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scribo ergo sum もの書き・八少女 夕のブログ Since March 2012


Posted by 八少女 夕

【小説】夜のサーカスと西日色のロウソク

月刊・Stella ステルラ参加作品です。「夜のサーカス」を発表すると月末。このスタイルももう半年以上なんですねぇ。今日は団長ロマーノの回想の話です。


月刊・Stella ステルラ 4月号参加 掌編小説 シリーズ連載 月刊・Stella ステルラ


「夜のサーカス Circus Notte」を読む「夜のサーカス」をはじめから読む
あらすじと登場人物




夜のサーカスと西日色のロウソク


夜のサーカスと西日色のロウソク


「まあ、きれいなロウソクね。西に沈む夕陽を思い出すわ」
ジュリアの声に、はっとしてロマーノは目の前に燃えるロウソクに目をやった。エミーリオがプリモ・ピアットの皿を運んでくるまでの間、つぎの興行の事を考えて意識が飛んでいたのだ。テーブルの上には、二日前にマルコに渡しておいたオレンジと黄色のグラデーションのかかったロウソクが静かに燃えていた。

「ああ、これか。近くで見つけたので買ったのだよ。あなたとの二人っきりの時間には、できるだけロマンティックにしたいからね、私の小鳥さん」
ロマーノがささやくと、ジュリアはにっこりと笑った。
「あなたはいつも私の事をとても大切にしてくれるのね。嬉しいわ」

 繰り返される、お互いに心にもない甘い会話。これは必要な結婚だった。いまだに熱烈なファンを持つジュリアを連れてパーティに行く事で、ロマーノはたくさんの協賛金を集め、多くのチケットを売る事ができた。ジュリアは、肉体の衰える前に、どうしても身の保証をしてくれる存在が必要だった。

 そう、私たちは人格者ではない。だが、さほど悪い事をしているわけでもない。税金も少しは払い、団員たちの面倒を見て、社会にも貢献している。キリスト教精神にのっとって。私の人生最大の失敗も、このキリスト教精神から起こしてしまったのだったな。

 あれはミラノ興行のための設営の夜だった。ロマーノはくるんとした髭をしごきながら十一年前の初夏の夜の事を考えていた。

 とても暑い夜だった。まだ六月だというのに湿めっぽく、どこからか湧いた蚊が耳元でうるさかった。こういう宵にはブルーノを相手にするとことさら憂鬱な顔を見せて、ことの後で妙な罪悪感に悩まされるので、むしろ外で商売男でも探すかと、彼はテント場を出て外を歩いた。

 そこは、ミラノ中央駅から数駅は離れた小さな鉄道駅の側で、華やかで物価の高い中心地とは全く趣の違う、寂れてわびしい地区だった。そう、華やかなものと言ったら、チルクス・ノッテの色とりどりの電球ばかり。テントから離れれば、薄暗い道に所々悲しげなオレンジ色の街灯がようやく足元を照らした。ネオン灯の青白いバルには地元の男たちがたむろしている。もう少し明るそうな駅の方を目指せば、ほんのわずかに黄色い光を宿す窓がまばらに見え出した。

 食事はもう済ませたからな。ダリオのコース料理は、今日も素晴らしかった。ロマーノはそうつぶやいて、リストランテの前を通り過ぎ、小さな駅舎の裏手へと歩いていった。男娼はこういうところで待っていることが多いというのが、長年の経験から育てた勘だった。

 だが、それらしい男はどこにもいなかった。いるのは、なんだ、浮浪者のガキか。彼は子供とも若者ともつかぬ華奢な体の影が、壁にもたれかかってぐったりと座っているのを軽く無視して去ろうとした。けれど、暗闇の中で見たその姿がどこか普通でないと感じて、もう少しよく観るために踵を返して近寄った。

 それは少年だった。ロマーノが近づくと瞳をあげて、黙ってその顔を見た。何も言わず、怖れた様子も、媚びた様相もなかった。ただ、まっすぐにロマーノが何をしにきたのかを訝るように見上げていた。ロマーノは奇妙に思った事が何だったか理解した。少年の服が濡れていたのだ。汗で湿ったというのではなく、一度完全にびしょぬれになったものが、時間とともにわずかに蒸発した、そのようなひどい濡れ方だった。

「しばらく雨は降っていなかったはずだが」
我ながら奇妙な挨拶だと思いながら、ロマーノは最初の言葉を口にした。少年は何も答えずに目を落とした。興味を失ったかのように。少し身をよじると、ぎゅるるという小さな音がした。少し苦しそうに息をつくと、少年はうつむいて膝を抱えた。腹の音はまた続き、ロマーノは三年前に拾ったブルーノの事を思い出した。

「来なさい。すぐそこにリストランテがある。何かの縁だ、食事をおごってやろう」
そういって少年に手を差し出した。少年は訝しそうに見上げたが、その時再び腹が鳴り、ため息をついて彼はゆっくりとロマーノの手を借りずに立ち上がった。そして小さな声で言った。
「ありがとうございます」

