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scribo ergo sum もの書き・八少女 夕のブログ Since March 2012


Posted by 八少女 夕

【小説】大道芸人たち (32)ニース、 追想 -2-

昨日に続いての二回目です。この時点から七ヶ月経っているとの設定です。来週からは、時間軸がここから七ヶ月動きます。

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大道芸人たち Artistas callejeros
(32)ニース、 追想 -2-


 蝶子が打ちのめされて重い足取りで病室に戻り、ドアに手をかけるとレネの弾んだ声がした。
「ほら、テデスコ。パピヨンが戻ってきたよ!」

 蝶子は小走りにヴィルに近寄った。稔が頷いて言った。
「今しがた、目を醒ましたんだ。痛いに違いないから口をきくなと言ってある」

 蝶子はヴィルが見えるように近くに座ると、彼の手を両手で包むように握った。それからゆっくりと低い声で話しかけた。
「痛いでしょう。かわいそうに」

 ヴィルは青い目を輝かせて、わずかに首を振った。これだけでなんと安心することだろう。彼は生きている。
「ヴィル、聞いて。あなたにいいニュースと、悪いニュースがあるの」

 稔とレネは驚いて蝶子の顔を見た。
「いいニュースはね。あなたはまた健康になれる。いまは息をするだけで死にそうに痛いと思うけれど、それは怪我が肺に達しているからなの。それが完全に塞がるには一年くらいかかるらしいけれど、あきらめないで。きっとよくなるってお医者さまも保障してくれているの。傷さえ完全に塞がったら、何もかも元通りになるから」

 蝶子は少し言葉を切った。ヴィルは弱い力ながらも蝶子の手を握り返した。大丈夫だ、続けろ。青い目はそう言っていた。蝶子は目に涙を溜めて言葉を続けた。
「悪いニュースはね。いま、ここにあなたのお父様が向かっているの」

「お蝶!」
稔が仰天して立ち上がった。レネはすでにおびえて逃げ道を求めてキョロキョロした。

「そうなの。フランス警察がドイツ警察に報せたの。あなたの捜索願が出ていたから、それでお父様に連絡が行ってしまったの。ヘリコプターの手配までされていて、あなたの容態をみてできるだけ早くミュンヘンに搬送するんですって。私たち、あなたの家族じゃないから、それを止められないの。私は、あなたについていって看病してあげることもできない、わかるでしょう?」

 ヴィルは落ち着いて瞬きをした。蝶子を慰めるかのようにその手に再びわずかに力を込めた。蝶子は涙を拭いもしないで、しっかりと言葉を続けた。
「一年経ったら、迎えにいくから。だから、絶対にあきらめないで。また、一緒に旅をするの。いいでしょう?」

 ヴィルの表情が動いた。無表情に慣れている三人には、それがヴィルの微笑みだとよくわかっていた。
「約束よ」
蝶子も微笑んだ。

「だけど、お蝶。今ここに例の教授がくるんだろう? お前、逃げろよ」
蝶子は顔を上げた。
「だめよ。私たちは二人とも逃げてきたの。でも、ヴィルはいま動くことができないの。私だけ逃げ出すなんてことできないわ」

「でも、二人一緒にいない方がいいんじゃないですか……」
レネも稔の意見を後押しした。

「隠れても無駄なのよ。だって、私の名前はしっかり調書に載ってしまっているんだもの。逃げたりしたら、どんなことを勘ぐられるかわかったもんじゃないわ。私はここにいる。いつまでも逃げているわけにはいかないもの」

 蝶子はもちろん二度と教授に会いたくなかった。けれど、ヴィルとつまりアーデルベルトと生きる以上、この事件があろうとなかろうと、いずれはこの問題には向き合わなければならなかったのだ。教授は蝶子はあきらめても跡継ぎ息子はあきらめないだろう。

 それから小一時間、蝶子はずっとヴィルの側で微笑みながら話しかけていた。稔とレネもリラックスして、ごく普通の会話をしていた。すぐに別れなくてはいけないことなど、これ以上話す必要はなかった。

