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scribo ergo sum もの書き・八少女 夕のブログ Since March 2012


Posted by 八少女 夕

【小説】樋水龍神縁起 Dum Spiro Spero (1)時過ぎて

長々と予告だけで引っ張ってきましたが、ようやく新連載開始です。「樋水龍神縁起 Dum Spiro Spero」、またちょっと長くなると思いますが、おつき合いいただければ幸いです。

「樋水龍神縁起 Dum Spiro Spero」を読むこのブログではじめからまとめて読む
あらすじと登場人物


この作品は下記の作品の続編になっています。特殊な用語の説明などもここでしています。ご参考までに。
「樋水龍神縁起」本編 あらすじと登場人物



樋水龍神縁起 Dum Spiro Spero
(1)時過ぎて


 今年の樋水の春はいつもより早かった。摩利子は樋水龍王神社のご神体である瀧のある池のほとりに立っていた。夫婦桜の花の時期にはまだ半月ほどはあるだろうが、レンギョウや寒桜が次々と花を咲かせ、雪柳の枝にも若葉が萌えだしていた。摩利子は、次郎を待っていた。確認しなくてはいけないことがあった。

「ねえ、お母さん。ヒメミコサマって何?」
その日の午後、早百合が訊いてきた。摩利子は答えた。
「神社に祀られている女神さまのことでしょ。どこで聞いたの?」

「ジローセンセ。るみにそう言ったの」
「瑠水に?」

 摩利子は早百合から辛抱強く情報を引き出した。早百合と、瑠水と、早良彰とが三人で龍王神社の境内で遊んでいたときのことだったらしい。例によって、同い年で仲のいい早百合と彰は、幼い瑠水を持て余していた。だが、早百合は大好きなパパに妹から目を離すなと厳命されたので渋々龍王の池の横で遊んでいた。瑠水は龍王の池にさえいれば大人しかったのだ。二人は瑠水を好きにさせておいて、縄跳び遊びに興じていた。そこにやってきたのが次郎先生こと関大樹禰宜だった。

「これこれ。ここで遊ぶのは構わないけれど、境内で縄飛びはだめだよ。それに、さっき掃き集めた花びらがぜんぶまた広がっちゃったじゃないか」
「だって、僕たちはなわ跳びがしたいんだ。他にどこですればいいんだよ」
「駐車場とか、『たかはし』の後ろとか、あるだろう」

「あそこだと、るみを見てなきゃいけないじゃない」
「ちゃんと見てればいいだろう。とにかくここで縄跳びはダメだ」
「ジローセンセの意地悪」
「ここで続けるもんね」

 なんてききわけのないくそガキだ。次郎は心の中で毒づいた。それが顔に出たのか、じっとこちらを見ていた小さな瑠水が言った。
「こどもがきらいなのよ」

 それを聞いた途端、次郎の顔色が変わった。瑠水を見て震えながら言ったのだ。
「媛巫女さま……」


 次郎がやってきた。
「お待たせしました」

「お忙しい所、お呼びだしてごめんなさいね、次郎先生。でも、ちょっと聞き捨てならないことを耳にしてしまったものだから」
「とおっしゃると……」

 次郎は、摩利子には頭が上がらなかった。摩利子は次郎が見習いである出仕のときからよく知っていて、以前は「あんた、本当に頼りないわねぇ」と、しょっちゅう叱り飛ばしていたのである。しかし、次郎が資格を取って禰宜になってからは、摩利子も言葉には氣をつけるようになっていた。少なくとも対外的には。

「子供の言うことだから、100%信じているわけじゃないんだけどね。早百合がいうには、今日次郎先生が瑠水のことを媛巫女様って呼んだっていうから。どういうことなのかなと思って」
「はあ、申し訳ありません」
「いや、謝ってほしいんじゃなくて、どういう文脈でそうなったのか、知りたいわけ」

