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scribo ergo sum もの書き・八少女 夕のブログ Since March 2012


Posted by 八少女 夕

【小説】きみの笑顔がみたいから

月に一度発表する読み切り短編集「十二ヶ月の野菜」の六月分です。わかっています。もう七月です。忘れていたわけではなくて、44444Hitで小説が重なったので、後ろにずらしたのです。六月のテーマは「ルッコラ」です。胡麻のような香りのする、わずかな苦みのあるハーブですね。

今回の二人は、昨年登場した「ロメオとジュリエッタ」です。どんな話だか忘れてしまった方、読んでいない方も全く問題ありません。
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きみの笑顔がみたいから

 ミラノは忙しい街だ。イタリアの他の地域が太陽とトマトとワインを楽しんでいる時にも、ミラノ人だけはせっせと働いていると言われている。実際に、ロメオの勤めているソヴィーノ照明事務所では、誰も彼もがワーカホリックのように見えた。ロメオ自身は、もう少し典型的イタリア人に近いと思っている。彼は照明の位置を二センチずつずらして、組み合わせの効果を百回も試すよりも、まだ明るいうちに帰ってワインを飲む方が好きだった。それはロメオが照明デザイナーではなくて、事務と経理を担当しているからでもあった。

 それなのに、ロメオが恋に落ちてしまった女性は、国民全体がワーカホリックだと評判の日本人だった。珠理は同じ事務所で働く照明デザイナーだ。彼女の創り出す光はとても暖かく繊細だ。まるで彼女自身のようだった。

 ロメオは楽しみにしていた八月の休暇をふいにしてしまった。夢破れて日本に帰ろうとした珠理を追って、ついうっかり日本へ行ってしまったのだ。そして、空港で珠理を捕まえて、ついでに日本を旅してきたのだが、そこで有給休暇を使い果たしてしまった。

 でも彼は後悔していなかった。珠理はミラノに、そして、ソヴィーノ事務所に戻ってきてくれた。それだけではなくて、ロメオのアパートメントで暮らすことになったのだ。ソヴィーノは「わっはっは」と笑った。「お前もやる時はやるな」という意味である。

 日本に追いかけていったぐらいで、ただの友達以下の関係から同棲相手へと昇格出来るとは自分でも思っていなかった。ただ、荷物が船便で日本に帰ってくるので、それを受け取らないと何も出来ないと渋る珠理を説得して、まだ海の上にある荷物が日本国内に着いたら即座にイタリアに返送してもらう手続きに行き、そこで転送先の住所が必要になったのでロメオの住所を書いたのだ。

 とりあえずの新しい住所がロメオのアパートメントになり、それを何度も手続きのために書いている間に、珠理自身にとってもそれが自然になってしまった。同じ飛行機に乗って再びイタリアに向かう時も特にはっきりとした話をしなかったのだが、ミラノについてから直接ロメオのアパートメントに向かい、そのままなんとなく同居にこぎ着けてしまったのだった。

「今日は遅くなる?」
書類を引き出しにしまって退社の支度をしてから、ロメオは珠理のデスクの所に行って小さい声で訊いた。隣にいたマリオやアンドレアがニヤニヤ笑ったので、ロメオは珠理に申し訳ないことをしたと思った。

 珠理はやはり小さい声で答えた。
「これをやってから帰りたいの。二時間くらい遅くなると思う」
「時間は氣にしなくていいよ。僕は買い物をしてから帰るよ」

 ロメオはスーパーマーケットに寄るつもりでいつもの道を歩いた。角を曲がったら奥の広場に市場が立っていた。だったらスーパーマーケットに行くなんてもったいない。足を速めて市場にたどり着いた。

 丸々太ったおばさんがオリーブを量り売りしていた。山盛りのペパロニが鮮やかだった。チーズ専門の屋台。レース編みのカーディガン、大量の靴下や下着、各種の帽子。彼は喧噪の中を黙々と歩いた。頭の中で、冷蔵庫には何があっただろうかと考える。主に料理をしているのは珠理だから、記憶はかなりあいまいだ。もともとロメオが作ることのできるメニューは限定されている。とにかく使い切れるだけの物を買えばいいか、そう思った。

「いらっしゃい」
「そのルッコラを一束ください」
「はいよ、他には?」
「いや、それでいい」

 水牛のモツァレラとパルミジアーノの塊、それにヴァルテリーナの赤ワインを買い、それからやはりスーパーマーケットに寄ってピッツァの台を買った。

 アパートはひんやりとしていた。ずっと一人で住んでいた部屋だ。何も思うはずはないのに、どういうわけだがガランとして感じられた。人と話すのが苦手で一人でいるとホッとすると思っていた。勢いで珠理と同居することになってしまったけれど、二人でいることに苦痛を感じるのではないかとこっそり思っていた。けれど、それは全く逆だった。珠理はこのアパートに昔から置きっぱなしになっていた置き時計か、あったことも忘れていたクッキー缶のようにすんなりとおさまり、部屋は全く狭くならなかったし、騒がしくなることもなかった。