 外国人だ。少年のイタリア語を聴いてロマーノは直感した。

 小さなリストランテにはテーブルが五つほどしかなかった。焼けこげのできた赤いギンガムチェックのテーブルクロスの上には、オレンジから黄色へとグラデーションがかかった大きなロウソクが焔をくゆらせていた。目の前に座った少年の顔を、そのロウソクの光でロマーノははじめてはっきりと見た。暗い茶色の髪と瞳。意志の強そうな眉に整った鼻梁、これはこれは、なかなかの上玉だ。ロマーノは知らず知らずのうちに笑顔になっていた。

 自分のためにはワインとチーズを、そして少年のためには、ミネラルウォーターにスープとサラダ、そしてパスタを注文した。スープとパンが少年の前に置かれた時、彼は目の前のびしょぬれの固まりが、どれほど長く食事を望んでいたのかを理解した。目がわずかに潤んでいた。けれど、初めて会った時にブルーノがそうしたように、ものも言わずにかぶりつくような事はしなかった。半ば震えるようにナフキンを膝の上に置き、わずかに頭を下げてロマーノに礼を言ってから、震える手でスプーンを手にした。

 そのスプーンがスープをすくうのを片目で見ながら、ロマーノは単なる世間話のつもりで言った。
「ところで、どうしてそんな格好をして飢えているのか、訳を話してくれるかね? お前はどこから来たんだ?」
この少年は、ただの浮浪者などではない。こんなにきちんとした行儀を仕込まれた子供が、何故こんなところで飢え死にしかけているのか。

 カチャンと音がした。ロマーノが目をやると、少年はスプーンをスープ皿に立てかけて手を膝の上に戻してうつむいた。そして、それほどまでに待っていた食事をしようとしなかった。

「おい、どうしたんだ。食べていいんだぞ」
ロマーノは言った。

 少年の肩は震えていた。少し訛りのある妙にきちんとしたイタリア語がその口から漏れた。
「訳をいわなくてはいけないなら、食べるわけにはいきません」
「馬鹿な事を。そんな事を言っていたら、次に誰かが酔狂を起こす前に死んじまうぞ」
「覚悟していました。このまま、死んでもしかたありません」

 ロマーノは震えた。ありえない事だった。拾ったときのブルーノとさほど変わらない年齢に見えるのに、勝手が全く違った。考えている事が手に取るようにわかった褐色の少年と違って、この年若い男は、ロマーノには全く理解できない精神構造をもっていた。完全な大人のような恐ろしい意志を体の中に秘めているのだった。いやなら適当な嘘でも言えばいいのに、食事を与えてくれたロマーノに対して欺瞞や裏切りをしようとしない、馬鹿正直でまっすぐなところも持っていた。そこが得体が知れなくて薄氣味悪かった。

「いや、そういうのは、やめてくれ。別にどうしても訊きたいってわけじゃないんだ。とにかく食えよ」
ロマーノがそう言っても、少年は潤んだ瞳をあげたまま、動かなかった。そこで仕方なく、ロマーノは続けた。
「いいか。これは純粋なキリスト教精神だ。うちは生粋のカトリックだからな。お前にはいかなる説明も、見返りももとめない。なんなら神に誓うよ。お前には、生涯、言いたくない事は言わせないし、何かの代償をもとめることは絶対にしない。父なる神と子なるキリスト、精霊の御名によって、アーメン。ほら。これで安心しただろう、食え」

 そこまで言ってしまってから、ロマーノははっとした。しまった。なんて事を誓ってしまったんだ。この子があと五年も育ったらどんないい男になることか。こんなチャンスはめったにないのに!

 少年はもう一度頭を下げると、ゆっくりとスプーンを持ってスープを口に運んだ。ロマーノはパンの籠を少年の近くに押してやった。再び頭を下げると、上品な手つきでそのパンを取るとちぎって口に運んだ。それからほうっと息をついた。

 ロマーノはミネラルウォーターをグラスに注いでやりながら、少年に話しかけた。
「お前、今夜泊るところもないんだろう」
少年は素直に頷いた。

「こうなったら乗りかかった船だ。私のところに来て寝泊まりするといい。私はロマーノ・ペトルッチ。『チルクス・ノッテ』の団長だ。約束したから、代わりに何をしろとは言わないが、手伝いたければ手伝えばいいし、出て行きたい時には自由に出て行ってもいい。どうだ」
「いいんですか」
「神に誓うってのはそういうことだからな。言葉は守るさ。サーカスってのはだな。世の中からはみ出したような連中ばかりだ。必要なのは、自分のやるべき事をやること、それだけでいいんだ。完璧なイタリア語が話せなくても、社会のありがたがるような紙っ切れがなくても誰も氣にしない。お前みたいな訳あり小僧には悪くないところだと思うぞ」