 次郎は、落ち着きなく龍王の池を覗いた。摩利子はさらに畳み掛けた。
「媛巫女様って瑠璃媛とゆりさんのことでしょ」

「信じてもらっているかわかりませんが、僕には千年前の前世の記憶があるんです。新堂先生と同じように」
「それは信じているわよ」

「この神社の郎党だった千年前の僕が初めて瑠璃媛様にお目見えしたとき、僕は子供に仕えるのは嫌でした。宮司付きの郎党になりたかったので。不満たらたらでご挨拶をした時に数えで五つの媛巫女様はそれをお見抜きになりました」

「童は嫌いであろう。なにゆえ、このような童女にと思っておる」
それが、瑠璃媛が次郎にかけた最初の言葉であった。

「じゃあ、何? 瑠水が子供が嫌いなのよって言ったから、それを思い出しただけってこと?」
「わかりません。自分でも。でも、瑠水ちゃんは、以前から特別でした。幼かった媛巫女様にとてもよく似ているんです。氣も、行動も……」

「瑠水が瑠璃媛の生まれ変わりなんていったら、一に殺されるわよ。まだゆりさんと新堂さんがどこかで生きていると信じているんだから」
「わかっています。僕だって、新堂先生とゆりさんがご無事でいらっしゃることを願っているんです。でも、摩利子さん。瑠水ちゃんの『おうじさまとおひめさま』の話、ききませんでしたか」

 摩利子はため息をついた。もちろん摩利子はその話を知っていた。


 友人であった禰宜の新堂朗とその妻のゆりが花祭りの晩に突然姿を消してから二年して、高橋一と摩利子には初めての子供が生まれた。ゆりの弟の早良浩一が同じ年に生まれた息子に朗にちなんで同じ音の彰という名前をつけたのに影響されて、一と摩利子は長女に早百合という名前をつけた。二人はまだどこかで生きている、だからこれはあくまでちなんだ名前だというつもりだった。

 ちなんだはいいものの、早百合はまったくゆりには似ていなくて、おてんばで活発な子供だった。摩利子にある『見える者』としての能力は早百合にはひきつがれなかった。摩利子はそれをむしろいいことだと思っていた。

 四年後に摩利子は二人目の女の子を産んだ。それが瑠水だった。まったく予想していなかったことに、瑠水の方が多くの意味で、ゆりに似ていたのだった。ゆりのように大きくはなかったが瑠水のオーラはゆりのものに近い八重桜色だった。一方、早百合のオーラは摩利子のと似たような黄緑色だった。そして瑠水は『見える者』だった。見えるだけでなく、まだ赤ん坊の頃から、犬の機嫌を変えたりすることもできた。そして、もっとも摩利子を驚かせたのは龍王の池のメルヒェンだった。

 新堂朗とゆりが姿を消して以来、摩利子と一は二人がこの樋水龍王神社から逃げて、どこかで幸せに生きていることを祈っていた。けれど、それと同時に摩利子はその特別な能力で、龍王の池と樋水川に異変が起こったことを感じていた。水辺に立つと心の中にどこからか風が吹いてくる。そして、その風にのって、何とも言えない幸福感が広がる。あまりの歓びに泣きたくなる。それが何なのか、摩利子はあまり考えないようにしていた。

 瑠水は何もわからない赤ん坊の頃から、格別にこの池のまわりにくるのが好きだった。いまでも、放っておくと夏でも冬でも勝手にこの池に行っている。小さな村で危険はないのでそのままにさせている。ある日、またしてもわき起こった至福の風に涙ぐみかけている摩利子に瑠水は言った。
「みずのそこのおうじさまとおひめさま、きょうもしあわせだね」

 龍でも蛇でもなかった。王子様とお姫様? それは摩利子がどうしても認めたくなかった恐ろしい可能性を示唆しているようで、ものすごいショックだった。新堂さんとゆりさんはもしかしてこの池の底にいるの? この幸福感は二人のものなの? 突然泣き出した摩利子に瑠水は驚いた。

