FC2ブログ

scribo ergo sum もの書き・八少女 夕のブログ Since March 2012


Posted by 八少女 夕

【小説】なんて忌々しい春

「十二ヶ月の歌」の四月分です。

「十二ヶ月の歌」はそれぞれ対応する歌があり、それにインスパイアされた小説という形で書いています。四月はロレッタ・ゴッジの“Maledetta Primavera”を基にした作品です。日本だとあまり有名ではないのですが、イタリアの懐メロとしてはかなりの知名度がある曲です。スイスでもかなり流行ったらしく、ある程度の年齢の方はみな知っています。

日本の方には馴染みのない曲ですし、ネットではなかなか全文の和訳が見つからないので、私の訳で申しわけありませんが追記にくっつけておきます。言っておきますが、私はイタリア語は素人ですので、大体こんな意味程度に思ってくださいね。Youtube動画と一緒にどうぞ。


短編小説集「十二ヶ月の歌」をまとめて読む 短編小説集「十二ヶ月の歌」をまとめて読む



なんて忌々しい春
Inspired from “Maledetta Primavera” by Loretta Goggi

 丘の上から一陣の風が吹くと、湖の果てまで突然色が変わる。それはまるで、モノクロだった映像が突如として総天然色のフィルムに置きかえられたかのよう。草原の緑は茶色めいていたはずなのに青みが増して瑞々しくなる。タンポポやスミレ、咲き乱れる桜。湖をわたる白い船。春の訪れだ。

 大臣の母親であるダゴスティーノ夫人が主催する湖畔のヴィラのパーティは、この魔法のような日からいつも一週間以内に開催されるので、みな不思議に思っていた。招待状が来るのは二ヶ月も前なのだから。

 シルヴィアはコーラルピンク色のシフォンに、白と黄緑の造花風レースで縁取りをした華やかなワンピースドレスを小粋に着こなして、薔薇の香りに満ちた庭に華やかさを添えていた。彼女の周りには、いつも人びとが集い、笑い、スプマンテのグラスを重ねる音が響いた。

「あいかわらず、美しいね、シルヴィア。モレーノは本当に幸せ者だな」
「ありがとう、アンドレア。あいかわらずお世辞が上手なのね」
「お世辞じゃないよ。君がモレーノと結婚するって聞いた時に、そこのオルタ湖に飛び込もうって本当に思ったんだぜ」

 笑い声を聞きつけて、ダゴスティーノ夫人がこちらに向かってきた。
エメラルドグリーンの袖無しのロングドレスに、白いボレロを羽織った夫人は、もう八十近いというのに腰も曲がらず、矍鑠とあたりをはらう足取りで、周りの人間は自然と道をつくった。

「ようこそ、シルヴィア。クリスマス以来だわね」
「ますます綺麗になられて、大叔母さま」
「ほほほ。女盛りは五十からですからね。あなたもようやく本当の色氣が出てきたわね」

 北イタリアの社交の中心である二人は、いつもこのパーティの花形だった。そう、夫人の息子であるダゴスティーノ大臣やその年若き妻のクレアがいつもかすんでしまうように。北イタリアの、ということはつまり、イタリアの経済界で活躍するものならば、だれもがダゴスティーノ夫人の春のパーティに招待されることを夢みていた。このパーティに顔を出しているということは、とりもなおさず重要人物になったということだった。ここでスプマンテやワインで乾杯し、グリッシーニやポモドーロ・セッキの載ったクラッカーを口にし、キスを交わし、たわいもない社交話に興じる。重要人物の妻と知り合ってビジネスが波に乗る実業家も、首相と握手をして貿易上の便宜を手に入れた外国人もいた。

 主催者でいながら夫人が全く知らない有名人も多かった。だが、誰もそんなことは氣にも留めていなかった。ふさわしくないものは、招待状を手にすることはできないのだから。

 シルヴィアは、もちろん毎年このパーティに参加していた。モレーノ・フォルトゥナートと結婚してから十四年間、夫が政治の世界に進んでからは、このパーティでの役割も大きく変わった。頭は切れるが社交的な才能は今ひとつの夫をサポートするのに、シルヴィア以上の適任者はどこにもいなかっただろう。彼女は、笑顔を振りまきながら、広い庭園を歩き回った。

