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Posted by 八少女 夕

【小説】冷たいソフィー

月に一度発表する読み切り短編集「十二ヶ月の野菜」の五月分です。五月のテーマは「アスパラガス」です。そして、ちょうどこの時期におこる寒冷前線の到来。嘘みたいですが、今年もそこの山に雪が……。そして、15日の「冷たいソフィー」の予報は雪……。五月半ばになるまで、油断はできません。

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冷たいソフィー

 また失敗した。霜の降りてしまった植木鉢を眺めながらファビアンは思った。四月の末まで夏が始まったかのように暖かかったので完全に油断した。ローズマリー、キョウチクトウ、ヤシ。まさか五月に入ってから氷点下になるなんて。

 この地域では、植木を外に出すのは「氷の聖人たちが過ぎ去ってから」という。「氷の聖人たち」とは、5月11日の聖マルメルトゥスから5月15日の聖ソフィーの日までのことを指している。統計的にこの時期に寒さがぶり返すことが多いために慣用句となったのだろう。「氷の聖人たち」と言う代わりに「冷たいソフィー」と言ういい方もする。

「だから言ったでしょう」
ファビアンが顔を上げると、そこに彼女がいた。彼の顔は真っ赤になった。四月の末に彼が植木を庭に引っ張りだしている時に、隣に住むこの女が「まだ早すぎるわ」と言ったことを彼は忘れていなかった。今朝もニコリともしなかった。青い瞳は海王星のように冷たいに違いない。

「おはよう、ソフィー」
「おはよう、ファビアン。霜の降りたローズマリー」
「わかっているよ!」

 ファビアンがソフィーにいい所を見せようと思うと必ず裏目に出る。そもそも、ここに引越してきたことが失敗のもとだった。彼の男らしさ、有能さに彼女が氣がつくどころか、引越す前よりも印象を悪くしている可能性が高い。ファビアンの魅力に心がとろけて笑顔になるはずが、逢う度に冷ややかな態度になってきているようだ。けれどその冷たさは彼女の美しさをますます際立たせた。

「ねえ、ソフィー。今夜の予定は?」
「特にないけれど、それがあなたに関係あるのかしら」
ファビアンに誘ってほしいとの期待は全く感じられない調子だが、そこで負けては引越してきた意味がない。

「たくさんのアスパラガスを入手したんだ。ごちそうしようと思って」
「緑、それとも白?」
「白」
「悪くないわね。何時?」

 ファビアンは心の中でガッツポーズをした。
「七時はどう?」
「わかったわ。今日の仕事はそんなに遅くならないはずだから」

 アスパラガスが店に出回るようになるのは毎年早くなっていた。もともは初夏にしか食べられない食材のはずだが、四月にはスペイン産やトルコ産のものが主流だし、それより前だとメキシコから送られてくるのだ。五月に入ってようやくドイツ産のものも見かけるようになった。
 
 けれどファビアンが待っていたのはスイス産アスパラガスだった。畝にした土の中で太陽の光を当てないようにして育てたホワイトアスパラガスは旬の味として珍重される。その分大量消費される食材の宿命で、味も安全性も玉石混合となる。ファビアンが高価なスイス産のものしか買わないのは、外国ではスイスでは安全性のために禁止されているような化学肥料や除草剤が使われていることもあるからだった。

 一本の直径が2.5センチメートルほどで長さも20センチほどあるアスパラガス。購入の単位は一キロ束だ。ピーラーで皮を剥き、根元を切り落としてから、深鍋に入れて一時間ほど茹でる。その茹で汁は後日スープにする。すっかり柔らかくなった熱々のアスパラガスと新ジャガにオランデーゼソースをかけて食べるのだ。

「よし、いい香りがしてきたぞ」
アスパラガスのゆで上がりまであと15分という所だろう。ジャガイモもしっかりと蒸し上がった。ファビアンは、冷蔵庫で冷やしておいたシャンパンをクラッシュアイスの入ったワインクーラーに移し替えた。クリーム色のテーブルクロスをキッチンの小さな木のテーブルに掛け、二人分の皿とカトラリーをセットした。燭台に白いロウソクを立てて火をつけた。低く生けた薔薇とガーベラ。これは食事の前にどけないと、ソースを置く場所がなくなるなと思った。