 摩利子も一も『水底の二人』の話を喜ばないので、瑠水は両親にその話はしないようになった。しかし、瑠水にはわからなかった。どうしてしあわせなおうじさまとおひめさまのはなしをするとパパとママがなくんだろう。瑠水にとって『水底の二人』は嘘でもおとぎ話でもなかった。底にいるのがわかるのだ。


「そうよ。瑠水はあそこに王子様とお姫様がいるって言っているわ。でも、私はそれでもまだ希望を失いたくないのよ。二人の遺体が見つかったわけじゃないんですもの」
「希望……」

「そうよ、何?」
「いや、思い出したんです。かつて新堂先生が僕に教えてくださった言葉を」

「なんていうの?」
「Dum spiro, spero. 生きている限り、私は希望を持つ……」
「そう。新堂さんが、そんな言葉を……。今の私たちにぴったりの言葉じゃない?」
「そうですね」

 しかし、それ以来、摩利子は瑠水の言動に氣をつけるようになった。『見える者』であることが悪いわけではない。早百合と瑠水の違いが重要なわけでもない。しかし、瑠水は早百合に較べて危険な立場にあることに氣がついたのだ。樋水の『鬼』である武内宮司に目を付けられて、樋水龍王神社に終身仕える『妹神代』なんかにさせられたら困る。

 次の『背神代』は次郎に決まったと聞いている。武内宮司は次郎の嫁に県外の何も知らない六白金星の女性を手配しているそうだ。二十一世紀にもなって神社の都合で政略結婚なんてかわいそうに。まさか先々代は自殺して、先代は人間じゃないものを妊娠したあげく行方不明なんて知らずに嫁いでくるんでしょうね、氣の毒に。そういうわけで、この村では我が娘を神社に差し出したいという親は一人もいないのだった。
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Category : 小説・Dum Spiro Spero
Tag : 小説 連載小説

Comment

says...
こんにちは、TOM-Fです。

「樋水龍神縁起 Dum Spiro Spero」ついに、連載開始ですね。お待ちしていました。
第1話を読みながら、背すじがゾクゾクきました。こんな感覚は、久し振りです。

瑠水の「こどもがきらいなのよ」はいいですね。瑠璃媛さま再臨って感じです。

この作品で、八少女夕さんがどのような「愛」のありかたを描いていくのか、楽しみながら読ませていただきますね。

2013.03.27 10:17 | URL | #V5TnqLKM [edit]
says...
とうとう始まりましたね!

摩利子さん視点だと、瑠水の『水底の二人』の話しは、現実的な二人の「結末」・・・を想像させて、「しあわせ」でも、それを言葉通りに受け取りがたい気持ちになりますよね。
20年程前から見られるようになった「蛟」の存在、「しあわせ」、は、人間の範疇で捉えられないものなのかな、とちょっと思ってしまいました。人間の世界の理屈で読み解くと、別のものになるというか・・・一話目から一人で勝手に深読みしてしまってすみません・・・!

幼いながらに、瑠水は既に、媛巫女としての凛としたものを備えているのですね。
ひらがなの子供の言葉で本質をつくところがすごくかっこよかったです!
また、

>「Dum spiro, spero. 生きている限り、私は希望を持つ……」

に、私も希望を持って読み進まさせて頂きたいです!
瑠水が本当の意味で幸せになりますように・・・
次も楽しみにしておりますね^^



2013.03.27 12:55 | URL | #- [edit]
says...
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2013.03.27 16:07 | | # [edit]
says...
こんばんは。

引っ張りすぎて、「それでこれかよ」と、いう感じなのですが、こんな風にはじまりました。

この話は、「樋水龍神縁起」本編が、ああいう構成で他にどうしようもなかったので、代りに書きました。もう少し、私たちに近い形のお話です。またお付き合いいただければ幸いです。