 そして、その平和な時間は、足早に近づいてくる何人もの靴の音と蝶子が忘れたくて仕方なかった声に妨げられた。
「どこだ、アーデルベルトは!」

 ハインリヒ。もう二度と会いたくなかったのに。稔とレネは息をのんだ。蝶子はゆっくりとヴィルの手をもう一度握りしめると、硬い表情で後ろのドアが開けられるのを意識した。

「アーデルベルト!」
よく響く声。取り乱していても、威厳のある声。
「なんてことだ。よく無事で。死ぬところだったなんて」

 父親をまっすぐに見据えてヴィルは蝶子の手を離した。

 こいつが、例の教授かよ。お蝶よ、お前の趣味は渋すぎる。こういうの、カイザー髭っていうんだっけな。仕立て屋で作ったに違いない高そうなスーツに、ウルトラ高飛車な態度。氣にいらねぇ。稔は教授が三人を無視しているのをいいことに念入りに観察していた。レネはただ、おろおろしていた。蝶子はもう迷いのないしっかりとした表情をしていた。

 エッシェンドルフ教授は、思い出したかのようにその場に付き添っている人間に目を留めた。
「ああ、息子と同行していたという方たちですね」
言葉は丁寧だが、大道芸人風情めがと思っているのが表情から読み取れた。一人は女か、と思ったようだった。蝶子がゆっくりと立ち上がって振り向いた。

 その顔を見て、教授の動きは止まった。

「お久しぶりです。先生」
蝶子はしっかりと言った。

「シュメッタリング……」

 稔とレネが驚愕したことには、突然高慢な男の態度が百八十度変わった。震え、泣き出さんばかりに顔を歪め、それから蝶子に近寄った。息子の一大事すら忘れたのではないかと思えるほどだった。

 蝶子は、後ろに退いたが、やがて壁に追いつめられてしまった。教授は蝶子の両頬を大きくしわのあるがっしりとした手で包むと、もう一度つぶやいた。
「シュメッタリング……」

 教授に抱きしめられている蝶子の上半分の顔が、稔とレネに見えた。伏し目がちだが、冷たすぎる光を宿していた。
「どれだけ心配して探したことか、私の宝もの」

 蝶子は低い声で冷静に答えた。
「先生、申し訳ございません。直接、お目にかかってお別れを申し上げなかったことをお許しください」

 レネと稔には二人のドイツ語の会話はわからなかったが、二人の会話に温度差があることはいやでもわかった。そして、教授は蝶子の他人行儀な言葉に傷ついて、その顔を見た。
「なぜ、そんなことを言うのだ」

「置き手紙に書いた通りです。私はあなたの妻になることはできませんでした。ご恩を仇で返すようなことをしたことを申し訳なく思っています。どうかお許しください」
「私があんな手紙一枚で納得できると思っているのか。私たちは年は離れていても五年間も幸せだったではないか。お前は芸術家としても女としても私に心酔していたのに」

 蝶子は何も答えなかった。蝶子はエッシェンドルフ教授の芸術に間違いなく心酔していた。尊敬していた。そして、蝶子の肉体も教授の虜になっていた。ハインリヒの言っていることは嘘ではなかった。けれど、蝶子は一度もハインリヒを愛したことはなかった。人を愛するという事がどういう事かも知らなかった。それを教えてくれたのは、今この場でこのような会話を聞かれている彼の息子だった。だが、それを今この場で言うわけにはいかない。

「お前は、マルガレーテの死にショックを受けて逃げ出した、そうだろう。あれはもうとっくに終わったことなのだ。戻ってきなさい、シュメッタリング。私は何も責めない。やりなおせばいいだけのことだ」

 それから、後ろを振り向き、その場に立っていた秘書のマイヤーホフに威厳のある声で言った。
「ヘリコプターにもう一人乗ることを連絡しなさい」

 蝶子はそれを遮った。
「先生。私は参りません」

「シュメッタリング」
「もう戻りませんし、やり直すこともありません。先生に申し訳ないことをしたとは思っていますが、私はあの決断を後悔したことは一度もありません」

 教授は蝶子の顔をじっと見つめた。それから、蝶子の予想していた質問をした。
「なぜ、お前が、アーデルベルトと一緒にいるのだ」

 蝶子は静かに教授を見つめ返した。
「旅の途上で、偶然知り合ったのです」

 教授が信じていないことは顔に書いてあった。だが、彼はそれ以上その話題に触れずに、冷たい態度で三人に英語で言った。
「これからアーデルベルトをミュンヘンに搬送します。あなた方は、どうぞどこへなりとお引き取りください。息子が大道芸人としてこのようなところに来ることは二度とないだろうし、あなた方と交際することもありえないから、これっきりになるでしょうな」

