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Posted by 八少女 夕

【小説】樋水龍神縁起 Dum Spiro Spero (12)愛

今回はかなり短いのですが。ティーンエイジャーの読者の皆さんには「ええっ。そんなこと許されない!」なことになっているかもしれません。もっとも、今の若い皆さんは、私の頃と違ってあまり少女マンガ脳ではないかもしれませんけれど。「○のない○○○」なんぞヒロインにあるまじき行為ですが、成り行きに流されて後で悩むというのは、実人生ではかなり頻繁におこる事かと。そして、それぞれの人生では当人が主人公なわけですから、こういうヒロインがいてもいいのかなと思います。

「樋水龍神縁起 Dum Spiro Spero」を読むこのブログではじめからまとめて読む
あらすじと登場人物


この作品は下記の作品の続編になっています。特殊な用語の説明などもここでしています。ご参考までに。
「樋水龍神縁起」本編 あらすじと登場人物



樋水龍神縁起 Dum Spiro Spero
(12)愛


 瑠水を抱いているのは拓人ではなかった。『水底の皇子様』でもなかった。

 シンと私は肌と肌で触れたことはないのに、どうして私は彼の肌を思い出すんだろう。あのキスの先はなかったのに。あの時の私にとって、これは穢らわしいことだった。けれど、いま私がしていることは何だろう。他の人のことを想いながら、誰かに体をゆだねている。

 なぜ二度目があったのか、瑠水には理解できなかった。一度で十分だろうに。

「フランス料理ばかり食べていると、たまには屋台の焼きそばが食べたくなるんじゃないの」
取り巻きの人も、何十人目かのガールフレンドも、それから真耶さんも、きっと呆れている。そんな不釣り合いな存在なのに、私はまったくありがたく思っていない。それどころか、私は結城さんに再び抱かれたことをこうして遠くから観るみたいに、どうでもよく思っている。私に飽きて放り出す前に、またピアノを弾いてほしい。もう一度。そうすれば、私はシンのところに帰って行ける。現実ではもう二度と逢えないシンに。

 瑠水は真樹とのことを過去には出来なかった。拓人とのことも終わりに出来なかった。拓人に結婚を申し込まれた時に、あまりの驚きで何も言えなかった。拓人は言った。
「急いで返事はしないでくれ。君に時間が必要なのはわかっている。僕は氣長に待つつもりだから」

 瑠水は拓人が遊んでいるのではないことを知り、罪悪感に悩まされた。この人の優しさに、どうやって応えたらいいんだろう。

 拓人は、瑠水の心がここにないことに傷ついていた。数ヶ月前の拓人は女に心があるかどうかなんて考えたこともなかった。自分が一晩だけ愛して、あとは連絡先すら消してしまった女性たちが、どんな思いをするかなどということにも想像を向けたことがなかった。行為の最中に、別のデートのセッティングを考えたり、次のコンサートのテーマを考えたりしたこともあった。泣く女は苦手だった。せっかくの時間をどうして無駄にするのだろうと思った。だが、いま拓人は泣いた女たちの氣持ちがよくわかった。

 瑠水は、誰かを深く憶っている。愛に囚われている。その牢獄は扉が開き、出て行くようにいわれているのに、自ら出て行くことを拒み、蹲っている。拓人はその牢獄から彼女を連れ出すことが簡単にできると思っていた。しかし、拓人が真剣になればなるほど、心を尽くせば尽くすほど、瑠水の心は深く牢獄の奥へと沈んで行く。その見えぬ男への嫉妬で拓人はどうにかなりそうだった。

 瑠水のわずかな微笑みのために、一日中でもピアノを弾いてやりたいと思った。目が覚める前から、一日中、夜遅く夢を見始めるまで、常に瑠水のことでいっぱいになっている。階段の脇の大理石を見ると、レッスンで優しい音を奏でた瞬間に、花壇のストックの香りを感じるたびに、それどころか、水の入ったグラスに触れるだけで、想いは瑠水へと移っていく。真耶はこれが恋だと言った。ごく普通の、だれでもかかる麻疹みたいなものだと言った。だれもがこんな苦しい思いをするなんて信じられなかった。誰がこんなことに関わりたがるだろう。

「あの女のどこがそんなにいいの?」
嫉妬に駆られたナンバー208が言った。206だったかな? どうでもいい。

 瑠水のどこがいいのか、自分でもわからない。最初はただの好奇心だった。畑が違って面白かったのかもしれない。だが、たぶん最初に嬉しかったのは、男としての自分ではなく、純粋に音楽に興味を示してくれたことだ。氣を引くためにピアノをほめてくれた女はいくらでもいる。だが瑠水は本当に僕の音楽が聴きたかったのだ。それが今の一番の問題になっている。

