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scribo ergo sum もの書き・八少女 夕のブログ Since March 2012


Posted by 八少女 夕

【小説】大道芸人たち (5)ミラノ、鳩の集まる広場

イタリア人って、本当にドイツ人が嫌いでぼったくりをします。イタリア語ができると感じよくなるのも本当です。イタリアに旅行に行く予定のある方は、ちょっとでいいのでイタリア語で挨拶して微笑みかけられるようにするといいですよ。



大道芸人たち Artistas callejeros
(5)ミラノ、鳩の集まる広場


「Artistas callejerosって、いい響きの言葉じゃない?」
蝶子が言った。三人はミラノに向かう列車の中にいた。

蝶子は昨夜リストランテでカルロスにもらった名刺をながめていた。カルロスはスペインに来たら必ず連絡しろと、この名刺をくれたのだ。バルセロナの自宅の住所と携帯の番号まで手書きで加えた。
「私が悪い女で、これを利用したらどうするの?」
そう訊く蝶子にカルロスは首を振っていった。

「これだけ長く事業を続けていると、信用していい人間といけない人間くらいはわかります。それに悪い女に利用されるなら、それも一興です。私も多くのスペイン人同様に悪い女に目がないんでね。マリポーサ。私は教授に負けないくらいあなたに夢中ですよ」

「教授って何だよ」
あとで稔がぼそっとつぶやいた。自分たちにはいわないことを、蝶子があのスペイン人には打ち明けたらしいのが多少腹立たしかった。

蝶子はにやりと笑って稔の言葉を無視し、カルロスの名刺をいじり始めたのだ。

「アルティスタス…?」
レネが面食らって続けた。

「…カリェヘーロス。スペイン語で大道芸人たちっていう意味なんですって」
「Artistas callejerosね。たしかにStreet Artistsより味があるよな」
稔も頷いた。

そして突然言った。
「よし。俺たちのチーム名はそれにしようぜ」
「悪くないですね」
レネも同意した。蝶子はもとよりそのつもりだった。



ドゥオモの近くの安宿にとりあえず入る。ドミトリーの同室には既にひとりのドイツ人がいるということだったが、もう出かけた後らしく姿は見えなかった。

荷物を置くと三人は、簡単な食事をしに外に出かけた。昨夜、カルロスのおごりで心ゆくまで美味しいものを食べたので、しばらくは立ち食いピザでも何でもよかった。

「ねえ、市場があるわよ。あそこで何か新鮮なものを買わない?」
安く済めばなんでもいい稔はもちろん賛成した。レネも市場の賑わいは好きだった。

「値段の交渉はパピヨンがするといいでしょうね」
「どうして?」
「第一にイタリア語ができる。イタリア人は言葉で外国人を階級づけるんですよ。第二にパピヨンの笑顔を前に高い値段で売りつける男はいませんよ」
「なるほどねぇ」

生野菜、チーズ、ハム、パンなど、三人はレネの戦法で上手な買い物を繰り返した。最後は果物屋の屋台だった。先客がオレンジを買っていた。

蝶子は屋台の親父に最高の笑顔をみせて頼んだ。
「私のために一番おいしいオレンジを一キロ選んでくださらないかしら?」
「もちろんです、シニョリーナ。甘くて大きいのをね」

そのオレンジはどう考えても一キロ半以上はあったが、親父はイタリア人用の一キロの値段で売ってくれた。
「まあ、なんてご親切に」
蝶子は親父の頬にキスをしてやった。やり過ぎだよ。稔は思ったが、氣をよくした親父はさらに五つのオレンジとバナナや杏まで袋に押し込んでくれた。

隣の先客がムッとして「Scheiße(くそっ)」と言った。あら、ドイツ人だわ。蝶子は横目でちらっと見た。若い金髪の男だ。彼がオレンジを買ったときの値段を見ていたレネが首を傾げていると、親父はイタリア語でレネにそっと耳打ちした。
「いいんだよ。あれはテデスコだから」
レネはぷっと吹き出した。

