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Posted by 八少女 夕

【小説】森の詩 Cantum Silvae - 貴婦人の十字架(11)城下 -1-

宰相イグナーツ・ザッカと城下にくり出したラウラ。子供の頃に侯爵家に引き取られて以来、ルーヴの街に出かけるのははじめてです。城の中で本を読み、人から伝え聞くとの、実際に現実を目の当たりにするのでは天地の差があります。長い章ですので、来週と前後二回に分けました。今週の分はいいとして、来週の分はストーリーの根幹に関わる話です。前振り長くてすみません……。

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あらすじと登場人物




森の詩 Cantum Silvae - 貴婦人の十字架
(11)城下 -1-


「森の詩 Cantum Silvae - 貴婦人の十字架」関連地図(現在位置)

「参りましょう」
ザッカは小屋の扉を開けると静かに外に出た。騒がしい小路の押し合いへし合いした小さな家の一角だった。一人の貧しそうな神父と未亡人のような服装の女が歩いていても、興味を持って立ち止まるものはない。埃っぽい小路をガラガラと荷台が通り過ぎ、人々は大きな声で語り合っている。活氣のある通りだった。

 ラウラは道ゆく人の服装に目を留めた。埃っぽく擦りきれた少年たちの上着。彼らは靴を履いていなかった。女たちのスカーフやショールも色あせてくたびれていた。もう何年も同じものを使い続けているのだろう。後払いを懇願する声、商品の値段に文句を付ける輩、道の脇にうずくまるやせ細った老人。彼女は身震いした。

 子供の頃、ラウラは城下で育った。いつもお腹をすかせていた。とくに両親が病に倒れ、収入が途絶えてからは、それはひどくなった。家に家主が怒鳴り込み、金目のものを奪い取っていった。

「お医者様を呼んでくるから」
そういう幼いラウラに母親は首を振った。
「無理だよ。お医者様はお金持ちの所にしかいかないのだから」

 ほどなくして両親は相次いでこの世を去った。叔父と叔母がやってきて、そそくさと葬儀を済ませた後、家の中をかき回し残っていたわずかな金を持っていった。父親の肉屋はすぐに誰かの手に渡った。その人は叔父に何かを支払っていた。

 葬儀の間だけは、叔父の所で一緒に食事をする事を許された。その家の子供になるのだと思っていた。しかし、叔父たちはラウラを養う余裕などないと言った。なんという心ない冷たい親戚なのだろうと、彼女は思っていた。

 しかし、十二年ぶりに街の様相を見れば、叔父たちが必死だった事も理解できる。荒んだ街だ。あの塀の向こう側には、絹と羽毛に包まれた豊かな暮らしがある。先程まで彼女が身につけていた綾織りの緞子はこの人たちの何年分の収入の価値があるのだろうか。


 水路の工事現場は、隠し扉のある家からほど遠くないところにあった。サン・マルティヌス広場を抜けてしばらく歩き、堀沿いに進むとやがて二十人ほどの男たちがわずかな肌着だけを身に着け、泥の中に半ば埋まりながら作業している場所に来た。その半分ほどの数の牛馬が、のろのろと荷を引いているが、水に足を取られてなかなか上手く行っていないのが見て取れた。お互いに声を掛けあいながら作業する男たちは、脇に積み上げられた岩石を組み合わせながら器用に新しい水路を作り出しているのだが、全て人力と牛馬の力によるもので、その進み方はゆっくりだった。

「これはザッカ殿」
一番大きな声を出していた男が宰相の姿を認めた。彼は、何かを相方の男に囁くと、彼らから離れてザッカとラウラの側まで歩いてきた。残った男たちは、そのまま作業を続けた。

「宮廷用の服を脱ぎ、そなたも泥の中で働く事になったのか、ウルバンよ」
ザッカは髭をしごきながら訊いた。
「へぇ。上から監督しているだけでは、なかなか指示が上手く伝わりませんで。それに今は、一人でも多くの力がいる。ここの工事が上手くいけば、先は少し楽になるはずですから。なんですか、今回は。遅れについての報告は昨日したはずですが」
「そのことではない。工事の遅れのことよりも、安全に氣を配れ。もし、ここが崩れて大事故でも起きると、熟練した作業員を多く失う事になる。そうなると工事はもっと遅れるからな」

 水路の建設と言われて、ラウラはもっと簡単な作業を思い浮かべていた。先に土を堀り、水が入ってくるのはその後だと。ザッカの説明によるともちろんそうする場所もあるが、水路を作る時には、まず自然の地形を鑑みてもとの水系を利用し作業するというのだった。自分たちの工事に都合のいい乾いた場所に水路を造っても、何年かするうちに水が枯れてしまう事がある。それは大地に水のヘビの通っていない所に水を流そうとするからで、そうなると何年もかかった大きな工事が無駄になってしまう。だから、水路は必ず水のヘビの場所をわかっている専門家のプランに従うのだと。

「あの男は、この国で一番の『水のヘビ使い』なのですよ」
ザッカは、視察を終えてもと来た道を戻りながら、ラウラに事情を説明する時に多少詩的な言葉遣いをした。彼女は頷いた。今回迂回される水路はずっと山まで通すはずであった。工事は始まったばかりとは言え、これだけの工事をしながらのことだ、いったいいつになったら出来るというのだろう。

「心配ありませんよ。現在は専門知識が必要とされる工事なので、あれだけの人間でやっていますが、もう少し楽な局面では村から人足の供給を受けて一斉に作業させる事になっています」
「その人足たちとはどのような方々がなさるのでしょうか」