 テトラパックのオランデーズソースを戸棚から取り出した。それをソースパンに入れて火に掛けた。途端に、呼び鈴が聞こえた。彼女だ! ファビアンは走って玄関に向かった。

「ハーイ。ご招待ありがとう」
扉の前に立っていたソフィーは、いつものパンツ姿ではなくてクリーム色のワンピースを着ていた。そして、輝くようなあの美しい金髪をポニーテールにし、うっすらとローズの口紅を差していた。ソフィーにしてみたらごく普通の外出着だったのだが、ファビアンには女神が降臨したかのようだった。

「ようこそ。ああ、なんて綺麗なんだ」
大仰に誉め称える彼に対し、彼女はいつも通り冷たかった。手みやげのよく冷えた白ワインを手渡しながら簡素に答えた。
「ありがとう。でも、大袈裟よ」
それから眉をひそめた。
「何かが焦げているみたいだけれど……」

 ファビアンはギョッとしてキッチンに走った。ソースパンのオランデーズソースが沸騰して外に吹きこぼれてしまっていた。
「うわ!」
 慌てて火からおろした。その時にソースが跳ねて彼の指を直撃した。
「あちっ!」

 揺らしたために残り少ないソースがまたこぼれた。鍋底は完全に焦げてしまい、ソースはほぼ全滅だった。

「まあ」
ソフィーは後ろからやってきて、惨状を目の当たりにした。

「車で、ちょっとソースを買いにいってくる」
「どこに? スーパーはもうとっくに閉まっているわよ」
「ガソリンスタンド」
「オランデーズソースなんてあるかしら」

 ソフィーの冷静な意見ときたら、いちいち的を得ている。ファビアンは泣きたくなった。オランデーズソースなしに、どうやってアスパラガスを食べろって言うんだ。まさかマヨネーズでってわけには、いかないよね。

「ねえ、オランデーズソースくらい自分で作ればいいじゃない」
「え?」

 ソフィーはファビアンのしているエプロンをさっと取り上げて自分に掛けた。それから眉一つ動かさずに言った。
「卵一つ。白ワイン、バター、レモン汁かお酢、それに牛乳を少々」

 彼は慌てて冷蔵庫に走り、言われたものを用意した。

 彼女は小さい鍋にバターを入れて溶かした。それを小さいボールに遷すと、同じ鍋に溶き卵とワインと牛乳をよく混ぜ合わせて入れてから、泡立て器で手早くかき混ぜたまま、ごく小さな火に掛けた。

 ファビアンが見とれていると彼女はぴしゃりと言った。
「ボーっとしている暇があったら、その焦げてしまった鍋を水につけておきなさいよ」

 彼は言われたままに鍋をシンクに置いて水につけ、それから汚れた床をとりあえず綺麗にした。その間にソフィーはとろみのついてきたソースに溶かしバターを混ぜて、最後にレモン汁と塩こしょうで味を整えた。
「ほら、もうできた」

「そんなに簡単にできるソースだったんだ」
彼は目を白黒させた。ソフィーはソースを用意された器に注ぎ込むとスプーンを添えてテーブルへと運んだ。そしてエプロンをとってファビアンに渡した。

 怒って帰ってしまってもおかしくない事態だったのに、彼女はむしろフォローしてくれた。それがファビアンには嬉しかった。ソフィーは外からは冷たく見えても、本当は優しい素敵な女性なんだ。

「さあ、早く食べましょうよ。お腹ペコペコだわ」

 シャンパンを抜き、二つのフルートグラスを満たす。グラスには美しい彼の女神の姿が映っている。ファビアンは小さい声で「乾杯」と言った。

 ソフィーは微笑みながら「乾杯。そしてありがとう」と言った。ホワイトアスパラガスの茹で具合は完璧だった。ジャガイモもおいしくできていた。何よりも手作りのオランデーズソースはいつものテトラパックの何倍も美味しかった。

「次回は、僕も手作りのソースにするから、シーズン中にもう一度食べようよ」
ロウソクの長さが半分くらいになり、あらかたのアスパラガスとジャガイモがなくなった頃に、ワインでほろ酔いになったファビアンは言った。

「そうね。でも、アスパラガスの季節っていう暖かさじゃないわよね」
いつもの冷たい調子で答えるソフィーに、ファビアンはあまり真剣に落ち込んだりしていなかった。心は次のデートのことでいっぱいだったから。ああ、今夜はなんてロマンチックな宵だろう。ほら、雪まで降って……。ええっ、雪?!