あとで、稔がなんで笑ったのか訊いた。
「テデスコってのはイタリア語でドイツ人ってことです。イタリア人は基本的にドイツ人が嫌いなんですよ。親父はあの男はドイツ人だからぼったくってもいいって言ったんですよ」
稔と蝶子は同時に吹き出した。



ドゥオモの近くで食事を済ませた後、蝶子の希望で三人はミラノスカラ座を観に行った。もう縁がなくなったとはいえ、一度来てみたかった所だ。ここで吹く事もなければ、ここに聴きにくる事もないだろう。だが、囚われの身ではなくて自分自身の意志と足でここに来る事が出来た。それがとても重要だった。一緒にいるのは、蝶子を支配する絶対権力者ではなく、自由意志で集まるArtistas callejerosの仲間たち。蝶子はカルロスの言葉を思い出していた。
「記憶の抹消は進んでいるんですか?」

ええ、とても。教授の存在は、少しずつ痛みではなくなってきた。それは遠くなる。稔やレネといるのは、教授を忘れるためではなくなってきている。Artistas callejerosそのものが、蝶子の人生と変わりつつあった。

二階のスカラ座博物館に行くと、先客が一人だけいた。先ほどのドイツ人だった。へえ、意外。スカラ座の歴史なんかに興味があるんだ。実際、稔はともかくレネの方は早くも退屈そうだった。プリマドンナの胸像や舞台衣装などには興味が持てなくてもしかたないかと思う。でも1920年代の「トスカ」のポスターなら興味持てるんじゃないかしら。古楽器のコーナーで蝶子はベーム式のフルートを発見した。そして、小さく笑った。



それから三人は少し働いた。鳩の集まるドゥオモ前の広場にはたくさん観光客がいた。同業者もそれなりにいたが、Artistas callejerosはいつも通りたくさん客を集めた。近くでは全身金色の衣装を着て顔も金色に塗った男が彫像のパントマイムで稼いでいたが、Artistas callejerosのおこぼれでずいぶん得をしていたようだった。三人は面白がってこのパントマイマーにもちょっかいを出した。レネが近寄っていって、派手な身振りでカードを差し出した。

パントマイマーは大げさな身振りで一枚引いた。レネはそのカードを観客たちに見せて、それから華麗にカードを操ってから観客に近づいていき、少女のポケットから同じカードを取り出してみせた。蝶子はフルートを吹きながら、パントマイマーを見た。カードは「恋人」だった。かわいいカードを引くじゃない。私やヤスのと較べて。あら?蝶子は金ぴかに塗られたその顔をよく見た。さっきのテデスコじゃない。同業者だったのね。

日が暮れて観客たちがいなくなったので、稔は撤収を宣言した。ドイツ人も同時に仕事を終えて三人に英語で礼をいった。
「こんなに実入りがよかったことはない。助かったよ」
「事前に申し合わせている場合は、折半するんだけどさ。今日は、俺たちがちょっかい出しただけだから」

「ねぇ、ブラン・ベック。あなた、わざとあのカードを引かせたの?」
「いや、そのテデスコが自分で引いたんですよ」
「あれって、どういう意味なの?」
「たいていはそのまんまです。愛の始まりとか、恋愛とか。でも、直感による選択をすべしって解釈もありますけどね」

「ただのカードじゃないか」
ドイツ人は無表情に言った。蝶子はドイツ語で訊いた。
「その手の事は絶対信じないってタイプ?」
「信じる必要がどこにある」
絵に描いたような理詰めドイツ人だわ、と蝶子は思った。くわばらくわばら。

「あんた、以前バイエルンにいたのか?」
ドイツ人は訊いた。蝶子はびっくりした。
「私の言葉、バイエルンなまりがあるのかしら?」
「ああ。東洋人がイタリアで俺の地元みたいな言葉を遣うのは妙だな」

「どこから来たの?」
「俺はアウグスブルグの出身なんだ」
「これからどうするの?」
「宿に帰るよ。すぐそこの安宿だ」
「あら、私たちと一緒じゃない。もしかして、同室のドイツ人って…」

