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scribo ergo sum もの書き・八少女 夕のブログ Since March 2012


Posted by 八少女 夕

【小説】夜のサーカスとノンナのトマトスープ

月刊・Stella ステルラ参加作品です。今日は、チルクス・ノッテの仲間たちの食事を作っているダリオのお話です。

実は、団長から新人のステラにいたるまで、チルクス・ノッテの面々は食いしん坊。また体を動かす仕事だからいつもお腹はぺこぺこです。ダリオは彼らをお腹いっぱいにして、幸せにして、さらに体調管理もする大事な役割を担っています。

ところで、「ノンナ」というのはご存知の方も多いかと思いますが、イタリア語で「おばあちゃん」のことです。イタリアの家族で一番頼りにされているのは「マンマ」と「ノンナ」。温かいご飯を作ってくれる人たちです。冷酷なマフィアですら、彼女たちに頭が上がらないといわれています。


月刊・Stella ステルラ 2月号参加 掌編小説 シリーズ連載 月刊・Stella ステルラ


あらすじと登場人物
「夜のサーカス」をはじめから読む



夜のサーカスとノンナのトマトスープ

夜のサーカスとノンナのトマトスープ

「さっ。食べよう」
マルコが言うと、みな、ワインを注いだり、パンを回したりしだした。

 ステラは一つ空いた席を見て戸惑いながら見回した。日替わりで団長夫妻の給仕をしているエミーリオとマルコのどちらかがいないのは別として、他のメンバーは必ず揃ってから食べるのが普通なのに。
「ブルーノがいないわよ」

 ヨナタンとルイージは顔を見合わせて少し上の方を見上げた。サラダを口に運びながらマッダレーナがあっさりと言った。
「今晩は、待たなくていいの」

「どうして?」
「ポールに登っているんだ」
答えたのはマルコだった。ポールって、舞台のテントを支えている、あれのことかしら? だけど、どうして? 食事だって声を掛けてあげないのかな。

「大丈夫だよ。湯氣がポールの上まで届いたら、こらえきれずに降りてくるからさ」
そういってマルコは、ミネストローネの上で頭を揺すっていい香りを吸い込んだ。調理キャラバンでダリオが大鍋にたっぷり作るスープは、村の人間をも呼び寄せてしまうほどの香りの引力を持っていた。

 しばらくすると、ものすごい音がして、ブルーノが駆け込んできた。戸口に立った彼を、全員が一瞬見た。ステラ以外はすぐに目を皿に戻して、食事を続けた。ステラの戸惑った顔に一瞬だけ氣まずそうな顔をした後、ブルーノは乱暴に自分の席に腰掛けると怒りながら食べだした。
「畜生。今度こそ、こんな所からおん出てやろうと思ったのに、何でこんなに美味いもん作るんだよ!」

 共同キャラバンに隣接された調理キャラバンの対面の窓から、ダリオはじっとブルーノの様子を見ていた。うむ。今日もちゃんと食べているな、よかった。今日のデザートはレア・チーズケーキだ。ブルーノがパンナ・コッタと同じくらい好きなもので、ちょうど良かった。少しフルーツを足してやるか。

 ダリオの心はペルージア郊外の小さな村の古びたキッチンに飛んでいた。柔らかい日差しが射し込む石造りの家はとても古くて、ガスなんてものは通っていなかった。しわくちゃの手が古ぼけたオーブンの扉を開けて、薪を中に入れたり、灰をかき出したりしている。オーブンの上には鉄の輪を同心円状にいくつも重ねたコンロがあって、その鉄の輪を取り退けたり、またもとのように置いたりして大まかに火力を調節するようになっていた。近くには、いつもしゅんしゅんと音を立てて黒い鉄製の窯にお湯が沸いていた。このオーブンのおかげで真冬でも台所とその背中合わせになった居間だけは暖かくて、学校から戻るとダリオは台所に直行して冷たくなった手足を温めた。

「今日ねぇ、ジャンニのやつと喧嘩したんだ」
そういうと、彼の祖母は、目を大きく見張ってどうしてと問いかけた。
「だって、あいつ、おいらのことをみなしごだって囃し立てたんだ。二度とそんなこと言えないように、徹底的に殴ってやるつもりだったんだけど」
「やめたのかい?」
「運悪く、先生が来ちゃったのさ。だけど、おいらはあいつのことを絶対に許さないんだ」

「ダリオや。そんなことで喧嘩をおしでないよ」
「そんなことじゃないやい。ノンナはあいつの方が正しいって言うの?」
「そうじゃないさね。ただ、喧嘩をするとお前も怪我をするじゃないか」
ダリオにとっては自分が怪我をするかどうかなど、大した問題ではなかった。ノンナはわかってくれないと拗ねた。けれど、ノンナは黙ってスープの鍋をかき回した。それから、顔を歪めて目の辺りをこすった。