「あらあ、降ってきちゃったわね。ちょうど今日は『冷たいソフィー』だし。あなた、今夜こそローズマリーは仕舞ってあるんでしょうね」
「ないよっ!」

 ファビアンはローズマリーの鉢を室内に取り込むために、重たく冷たい雪の中に飛び出していった。

(初出:2013年5月 書き下ろし)
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Tag : 小説 読み切り小説

Comment

says...
そういや友人も、「ホワイトアスパラはオランデーズソースで食べろ」といってたなあ。

……もらいものの缶詰をマヨネーズで食べてる男(^^;)
2014.05.14 08:36 | URL | #0MyT0dLg [edit]
says...
コメディ的でちょっと新鮮でした
ソフィーさんはツンデレですね、アニメ化できそうな

オランデーソース今度作ってみますです
これなら簡単にできそう
まだシュヴァルツヴァルダー・トルテも作ってないけど…
こっちはレシピを見たら結構大変そうで…
2014.05.14 11:45 | URL | #- [edit]
says...
そうか、ツンデレ系ね。
なるほど、サキがソフィーを気に入った理由が分りました。
いいなぁ。この2人最高ですね。ファビアンは当然のごとくわかりやすいですが、ソフィーもある意味わかりやすかったです。
アスパラガス、サキは大好きなんですが、ホワイトの方は缶詰しか食べたことがないですね。一度きちんと食べてみたいです。
クリーム色のワンピースを着ていた。そして、輝くようなあの美しい金髪をポニーテールにし、うっすらとローズの口紅を差していた。
はい、これだけでサキはソフィーのファンになってしまいます。
オランデーズソースが焦げてよかったですね。
この2人、とても良い組み合わせだと思います。
そしてとても素敵なお話しでした。
冷たいソフィーで暖まってしまいました。
2014.05.14 14:46 | URL | #0t8Ai07g [edit]
says...
こんばんは。

私も瓶詰めのものはふつーにマヨネーズですよ〜。
でも、1000円以上出したら、やっぱりオランデーズソース作りますね……。マヨネーズだともったいない(笑)
でも、普通のレシピだと「オランデーズソースは卵黄だけで、湯煎で作れ」と書いてあるんですよね。あれでやる氣が失せます。で、湯煎なしの全卵で作ってます。

コメントありがとうございました。
2014.05.14 19:33 | URL | #9yMhI49k [edit]
says...
こんばんは。

ツンデレならいいけど、ツンツンかも……。

シュヴァルツヴァルダー・トルテ、私も作ったことありません。
あ、出来あいのケーキ台買ってきて、クリームだけ塗って作ったことはあります。超邪道。
このオランデーズソースも、超手抜きです。湯煎なんか、やってられないって……。

コメントありがとうございました。
2014.05.14 19:36 | URL | #9yMhI49k [edit]
says...
こんばんは。

ツンデレだといいんですけれど、まだツンツン状態かも……。
それでもお氣に召して嬉しいです。

ファビアンは情けない系、そしてソフィーは冷徹系。これでいつ上手くいくのかわかりませんが、意外といい組み合わせになるかもしれません。「カンポ・ルドゥンツ村の仲間たち」変なのばかり増えているなあ。ワンピースはオランデーズソースに合わせてみました。普段颯爽としたキャリアウーマン風なのがこうやって女らしさをちらっと出すのも好きなんですよね〜。

白いアスパラガス、巨大ですからね。柔らかくするのにとても時間がかかるのです。でも、そうですね。グリーンピースと同じで、やはり生から調理したものの方が格段においしいですね。旬の味です。ぜひお試しください。

コメントありがとうございました。


2014.05.14 20:06 | URL | #9yMhI49k [edit]
says...
うーむ、読んでいるだけでおいしそうな香りが。。。
(*^-^*)
アスパラガスは私も好きですね。
シチューにするのも良いですね。
2014.05.15 10:44 | URL | #- [edit]
says...
こんにちは。

くすくす。アスパラガス好きなんですよ。やっぱり旬の食べ物は外せませんよね!
でも、シチューは知りませんでした。
今度やってみます!