その通りだった。それで、部屋に戻って四人は改めて自己紹介をした。
「俺は稔だけれど、ヤスって呼ばれている」
「僕はレネだ」
「よろしく。俺はヴィルフリード。長いからヴィルでいい」
「私は蝶子」

ヴィルは不思議そうに蝶子を見た。稔が付け加えた。
「マダム・バタフライだよ」
「日本には多い名前なのか?」
「まさか。あんたが一ヶ月以内にもうひとりの蝶子をみつけられたら、一年分のビールをおごってやるよ」
蝶子は笑った。金の亡者が大きく出たわね。
「そうか」

稔は、水を買い忘れたといって再び外に行った。蝶子は、シャワーに行ってくると言って立ち上がった。ヴィルは少し迷ってから部屋から出て行こうとする蝶子に言った。
「あんた、左手、怪我しているのか?」

蝶子は驚いた。レネはヴィルが何を言っているのかまったくわからなかった。
「よくわかったわね。いいえ、怪我はしていないわ。でも、先日からフルートの調子がいまいちなの。ほんのちょっとだから、ヤス以外にわかるとは思わなかったわ」

「何か挟まっているのかもしれないな」
ヴィルが乏しい表情で言った。レネは親切心を喚起されていった。
「シャワーに行っている間に、僕が見ておいてあげましょうか?」

蝶子は、少し考えてから、フルートをレネに渡して、こういいながら出て行った。
「ありがとう。わからなかったら、あとで自分で見るから、そのままでいいわよ」

フルートというのは、ずいぶんたくさんボタンがある楽器だな。レネはひっくり返してあちこち覗いた。上のベッドの上に転がって、しばらく黙って見ていたヴィルは、身を乗り出してきてたった一つのキーを指差した。

「ここ?」
レネはヴィルを見て不思議そうな顔をした。ヴィルは黙って頷いた。レネがそのキーの下を丁寧に見ると、確かにうっすらと白くなっている。ああ、塩だ。レネは納得が入った。コルシカフェリーの上で吹いた時に付いた海水が乾いて結晶化したに違いない。レネが丁寧に柔らかい布でその部分を拭いているところに、蝶子が戻って来た。

「パピヨン。ここに塩の結晶が挟まっていたよ」
蝶子は少し驚いた。自分でも左手の薬指のところだと思っていたが、まさかレネがこんなに早く場所を特定できるとは夢にも思っていなかったのだ。

「ブラン・ベックなんて呼ぶのは失礼な有能ぶりじゃないか」
ヴィルがそういったので蝶子は素直に頷いた。フルートを構え、少し吹いてみる。本当に直っていた。

「本当にそうね。見直したわ。ありがとう」
そう誉められてしまい、レネはそれはヴィルに教えてもらったのだとは言えなくなってしまった。もし、その場で言っていたら、蝶子にはすぐにわかったはずだった。ヴィルがフルートに精通しているという事が。しかし、レネはフルートにまったく精通していなかったので、ヴィルのしたことが特別だとわからなかったのだ。

「パピヨンか」
ヴィルが小さな声で言った。レネは笑って言った。

「コルタドさんはスペイン語でマリポーサって呼んでいましたよね。ドイツ語では蝶はなんていうんでしたっけ」

「シュメッタリング」
ヴィルは蝶子を青い目で見据えてそういった。蝶子は戦慄した。教授はいつも蝶子をそう呼んだ。息苦しくなるほどの痛みが走る。ヴィルは蝶子の反応を見て取った。
「あんたが嫌なら、俺はそんな風には呼ばない」

蝶子は、目を閉じて、少し冷静になるまで間を置き、それから言った。
「いいえ、是非そう呼んでちょうだい。私が慣れるまで何度も。それもハードディスクの上書きになるでしょうから」
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Comment

says...
「大道芸人たち」(4)(5)を拝読しました。
そして、蝶子さんに一層興味が出てきました。

記憶の抹消の為に、上書き保存をする為に、「外泊」を続ける蝶子さんですが、
蝶子さんは非常に軽やかに、さらっとその作業をしているように見受けられます。
そこには自虐的な印象はなく、周りの男性陣も、個々人で複雑な心境を抱きつつ、それでも
静観をしつつ見守っているように感じられました。