 言葉に慣れていないためかゆっくりとしたペースで、考えながら話す。かかっている音楽を黙って一緒に聴く。二人の間の沈黙は据わりが良い。無理して話す必要もなければ、いやいや耳を傾ける必要もない。ただ、優しく静かな時間が流れている。

 ピッツァを焼くのは珠理が帰って来てからの方がいいだろう。でも、下準備はしておいた方がいい。そう考えたロメオはワインのコルクを抜いてデキャンタに移した。ピッツァ台を天板の上に広げ、ニンニクのみじん切り、窓辺に置いた鉢からオレガノ、ローズマリーを少しとってきて、細かくしてから載せた。オリーブオイルと黒こしょう。薄切りにしたモツァレラを散らす。今日はピッツァ・ビアンカにするのだ。

「ロメオは本当にイタリア人?」
初対面の人によく言われるセリフだ。あまりに口数が少ないから。故郷の家族や親戚と一緒に過ごしたがらないから。でも、彼だってトマトやピッツァが嫌いなわけではない、ごく普通のイタリア人と同じように。

 小さいバルコニーに出た。夏至が近いのでまだ明るいが、風が出てきて涼しくなってきた。ロメオはテーブルクロスを一度外してぱっと叩いた。それから丁寧にセットした。ガラスに入ったロウソクとワインのデキャンタ、皿とワイングラス、カトラリーを持っていった。その時、玄関で音がした。
「ごめんね、ロメオ。遅くなっちゃった」

 アパートにわずかに色彩が増したように感じた。珠理がこだわっている一センチか二センチか、その程度の照明の違いのようなわずかさで、何が違うのかと訊かれると答えられない変化。
「お帰り、珠理。すぐにご飯用意するよ」

 オーブンを温めて、ピッツァを入れる。
「このまま? 真っ白ね」
珠理は珍しそうに眺める。

「うん。今日はピッツァ・ビアンカにしたんだ。でも、これで終わりじゃないから安心して」
ロメオは笑って珠理の頬にキスをすると、ルッコラを洗い、パルミジアーノを薄く削った。珠理はルッコラの水氣ををタオルで拭き取る役目を引き受けた。

「さあ、できた!」
パリパリに焼き上がったピッツァの上にルッコラとパルミジアーノをたっぷりと載せてロメオはバルコニーに急いだ。珠理はバルコニーの扉を開ける。

 ロウソクの光が揺れている。空が少しずつオレンジになっていくのを珠理は目を細めて見守った。ロメオはその珠理を眩しそうに見ている。
「さあ、ピッツァが冷めないうちに」

「ありがとう、ロメオ。なんて素敵な夕方かしら」
「うん。きれいな夕焼けだよね」
そういうと珠理はまあという表情をした。

「夕焼けだけじゃないわ。帰って来たらこんなに素敵なテーブルが整っていて、ロマンティックで、それに美味しいピッツァがあって」
ロメオはそれに続けた。
「そして、向かいに君が座っているんだ」
二人は一緒に笑った。
 
 ルッコラとパルミジアーノがわずかに風に揺れている。ほのかに胡麻のような薫りがする。シンプルなのに深い味わいで飽きない。人生の歓びもこれに近いのかもしれない。珠理がワイングラスを傾けながら微笑んでいる。二人にたくさんの言葉はいらない。

(初出:2013年7月 書き下ろし)
関連記事 (Category: 短編小説集・十二ヶ月の野菜)
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Category : 短編小説集・十二ヶ月の野菜
Tag : 小説 読み切り小説

Comment

says...
更新、お疲れ様でした。

おお、珠理は幸せにやっているんですね。照明のお仕事も続けていて、なんだかほっとしました。
口数は多くなくても、こういう手間を惜しまず、日常をちょっと彩る演出ができる男性というのは、素晴らしいですね。
ビアンコって、トマトソースがかかっていないピッツァですよね。生地の上にチーズとルッコラだけって、シンプルだけど飽きずに毎日でも食べられそうですね。多くのトッピングを必要としない、ささやかな歓びのある人生ってのも、いいものですね。