 ノンナはいつもそんな感じだった。記憶にもないほど昔、父親が出稼ぎに行った日から、ダリオはノンナと二人で暮らしてきた。ダリオはよく喧嘩をした。お前の母親は男を作って出て行ったと言われるのも、ニースで父親が死んでからみなしごだとからかわれるのも、自分だけ冷たい石造りの古ぼけた家に住んでいるのも何もかも腹立たしかった。

 ジャンニの父親は町会議員で、セントラル・ヒーティングの効いた二階建ての家に住んでいた。彼の母親はダチョウの羽のついた仰々しい帽子を斜めにかぶって、フィアットで通り過ぎる。クリスマスや誕生日が過ぎると、ジャンニはピカピカの新しい靴や金のエンブレムのついたぱりっとした上着を着て学校に来る。その二日後はダリオの誕生日で、翌朝になると必ず訊くのだ。
「で、お前は何をもらったんだい?」

 ダリオの誕生日には、ノンナがチョコレート・ケーキを焼いてくれた。甘いとろりとしたクリームが中からこぼれ出す特別な仕掛けになっていて、ダリオがこれを大好きだとノンナは知っているので誕生日とクリスマスには必ず用意してくれるのだ。時々焼き加減が違うと、ダリオは文句を言った。
「今日は火加減がうまくいかなかったんだね、ごめんよ、ダリオ」
ノンナは、古いオーブンをコンコンと叩いて謝った。ダリオは半日ほどふくれていた。他に何ももらえないのだ。ケーキくらい、美味しく焼いてくれてもいいのに。

 ノンナは、絶対にヒステリーを起こしたり、泣きごとを言ったりしなかった。ダリオがふくれても、食事の時間になって帰ってこなかったために何度も温め直す羽目になっても、決して声を荒げたりしなかった。
「ダリオや。許しておくれ。次には上手く焼くからね」
「ダリオや。今度はもう少し早く帰ってきておくれ」
悲しそうにしわくちゃの顔を歪める。ダリオは、その時だけは、ちょっとだけ申し訳ないかなと思った。

 ノンナの作るのパスタは絶品だった。いくつものスパイスを混ぜて、ことことと煮込んだソースが鼻腔をくすぐった。曲がった腰に手を当てて、小さな庭から掘り出してきたジャガイモやサラダがいつも食卓を賑わせた。トマトスープのおいしさは格別で、ダリオは何杯もおかわりをした。
「ダリオや。美味しいかい」
ノンナはしわくちゃの手で、ダリオの頭を何度も撫でた。
「かわいそうにねぇ。許しておくれよ。お前にもっと楽な暮らしをさせてあげることができなくってさ」

 中等学校に入ってから、ダリオは古い石の家に寄り付かなくなった。友達の家を渡り歩いたり、まだ許されていないのにバルやディスコに行き、街のごろつきの下働きをしたりして遊ぶ金を稼いだ。たまに家に戻ると、歳を取ってさらに悲しい顔をするノンナに荒い言葉を投げかけては背を向けた。もっとも、トマト・スープが出て来れば、それだけは喜んで食べた。

 ノンナが倒れたという報せをもらった時、ダリオはディスコで騒いでいた。慌てて家に戻ると、ストーブが冷えていた。子供の頃から一度だって絶えたことのない火が途絶えていた。暗くて寒い台所でダリオは呆然とした。病院に駆けつけると、白い病室の中にベッドがぽつんと見えた。真っ白いシーツの中に申しわけなさそうにノンナが横たわっていた。小さく縮んだようだった。ダリオを見ると弱々しく笑った。
「ごめんよ。ダリオ、心配かけて……」

 ダリオは、はじめて自分が失おうとしているものが何であるかを知った。セントラル・ヒーティングがない、金のエンブレムのついた上着がない、顔も憶えていない両親がいないなんてことは、ダリオを本質的に不幸にしてはいなかった。それなのに彼はいつも不満をぶちまけていた。最も大切な優しい愛の前で。暖かい火の絶えないストーブの前に立って、ダリオのすべてを受け止めてくれた優しいノンナ。ダリオはまだノンナに恩返しをしていなかった。ちゃんとした仕事に就いて安心させてもいなかった。心からの感謝をを身をもって示してはいなかった。

