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Posted by 八少女 夕

【小説】大道芸人たち (32)ニース、 追想 -1-

自分でも、連載している事を忘れそうになりましたが、第一部の最終チャプターが残っています。チャプター5です。七週間分ですので、年内に完結する事になりそうですね。もうちょっと、おつき合いください。

今回の展開は、本人も「……」ですが、ようやく例のあの方が登場します。お待たせしました。(誰も待っていないか)ちょっと長いので、明日と二回に分けての更新です。


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大道芸人たち Artistas callejeros
(32)ニース、 追想 -1-


 赤い「手術中」のサインが消えた瞬間のことを思い出すと、七ヶ月経った今でも血の氣が引いていく。灰色の廊下、濃紺の低い腰掛け。二時間にわたる手術の間、三人ともほとんど口をきかなかった。いや、レネだけは低い声でぶつぶつとロザリオの祈りを唱えていた。時折、稔は立ち上がって廊下の端の給水場から紙コップに水を汲み、蝶子のもとに持ってきて飲むように差し出した。

 三度目か四度目の時に蝶子はそれを取り落とし、稔のジーンズと靴が濡れた。
「ごめん!」
「謝らなくていい。大丈夫だ、ただの水だ」

 稔は冷静に、蝶子の肩を叩くと、紙コップを拾ってゴミ箱に捨てた。それから、自分も水を飲むと、また戻ってきて蝶子の隣に座った。レネはロザリオが一区切りつくと、自分で水を飲みにいった。

 蝶子は青ざめて、ずっと手術室のドアを見つめていた。悪いことを考えないように、動いたり、祈ったりしなかった。廊下の反対側にかかる時計の秒針の音だけを、機械的に耳にしていた。

 ふっと、赤い電灯サインが消えた。激しい鼓動で心臓が壊れるのではないかと思った。ふらつきながら立ち上がると、ドアが開いた。一番最初に執刀医が、それから看護婦や医師たちに付き添われたベッドが見えた。蝶子の腕を稔がしっかりと支えた。執刀医が三人に向かってきて、マスクを外すと安心させるように笑っていった。
「こんな運のいい人はなかなかいませんよ。大丈夫です」
レネが即座に訳した言葉を聞いた途端に、蝶子の緊張の糸は切れてその場にうずくまった。

 あれが起こったのは二月の終わり、ニースの裏町だった。

 なぜああいうことになったのか、蝶子にははっきりと思い出せなかった。確か、あの男が蝶子に口笛を吹き、酒臭い息を吹き付けてきたので、いつも通りにきつい言葉を返したのだ。攻撃的な男はさらに蝶子にまとわりついたので、ヴィルが蝶子との間に入った。ヴィルは蝶子と違っていっさいケンカを売るような言葉遣いはしなかった。黙って蝶子の腕をつかんでいた男の手を外し、蝶子の肩を抱いて、暗い街角から表通りに向かって歩き出した。むかっ腹を立てた男が奇声をあげて追いかけてきた。あっという間のできごとだった。

 変な音ともに、振り向いたヴィルの動きが止まった。震えていたのは刺した男の方だった。蝶子の目には暗闇の中で、ヴィルの胸元に刺さっているナイフの銀色がわずかに反射して見えた。周りの誰かがすごい悲鳴を上げた。前を歩いていた稔とレネも異変に氣づいて駆け寄ってくる。騒ぎが大きくなり、逃げだそうとした男は足下がふらつき倒れた。蝶子がその男を見たのはそこまでだった。蝶子はヴィルしか見ていなかった。
「誰か、誰か、救急車を呼んで!」

 救急車が来るまでの時間は永遠に感じられた。だが、その後のこと、手術室のドアが閉まるまでのことはほとんど覚えていない。


「心臓はもちろん、大静脈も大動脈も上手にそれていましてね。普通こんな上手には刺せないものなんですが。傷は肺に達していますが、現在のところ出血は止められています。麻酔が切れれば呼吸をするたびに大変な痛みを感じるかと思いますが、それでも一年ほどで元通りになると思います」
執刀医は三人にわかるように英語で説明をすると、警察に呼ばれて去っていった。