「シルヴィア。紹介したい人がいるんだ。先日、ミラノの会議で知りあった富豪なんだけれど」
モレーノの弟ルチアーノが人びとをかき分けて誰かを連れてきた。
「ヴィーコ夫妻だ」
シルヴィアの笑顔は固まった。

 彼はまったく変わっていなかった。精悍な鼻梁。濃い眉。鋭い眼光。ティーンエイジャーだったシルヴィアが、ひと目で恋に落ちたあの頃と。そう、服装が全く違っているだけで、あの時のままだった。
「シルヴィア、久しぶりだね」
ルチアーノが眼を丸くしているのを無視して、ジャンカルロはシルヴィアの頬にそっとキスをした。昔の親しい友達のように。そうじゃないでしょう。あなたは、そんな生温いキスをしたことはなかったじゃない。あなたはいつも私の唇を激しく奪ったのに。

「紹介するよ。妻のクラウディアだ」
シルヴィアは、ジャンカルロが微笑みながら紹介した女性にはじめて意識を向ける。群青色のシンプルなワンピースに身を包んだブルネットの女性。なんて言ったの? 妻って言った?

 むさぼるようなキス。力強い抱擁。世界が終わっても一緒にいたいと思った。一緒に笑いこけ、ワインを飲み、ロウソクの焔をはさんで見つめあった。他には何もいらないはずだった。それなのに、シルヴィアは、家族に反対された時に、家を出てまで愛を貫くことができなかった。

「ダゴスティーノの娘が、貧乏学生と結婚するなんて、到底無理よ」
母親と、大叔母に断言されて、親友に心配されて、あんな貧乏な暮らしに堪えられるはずがないと諭されて、結婚するなら一切の縁を切ると父親に怒鳴られて、彼女は彼の手を離してしまった。

「君しかいらない。だから、僕を選んでくれ」
ジャンカルロの目を避けるように、指輪を置いて走り去った雨の夜。シルヴィアは心の芯まで濡れた。

 その女は誰なの。どうして当然のようにあなたの隣にいるの? なぜスプマンテのグラスを重ねてあなたとキスをしているの。

「シルヴィア。どうした?」
はっと意識を戻すと、となりには夫がいた。モレーノは丸眼鏡のふちをちょっと持ち上げながら、赤ワインを飲んでいる。

「なんでもないわ」

 自分の人生のことを思い出した。政治家の妻としての、華やかで忙しい日々。ワインと、花束と、買い物と、それからあまり好きではないけれど教会の集いや学校や老人ホームの訪問。この十五年は慌ただしく過ぎ去った。その間、何度もこれでよかったのだ、私にはこの暮らし以外は無理だったと思ったのだから。あの狭いアパートで、トマトしか入っていないフェッチトーネだけを食べて暮らすことなんかできやしないって。

 けれど先ほど見かけた、あのクラウディアって女は、そんな暮らしはしていなさそうだった。ワンピースの生地の質は悪くなかったし、帽子も今年の流行のものだった。ジャンカルロ、あなたの趣味は悪くないわね。とてもきれいな人。ファッションも振舞いも合格よ。もちろん、私の方がずっと綺麗だけれど。

 ルチアーノは彼のことを富豪だって言っていた。だとしたら、私は何のために泣いたのだろう。もし、あの夜にあのアパートを飛び出していなかったら……。

 シルヴィアは、パーティの終わる前に洗面室に行くふりをして、取り巻きの連中から離れ、庭の間を歩いた。黒髪の巻き毛、精悍な瞳の男の面影を探して。あなたが富豪になったのは、私と同じレベルに上がってきたかったから? そうではなくて? あの言葉を忘れたの?