 彼女は石の家に戻ることもないまま、ゆっくりとこの世を去っていった。ダリオは二度とあの美味しいトマト・スープを食べることが出来なくなったのだ。

 料理人になると言い出したダリオを悪い仲間たちも、いい学校に行ったジャンニたちも、誰もが笑った。だが、ダリオはもう笑われることで腹を立てたりしなかった。ノンナのように、おいしい料理を作るのだ。ノンナが作ってくれたような、暖かくて優しいスープを作るのだ。ノンナに伝えられなかった氣もちを一皿一皿に込めるのだ。

 ダリオは、ペルージアのレストランで十年ほど修行した。そして、ローマに店を出すという金持ちに誘われて、そこの料理長にならないかと誘いを受けた。ちょうどその頃、体を壊した友人に、彼が働いていたチルクス・ノッテのまかないの仕事を引き受けてくれないかとも頼まれていた。ローマで高い給料を得て、名声を得るか、それとも仕事を続けられなくなった友人に代わって、しがないサーカスでまかないの食事を用意するか。ほかの料理人だったら迷うこともなかっただろう。けれどダリオは、世界から押し出されたようなはみ出しものの連中を空腹のまま放置して、ローマの金持ちのためにしゃれた料理を作る氣にはなれなかったのだ。

 相方のトマが死んで食べられなくなったジュリアのために、リゾットをつくってやった。そのジュリアにきつくなじられて唇をかんでいた、入団したてのマッダレーナのためにとっておきのオーソ・ブッコをつくってやった。故郷の女房に間男ができて離婚することになったと泣いたルイージのために無花果を使った特製の前菜を作ってやった。そして、ロマーノと一緒の時間を過ごすことを強要されるごとにポールに登っていつまでも遠くを眺めるブルーノのために、ノンナの思い出のスープをつくってやる。

「くそっ。なんでこんなに美味いんだよっ」
ブルーノの罵り声が耳に入って、ダリオの心は調理キャラバンに戻ってきた。ダリオは冷蔵庫に手を伸ばし、用意しておいたレア・チーズケーキを型から取り出すと、人数分に手早く切り分けてデザート皿に取り分けていく。季節のフルーツをこんもりと飾ると、ラズベリーのソースを形よく掛けていく。ブルーノがポールに登った日には、仲間の誰かが自分のデザートをブルーノに譲ってやる。氣もちのいい連中だ。ローマのちょっと食べて残すような鼻持ちならない客のために働くよりずっといい。そうだろう、ノンナ? ダリオは頷くと、明日の昼食の仕込みのために野菜の皮をむき出した。

(初出:2013年1月 書き下ろし)
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Category : 小説・夜のサーカス
Tag : 小説 連載小説 月刊・Stella

Comment

says...
こんばんは、TOM-Fです。

ダリオは、さしずめチルクスノッテの影の立役者ってとこですね。
トマトスープというと、ミネストローネくらいしか思い浮かびませんが、あれ、美味しいですよね。私は、大好きです。
祖母の味を受け継いだダリオは、その心もちゃんと受取っていたんですね。こういう料理人がいて、心のこもった食事が出されたら、またがんばろうって気持ちになりますね。

ところで、このお話に出てきたあるモノを、私もStellaの参加作品で使っていまして、ちょっとびっくりしました。
それがなにかということは、お楽しみにしていてください(ちゃっかり宣伝。スミマセン)
2013.01.27 14:26 | URL | #V5TnqLKM [edit]
says...
こんばんは。

他の作品と違って、このシリーズの一作目を書き出した時には、まったく背景が決まっていなくて、Stellaで続きを書くにあたって、他のメンバーや共同生活の形態などいろいろと想像を膨らませました。その時に、さすがに演技者が飯ごう炊爨でカレー作っているってわけにはいかないだろうと思い、料理人を作ることにしたのです。で、作った途端、出てきたのがこの食いしん坊には優しい国イタリアのおっさんです。単に優しいのじゃ意味ないし、と思っていたらこのエピソードが出てきました。

ミネストローネも、日本で出てくるものと、イタリアの小汚いけれど地元民で賑わっている食堂ででて来るものでは、見かけや味や量がまったく違うのですが、まあ、まとめてトマトスープと書いてしまうことにしました。