 三人は病室にいていいといわれたので、麻酔で眠るヴィルの脇の椅子に蝶子が座り、稔とレネは壁際のソファに腰掛けてその夜を過ごした。朝になると、稔とレネは交代で顔を洗いにいき、それから蝶子にも行くように促した。蝶子は黙って頷くと顔を洗いにいき、水を顔に浴びながらはじめて泣いた。

 それから稔はレネを残して、外に出てリンゴや水などを買いにいった。その間に警察が訪ねてきたのでレネがフランス語で応対した。

 警察の調書を三人ともとる必要があるので、警察に出頭してほしいといわれたが、いつヴィルが目を醒ますかわからないので、病院内でとることはできないかと、レネにしては果敢に交渉した。フランス人の警官は蝶子の様子に同情したのか、レネの願いをあっさりと聞き入れ、調書は階下の会議室で二時間後にとることになった。

 最初に行ったのはレネ、それから稔の調書が取られた。前日に目撃者の調書は取られていたので容疑者の特定はほぼ済んでいた。

 稔が持ってきたヴィルのパスポートを見てから、警官の態度が変わった。浮浪者同然の大道芸人が刺されて死にそうになった事件だったはずだが、被害者はドイツの貴族の可能性が出てきた。警官はすぐに上司に連絡し、その連絡がさらなる上司に伝わると捜査に関わる人間の数が四倍に増えた。

「お蝶、お前の番だ」
蝶子は黙って頷くと立った。警官に付き添われて部屋を出る時に、もう一度ヴィルの寝顔を見たが、変わりはなかった。そもそもヴィルは起きていても健康な時でも基本的に無表情なので、いま自分たちのやっている大騒ぎの方が異常に思えた。

 警察官が蝶子のパスポートを見ながら英語で氏名と国籍、生年月日を形式的に訊いた。傍らでは書記官が二人の会話をカタカタとノートブック型コンピュータに記録している。蝶子は警官をまっすぐに見つめて冷静に返答した。

「被害者との関係をお願いします」
関係。なんと言えばいいのだろう。警察の調書にふさわしい、公的な関係はなんだろう。
「大道芸人の仲間です」

「何があったかを描写してください」
蝶子は思い出せる限りのことをできるだけ正確に話した。警察官は頷いた。レネと稔もそうだったが、的確でよけいな感情がいっさい入っていなかった。そして三人の供述は一致していた。

「被害者はドイツ人ですが、どのような背景で大道芸人をしていたかの経緯はご存知ですか」
蝶子はわずかに反感の混じった目で警官を見つめた。
「多くは知りません。この事件と関係があるとも思えません」

「そうですか。これは調書とは関係のないことなので、記録しませんが、ドイツの警察からつい今しがた連絡が来ましてね。被害者に捜索願が出されていたことはご存知ですか」
「存じません」

「息子さんが見つかったこと、事件に巻き込まれ重傷を負ったことを知ったお父様が、すぐにこちらにおいでになることになっています。また、ヘリコプターの手配をなさって、容態をみて被害者をすぐにミュンヘンに搬送するということになっています。私どもとしては、あなた方が、一緒にミュンヘンに行かれるかどうか、つまり今後、ふたたびお話を伺いたくなった時にですね、連絡を取れるように、居場所をはっきりとさせていただきたいのです」

 蝶子は両手で顔を覆った。そんなことは考えてもいなかった。やがて蝶子は顔を上げて言った。
「彼は、ミュンヘンに行かなくてはいけないんですか」

「被害者本人が意思決定し、行動できる状態ではないので家族の意思が最優先になりますね。また、海外にいる場合は、保険の有無や病院への支払い能力なども問題になって来るんじゃないでしょうか」

 よくわかっているわね。教授には払えても浮浪者同然の私たちには払えないってことを。

「彼がミュンヘンに搬送されるとしても、少なくとも私はミュンヘンには参りません」
「では、連絡先は」
「私が現住所としてお報せしたバルセロナのコルタドの館にお願いします。週に一度程度は必ず連絡するようにいたしますので」
「わかりました」