ちなみに、日本は今日、雨の七夕です。台風も、接近してきています。はぁ……
2014.07.07 04:17 | URL | #V5TnqLKM [edit]
says...
ずっとニタニヤしながら読んでいました。
周りから見ていたらさぞかしおかしく見えたでしょうね。
「世界が僕たちに不都合ならば」を復習してきたので、よけいにそんな気持ちになったのだと思います。
珠理のその後をのぞき見ることができたことも、とても幸せな気持ちにさせてくれました。ロメオとの幸せそうな同棲生活、仕事場での様子、夕方の買い出し、そしてバルコニーでの演出。ほら!やっぱりニヤついてしまいますよ。
珠理の仕事も思い通りさせてもらっている様子ですし。
ロメオ、やっぱりちゃんとイタリア人だなぁ。
2人に幸あれ!お幸せにね!
2014.07.07 14:08 | URL | #0t8Ai07g [edit]
says...
こんばんは。

ルッコラのピッツァを登場させるためだけに、二人をハッピーにしてしまいました(笑)
前回と違って、成功にこだわっているわけではないので、普通に平凡に平和に暮らしていますね。
ボスもいい人みたいで。

たくさんの言葉を遣って、もしくは、物質の洪水で飾り立てるのではなくて、また、投げやりに生きるのでもなくて、シンプルに日常を楽しめる人ってきっと一緒にいてとても心地よいパートナーだと思います。

ルッコラのピッツァ大好きです。これだと、しつこくないんですよ。一枚のピッツァ台を二人で分け合うくらいが量としてもちょうどいいですしね。パーティの時は、別のピッツァと組み合わせてもいいですよ。

こちらも降ってます。でも、もうちょっとで上がりそう。頑張れ、織姫、彦星!

コメントありがとうございました。
2014.07.07 21:11 | URL | #9yMhI49k [edit]
says...
こんばんは。

前回はちょっと珠理をいじめ過ぎたので、今回はハッピーにしてみました。
といっても仕事上で成功したわけではなくて、黙々とまた働くだけなんですけれど。

ロメオ、目立たないタイプですが、頑張っていますよね。
こういうタイプにはいい思いをさせてあげたい私です。
いずれこの二人の日本旅行も一本書きたいなと思っています。

応援していただいてとても嬉しいです。

コメントありがとうございました。
2014.07.07 21:17 | URL | #9yMhI49k [edit]
says...
この野菜シリーズ、思わぬところで思わぬ再会があって、いいですね!
その後、こんな風にしていたんだ、良かった~なんて思えて。
その「その後」が野菜に載せて語られる構成、とてもいいなぁと思いました。

しかもこれ、タイトルだけでもストーリーを感じます。
だって「世界が僕たちに不都合ならば」→「きみの笑顔がみたいから」ですよ!
和歌の世界、返歌の物語に思えました。
なにより、ピッツァ・ビアンカってのが利いています。真っ白なピッツァ、そこに二人の未来や生活や想いを載せていくみたいな、「これで終わりじゃないから安心して」←ここに色んな思いがあるような(勘ぐり過ぎ?)気がして。
うちも、帰ったら、テーブルにご飯が並んでいたらいいなぁ……(ウラヤマシイ)
2014.07.12 01:01 | URL | #nLQskDKw [edit]
says...
こんにちは。

いやあ、かなり苦労しています。ちょうどいいストーリーがそこらへんに転がっているわけではないので、毎月四苦八苦しているのです。で、一度で終わりだったはずのキャラたちがバンバン出てくることに……。

タイトルも毎回悩みます。話を表しているもので、でも、「読みたい」と思ってもらえるように、とはいえ一度使ったものは使えない、となりますからね。

今回のストーリーに関しては、まずルッコラのピッツァがあっての話なのです。
ルッコラとパルミジアーノ・レッジャーノのピッツァって、マルゲリータやマリナーラソースが合わないように思うのです。その辺が、イタリアだけれど、でも「いかにも」のイタリアとは違う。非常にシンプルでまっさらで、そこにシンプルなものを加えることで完成する味。

二人と言うか、珠理は一度仕事と人生をリセットしようとしたので、そこからまっさらになって、もう一度ロメオと地道に歩き出そうとしているんで、それとピッツァ・ビアンカは合うかな〜と思いました。そこに注目していただけて嬉しいですね。

あ、うちに帰っても、ご飯が用意されていることは皆無です。小説では願望丸出しです。彩洋さん、上手に姪御さんをリードして「帰って来たら晩ご飯準備済み」になっているように育ててみたらいかがでしょうか。うちの連れ合いよりずっと期待が持てそう。

コメントありがとうございました。
2014.07.12 14:14 | URL | #9yMhI49k [edit]

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