「普通は村の農民です。それに、力仕事を求めている人びとがいます。農家の次男坊、三男坊など、親の仕事を引き継げなくて手工業も手につけられなかった男たちが仕事を求めて集まってくるのです。そうした男たちには賃金を払い、農民たちの場合はこの作業と引き換えに年貢を減らすわけです」

 それからしばらく言葉を切って、通りの向こう側をじっと見つめた。その奇妙な様子に、ラウラは首を傾げた。彼が言葉をつないだ。
「そう、仕事のないものには、手遅れになる前に仕事を与えなくてはならない。食べるものを買えなくなってからでは遅いのだ。貧しさは悲惨さを呼ぶ」

 街が活氣に溢れているのに、その北の一角だけは人びとが近寄ろうとしないためにがら空きになっている空間があった。石畳の敷き詰められた灰色の一角だったが、人ひとりいない割に道は薄汚れて湿っぽかった。そしてその奥、ラウラからはよく見えないあたりにわずかに人の声のようなものが聞こえていた。

「あれは……」
彼女は戸惑ってザッカの顔を見た。

 ザッカはしばらく黙っていたが、やがて髭をしごきながら言った。
「さよう、あなたはこの国の光の部分をよくご存知だ。であるならば、影の部分を見ていただくのも決して悪い事ではありますまい。悲惨な事に直面する勇氣はおありでしょうな」

 彼女は不安に満ちてザッカの顔を見ていたが、彼はラウラの返事を待たずに歩き出した。
「こちらへ」

 暗い通りを抜けると、全く違う光景が姿を現した。その通りはひどい悪臭がした。思わずラウラは両手で鼻と口を覆った。ザッカは口の端でわずかに笑った。

 どこからともなくうめき声が聞こえる。

「あ、フランチェスコ様」
老いしわがれた声がし、振り向くと、よろよろとした薄汚れた老人がザッカの方に歩いてきていた。
「ハンスか、どうした」
ザッカはその男に声を掛けた。ラウラはフランチェスコというのがここでのザッカの偽名なのだと理解した。

「例のミリアムが昨日亡くなったんでさあ。三日ほど前に隠者のドメニコ様に終油の秘蹟をお願いしたんだが、お忙しくていまだにいらしていただけていないんで。このままでは腐りだしてしまいますわな」
「わかった。行こう」

 それからラウラの方に向いて言った。
「奥方さま。申し訳ないが、ご同行願えませんか。辛いものをお見せする事になるかと思うが、あなたをこのままこの小路でお待たせする事は危険で出来ませぬのでな」
「わかりました」
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Comment

says...
更新お疲れ様でした。
ラウラとザッカのお忍び視察、色気のある話にはならないだろうとは思っていましたが、やはりシビアな内容でしたね。
ラウラの過去とオーバーラップさせながら、城下の人々の現実を描き出す手法はお見事ですね。マックスの方は、地方や辺境の現実が描かれていますが、やはりラウラやマックスと庶民との格差というものは歴然としていますね。
ザッカの工人たちへの配慮は、なるほどという感じです。リアリストですね、この人。
最後に立ち寄った場所、なんとなく想像はできますが、そこで目にするもの、あるいは経験することが、この作品の根幹にかかわる話になるということですね。これは、心して読ませていただかないと。
次話、とても楽しみです。
2014.07.16 09:26 | URL | #V5TnqLKM [edit]
says...
フウム、先が唸っておりました。ザッカの工事に対する考え方、これはリスクアセスメントだよって。
サキにはよく分かりませんが、ザッカの考え方は現代でも使われている物で、もの凄く合理的な考え方なんだそうです。サキはこのザッカという人物にますます興味を持ってしまいました。ラウラに街の様子を見せてどうするつもりなんでしょう?
「こちらへ」と案内した場所でザッカはラウラに何を見せるつもりなんだろう?
この男、恐いです。
2014.07.17 13:52 | URL | #0t8Ai07g [edit]
says...
こんにちは。

返事が遅くなってごめんなさい!
もうヨーロッパ在住者は永久にログインさせてもらえないのかと焦りました〜v-12

ラウラとザッカじゃ、色っぽい話にはならないだろうなあ(笑)

そうなんです。鞭やら毒薬やらは別として、やっぱり引き取られたメリットというのは大きいんですよね。二人ともその辺は自覚していると思います。まあ、だから逃げださないんでしょう。マックスは半分逃げるつもりですが。

ザッカという人間だけは、この世界観のなかで中世的思考の限界から飛び出しているという設定にしています。マックスや、後々出てくるレオポルド二世も、古くさいものを打ち破ろうとする新世代の人間をイメージしていますが、ザッカはそれ以上かも。もと聖職でありながら、実は「本当は全然信じていないだろう」といいたくなる言動をするという設定です。自分の中でも、悪い人といい人のどちらにもわけられないキャラですね。

で、次回の話に繋がります。次回でチャプター1のラウラ編はおしまいです。1/3まで来てもまだ主人公たちが会わないとんでもない小説を、むりやり読ませていますが、今後ともどうぞよろしくお願いします。

コメントありがとうございました。
2014.07.17 15:32 | URL | #9yMhI49k [edit]
says...
こんにちは。

あはは。先さんがおっしゃると、かっこいいなあ。
ザッカって、「生まれてくる時代を間違えちゃった」的人物としてキャラづくりしました。
だから言動が、一人だけ現代にも通じるような感じなんですよ。
宗教観にしても「おい、そんなことをその時代に……」なセリフが次回出てまいります。

ラウラが政治に関わることはないと思いつつも、わざとここに連れてきているのは理由があります。
それがはっきりするのはチャプター2の終わりごろですね。

読んでくださって嬉しいです。

コメントありがとうございました。
2014.07.17 15:42 | URL | #9yMhI49k [edit]

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