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scribo ergo sum もの書き・八少女 夕のブログ Since March 2012


Posted by 八少女 夕

【小説】大道芸人たち (2)ピサ、大道芸人入門

連載の第二回です。海外旅行をする日本人とヨーロッパ人はちょっと違います。今回は、それが少しだけモチーフになっています。




大道芸人たち Artistas callejeros
(2)ピサ、大道芸人入門


「斜塔に登る!」
蝶子が言った。三人はピサの斜塔の真ん前にいた。

「そんな簡単に登れませんよ」
レネが困ったように答えた。
「登れないの?せっかくピサまで来たのに?」

「制限があるんだってさ。ツアーを予約しておかないと無理みたいだ」
稔が掲げてある説明書きを苦労して読んでいる。

蝶子は振り返って訊いた。
「イタリア語できるんだ?」
「出来ないよ。読んでいるのは英語だ。お前は?」
「イタリア語は簡単な会話だけね。フランス語は皆無」
「それはレネに任せとけばいいだろう。英語は達者みたいだな。ドイツ語も出来るんだろう?」
「そうね」
「ってことは。イタリア、フランス、英国、ドイツ、スイス、オーストリアは問題なく行けるな」

「ドイツに行くの?」
蝶子は眉をしかめた。稔は「お」と思ったが何でもないように聞き返した。
「なんだよ、イヤか?」

「私、ミュンヘンには行きませんから」
「へ?いいよ。じゃ、ミュンヘンはやめよう。他に行きたくない所は?レネ?」
「パリ」
「わかった、わかった」
どいつもこいつも、スネに傷持っているんだな。

「ヤスは?」
レネが訊いた。
「俺?どこでもOK。日本以外」
今度は蝶子が「ふ~ん」という顔をした。



「斜塔が無理なら、とにかく、他のものを観に行きましょう。ドゥオモとか」
「そうだな」

「なぜ、とにかく観に行くんですか?」
レネが訊いた。蝶子は聞き返した。
「わざわざピサまで来たのに観光しないの?」

「観たいものがあるから行くならわかるけれど、とにかくっていうのは新鮮ですね」
蝶子と稔は不思議そうにレネを見た。レネはニコニコと笑った。
「僕、そこのカフェで待っています。よかったら荷物を見ていますよ」

「前にピサに来たことがあるの?」
「いや、初めてです」
蝶子と稔は顔を見合わせたが、好意に甘えることにした。

「おい。あいつが荷物持って消えたらどうする?」
「信用した私たちが馬鹿だったってことでしょ?三味線は?」
「持ってるよ。フルートは?」
「ここよ。貴重品と楽器だけは絶対に離さないわ」
「結構。じゃ、安心して、ガリレオの振り子を観に行こうぜ」

二人はドゥオモの中に入って行った。ロマネスク様式、イスラム様式、それにビザンチン様式などが入り交じった白い建物は、大きくて荘厳だった。「ガリレオのランプ」も内陣に下がっていたが、どこかで観た他のブロンズのランプと違わないようだった。
「これを見て、振り子の特性を発見した?」
「教会にいる間、長いこと上の空だったってことよね?」

アーチにシマウマのような黒と白の模様がある。こっちのほうが珍しい感じで「観光した」という氣分にさせてくれた。しかし、レネに言われた「とりあえずってのは新鮮」という言葉が二人の心に引っ掛かっていた。考えたこともなかったが、日本人の二人にとって有名観光地に来たら「とりあえず」観光するのは当然のことだった。けれど、それは本当に必要なのだろうか?

