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Posted by 八少女 夕

【小説】森の詩 Cantum Silvae - 貴婦人の十字架(8)水車小屋と不実な粉ひきの妻 -1-

マックスはルーヴに向かう途中です。読んでくださっている方の感想にもあるように、この時代のヨーロッパの人びとは現代の感覚とは違う常識と意識の中で暮らしていました。善悪の感覚も現代の私たちの常識では計れないところにありました。「粉屋は騙すに決まっている」という常識も現代の感覚からすると「?」だと思います。けれど、現代でも同じように色眼鏡で人を見ることはあると思います。単に「粉屋」ではないだけで。

今回も二回に分けての更新です。後編は来週になります。


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あらすじと登場人物




森の詩 Cantum Silvae - 貴婦人の十字架
(8)水車小屋と不実な粉ひきの妻 -1-


「森の詩 Cantum Silvae - 貴婦人の十字架」関連地図(現在位置)

 失敗したなと思った。宿を探すのが遅すぎた。当てにしていた宿屋がいっぱいだと断られたので、他の旅籠がないかと馬を進めた。だが、どうやら町から遠ざかってしまったようだ。農村で日がとっぷり暮れてしまったので、農家にでも泊めてもらおうかと思ったが、断られてしまった。一軒で上手くいかないと、隣でも上手くいかなくなる。他の奴らが断ったのは何か理由があるからだと思い、人びとの警戒心が強くなる。

 川の水音と、水車の音が聞こえてきた。ああ、ここなら村の住民と違う反応をしてくれるかもしれない、そう思った。水車小屋に住む粉ひきは、村の農民たちから距離を置かれるのが普通だったからだ。

「誠実な粉ひきはいない」「粉ひきは悪魔の友達」と散々ないわれようをしている原因が、領主の都合による水車小屋利用強制であることをマックスは理解していた。人びとの暮らしの中心にはパンがあり、小麦粉があった。農民は年間を通して汗水たらして働き小麦を自ら育てた。それを自らの挽き臼で粉にすれば手間はかかっても金はかからないのに、挽き臼の使用を禁止され水車小屋で使用料を払って挽くように決められていた。年貢の他にこうして搾り取られることを農民たちは快く思っていなかった。だが、その怒りの矛先は見た事もない領主さまではなく、水車小屋を借りて中間手数料でがっぽり儲ける粉ひきに向けられるのだった。

 どうしても関わらざるを得ないけれど憎悪のある関係がどの農村でも見られたので、もめ事に巻き込まれたくないマックスは出来るだけ水車小屋には近寄らないようにしていた。農民たちの肩をもつわけではないが、感じが良くて親切そうな粉ひきにはこれまでに出会ったことがなかったのだ。だが、今晩は背に腹は変えられない。彼は明かりと水音、水車の動く木のきしむ音を頼りに馬を進めた。

「水車小屋に泊めてもらおうなんて、あんた、よっぽどの世間知らずなの?」
出てきた女房は皮肉っぽく言った。若くこぎれいな女だった。町で流行っているデコルテがかなり開いた上衣を着て、しゃれた上履きも履いていた。

「そうとも思えないが、でも、水車小屋に一晩の宿を頼むのはこれがはじめてだ。嫌なら断ってくれればよそをあたるよ」
その返事に興味は全くなさそうだったが、値踏みするように着ているもの、馬などをじろりと見た。
「旅籠より安く泊れるなんて思わないでおくれ。もっとも大した料理は出せないけれどね」
「今夜休めれば、それでいい。助かるよ」

「亭主は、領主さまの所に出かけていて不在なんだ。今夜遅くか、明日の朝には戻ると思うけれどね」
脳裏に「不実で美しい粉ひきの妻」というお決まりの文句が浮かんだが、何もそこまで地をで行くこともないだろうと思い返した。女は彼を水車に近い階段を上がった半二階の小部屋に案内して、荷物を置いたら食事に降りてくるように言った。

 マックスは小部屋を見回した。こざっぱりとした木の床と壁の部屋で、小さな寝台と物を置けるようになっている台、それに小さい椅子が一つあった。窓からは星が覗けて、水と軋む車輪の音が常にしていた。