コメントありがとうございました。
2013.03.27 21:50 | URL | #9yMhI49k [edit]
says...
こんばんは。

思うんですけれど、宇宙レベルや自然レベルでいうと、太陽の爆発や人類の滅亡もただの均衡の修復だったりするように、どこに視点を置くかによって、あのストーリーがハッピーエンドだったかバッドエンドだったかも意見の分かれる所だと思うのですよ。個人的には、摩利子や一が瑠水の発言にショックを受けるのは妥当かなあと。

幼い子供は、誰しもカミに近いものを持っているので、その中でもある種の感受性を持つ瑠水がそのカミレベルの「しあわせ」を感じ取り、それと「ままとぱぱがなく」ことの整合性を持てないってのは、ありかな〜と。

このストーリーを考えついたのは、実はこのラテン語を目にしたからなのですよ。
「大道芸人たち」ほどではありませんが、またしばらくの長丁場となります。おつき合いいただけると幸いです。

コメントありがとうございました。
2013.03.27 21:59 | URL | #9yMhI49k [edit]
says...
こんばんは。

うわ〜! とっても嬉しいですが、寝てください! まだ週の真ん中じゃないですか。
私のブログは、まだ当分閉鎖の予定ないですし、作品は逃げませんので……。
実は、私も御作を読んでますが、昨夜は十二時でいったん止めました。でも、やっぱり先が氣になりますよね〜。
このペースだと、来週くらいにファンの皆様に追いつくかな。

楽しみに、そして、ドキドキしながら、続きを読ませていただきますね。

コメントありがとうございました。
2013.03.27 22:08 | URL | #9yMhI49k [edit]
says...
こんばんは^^
そして、すみません。
ご忠告を頂いていたのに、昨日の夜は「夏」「冬」「秋」と読んでしまい。。。
ダメだ、寝よう!と寝て起きて……ええ。早起きしまして(笑)
「春」まで読破してしまいました。

やっと連載に追いつきました!^^
4部作、さすがの作品で圧巻でした。良く練られたプロット、独特の世界、特異な能力。
それはフィクションの世界にもかかわらず、とてもリアルで、「どうなるんだろう、どうするんだろう」と思いながらどんどん惹き込まれていきました。

「見える者」と「見えない者」が自然に共存している世界は、私の中でしっとりと馴染んでいます。私の育った幼少期はここまで極端に神仏の世界ではありませんでしたが、一般的な世間とはちがう世界観を持った家庭でしたので、なんだか懐かしいような、深く心に溶けてくるようなお話でした。
日本には、こういった世界が自然に馴染んで存在してますよね。もちろん、都会で暮らせば自然から少し離れて感じてしまいますが、それでも空を雨を風を大地を敬い、自然の中にそれぞれの神を持つ世界。まさに八百万の神が存在する世界観。1つの神仏を信仰するだけでない、独特の世界がある気がします。
読み終えた読後感たっぷりに、新しい世界をこれから共に追えると思うと嬉しくて仕方ありません!

確かに、あちらのラスト。
摩利子の視点で見えてくる2人の結末は、ハッピーエンドなのかアンハッピーなのか分かれるところですね。
でも、ある意味カルマの中に身を置いていた2人には、現実でのこれからは色々な意味で過酷だったと思います。運命や宿命に翻弄され続ける現実の世界。それでも現実世界で味わう幸せの意味を知る大人の視点で見れば、現実的な結末に心が揺れるかもしれません。しかしもっと大きな世界、その視点で見れば、それはまた違う意味を持つような気がしています。心安らかに自由に解放され互いが互いを想い続けている、2人にとっては「幸福」の1つの形なのだろうと思うのです。
ここにいようと、どこかに行こうと同じ――自身の半身を求め続けた2人が、1つになった。あのラストは、あのラストであってよかったのだと思えるのです。

そして、瑠水の存在。
清廉な氣をもつ「一」と、「見える者」である摩利子の子供ですから、何かが受け継がれているのは当然な気もします。そして、2人に生まれた姉妹でも相容れない「見える者」と「見えない者」に別れた運命も少し感じます。
ただ救いは、ゆりと違って瑠水には、一と摩利子がいることな気もしています。ひとりぼっちであるという、強烈な孤独は和らぐだろうと思うので。そして早百合にとっても。幼いからこそ純粋に、その存在もその氣も感じることできる瑠水のこれからが楽しみでワクワクします!