 少年は、スパゲティを食べ終えると、ナフキンで丁寧に口元を拭い、それから静かに答えた。
「僕にでもすぐにできる裏方作業などがあるでしょうか」

 ロマーノは少し考えて言った。
「そうだな。例えば、興行後には毎晩舞台のナットが弛んでないか確認する作業がある。それくらいなら、お前でもできるだろう」
「はい。やらせてください」

 ロマーノは笑った。
「よし。ところで、お前はなんていうんだ。あ、本名でなくてもいいんだぞ。なんと呼べばいいのか、それと年齢がいくつかぐらいは言えるだろう?」

 「十五歳です。名前は……。」
少年は瞑想するような顔つきでしばらく口ごもった。それから、ロマーノを見てはっきりと答えた。
「ヨナタンと呼んでください」

(初出:2013年3月 書き下ろし)
関連記事 (Category: 小説・夜のサーカス)
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Category : 小説・夜のサーカス
Tag : 小説 連載小説 月刊・Stella

Comment

says...
 こんばんは。
うん ジュリアとロマーノの間には 愛はないかも知れないが お互いに誠実に努力し
関係を維持しょうとしている。
このような 共犯者の様な関係を…

言葉は守る いかにも キリスト教的な考え方。
うーーん ヨナタン また一歩 謎が深まった…
十五歳で すべてを捨てたのか ヨナタンの本名って 何なのだろう 
正体が垣間見える様な名前なのだろうか。
2013.03.24 13:19 | URL | #- [edit]
says...
こんにちは。

そうなんですよね。実をいうと、こういう二人の方が夫婦の絆は固いかも。

ロマーノは、こんなヤツですが、ばりばりのキリスト教信者。信心深いヤ○ザがいるようなものでしょうか。で、本当に言葉を守っているんですよね、十一年も。

ヨナタンの本名は……と、いいます。日本の名前と違って、ヨーロッパって誰も彼も同じような名前ばっかりなので、名乗ってもいいと思うんだけどね〜。あ、でも、ストーリーが続かなくなっちゃうから、ここでは名乗れないのでした。(作者都合)
十五歳ってことは、かなりウゾさんに近いんですよね。ウゾさんに負けず、かなり数奇な人生を歩んでいるのですよ。ヨナタンも。

コメント、ありがとうございました。
2013.03.24 15:30 | URL | #9yMhI49k [edit]
says...
こんばんは、TOM-Fです。

そうですね、そろそろStella投稿の時期ですね。こちらもそろそろ仕上げにかからないと。

ロマーノとジュリアの関係、大人だな~。綺麗ごとだけじゃないですからね、実業家ともなると。

敬虔なキリスト教徒が神に誓ってしまったら、もうどうしようもないですね。ロマーノ、食えないやつですが、今回だけはちょっと可哀想かも(笑)
それにしても、15歳やそこらで、海千山千のロマーノを手玉にとるとは、ヨナタン恐るべしですね。まあ、手玉に取るつもりはなかったんでしょうけど、ステラも苦労しそうですね。応援してるからね~。
2013.03.24 15:52 | URL | #V5TnqLKM [edit]
says...
こんばんは。

ええ、そうですね。27日アップでしたっけ、楽しみにしていますね。

よく考えると、この作品で一番食えないヤツなのはヨナタンかもしれません! 主役のくせに。そのロマーノの不満のはけ口は、ことごとくブルーノに向かって、可哀想です。まったく。ステラも、苦労しまくりの予定です。更なる応援、お願いしますって、言ってます(笑)

コメントありがとうございました。
2013.03.24 17:48 | URL | #9yMhI49k [edit]
says...
全員。ここに登場する人物全員不思議な人物です。
ジュリアとロマーノ、ほら!やっぱり不思議な夫婦です。必要な部分を相互に利用する超合理的な関係、サキにとってはとても不思議ですが有りかも……と思ってます。
こういうの、書けないなぁ。
でも、ヨナタンの不思議にはかないません。
育ちは良さそうですが名前すらわかりません。年齢は本当なんでしょうか。
ロマーノは誓っちゃったんですね!ヨナタンは運がいいというか引きがいいというか、そういうものを持っているのでしょうか?
不思議の入り口です。

あれ!書いているうちに20000HIT企画リクエストがお二人揃いましたね。では今回は遠慮させていただきましょう。

(投稿する記事を間違えてしまいました。消去して再投稿しています)
2013.03.25 15:11 | URL | #0t8Ai07g [edit]
says...
こんばんは。

見かけだけの夫婦も、お互いに割り切れていると、不幸はなくていいかもしれませんよね。
この話は、世間からはみ出した者の集まりなので、ことさら変なヤツばかりかもしれません。
その中でも、突出して妙なのが主役でございます。
たぶん、年齢くらいは本当でしょう。
運はいいみたいですね。いろいろあっても、都合良く、ロマーノが拾ってくれたし、その後はかなり平穏に暮らしていますしね。

リクエスト、二つ揃いました。こちらもできたら読んでいただけると嬉しいです。

コメントありがとうございました。
2013.03.25 21:24 | URL | #9yMhI49k [edit]

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