コメントありがとうございました。
2014.05.15 16:42 | URL | #9yMhI49k [edit]
says...
更新、お疲れさまでした。
ホワイトアスパラガスが苦手な私には、ちょっと新鮮なお話でした。な、なんだか美味しそう。しかも、ソースを手作りですか……その発想はなかった。
ちょっと頼りないけど家庭的なファビアンと、仕事も料理もテキパキこなすソフィー、なかなか面白そうな組み合わせですね。いやそれにしても、火を点けたまま離れちゃあ、いけませんよ。まあ、結果オーライってやつですけどね。
短いお話ですが、毎度、いろんな知識や情報や薀蓄が詰っていて、楽しませてもらっています。
2014.05.16 13:48 | URL | #V5TnqLKM [edit]
says...
かなり興味深いですね。
ソフィーの態度がなんとも言えない。自分の気持ちを表現するのが上手じゃなくてツンツンになってしまうのか、それとも、基本本気でこんな感じなのか。多分後者なのでしょうね。だからこそ「冷たいソフィー」……でもって「優しい女の人が好き」なんてありきたりの感覚の持ち主ではないファビアン。
こういうのを「組み合わせの妙」というのでしょうか。

アスパラガス、うちの庭にあるのは放置されている……時々「明日辺り良さそう」と思っていたらそのまま忘れて、あっという間に枝と細かい葉が伸びてしまう、油断ならない奴、という気がします。大概お味噌汁の具に化ける。白いのは缶詰しか見たことないですけれど、実は本物を知る人は緑より白いほうが好きって人も多いですよね。
このシリーズやっぱりいいですね。やっぱり胃袋を掴まれると、人間、靡いちゃうものですね(^^)(夕さんに胃袋を掴まれた大海……)
2014.05.16 18:19 | URL | #nLQskDKw [edit]
says...
こんばんは。

あ、苦手でした? 
缶詰や瓶詰めのものがお嫌いな場合は、もしかしたら、生から茹でたものとオランデーズソースで克服できるかもしれませんが、でも、苦手なものはどうあっても苦手でしょうから、ご無理はなさらずに。グリーンアスパラでもいいんですし。

このソース、クッ○パッドなどでは大抵「エッグベネディクト」のために作られる方が多いようです。しかも湯煎をしてつくるという超面倒パターンが多く、私のような面倒くさがりやには敷居が高いです。アスパラガスだけでなくチキンや蕪やポテトなどにも合うし、ちょっとおしゃれなので、目先を変えたい時にはどうぞお試しくださいませ。

家庭的と言っても、茹でているだけだし(笑)
日本だと、ちょっと氣になる女性はいきなり家でなくて、レストランに行くでしょうけれど、こちらだとやっぱり家なのですよ。しかも、茹でた野菜だけ。でも、これにワインだけで十分なのですよね。文化の違いかもしれません。

でも、火をかけたままはダメですね。まったく。きっとソフィーにさんざん言われ続けるに違いありません。

コメントありがとうございました。
2014.05.16 21:47 | URL | #9yMhI49k [edit]
says...
こんばんは。

この話も彩洋さんのおっしゃっていた「言葉から」の作品かも。まず「冷たいソフィー」という言葉があって作ったキャラですから。

ええと、この人はファビアンに素直になれなくて、なんて可愛い理由ではなくて、単にツンツン女ですね。
ファビアンは、ねえ。まあ、惚れちゃったんでしょう。無理っぽそうですけれど。

アスパラガス、植えていらっしゃるのですね。わあ、いいなあ。
あれも筍と同じで、あっという間に食べられないものになっちゃうのでしょうか。
どういうわけか白の方がありがたがられていますよね。でも、長時間茹でなくちゃいけないのでちょっと面倒。
私は緑をオーブンでグリルして食べるのが好きです。香りも素晴らしくなるし、たぶんビタミンの流出も少ないと思うんですよね。

野菜シリーズだとどうも食いしん坊な話ばかりになってしまう。あと七本、どうしよう。(何も考えていないのがバレバレ)お氣に召して幸いです。

コメントありがとうございました。
2014.05.16 22:25 | URL | #9yMhI49k [edit]

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