女性が自分から、特定の人以外に体を預ける行為というのは、例えば日本的な感覚だと、どうしても秘すべきもの、みたいな感じがあるように思います。
イタリアの方の感覚は、また日本のそれとは違うものなのでしょうか?
それとも、蝶子さん本人の性格なのでしょうか?
それとも、この特殊な、親しくはあるけれど、踏み込まないような、
緩やかなつながりがある大道芸人の生活だから・・・??

ちょっといろいろと思うところがあって、たくさん疑問が出て来てしまいました。
また、引き続き、読んでいきます!
執筆頑張って下さい^^
2012.07.21 15:16 | URL | #- [edit]
says...
こんにちは。

めげずに読んでいただいて、本当にありがとうございます。
そろそろ読者にはほぼ謎がなくなりますので、もう少しおつき合いください(笑)

蝶子は日本生まれの日本育ちですが、この人はフルート以外には大切なものがこれまでなかった人です。だからこうなっちゃった、というのはありますね。

ガイジンたちの反応は、まあ、こんなものです。日本にはまだ「(少なくとも女は)そういう行為は好きな人とだけすべし」という一般見解が主流だと思いますが、ヨーロッパではすでに一般のガチガチのキリスト教信者は別として「男にも女にも性欲はあるのがあたりまえ」になっているので、自分の女でもない限り「愛のない行為がどうのこうの」という説教をする人はまずいません。

稔が何も言わないのは、自分の恋愛対象外なのと、自分にも後ろ暗い事があるので他人の事情には首を突っ込まないからですね。

とはいえ、「どうせただの生体反応でしょ」でも「神が結びつけた愛だけが神聖なもの」でもない、もっと肉と魂を兼ね備えた人と人の愛の話は、ヨーロッパだろうと日本だろうと変わりなく追い求められているでしょうね。
このストーリーは物理的な移動の旅だけではなく、別な意味でも旅なのです。今後、四人がどう変化していくのかというのも追っていただければと思います。(結局、読む事を強制していますが……)

コメント、ありがとうございました。また、お待ちしています。
2012.07.21 17:29 | URL | #9yMhI49k [edit]
says...
やっとここまで来ましたあ。
メインキャラ(?)が出揃って、まだまだ進んでいくのですね。
まだまだわけありありな感じでこれがどうなっていくのかな。
ヨーロッパには(も)行ったことがないので、楽しみです。
やはり思ったとおり、言語が入り乱れている・・・ちょい興味^^

うちのブログにもいわゆる路上をしたキャラがいるので、とっても親近感をもって拝読させていただいています。
ちなみにその主人公は、スイスに住む友人を訪ねて、ヨーロッパでも路上をする予定でいましたが、NYに住む姉に呼ばれてUSに行ってしまいました。
そのスイスの友人がこっちに来いとうるさいので、いづれは訪ねることになるかもしれませんが、その前に、私が下見^^
2014.04.17 03:29 | URL | #- [edit]
says...
こんにちは

おお、読んでくださっているのですね。ありがとうございます。
ええ、そうなんです。ここでメインキャストが全部揃いました。(あ、教授以外)
言葉は乱れていますが、この後は公式言語英語のみ、でいくことになります。(もちろん、日本語で書いていますが)それ以外のときには「日本語で言った」「とスペイン語で言った」と地の文にでてきます。

おお、大道芸人仲間ができるのかな、それは楽しいですね。しかも、スイスの友人(笑)これはいずれコラボできそうな感じですね。
私もそれまでに途中から読んでいる「夢叶」を頭から読まないと……。

コメントありがとうございました。
2014.04.17 15:08 | URL | #9yMhI49k [edit]

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