やはりあちらのコメントをどこに書こうか迷って、続編なのでいいのかな?とも思ったのですが、ネタばれになっていますでしょうか?
気をつけたつもりではありますが、もしネタばれに対して他にお読み頂く方へのお気遣いがあるようでしたら、コメントは削除して八乙女さんの胸にしまっておいてくださいませ^^お返事にはお名前を出してくださってかまいませんので^^

素晴らしいお話をありがとうございました!!続きも楽しみにしております^^

2013.03.28 13:26 | URL | #GWG7oyQ. [edit]
says...
ええええええええええ。大丈夫ですか?
日常生活に差し支えていらっしゃるんじゃ!
すみません、すみません。本当に感謝です。

本編は、私が今までに書いたことのない「構成」「プロット」「モチーフ」「思想」(般若心経の解釈が主です)を最優先させたタイプの小説でして、続編の「Dum Spiro Spero」の方は、その反動で、思うがままに、好き勝手に書いています。で、「Dum Spiro Spero」形式で、「大道芸人たち」ほか、それ以後の小説をどんどん書いてしまっていて、現在に至っています。

YUKAさんのお家は、精神的なものが自然に共存するタイプのご家庭だったのでしょうか。私の育った環境も、ちょっと平均的日本家庭とは違った所がありました。とはいえ、神道や仏教とはかけ離れていたので、本編を書く時に相当勉強することになりました。それでも、「おいっ」なことを書いているかもしれません。

あのラストは、当初の予定から変えたのです。本当は私たちの感覚でいうハッピーエンドになるはずだったのですが、「春」は(愛の四段階として)段階的に「カミ」の次元で書いていたので、そういうラストはありえないなと。でも、変えると決めた時に(通勤中だというのに)泣きました。(痛すぎ発言)
で、その代りに、続編「Dum Spiro Spero」を書くことにしたのです。

ネタバレの件は、全く問題ありません。ブログにネタバレ記事を自ら書いていますし。
「Dum Spiro Spero」は長さでいうと「夏」程度の作品です。週に一度の更新で発表していきたいと思っています。おつき合いいただけると幸いです。

本編読破と、応援のコメント、ありがとうございました。
2013.03.28 18:25 | URL | #9yMhI49k [edit]
says...
こんばんわ~。
WEB小説ブログランキングから来ました。1位ということでまず訪問させて頂き、ざっと概要を見てみましたが、いやぁ、全体的に物凄くクオリティが高そうですね。更新頻度も凄いですし・・・。
ブログ主様は海外在住とのことですが、やはり外国が舞台の作品が多いのでしょうか。
とりあえず私はこの作品から読まさせて頂きます。
楽しみです。それではまた。

2015.09.29 16:36 | URL | #- [edit]
says...
こんばんは。そして、はじめまして。
scribo ergo sumへようこそ。

ランキング、上がったり下がったりの繰り返しなのですが、幸いここのところ一位にしていただき、感謝しています。

同時にいくつかの連載をしていたり、読み切りの発表や、リクエスト掌編なども多いので、記事数は多いのです。
クオリティは……頑張ります。

外国が舞台の小説は比較的多いと思います。もっとも、選んでくださった「樋水龍神縁起 Dum Spiro Spero」は日本だけが舞台です。
私の小説には珍しく超自然的なものを見る事の出来る少女が主人公ですが、その手のモチーフは前作「樋水龍神縁起」本編よりは少なめになっています。

読んでくださって嬉しいです。
これからもどうぞよろしくお願いします。

コメントありがとうございました。
2015.09.29 20:24 | URL | #9yMhI49k [edit]

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