「君しかいらない」

 湖には光が煌めき反射して、眩しかった。つる薔薇のアーチの向こう、人びとから少し離れた所に、シルヴィアは白いトーク帽と群青色のワンピースを見つけた。その隣には忘れもしない後ろ姿の男がいて、妻の腰に手を回し、湖を見つめている。彼女は、幸せそうに頭を彼の肩にもたせかけた。彼はゆっくりと妻の額にキスをした。

 シルヴィアは黙ってその場に立ちすくんだ。あなたはその女性を愛しているのね。何かと引き換えに仕方なしに結婚したのではなくて。しばらくそうしていたが、やがて背中を向けると、取り巻きたちの待つバルコニーへ、夫や大叔母のいる社交の中心へと戻るべく、引き返していった。

 ふと振り向いたジャンカルロは、邸宅の方へと歩いていくコーラルピンクのドレスの後ろ姿に目を留めた。シルヴィア。愛と憎しみで昼も夜も、何年も想い続けた女。そのエネルギーが彼をただの貧乏学生から、ミラノの成功者に押し上げた。だが、そのエネルギーは使い果たしてしまったのだろう。再び彼女の姿を目にしても、喜びも、怒りも、何も浮かんでは来なかった。この日を怖れつつも期待して待っていたはずだったのだが……。

「フォルトゥナート夫人と知り合いだったなんて、知らなかったわ」
クラウディアがぽつりと言った。
「君に訊かれなかったからね」
ジャンカルロは短く答え、付け加えた。
「それに十五年も、一度も会っていなかったんだ」

 忌々しいほどに華やかで美しい春だった。そこにはフォルトゥナート夫妻の歴史や、ヴィーコ夫妻の物語しか存在していなかった。過去にシルヴィアとジャンカルロが夢みた永遠の愛は、ただの愚かな幻想に変わり果てていた。

 あれは春だった。狂おしい、大切な時間だった。もうどこにも存在しないとしても、歌って、トマトだけのフェッチトーネを作って、そして力のかぎり抱きしめあったその二人の、遠い遠い笑い声だけが春風に乗ってこの丘を通り過ぎていく。

 あれは忌々しい春だった。シルヴィアとジャンカルロがもう一度戻りたくても戻れない、たった一つの春だった。

 (初出:2013年4月 書き下ろし) 

追記

“Maledetta Primavera” の動画と歌詞、そして、その和訳です。かなり意訳してある所もありますので、ご承知おきくださいね。(イタリア語は素人につき、間違っていても責任は取れませんのであしからず……)



“Maledetta Primavera”   Loretta Goggi

Voglia di stringersi e poi
vino bianco, fiori e vecchie canzoni
e si rideva di noi
che imbroglio era
maledetta primavera.
Che resta di un sogno erotico se
al mattino è diventato un poeta
se a mani vuote di te
non so più fare
come se non fosse amore
se per errore
chiudo gli occhi e penso a te.
Se
per innamorarmi ancora
tornerai
maledetta primavera
che imbroglio se
per innamorarmi basta un'ora
che fretta c'era
maledetta primavera
che fretta c'era
se fa male solo a me.
Che resta dentro di me
di carezze che non toccano il cuore
stelle una sola ce n'è
che mi può dare
la misura di un amore
se per errore
chiudi gli occhi e pensi a me.
Se
per innamorarmi ancora
tornerai
maledetta primavera
che importa se
per innamorarsi basta un'ora
che fretta c'era
maledetta primavera
che fretta c'era
maledetta come me.
Lasciami fare
come se non fosse amore
ma per errore
chiudi gli occhi e pensa a me.
Che importa se
per innamorarsi basta un'ora
che fretta c'era
maledetta primavera
che fretta c'era
lo sappiamo io e te
Na, na, na, na , na , na,
na, na, na, na, na, na,
maledetta primavera
na, na, na, na, na, na...

「忌々しい春」

あなたを抱きしめたい。
それから、白ワイン、花束、そして古い歌を。
みんな私たちのことを嗤っていたでしょうね。
なんてメチャクチャな時代だったのかしら。
忌々しい春。

淫らな夢にはどんな意味があるの?
朝にはそれは詩に変わってしまった。
あなたの腕は本物ではないから
私のことを愛してくれはしない。
うっかり瞼を閉じれば、
私はあなたのことを想ってしまう。

もし……
私をまた恋に落ちさせたいのなら
忌々しい春に戻ってきて。
ひどいわね。
恋に落ちるには一時間もあれば十分なんて。
なんて大急ぎでやってくるの、
忌々しい春。
なぜそんなに急ぐの、
ただ私を困らせるためだけに。