 蝶子は頭を下げたが、稔とレネはむっとして、教授をにらみつけた。

「行きましょう」
蝶子が壁際に置いてある四つの荷物のうち、自分の分を取った。それからヴィルの枕元に寄ると、顔を近づけて、低い声でささやいた。
「じゃあね。きっと元氣になってね。約束よ」
ヴィルは瞬きをして応えた。

 続いて、レネが近づいた。
「アデュー、テデスコ。お大事に」

 最後は稔だった。自分の分を肩に掛け、壁に一つのこった荷物を悔しげに一瞥して、ヴィルの枕元に寄った。
「じゃあな、テデスコ。あんたは最高の仲間だったぜ。親父さんは、もう会えないとか言っているが、俺はいつかどこかで会えると信じているぜ」
一年後に、絶対に迎えに行くからな。言葉に出さない稔の目の輝きに、ヴィルはやはり瞬きだけで応えた。

 病室を出て行こうとする蝶子の背中に、教授が声をかけた。
「私に許しを請い、戻ってくる氣になったら、いつでもミュンヘンに来なさい。私はお前が思っているよりもずっと寛大だ」

 蝶子は返事もしなかった。口をぽかんと開けている秘書のマイヤーホフと、医者たちの横を姿勢よく歩いて立ち去った。レネがそれに続き、稔が多少乱暴に病室の扉を閉めた。
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Tag : 小説 連載小説

Comment

says...
 こんばんは。
濃厚な人物だなぁ 此の教授。
ある程度 自分のある女性にとっては 此の教授の放つ 芳香は耐え難い 魅力なのだろうなぁ。

教授といえば どうしても モリアーティ教授を思い出してしまって…
あの雰囲気で 再生されてしまう…
 
2012.11.15 12:24 | URL | #- [edit]
says...
こんにちは。

モリアーティ教授って、そんな。犯罪のナポレオンがラスボスだったら、勝てないし。
お金と権力と芸術性はありますが、蝶子は一度ははまったのですが、まあ、誰もが飛びつくような男ではないでしょうね。
個人的には、同じ歳くった金持ちだったら、私はどちらかというとカルちゃんの方が……。

コメントありがとうございました。
2012.11.15 14:35 | URL | #9yMhI49k [edit]
says...
おお、ラスボスがとうとうご登場・・・なさっ・・・た・・・!

エッシェンドルフ教授は、蝶子さんにとってある一面では魅力的な人物であった時
もあったけれど、やはり「心」というものが満たされていなかったのですよね。
教授は、教授のやり方で蝶子さんを愛しているのだけれど・・・
でも、自分の尺度でものを見る方なのかなあ・・・って思いました。
私は、昔の蝶子さんと同じく、この素敵なラスボス様にかなりやられてしまってますが///
蝶子さんを壁際にまで押しやって抱き締める権力者&お金持ち&芸術家・・・か、かっこよすぎです・・・!!


これで、皆は一年離ればなれになるのでしょうか・・・
最後に教授が持ちかけてきた取引、さすが・・・です!!
こういう強引というか、意志の強い男の人って、ある部分ではとても人を惹き付けますよね。
でも、ヴィルさんのお母様の事をさらっと「終わった事」と言ったり、端々にやはり冷酷さもあるように思い・・・

今回は、教授の魅力的な描写と対を成すような、蝶子さんの、問題に立ち向かおうとする真っ直ぐな姿に胸を打たれました。今までは『外泊』で上乗せするばかりだったけれど、ヴィルさんと心を通わせる事で、蝶子さんは確実に、人間として成長を遂げているのだと・・・思いました!