さて、TOM-Fさんのところの第三話、何が出てくるんだろう? 楽しい偶然ですが、探すのが楽しみです。そろそろアップですよね。お待ちしていますv-290

コメントありがとうございました。
2013.01.27 17:47 | URL | #9yMhI49k [edit]
says...
オーソ・ブッコ?ってどんな料理なんだろう?
どこか本編の中で出てきたんだろうか?
サキが覚えていないだけ?
ダリオはすばらしい料理人ですね。絶えず食べる人のことを考え、ああしてやろう、こうしてやろうと工夫をする。こういう料理人の作る料理を食べてみたいです。
でも原点はノンナなんですね。現代ではもう存在さえしない(多分)純粋に他人のために生きることのできる人間です。(きっと……サキにもこういう人の内面は分かりませんが)
自分の死を予感しながらもダリオの事を優先してしまう。
こういう人間を書くことのできる夕さんをちょっと尊敬してしまいます。
確かサキよりだいぶ(少しかな?)人生を経験されているはずですよね?
サキもこういう人間を書けるようになりたいです。
味わい深いお話、ありがとうございました。
2013.03.03 12:22 | URL | #0t8Ai07g [edit]
says...
こんばんは。
オーソ・ブッコはここにだけしかでてきていません(笑)
典型的なイタリアの料理で子牛のすね肉の煮込みです。なんとなくイタリア料理をいろいろと並べてみました。

ストーリーを褒めていただけて嬉しいです。ダリオがはじめから人格者だったのではなくて、不良っぽく拗ねていた方が、しがないサーカスの料理人になるのに納得性があるかなと思ってこうしました。

イタリアという国はドイツやスイスに較べると、経済もめちゃくちゃで、いろいろなことが機能しないんですが、それでも明るくて楽しくて、そして暖かいのですよ。

私は何を食べているのかがその人間を作ると思っているのですが、美味しいものを食べている人びとというのは現在対峙している状況がどんなにめちゃくちゃでも精神的余裕があるように思えるのです。

スイスって、お金はたっぷりあって、憂いもあまりないようにみえるのに、どこかギスギスして心配ばかりしているような人たちが多いのです。で、そういう家庭を観察すると、キッチンが病的にきれいなのです。で、キッチンを汚すのが許せないので、油でぎとぎとのおいしい料理なんて食べずに、パンとチーズとサラミみたいな冷たいものをちびちび食べているわけです。レストランにも行かずに、テレビばかり見ている。

イタリアは、食べて、歌って、用もないのにレストランに集って、つまり社会生活が盛んで、そして、何かあった時の人助けも自然で。その原点にマンマやノンナの暖かい料理があるんですよね。

チルクス・ノッテでは、こういう「イタリア」を一つのテーマにしています。ステラのお母さんのバルに集まる人たちや、ここに出てきたダリオや、それにこれから活躍する予定の部外者たちが、自分の得になるかとか、義務としてやるべきかどうかなどを度外視して動く話にしようと思っています。

さて、私がとても年上なのは間違いないと思っていましたが、サキさんと先さんとの関係が私の推理したものだとすると、今度はサキさんの年齢がすっかりわからなくなってしまいました。まさかウゾさんと同い年だとか? 私は年代としては先さんとかなり近いと思うんですが。バブルが弾けた頃に社会に出ていますからね。これで先さんには大体の年齢がわかると思います。たぶん、あの三枚の写真から訪問先をあてるよりはずっと簡単だと思うけれどな。

コメントありがとうございました。
2013.03.03 18:23 | URL | #9yMhI49k [edit]
says...
少し涙が…、GTです :)

「リゼロッテと村の四季」「貴婦人の十字架」を詠み終えて、「十二ヶ月の野菜」を読んで「リナ姉ちゃんのいた頃」に、そして今「夜のサーカス」を読んでいます、このノンナのトマトスープというお話し、昔を思い出して少し涙が出ました、この夜のサーカスはどのお話しも暖かくて、自然と頬が緩みます、毎日続きを読むのが楽しみです

それではまた宜しくお願い致します :)
2016.06.09 14:04 | URL | #mQop/nM. [edit]
says...
こんばんは。

わあ、なんと沢山一氣読みしてくださっているのですね。
す、すみません。本当に感謝です。

「夜のサーカス」は月に一度発行される「Stella」用に書いていたので、毎回読み切り的に読めるものとして、そうであっても全体としては一つの作品になるように、という構成で書きました。この「夜のサーカスとノンナのトマトスープ」を含めて、前半はそれぞれの登場人物が際立つようなストーリーで人物紹介をする事にしたんですが、弱小サーカスならではの人情味あふれる話に出来たらいいなと思って書きました。

それと、ノンナの古いストーブの描写などは、現在でもヨーロッパの田舎では時折使われているものをモデルにして書いています。こんなレトロなストーブで調理する人、まだいるんですよ、ヨーロッパには。

「夜のサーカス」を楽しみに読んでくださって、とても嬉しいです。今ちょうど1/3くらいですね。少しずつ本筋の方も進んでいきますので、また読んでいただけると嬉しいです。

コメントありがとうございました。
2016.06.09 19:46 | URL | #9yMhI49k [edit]

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