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Posted by 八少女 夕

【小説】森の詩 Cantum Silvae - 貴婦人の十字架(10)村、農耕とフェーデ

マックスの旅の方もそろそろ終わりです。アニーのお里にあたる場所までやってきました。今回、彼がオブザーバとして眺める中世の世界、最後にご紹介するのは農村とそれを襲ったフェーデです。あるものの権利と正義は、ほかの者にとっては災難でしかない。それであっても人間は必死で生きていく。マックスは基本的に自分のことしか考えずに享楽的に生きたいタイプですが、それでも心を痛めています。

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あらすじと登場人物




森の詩 Cantum Silvae - 貴婦人の十字架
(10)村、農耕とフェーデ


森の詩 Cantum Silvae - 貴婦人の十字架 関連地図

「申し訳ない、訊きたい事があるんだが」
ヴァレーズ地方に入り、しばらく馬を歩かせていたマックスは、村の外れにある畑で農民らしき男に声を掛けた。振り向いた男に対し、縁なし帽を少し持ち上げて黙礼をした。この縁なし帽はには白い羽が飾ってあるが、宮廷に出入りする時にかぶるきちんとしたものではなく、酔狂な自由民に思える程度の質素なものを使っていた。

 それでも、マックスの服装は男の身なりと比較してかなりよかった。宮廷や上流階級で教師としての仕事をする時、それからこうして一市民として人びとの間を歩いていく時、彼は常に自分を全く別の存在に感じた。時に彼は得体の知れない異国人であり、時にははるかに裕福なよそ者であり、時にはとるに足らない下層階級者だった。

 ディミトリオスからは、いくつもの言葉、古今東西の古典、哲学者や為政者の考え方、地理や文化、数学や薬学など多くの知識を体系的に学んだ。それは本来ならばマックスのように若い青年が到底身につけられないほどの量で、ディミトリオスの体系だてたメソッドによってのみ可能な教育だった。けれど、老師のもとを離れて、この二年間に彼が旅と仕事で見聞きしたすべては、全く体系的ではなくまとまった意味をなしていないにも拘らず、彼の考え方と知識に深い影響を与えた。

 僧と為政者は、全く違う考え方をした。彼らには全く違う種類の善悪や正義があった。手工業の職人と商人も全く違う考え方をした。彼らの誇りと怒りは全く違うものに向けられていた。そして町の人間と村の人びとも違っていた。

 この二年間の幾度かの失敗から、彼は村を通る時にはどのような態度と服装をすべきかを知っていた。

「なんだね」
深い緑色の短い上着を着てつばのある帽子を目深に被った農夫は、あまり歓迎しているとは思えない様相で大儀そうに言った。
「ルーヴに向かっているんだが。この近くで夕暮れまでに宿屋のある町に辿りつけないかね」
「その馬を走らせりゃね」

 マックスは肩をすくめた。
「馬が朝から脚を引きずっているんだ。まずは蹄鉄屋に行かないといけないようだ」
男は顎で村の方を示した。
「蹄鉄屋なら隣の村にいるが、あいつは飲んでいてね。今日はもう行っても無駄だよ。この村にも隣の村にも旅籠はないがね」

「だったら、この村でわずかな金と引き換えならよそ者を泊めてもいいという家を教えてくれないかね」
「どのくらいだね」
男がちらりと興味を持ったように見えたので、彼はあまり高くない旅籠で払った金額の三分の二の価格を口にした。すると男は口をへの字に曲げてから言った。
「馬に飼い葉をやらなくてはならないんだろう。それは別でいいのかね」
マックスは、少し考える振りをした。何もなければ、出る時には旅籠で払ったのよりも少し多い額を置いていくつもりだった。

 このような無愛想な男にどうしてこんな嫁が来たのかと驚く、快活な女房は彼を見ても大して驚かなかった。どうやら、村のはずれに住んでいるこの男は、これまでにも何人もの旅人に宿屋代わりに寝床を提供してきたのだろう。

 藁葺きの家は狭くて暗いだけでなく、床板が張っていなくて粘土で固めてあるだけのようだった。板張りの壁の隙間には苔が詰めてあるだけで、扉にも蝶番はなく革で止めてあった。春先とは言え、夜はこれでは相当寒いに違いないと、彼は思った。

「すみませんねえ。こんなものしかなくて」
女房は、蕪と青菜を脂身で煮たスープを木のボールに注いで言った。他には固そうなパンしかなかったから、今夜の食事はこれだけなのだろう。貧しいとは思っていたが、このあたりの暮らしは相当厳しいらしい。彼は黙って感謝を捧げて木製の匙でその薄いスープを掬った。