カフェに戻ると、レネは菓子パンを食べていた。イタリアによくある、不必要にネトネトして甘ったるい、見ているだけでベトベトしてくるようなあれである。ニコニコと二人に笑いかけた。疑ったことを申し訳なく思うような笑顔だった。

テーブルに座ると蝶子はラッテ・マッキャートを、稔は普通のコーヒーを頼んだ。
「おいしい?」
蝶子はちよっと眉を顰めてレネに訊いた。レネは満面の笑顔で答えた。
「ええ。パピヨンも頼みますか?」
「勘弁して」
蝶子は長い髪をすきあげて冷淡に答えた。取りつく島もない女だ。稔は思った。レネがこんなに尻尾を振っているのに。

「この後、とにかく宿を探そうぜ。お蝶、お前、どこまでひどいホテルに泊まれる?」
「さあ、昨夜ぐらいが私の今まで泊まった最低ラインだけど?」
「なんだよ。やっぱりお嬢だな、お前も。あれは俺には最高クラスだ」

二人が日本語で話しているとレネが割って入った。
「すみませんが、できるだけ英語で会話してくれませんか?」

「おう。すまん。そうだな。ルールを決めよう。三人でいる時には日本語はどうしてもわからない単語以外は使わないよ。ところで、レネ。お前も高級宿じゃないとダメか?」
「とんでもない。僕は安ければ安いほどいいんです。でも、パピヨンがいやがるような所はやめましょう」

「私の心配なら無用よ。安宿だって試してみなくちゃ。別に裕福なお嬢様じゃないんだから」
「俺たちはドミトリーに泊まるだろう。そういう宿でもシングルがある場合もあるから、そうしてもいいんだぞ」
「馬鹿にしないで。私だってドミトリーに泊まるわよ」

蝶子はそういったものの、はじめての経験にドキドキしていた。

昨夜は稔とツインに泊まった。蝶子は稔が手を出してくることを覚悟していたが、稔は何もしなかった。蝶子を大切にして手を出さなかったというよりは、まったく興味がない、という風情であった。蝶子はいつものようにシャワーを浴びたが、稔にとって暖かいお湯のたっぷり出て、リキッドソープやシャンプーの揃っているようなホテルは久しぶりだったらしい。

「ひゃ~、久しぶりだときもちいいよな」
と、満悦していた。そのエロティックゼロのリラックスぶりは、蝶子を安心させた。稔のことはまったく憶えていなかったが、園城真耶と自分を憶えていたというだけで、十分だった。

この七年間、蝶子は常に氣を張っていた。日本を離れ、ミュンヘンに留学した。留学するなら縁を切るといわれて、親と連絡を絶った。背水の陣で学んだ努力が実り、ヨーロッパでもトップクラスの教授に師事できることになった。名を為して生きていくためには、誰よりも秀でなければならないと、練習に没頭した。だが、蝶子に今残っているのは一本のフルートと、自分の奏でる音楽だけだった。

稔の乾いた態度は、蝶子には救いだった。この男と旅をしていれば、昨日のように涙を流すこともないだろう。そのためにはドミトリーだってトライしなくちゃ。



「ちょっと、あのシャワー、なんなのよ!」
蝶子は激怒していた。男女混合の六人部屋には文句はなかった。知らない女だけでの六人部屋よりも稔とレネが一緒の方がずっと心強かった。しかし、チェックイン時にトイレとシャワーのある洗面所をチェックしなかったので、特殊なシャワーに氣がつかなかったのだ。そのシャワーは節水型で、ボタンを押すと数秒間だけお湯が出る。だが、すぐに止まってしまう。やたらと高い所に固定されているため水量も弱く、蝶子の長い髪を洗うにはまったく向いていなかった。蝶子は、髪を濡らしただけでその問題点を把握し、とりあえず出てきたのだ。