 食事に降りて行くと、女はスープとパン、それにいくらかの干し肉やチーズを並べ、木の盃にワインを入れて出した。同じものを食べるのに、自分は水を飲んでいた。
「僕だけワインを出してくれなくてもいいのに」

 女は笑って言った。
「金を取るだけとって、ワインも出てこなかったと言いふらされると困るからね。私たちは何も悪い事をしないのに粉屋だというだけで人びとは悪口を言うんだ。これ以上悪く言われるのはごめんさ」

 彼は盃を口に運び、少し口に含んでから、盃の中を見た。ワインらしくない風味を感じたのだ。女がじっとその様子を見ていた。何も悪い事をしていないのに、か。そう思いながら、そのまま飲み込んだ。

 
 マックスが寝台に横たわってから、小一時間が経った。月の光に青白く照らされた女の腕がゆっくりと伸びた。彼の衣類をそっと触り、目をつけていたものを探していたがそこにはなかったのでもう少し側に寄ると肌掛けをそっとずらし、淡い月の光にきらりと光る黄金の十字架につと触れた。

 それと同時に、それまで動かなかった彼の右手がはっしとその女の手首をつかんだ。
「まさか! 動けるのか」
粉挽きの妻は思わず叫んだ。彼は寝台から起き上がった。
「毒入りのワインをありがとう」

「飲まなかったのか」
「飲んだよ。ヒヨスだったね。残念ながら、僕にはこの程度の量では効かないのだ」

 女は、唇を噛んで小さな椅子に座り込んだ。

「どうするつもりだったんだ。毎回、泊った客に毒を飲ませて、命を取っても、死体の処理に困るだろうに」
「殺しはしないさ。でも、目が覚めても数日間は頭がはっきりしないから、たぶんここで盗られたと思っても、騒ぐ事は出来ない。いつもうまくいったんだ。毒の効かないヤツがいるとはね。あれを飲んでもなんともないなんて、あんたは何者だい、悪魔に魂でも売ったのか」
「悪魔に魂を売ったのはそっちだろう。君は、何も悪い事をしないのに粉屋だというだけで人びとが悪口を言うと言っていたね。なのに、なぜ……」

「皆がいつも騙すと蔑むと、いつの間にか本当にそういう人間になってしまうんだよ。どんなに真面目にやって、仲良くしたくても全然受け入れてもらえない。そのうちに、だったらやってやると思うようになっちまうんだよ。うちの人だってそうだ。村の奴らや、あんたみたいにいつも敬意を持たれているヤツにはわからない」

 彼は首を振った。
「いつも敬意なんてもたれたりしていないさ。そうだったら毒の効かない体になんかなるわけないだろう」

 女は薄氣味悪そうに見た。
「あたしをどうするつもりだい」
「どうもしないさ。遅く帰って来た旦那に誤解されないように、さっさと自分の寝床に帰ってくれ。それに、明日発つまで二度と僕を襲わないでくれればそれでいい」

「なぜ……」
「僕は一夜の宿が欲しかったんだ。それ以上の大騒ぎはごめんだし、足止めもされたくない。ただ、忠告しておくよ。こんな事を続けると、そのうち必ず痛い目に遭う。今回の事が天からの忠告だと思って、足を洗うといい」

 女は何も言わずに部屋を出て行った。彼はしばらくうとうとしたが、再び物音で目が覚めた。どうやら亭主が帰って来たらしい。女とひそひそ話をしているのが聞こえた。マックスをどうするか二人で話しているらしかったが、やがて、余計な事をしない方が身のためだと結論づけたのか、二人は寝室に消えて静かになった。マックスは、ようやく安堵して眠りに落ちた。
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Comment

says...
今回の、農民と粉ひきとの微妙な距離、敵対関係が社会の理不尽を感じさせて、物語を深めていますよね。
こういう粉ひきの存在時のは実際の歴史の中にあったことなんでしょうか。
それともここだけの特殊な仕組みなのでしょうか。

「誠実な粉ひきはいない」と言われる中、じつは誠実だった・・・というオチじゃなくてにんまりしました。毒ときたか。ふふふ、と。
マックスのしなやかさがいいですね。
いちいち怒っていたら神経が持たない。それほど生きにくい世界なのでしょう。
このあとマックスをカッカさせる出来事が起こるのかな・・・。
いや、旅は長そうなので、ゆっくり追っていきます。
2014.06.11 12:27 | URL | #GCA3nAmE [edit]
says...
更新、お疲れ様でした。