心の奥に届きもしない胸騒ぎが
いったい何だっていうの?
星たちに教わったのはたった一つ。
あれは愛だったのね。

もしうっかり瞼を閉じてしまったら
私のことを想って。
私をまた恋に落ちさせたいのなら
忌々しい春に戻ってきて。

恋に落ちるのには
たった一時間しかかからない。
誰も氣にもとめないわ。
なぜこんなに急いでやってくるの、
忌々しい春。
なぜこんなに急ぐのよ、
忌々しいわ、私みたいに。

愛していないっていうならば
私を放っておいて。
でも、うっかり瞼を閉じてしまったら
私のことを想って。
何をかまうっていうのよ。
恋に落ちるのには一時間しかかからない。

なぜこんなに急いでやってくるの
忌々しい春。
なぜこんなに急ぐのよ、
私はあなたと私を知っているのよ。




関連記事 (Category: 短編小説集・十二ヶ月の歌)
  0 trackback
Category : 短編小説集・十二ヶ月の歌
Tag : 小説 読み切り小説

Comment

says...
こんばんは、TOM-Fです。

北イタリアの春の描写が、端正で美しいですね。
失ったものを取り戻すために、がむしゃらに頑張る。けれど、そこでなにがしかの成果を得たとき、求めていたものはもう、その価値を変えていた。そういうことって、あるんでしょうね。
かつてあった忘れられない青春の時を、「忌々しい春」と表現する。上手いなぁ、と思いました。


2013.04.24 11:01 | URL | #V5TnqLKM [edit]
says...
うわ!ドロドロですね。シルヴィアとジャンカルロ、2人ともすれ違ったまま15年ですか。
もう修正が効かない、修正するつもりにもなれない2人の気持ちが、屈折して伝わってきます。
でも家を出て2人で逃げ出していたらひょっとしたら破滅が待っていたかもしれませんね。
そんな気がするサキでした。
2人の心の動き、そしてクラウディアの気持ち、
とても面白かったです。
2013.04.24 14:19 | URL | #0t8Ai07g [edit]
says...
こんばんは。

若い人たちの夢を壊すのはなんですが、「君しかいない」なんてのは砂の城みたいなもので、時間が経つとなくなってしまうんじゃないかなと思って書きました。それでも女は(自分はちゃっかり結婚していても)相手にとっては永遠の女でいたいと思ったりするんですよね……。

「maledetto(呪われた)」の訳は「憎むべき」とか「むかつく」とか「呪われた」とか、いろいろあり得るのですが、この場合は「忌々しい」が一番しっくり来るかなと思いました。「頭に来るけれど心惹かれてしまう」といういい意味が入っている複雑な表現です。日本語に訳すのはとても難しいです。イタリア語では「benedetto(祝福された)」を逆説的に「いまいましい」という意味で使うこともあります。品のいい方が侮蔑語の代りに使うような感じで。

コメントありがとうございました。
2013.04.24 18:50 | URL | #9yMhI49k [edit]
says...
こんばんは。

私も同感です。無理して一緒になっても絶対に「この金持ちのわがまま女め」「貧乏人の甲斐性なし」と崩壊していたと思います。で、シルヴィアはちゃっかり一年後に結婚しているんですから。夫のモレーノの立場のない小説です。

実際にはこの二人は別れてからは逢っていないので、モレーノにもクラウディアにも責められるべきことではないのですが、それでもどこかに想い(というか当時への郷愁)が残っている、まあ、人生によくあるそんなことをこの歌に感じたので書いてみました。

コメントありがとうございました。
2013.04.24 18:56 | URL | #9yMhI49k [edit]
says...
珍しくバッドエンド(ってほどでもないけど)ですね
時間が経ってしまうともう懐かしい思い出でしかない
そういう方がやっぱり現実には多いのかなあ
2013.04.25 09:50 | URL | #- [edit]
says...
こんばんは。

実は、ほっておくとバッドエンドを書いてしまう私です(笑)
前向きな話は意識して書いていたりします。

まあ、時間が経つと「永遠の愛」は「黒歴史」に変わるもの、かもしれません。
(わ〜、ごめんなさい。若いダメ子さんの夢を壊しています)

コメントありがとうございました。
2013.04.25 20:22 | URL | #9yMhI49k [edit]

Post comment

管理者にだけ表示を許可する

Trackback

trackbackURL:https://yaotomeyu.blog.fc2.com/tb.php/543-9b805e14