稔は、この手のシャワーには慣れていたので、蝶子の問題がすぐにわかった。荷物をごそごそと探ると小さなメラミンの洗面器を取り出して蝶子に投げてやった。

「これを使って、シャワーじゃなくて洗面台で洗いな。その方が早い」
蝶子は目を丸くして受け取った。蛇の道は蛇ね。
「サンキュ」

女って大変だな。あのレベルをどのくらい保ち続けられるだろう。稔は思った。ドミトリーに泊まるような女じゃないのだ。もともと。

しかし、蝶子は難しい女ではなかった。最低限の清潔さは保とうと思えばどんな所でも保てることを証明してみせた。それでいて厄介な問題は何も引き起こさなかった。荷物をまとめるのも早いし、身だしなみも素早い。ドミトリーで男と雑魚寝をしていても、堂々としていて恥ずかしげな様子は見せない。が、だからといって女を捨てているわけではなかった。むしろ逆だった。どんなところにいようと、まったく変わらない清冽な美しさを保っていた。腰まである長い髪では、大道芸人生活にはむかないと判断したので、翌日には美容室に出かけていき、肩までの長さにバッサリと切ってしまった。その思いきりのよさも稔には好ましかった。

ピサに四日ほど滞在し、ドウォモ前でやはり満足の行く稼ぎを繰り返しているうちに、稔は蝶子に対する尊敬と仲間意識を強めていった。こんなにしなやかで強い女には会ったことがないと思った。レネの方は、日に日に蝶子に惹かれていくようだった。甲斐甲斐しく蝶子の面倒を見、食事のときはパンを切ってやったり、飲み物をついでやったりした。蝶子を賞賛する言葉も、日ごとに大げさになっていく。

「おい、レネはあれでいいのか?」
レネがシャワーに行った時に稔は半ばからかうように蝶子に訊いた。
「わかっているわよ。いいんじゃないの?私は興味ないけれど」
蝶子は言い放った。

「お前、面食いか?」
「そうでもないと思うけど。でも、私、ブラン・ベックはちょっと」
「なんだ、そりゃ?」
「日本語に訳すとくちばしの白いアヒルってことよ。青二才を意味するフランス語」
稔は吹き出した。確かにあいつにぴったりな表現だ。

翌日、蝶子は外泊するといった。休憩の時に話しかけてきたイタリア人と意氣投合したというのだ。
「おい、本氣か?」
稔は言った。
「明日の朝、帰ってくるから。荷物はよろしくね」
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Tag : 小説 連載小説

Comment

says...
こんばんは!
第二話読ませて頂きました!

思ったのですが、読みながら、この感覚は何かに似てる・・・
と行き着いたのは、飛行機の中でおしゃれなエッセイを読んでるような気分になるのです、
この作品・・・
心理描写もあるんですけれど、人物の会話も風景の一部というか、そういう感覚になるのです。
また続き読みにきます!
相変わらず感想が下手ですみません> <
2012.07.08 13:41 | URL | #- [edit]
says...
こんにちは!

お忙しいのに、読んでいただけただけでなく、感想をいただけて感激です!
この小説を書いた動機のひとつに「せっかくこういう特殊な場所にいるのに
それを生かした物語が書けないものか」と思ったことがあります。
おかげで日本にいた時には絶対に書けなかった物語、
書けたとしても「これってどうなのかな」と逡巡して
このスピードでは書けなかった話を一氣に書く事が出来ました。
その空氣を感じていただけたなら作者冥利に尽きます。

ありがとうございます。お時間のある時に、またどうぞよろしくお願いします。
2012.07.08 14:14 | URL | #9yMhI49k [edit]
says...
こんばんは、春です・v・

魅力的な3人です〜
でも特にパピヨンさんに注目です。
クール風ビューティー風キューティー?
彼女、ステキだなぁ…!

一気読みどころか随分とゆっくりなペースになってしまっておりますが、
続きを読むのが楽しみです*^^*
2012.08.09 14:11 | URL | #- [edit]
says...
こんばんは!

お仕事に執筆にオリンピック観戦とお忙しい時に、ありがとうございます(笑)

蝶子は私の小説のヒロインでは随一の女丈夫でございます。書いていてもスカッとしますね。
この小説、飽きるほどあだ名が出てきます。くらくらしちゃうかもしれません。わからなくなったら登場人物一覧にあだ名が一覧表記してありますので、ご参考に。

お時間のある時に、読んでいただければ、もうそれだけで嬉しくて空飛んじゃいます。

コメントありがとうございました。
2012.08.09 17:22 | URL | #9yMhI49k [edit]

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