「去年はもっとましな生活を送れたんだが」
ジャコと名乗った農夫は、口ごもるように言った。
「去年は、センヴリもグランドロンもどちらかというと豊作だったようですが」
マックスは首を傾げていった。ルーヴランに入ってからアールヴァイルを通ってきた時も、さほど景気が悪いようには見えなかった。

 ジャコはため息をついた。
「フェーデがあったんでね」

 マックスは眉をひそめた。フェーデ(私闘)とは、ある者が別の者に権利を侵害され繰り返し抗議を申し立てても加害者が誠意を示さない時に、相手を協議の席につかせる被害者による一種の実力行使を意味する。具体的には私闘宣言をした後に相手の支配下にある土地を襲って略奪や放火などを行うのである。

 この権利は、もちろん誰にでも認められていたわけではない。貴族身分や、武器の携帯を許された「名誉ある」自由民だけの特権であった。

「この村の領主はどなたなのですか」
「ジュールさまさ。陛下の森番の長として、狩り用の別荘と森林管理をしていてね。この地方ではもっとも羽振りのいいお方なんだ。だが、上の方に見せる顔と、下に向ける顔があまりに違うお方でね。森番たちやお抱えの騎士さまたちは一つや二つではない恨みを抱いているのだ」
「フェーデのためにこの村が襲われたのはこれが始めてじゃないんですよ」
女房もため息をついた。

「今回はジュールさまが、とある騎士の妹にひどい事をしてね。その誠意のない態度は、騎士殿にとっては腹に据えかねる事だったろうよ。部下にフェーデを起こされるなんて、しょうもない話になったのさ。だが、襲われて一年間分の働きに火をかけられる我々の身にもなっていただきたい。こんな目に遭っても、年貢の方はさっ引かれる事もなく持っていかれるんだ」

 マックスは、惨い運命を心から憎く思った。貧しい暮らしの中で働き続ける事でしか生存できない人びとに何の罪があるというのだろう。

 自由民(粉屋、大工、靴屋、革なめし工、織物工など)と違い、農業や牧畜に従事する小作たちはその土地に縛り付けられていた。自分の意志で他の領主に仕える事も許されず、生まれた時にその運命が決まる彼らは、名前こそ違えども奴隷と大して違わなかった。街に行って面白いことを探したり、隣の荘園の小作の娘と結婚したりする事はできなかった。不作やこの村でおこったような不幸でも、容赦なく年貢は取り立てられた。だが、それでも多くの人間は領主に反抗したり逃げたしたりしようとはしなかった。捕まえられてみせしめに殺されたりする事も怖れていたが、それ以上に他の生き方を知らなかったのだ。

 腹にたまらない薄いスープとパン、隙間風で冷え込む寝床は、マックスの旅の中でもひときわ惨めな一泊のうちに数えられたが、翌朝その家をでる時に、彼は旅籠に三晩泊ったよりも少し多い額を渡してやった。本当はひと夏中の食料をまかなえるほどの金を置いて行くことも可能だったが、そんな事をすると生活のリズムを壊し、村での彼らの立場を難しい物にする。
「可能なら、これで少し精のつく物を買って食べなさい。この夏を乗り切る事ができるように」

 昨日とはうってかわって、ペコペコと頭を下げるジャコと女房に礼を言うと、馬にまたがって彼は隣村の蹄鉄屋を目指して去っていった。
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Comment

says...
更新、お疲れ様でした。

フェーデ、つまり自力救済は、現代日本の法律でも禁じられている行為ですね。
土地に縛られた人々がいる時代に、こんな行為が許されていては、やられる方はたまりませんね。中央集権と地方自治の制度が不十分で、しかも情報通信が未熟だと、こういう状態になってしまうのですね。こりゃ、さすがの高等遊民でも何かしないと、と思うでしょうね。

マックスの放浪も、そろそろ終わりなんですね。
彼は、いろんな場所に行って、いろんな経験をしていろんな人生に出会いましたね。それが、このあとの彼の生き方に、どんな影響を与えるのか。ラウラと、どのように関係していくのか。楽しみは尽きません。
次話が待ち遠しいです。
2014.07.09 13:23 | URL | #V5TnqLKM [edit]
says...
フェーデって初めて聞きました。
酷い行為ですね。こういうことが権利としてまかり通っていたとは驚きです。
ジャコは無愛想に見えますが人は良さそうなのかな?いい奥さんが付いてくれて良かったね、とお節介のサキは思いました。
夕食のメニューを読んでいても、ほとんど食べる気にならないです。
でも、精一杯のもてなしだったのかな。サキはそう思いたいです。
そしてひときわ惨めな一夜の対価、マックスの気持ちの表れなんでしょうけど、ほどほどのところで精一杯、ホッとしました。
かなりラウラに近づいてきたのでしょうか?
出会いが楽しみです。
夕さんどんな演出をされるんだろう。
2014.07.09 14:36 | URL | #0t8Ai07g [edit]
says...
こんばんは。

