は訊いた。

「いや、姉夫婦のアパートに泊まるんだ。ちょうど旅行中でいないから。自由にしていいけど素泊まりだからね、なんていわれちまったよ。氣楽でかえっていいけどね」
「じゃあ、うちでご飯食べていけば? 吉男が宏生君に東京のことをいろいろ訊きたいみたいだし」
妙子は言った。

 それはありがたい申し出だった。このあたりにはコンビニもなければ、
ファーストフードはおろか手軽なそば屋もない。両親には沙耶香のことを訊かれるのが嫌で帰郷を連絡していなかった。
「迷惑でないなら。実を言うとどうしようかと思っていたんだ」

「東京のレストランみたいな食事は期待しないでね」
そういうと妙子は手早く食事を作り始めた。手慣れていて綺麗な料理姿だった。『みそっかすの妙子』をきれいと思うなんて、自分がどうかしているのかと思った。けれど、沙耶香のような外見の華やかさと違って、妙子の生活に根ざした姿勢と動きは、もっと普遍的な美しさを持っていた。自分の母親も持っているような、優しく暖かい、ほっとする姿だ。

 妙子は、風呂から出て来た吉男が宏生のもとにお氣に入りの本を持って来て話しかけるのを見て微笑んだ。トントンという包丁の音、湯を沸かす音にリラックスした宏生は醤油のいい香りが漂ってくる台所で吉男と遊んだ。

「食事の前に、ちょっとこれを届けてくるから、吉男と待っていてくれる?」
妙子は、紙袋と小さな風呂敷を手に抱えて出て行った。

「どこに行ったんだろう?」
宏生が訊くと、吉男は答えた。
「田中のおじいちゃんだよ。いつも食事を届けに行くんだ」

 宏生は仰天した。田中のおじいちゃんというのは猛の祖父だった。宏生が子供の頃からこの川の近くに住んでいた。だからこそ幼い頃の猛と宏生は二人でここに秘密の遊び場を作ったのだ。だが、妙子が猛の祖父の面倒を看ている?

 じきに帰って来た妙子は、食べ終わった昨日の食器と洗濯物の入った紙袋を両手に抱えていた。

「田中のじいさんの面倒を看ているのか?」
「お家の方はみな村にはいないから。吉男もかわいがってもらっているし、どっちにしても料理も洗濯もするんだもの、二人分も三人分も変わらないでしょう?」

 吉男の前だから言わなかったが、田中のじいさんは吉男の曾祖父だった。自分をもてあそんで捨てた男の祖父の面倒を黙々と看る妙子の姿に、宏生は悲劇の主人公になったようなつもりでいた自分が恥ずかしくなった。

 三人で宏生がここ数年食べたこともなかった家庭的な和食を食べ、しばらく人生ゲームをした。それから、吉男は寝床に連れて行かれた。

「おじちゃん、明日も来てくれるよね? 約束してよ。じゃなきゃ、僕、寝られないよ」
妙子はたしなめたが、宏生は笑って約束してやった。

 吉男の寝室から戻ってくると、妙子はビールの缶を開けてグラスに注ぐと宏生に差し出した。
「ごめんなさいね。子守りをしに帰って来た訳じゃないのに。無理しなくていいのよ」
「いいんだ。いい思い出を探しに来て、残念なことを発見しちゃったばかりでくさっていたんだ。吉男君はすごくいい子だな。妙子も立派なお母さんになっていてびっくりしたよ」

 妙子は、はにかんで笑った。
「あの子、父親を知らないでしょう。学校のみんながお父さんに遊んでもらうのが羨ましくてしかたないのね。でも、私に言うと悪いって、子供心に我慢しているみたいなの。不憫だわ」
「猛に未練はないんだろう? 別の人と結婚しようとか、思わないのか?」

 妙子は呆れたように宏生を見つめた。
「宏生君ったら、ここは東京とは違うのよ。父なし子を産んだ女なんか、ほんとうの『みそっかす』だわ。後妻にももらってくれる人はいないわよ」