「フォン・エッシェンドルフ教授は、いつここにお見えになるんですか? もし、伺うことが許されるなら」
「もちろんかまいませんとも。お父様は午後にはお着きになるそうです。お着きになったらすぐに病室にご案内いたします」
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Comment

says...
わあっお待ちしておりました・・・!!
っっ、(;´Д`)冒頭から別の意味でドキドキしてしまって、折角世界で只一人の心の居場所を互いに見つけた二人が、もしかして・・・ととても不安になりました(>_<;)
でも、不幸中の幸いというのでしょうか、無事だったのですね・・・!
でも、ヴィルさんの音楽家としての活動制限とかは出てこないのだろうか・・・と心配にもなり、また呼吸器系という事もあって、フルート演奏がしばらく出来なくなるのではないでしょうか・・・蝶子さんにとって、音楽家としてのヴィルさんは技術的には先輩格だという事を、以前コメント返信で拝見したのですが、そういう意味でも先行きが心配です・・・前回のチャプター(31)で、稔さんの三味線の弦が切れたのも、この事の伏線だったかのように思いました。

そして、憎い展開です・・・!
ついにあのお方が・・・
そうですよね、現実的な局面で、お金や血縁関係という問題は、本当にシビアなものをつきつけてくるように思います。
でも、実は、個人的に私はかのお方がすごく・・・好きかもしれません。好きになりそうな予感があります///
このまま「Artistas callejeros」から、ヴィルさんはいなくなってしまうのか・・・?
蝶子さんとは・・・??蝶子さん、ミュンヘンに行かないって・・・!!。゚ (゚´Д`゚)゚。
明日の更新をお待ちしております> < 
2012.11.14 12:57 | URL | #- [edit]
says...
こんばんは。

ご心配いただいて、金髪の誰かさんに変わって御礼申し上げます。
そう、蝶子は行けないんですよ。金髪くんの生家は、あのお方ん家なんでね。

この事件はチャプター2で、レネが熱を出した時に心配していた事態ですね。大道芸人は、ぴんぴんしていないと続けられないと。それに、ずっと棚上げにしていた、「そもそもあんた息子じゃん」問題ですね。

フルートの件までご心配いただきまして、嬉しいです。その辺は、来週あたりに。来週と言えば、ええ、例の、ゴホンゴホン。ああ、本当に公開するのかな〜。canariaさんに抱いていただいているイメージぶちこわしかも。しくしく。

さて、あのお方は、あんまり強くないのですが、この小説ではいちおうラスボスなので、登場が今ごろに。明日が初登場で、チャプター5の間はよく登場いたしますので、どうぞよろしく。第二部のちょい重要キャラたちもそろそろ顔を出します。どうぞお楽しみに。

コメントありがとうございました。
2012.11.14 18:35 | URL | #9yMhI49k [edit]
says...
おはようございます、TOM-Fです。

きましたね、「大道芸人たち」。更新をお待ちしていました。

いきなりの急展開でびっくりしました。わわっ、まさかの死亡フラグ……って思ったら、まあなんと強運なこと。
そうですねぇ、私たちでも外国旅行中に怪我や病気になったらたいへんだと思うのに、大道芸人たちじゃあもっと大変でしょうね。基本、日銭稼ぎの生活ですもんね。

なるほど、この展開なら、息子の居場所も知れるし、親父殿が来るといっても逃げることもできないし。うん、お見事です。
ラスボス、プロフェッサーのご登場、お待ちしていましたよ。ええっ、あまり強くないんですか。まあ、色男に金と力はないっていいますもんね……って、お金は持ってるのか(笑)

それと、いつもなんだか頼りなさそ~なレネが、地味に活躍しているのが、ちょっと嬉しいかも。

今日(?)更新の後半も、楽しみにしています。
2012.11.15 01:45 | URL | #- [edit]
says...
こんにちは。

死亡させちゃうって案もあったのですが、まあ、こんなところで。
一番最初の案(蝶子と頼りない男と教授しかいなかった)では、蝶子は自主的にドイツに戻り、軟弱ものが追っていくはずだったのですが、こっちの話に固まった時点で、教授を登場させるのはこんなのが妥当かなと。

たいして強くないラスボスですが、レネよりは強いです。で、レネは出来る所で地味に活躍してます。評価していただいて嬉しいです。

次回もどうぞよろしくお願いします。

コメントありがとうございました。
2012.11.15 14:29 | URL | #9yMhI49k [edit]

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