近代国家では、フェーデなんて完全に違法ですが(マフィアとかやってる?)当時はまだ裁判制度もなかったし、「偉い人はやり放題」なところもあったのではないかと思っています。

ディミトリオスはマックスに「いずれはお前は私の教えた知識で……」といいつつも、旅立ちを許可しているのは、宮廷や机上では決して学べないことを学ぶべしと思っているからですね。

マックスは、次に登場する時にはもうルーヴです。本当は、「王女さまの教師経験」でハクをつけて、更なる自由気ままな旅をする人生楽しもうと思っていますが、そうは問屋が卸さなくなる予定です。

次回は、ラウラとザッカの話に戻ります。
2014.07.09 20:28 | URL | #9yMhI49k [edit]
says...
こんばんは。

台風の被害はありませんでしたか。

フェーデは、私も、この小説のために読んだ資料で知ったのです。
今の日本ではたとえば平民が起こした犯罪と、総理大臣の犯罪が同じ法律で裁かれるじゃないですか。でも、この時代はそうじゃなかったのですよね。ヨーロッパでは裁判制度はかなり早くからありましたが、それでも公平とはほど遠いものでした。ましてや、農民たちの人権なんて思想そのものがありませんでしたから、当時の物語を読むとツッコミどころは多いですね。


ジャコは不器用ですが、まじめな農民でしょうね。奥さんは楽天的。貧しくてもこうやって支えあっていけるのはいいことですよね。

当時のメニューもいろいろと調べました。
この料理はひどいとお思いでしょうが、じつは、王様のお食事もいまいちです。
個人的には、日本の昔の食卓、庶民でも、ヨーロッパよりも豊かだったんじゃないかと思っています。

次回は、ザッカとラウラのお忍び、その次がまたマックスですが、その時はもうルーヴです。
二人の出会いはチャプター2の冒頭で、面白くも何ともないのですが、マックスはその前にほかのキャラと偶然知り合いになります。それでチャプター1が終わりです。

ようやく本題が始まります。長い前フリですみません。

コメントありがとうございました。
2014.07.09 20:43 | URL | #9yMhI49k [edit]
says...
弱い立場の者たちは結局制度も味方してくれなかった。
そんな時代や国が確かに存在していたのだから悲しいことですね。
マックスが行くところ行くところ、様々な住民の状況が見て取れて面白いです。
マックスの放浪の旅が終わり、目的地へたどり着いたところで新たな展開が見えるのでしょうか。
並走しているラウラの物語と、いつか絡むのかな。
どちらの展開も楽しみにしています。
2014.07.12 09:22 | URL | #GCA3nAmE [edit]
says...
昔は幸がない世界でしたからね。
人権の言葉が出たのも、人類史から考えると最近ですからね。
それを考えると、こういう世の中が普通なのか。。。
と考えてしまう、村の世界観ですね。
2014.07.12 12:19 | URL | #- [edit]
says...
こんにちは。

21世紀の今でも、まだ世界の中には不公平や理不尽がたくさん残っているように思います。
それでも現在は、それに対して戦おうという団体や、権利の考え方も広がってきていることが救いですけれど。

中世ヨーロッパを基にした話を書くにあたって、お城の王子様とお姫様の話だけでは意味がないと思ったのですよ。でも、それを魔法の杖の一振りで解決していくのも嘘っぽい。マックスもラウラも基本的には見るだけで何もできませんが、この経験のすべてが彼らの選ぶ道に影響を及ぼすのですよね。

間もなくマックスはルーヴのお城に辿りつき、本来のストーリーの冒頭が始まります。ようするに二人が出会うことになります(笑)

そのまえにラウラの強烈体験が次回に来ますが。まだまだ先の長い話ですが、続けて読んでいただけると嬉しいです。

コメントありがとうございました。
2014.07.12 15:39 | URL | #9yMhI49k [edit]
says...
こんにちは。

そうですね。「人権」とか「男女平等」とか、概念そのものがなかった時代がつい最近までだったんですよね。
スイスで女性参政権が全国民で認められたのは1970年代ですから。本当につい最近。

ただ、金持ちの贅沢の描写をしても、読者は何も感じないと思うんですよね。
その中で誰かが何かをしようとする描写があっても「いま幸せだからそれでいいじゃん」と思われるんじゃないでしょうか。
それに対して、こういう村の生活、それから別の章でご紹介した街の生活があり、それと比較しての王城の人びと、という対比を書くことで、伝えたいことが伝わるといいなと思って長々と描写しています。

それとは別に、この小説のためにせっかくお勉強した中世ヨーロッパの世界なので、少しでも伝わると嬉しいですね。

コメントありがとうございました。
2014.07.12 16:08 | URL | #9yMhI49k [edit]

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