二人が、皆がまた会える日を祈っております・・・!
ラスボス様、予想以上に素敵なお方でした(///∇//)
2012.11.15 16:03 | URL | #- [edit]
says...
こんばんは〜。

おお、ラスボスに味方が!
そうですね。この方は「ドイツ」でございます。ヴイルも十分に「ドイツ」なのですが、ハインリヒは「ドイツのお化け」ですね。「何が終わった事だ!」との突っ込みは、無視ですね、この人の場合。断言すると、「ああ、終わったんだ」と人は納得してしまうようです。未練たらたらのくせに「許しを請え」だの「私は寛大だ」だの言っているあたり、セリフは即、決まりました。

一方、蝶子の側の描写は、ものすごく逡巡した所でもあります。

たぶんものすごく歳の若い方々には、何ゆえにこの手のおじ様が次々と若い美女をキャッチできるかが、感覚としてわかりにくいかもなあと思うのですが、単純な「金と権力を持っている」に留まらない何らかのオーラが、この手の方々にはあるようでございます。「ジョージ・クルーニー素敵」とか「ハリソン・フォードたまらない」ってのとはちょっと別の魅力、とはいっても「(イタリア元首相の)シルビオ・ベルルスコーニの愛人になりたい」とも全く違う、そこらへんの微妙な線を、今回は全く書いていないのです。書こうとしなかったのは、それをやっちゃうとストーリーがぶれてしまうので。そういうわけで、今回の再会シーンは、書くときもかなり躊躇しておりました。

まあ、おじ様の魅力の話は、また、全く別のストーリーで書ければいいかななどと思っています。

ラスボスに注目していただけて嬉しかったです。

コメントありがとうございました。
2012.11.15 16:40 | URL | #9yMhI49k [edit]
says...
こんにちは、TOM-Fです。

プロフェッサーの存在感と、蝶子の健気さが印象的でした。

なるほど、プロフェッサーは「ドイツのお化け」ですか。ただ、人柄はともかく、確固とした価値観に裏づけされた存在感というか、人間としての厚みは感じますね。それは、若者には持ち得ないものかもしれません。

蝶子の潔さは、爽快でした。この時点で、自身の過去にきっちりと決別できるだけのものを得ていたんですね。ラスボスとのリターンマッチが楽しみです。
稔も、将来は大物になりそうですね。若いんだ~、これくらいの生意気さがないと、年長者には勝てません。
レネは、やはりレネでしたね。まあ、そこがいいんですけど。

次回の更新を、楽しみにお待ちしています。
2012.11.16 02:45 | URL | #- [edit]
says...
こんばんは〜。

私の中で典型的ドイツ人というのは、威圧的だけれどやるべきことをきちんとやっているってのがあるんですよね。だからこそ、「まあ、いいじゃん」な人に対して異様に厳しいというイメージがあるのです。実際に、平均的にそういう所がありまして、日本から見ているとたとえば「ええ、あんな言いたい放題言ってギリシャがかわいそうじゃん」というほどにギリシャの政策についてガンガンもの申すのも、ドイツ人はみんなきっちり働いている、一方でギリシャや、イタリアや、スペインは……、というのがあるのだと思うのですよ。

で、エッシェンドルフ教授はフルートを極限までに極めた人で、さらに上流階級の名士として立ち居振る舞いからマナーまで完璧であり、領主としても館の主としても事細かにすべてを支配している完璧主義者、ということにしているわけです。だからこそ「大道芸人なぞをしてまともに社会に貢献しないゴミ人間たち」という目で稔やレネを見ていると。蝶子やヴィルに対しては、一応身びいきがあるので「理由はあるかもしれんが、更生せねばならない」くらいに思っているでしょうかね。

で、稔は喧嘩っ早い江戸っ子ですから、速攻でむかつくわけです。レネもむっとはするけれど、やっぱり怖いですからね〜。ここらへんはフランス人らしく。

次回からは三人と一人に別れたまま、お話が進行する事になります。いろいろと突っ込みどころはあるかと思いますが、お見捨てなきよう、よろしくお願いします。

コメントありがとうございました。
2012.11.16 18:53 | URL | #9yMhI49k [edit]

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