「生活はどうしているんだ」
「スーパーに務めているわ。大丈夫よ。何とかなっている。吉男が大きくなって、大学にでも行きたいなんて言われたら困るだろうけれど、今からそんな心配しても、しかたないじゃない?」
飲み慣れていないと思われるビールで少し赤くなった妙子は、笑った。

 蝉の声が激しく鳴り響く朝、川沿いのほこりっぽい道を、宏生は村はずれの小さな家に向かって歩いていた。子供の頃に猛と駆けっこをしながら来た道は、今でも変わらずに自然に溢れている。この道の行き着く先には秘密の祠がある。猛と一緒に隠した宝の山。宏生が大事にしていたものはことごとく猛に持っていかれてしまったが、この場所には猛が省みなくなった一人の老人と優しい親子が住んでいる。

 宏生は今度こそ妙子に優しくしてやりたいと思っていた。やりたかったけれどできなかったあの頃とは違う。猛も、他のはやし立てる同級生も、もうどこにもいない。来月にでも、また休みを取って、ここに帰ってこよう。吉男は夏休みだから、一緒に釣りにでも行こう。木漏れ日の眩しい道を彼は足早に歩いていった。

(初出:2012年7月 Seasons夏号)
関連記事 (Category: 短編小説集・十二ヶ月の組曲)
  0 trackback
Category : 短編小説集・十二ヶ月の組曲
Tag : 小説 読み切り小説

Comment

says...
こんにちは。

ああ、大人の物語だ。
ボクには一層かけなさそうな話です。
いくばくかの痛みと、しかし、それだけで終わらないのがいいですね。
傷を抱えつつも、前向きに生きる姿に憧れすら感じます。
2012.10.25 08:33 | URL | #T7ibFu9o [edit]
says...
こんにちは。

この「十二ヶ月の……」シリーズは、もともと「Seasons」への投稿のために「とにかく数を書こう」と決めた習作ものです。なので、「Seasons」の制限、読み切り+5000字を守って書いています。(結局中編に育ってしまった三月分と十月分は別)
そのために、大きな事件や壮大なストーリー、複雑な設定などは一切出来ないので、現実のどこにでも転がっているような話、日常を切り取るような形で、なおかつ、何か一つはいいたいことをいれています。希望、諦め、感慨など、結末は色々なのですが、短くても何かが伝わるといいなあと思って書いています。

登場人物たちの現実に即した前向きさを受け取っていただけて嬉しいです。ワクワク感には欠けるシリーズですが、またおつき合いいただければ幸いです。

コメントありがとうございました。
2012.10.25 14:03 | URL | #9yMhI49k [edit]
says...
まだ、ざっくり読みですが主松にじっくりとよまさせていただきます。
聞いたフレーズは、黙ってぱぅりますww

さてさてNH疑惑の美乳発起人はどこを探したらよいのかな?
HIZAKI副党首。。。NH系ツボであります。

では~明日ゆっくり遊びに来ますね!

HIZAKI
2012.10.25 17:47 | URL | #- [edit]
says...
こんばんは。

おお、お忙しいのに、ご無理をなさらないでくださいね。

さて、例の機密情報ですが、コードネームは「愛のチャット」です。
大変難しく暗号化しておりますが(そのまんまともいう)、HIZAKIさんならきっと探し当てられるはず!
ただし、ご本人、疑惑に関してはツイッターあたりで一笑にふしておられるご様子。
でも、ブログでは一切否定していません。NH系なら間違いなく我が党向き、ですよね? 普通。

コメントありがとうございました(笑)
2012.10.25 19:12 | URL | #9yMhI49k [edit]

Post comment

管理者にだけ表示を許可する

Trackback

trackbackURL:https://yaotomeyu.blog.fc2.com/tb.php/341-bc2e69da