この前の結婚税もそうでしたが、為政者というのは徴税のためならなんでも思いつくものですね。いわゆる、間接税ってやつですね。支払いを回避できない、という時点で不満がたまりそうなのに、その徴収代行者がさらに手数料までとったんじゃあ、嫌われてもしかたないですね。まあ、彼らも生きるため、なんでしょうけど。
途中までは、色仕掛けかと思いましたが、さらに上をいく企みでしたね。旅も命がけとは、こわいこわい(笑)
マックスの忍者顔負けの特技には驚きましたが、粉ひき夫婦がこのまま引き下がるのかも含めて、このお話の決着が楽しみです。
2014.06.11 14:08 | URL | #V5TnqLKM [edit]
says...
こんばんは。

今回のストーリーの元ネタは阿部謹也著「中世を旅する人びと」です。実際にこうだったらしいですよ。あ、毒を盛っていたなんて話はありません。これは私の創作。

あはははは、「実はいい人だった」って話、あまり書かないかも(笑)

そうですね。旅行をするのも今よりもずっと危険で、生きて帰ってくるとは保証できなかった時代です。理不尽なことや救われないことも今よりもずっと多かったと思います。日本でこういうことが起こったら怒るけれど、例えばアフリカや南米なら普通、なんてことありますよね。それと同じ感覚でマックスも大騒ぎはしないんだと思います。

でも、彼もカッカとします。それが本ストーリーでのメイン事件です。
ルーヴまでの旅は後ちょっとです。もう少々おつき合いくださいませ。

コメントありがとうございました。
2014.06.11 20:03 | URL | #9yMhI49k [edit]
says...
こんばんは〜。

家康じゃないですが「生かさぬように殺さぬように」搾取されていますよね。でも、領主さまはどこにいるのかもわからぬ存在、やっぱり身近なところに怒りが向くのですよね。

たとえばユダヤ人のような存在でもよかったのですが、今回は粉屋でいってみました。単純なイメージによる嫌われ者ではなくて、どこかに嫌われる背景がある、その意外性を探してみました。

色仕掛けだとマックスはわりと「据え膳は食っちゃう」タイプなので、話がやっかいなことに(笑)

粉屋夫婦は小心者なので、これでおしまいみたいです。次回はマックスがなぜ毒耐性があるのかなんて話になります。ようやく本筋にほんのわずかですが関係のある設定が……。

来週も読んでくださると嬉しいです。

コメントありがとうございました。
2014.06.11 20:11 | URL | #9yMhI49k [edit]
says...
毒薬の小瓶が大好きな、どこかの超有名なミステリー作家を思い出しました。

マックスが毒薬に耐性を持っている理由、凄く気になります。
でも水車小屋の女、なかなか面白い役どころだったと思います。彼女、それなりに頑張ったんですけど、マックスの方が数枚上手だったという訳ですね。
彼女も通りすがりなんでしょうけど、巧妙な仕組みの税金、巧みに責任を転嫁する制度、この時代の社会制度の側面をのぞき見ることができたようで、今回も面白かったです。
夜になってどうなるのかちょっとドキドキしてしまいましたが、単なる物取りだったんですね。
でもマックスは与えられると食べちゃうんですね。凄い奴です。
2014.06.12 13:49 | URL | #0t8Ai07g [edit]
says...
こんばんは。

なんか雷雨になってます。少し涼しくなりそうです。

毒薬、OKな理由は、来週明かされます。この人、ヒヨスだけでなく当時知られていた毒物のほとんどが大丈夫なのです。

この章は、もちろんマックスの毒耐性をお披露目するための章でもあるのですが、それとは別に「みんなが悪いヤツだと後ろ指をさし続けると、本当にそういう人になってしまう」というのがテーマになっています。一つひとつの制度などは「へえ」とそれだけで終わってしまう話なのですが、こうやってお話に結びつける作業がけっこう楽しい創作でした。

色っぽい話は、もう一度書いたので、今度は物盗り系で。ええ、マックスはあまりお固くないんで、単なる色仕掛けならまんざらでもないと言うか、旅だから後腐れもないというか(以下略)

コメントありがとうございました。
2014.06.12 17:54 | URL | #9yMhI49k [edit]

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