 どうして音楽だけなんだ。
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Tag : 小説 連載小説

Comment

says...
こんにちは、TOM-Fです。更新、お疲れ様でした。

うわぁ、瑠水ちゃん、主体性というか自分がなさすぎだなぁ。現実逃避気味だし、いけませんね。拓人に対して罪悪感を抱くくらいなら、自分でけじめをつけるべきなんですけどね。状況に流されすぎて、自分が何を求めていたのか、わからなくなっちゃったんですかね。
拓人はたいがいなヤツ(失礼)ですけど、それを上回るヘタレ瑠水ちゃんに、なんかメロメロですね。『どうして音楽だけなんだ』には、ぐっときました。半分噴出しそうになり、半分は同情したという意味です(笑)
○のない○○○ですか、ムフフ……。あり、ですよ、あり。そういう恋愛の彷徨なくしては、あるべき場所にたどり着けない。悩めるヒロイン、いいじゃないですか。

次話も、楽しみにしています。
2013.09.18 07:19 | URL | #V5TnqLKM [edit]
says...
こんばんは。

そうなんですよ。いけないんですよ。
たぶんね、澄ちゃんみたいな友達がいたり、摩利子が近くにいたとしたら、「ちょっと、あんた、そこに座りなさい!」と説教して、こんなにしょーもないことになってはいないと思うんですが、そこがミソでして。真樹もいない、一や摩利子もいない、世話を焼く次郎もいないところで、自分で学んで成長すべしと、パスタなんかを茹でている誰かさんがそこまで考えていたかどうかは、下々の私にはわかりませんが。

とはいえ、このイライラ状態も次章でおしまいです。っていうか、東京編が一章しか残っていないだけでなく、出雲再び編もたったの三章しかないのですよ。サクサク進みますので、ご安心ください。(それなのに連載終了予定はなぜか晩秋)

拓人はね〜、217人分の業がたまってますから(笑)そうそう、「恋愛の彷徨」ってかっこいいなあ。
ヤキモキさせて申しわけありませんが、もう少々おつき合いくださいませ。

コメントありがとうございました。
2013.09.18 18:06 | URL | #9yMhI49k [edit]
says...
しみじみ、しみじみですよ。
短い章なのに、あれこれいっぱい詰まっている感じで、面白い回でした。
1行目から、あらら、瑠水ったら、そこまで言い切りましたか、と思い、その次の節では、つい「魅せられて」を口ずさみ、あ、なんとプロポーズしたんだ、と驚き(本気か、拓人??)、う~ん、これは拓人のないものねだり?なのか、嫉妬という感情が気持ちを動かしているのか、でも、何をしても心がその人のところへ移っていく感じを味わって苦しむ拓人がちょっと可愛かったり、でも、208とか206とか懲りずにまだ番号であしらっているのは相変わらずだし、あれ?207か、とか。
(思ったことをつらつら書いちゃった…)
でも、私も最後の1行、「どうして音楽だけなんだ」にしびれました。
いえ、拓人にしびれたのではなくて、この1行を書かれた夕さんに(*^_^*)
結論は知っているのに、過程がとても楽しみですね。
2013.09.24 18:03 | URL | #nLQskDKw [edit]
says...
こんばんは。

そうそう。
あの白い袖をふわ〜っと上げる歌、若者は知らないだろうなあ……(笑)
拓人は、真耶の忠告も無視して、超本氣ですよ。しょーもない。
でも、218のあとも、ナンバーリングはどうやら続くみたいですし、なんだかんだ言って懲りない人です。そうじゃないとかわいそうだし★

ヘタレのヒロインもそうですが、大道芸人たちのメンバーも、拓人たちも、かっこいい所と、どうしようもなかったり、間抜けな所もあるのですが、それらひっくるめて彼らの人生であり、物語を動かしていくものですよね。書いていてもそっちの方が親しみがあって楽しいです。

「どうして……」は拓人の叫びですよね。恋は盲目とはいえ、その辺だけはよくわかっているみたいです。

月末と月初は例によってちょっと空きますが、十月中に東京編は決着つきますので、どうぞ引き続きおつき合いくださいませ。

コメントありがとうございました。
2013.09.24 19:09 | URL | #9yMhI49k [edit]

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