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Posted by 八少女 夕

【小説】それでもまだここで

この記事は、カテゴリー表示のためのコピーです。
scriviamo!



「scriviamo! 2014」の第一弾です。ポール・ブリッツさんは、拙作『マンハッタンの日本人』 に想を得た掌編をとても短い時間で完成させてくださいました。ありがとうございます! 

ポール・ブリッツさんの書いてくださった小説『歩く男』

ポール・ブリッツさんは、オリジナル掌編小説をほぼ毎日アップするという驚異的な創作系ブロガーさんです。その創作パワーにはいつも圧倒されています。そして、目の付け所がちょっとシニカルでいつもあっというような小説を書いていらっしゃいます。創作系としてはとても氣になる存在のお方です。

お返しの掌編小説は、「マンハッタンの日本人」の世界を再び。そして、自分で書いておきながら存在すらも忘れていたのにポール・ブリッツさんに掘り起こしてもらったあの人も登場……。



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それでもまだここで — 『続・マンハッタンの日本人』
——Special thanks to Paul Blitz-san


 今年のニューヨークは雪が多い。店の外は灰色に汚れた雪が通行の邪魔をしている。その上を新しい雪が降り、少なくとも新年らしい色に変えている。一月二日。美穂はため息をついた。日本だったらあと二日はこたつでのんびりと出来るのにな。その大衆食堂ダイナーにも多くの客は来なかった。昼時を過ぎて調理師も客も去り、誰もいなくなった店内で美穂は暇を持て余していた。茶色い古びたソファと安っぽいランプがこの店の格を表している。洗濯はしたもののどこか黄ばんだエプロンをしている自分も、同じ格なのだろうなと思った。

 去年のお正月には、少なくともニューヨークの銀行で働くキャリアウーマンであるというのは嘘ではなかった。たとえ仕事の内容が単なる事務でも。五番街のオフィスで摩天楼を眺めながら朝食を食べて優越感に浸っていたものだ。

「人員整理が必要になってね。君は今週いっぱい働いて、それで終わりにしてくれ」
美穂は突然ニューヨークのもう一つの名物、失業者になってしまった。

 生活の問題があると訴えた美穂に上司は冷たく言った。
「子供がいて、どこにも行けない人だって失業しているよ。君は独り者だし、国に帰ればけっこういい暮らしが出来るだろう?」

 それは正論だ。それに日本みたいに、正社員をクビにするのが難しい国でないこともわかっていた。アメリカにいなくてはならない理由は特にない。でも、留学をいい成績で終えて、H-1Bビザ(特殊技能ビザ)を申請してもらって働けることになった時に、自分はアメリカでずっと暮らせるのだと思い込んだ。

 けれど、美穂は移民ではなかった。会社が不要と言えば、その存在意義も吹き飛ぶ短期滞在者だった。日本に帰ればよいのかもしれない。絶対的に無条件で自分を受け入れてくれる国に。でも、帰ったらみんなが訊いてくるだろう。どうして帰ってきたの。向こうでは何をしていたの。自分が築いていたものが砂上の楼閣だったと言われたくなかった。口うるさい母親に、それみたことか、自分の間違いを認めて大人しく結婚相手でも探せと説教されるのがたまらなかった。

 その結果が、このしがないダイナーでのウエイトレスへの転職だった。ビザはH-2A(季節労働者)に変わった。べつにどうでもいいけれど。

 エプロンのポケットには、今年も母が送って来た近況が入っている。一年分大きくなった姪と甥が身につけているのは、ウォルマートで買ったセーター。去年のブルーミングデールズの服とは雲泥の差だ。せめてメイシーズで買えばよかったけれど、送料も考えるとそれは無理だった。彼らは同じように微笑んでいる。安物でも派手な色合いは彼らの氣にいったのだろう。卑屈に思うことなんかないのに。

 ドアが開いて客が入ってきた。安物のジャケットを身につけた黒髪で特徴のない白人だった。
「ハロー」
美穂は反射的に口を開いた。日本語だと「いらっしゃいませ」と言う所だが、この国にはそれに当たる言葉がない。同僚のリサは何も言わないが、美穂はせめて何かを言いたくていつも「ハロー」と言う。

 男は訝しげに美穂を眺めた。
「まさか」

「お食事ですか、それともお茶ですか」
美穂が訊くと、男ははっとして、少し下を向いていたが、やがて顔を上げた。
「スペシャルを。コーラで」
飲み物と料理を格安の値段で提供するメニューだった。このダイナーでは、「残飯整理」と陰で呼んでいるものだ。

 美穂は、男が自分をチラチラと見るのに氣がついた。男には全く見覚えがなかった。いったいなんなのかしら。美穂が温めたポテトガレットと肉の大して入っていないシチューの皿、多少硬くなったパンとコーラを運ぶと、男は小さく「ありがとう」と言った。

 それから、わずかの間を空けてから男は訊いた。
「君、去年の今ごろ、五番街にいなかったかい?」
 
 美穂はびっくりしてステンレスの水差しを抱えたまま立ちすくんだ。
「どうしてご存知なんですか」

「憶えていなくても無理はないけれどね。去年、僕は君を道で追い越したんだ。失業中でね。外国人が国に帰ってくれればこっちに職が回ってくるのにって、思ったのさ。それから、しばらくしてなんとか仕事を見つけたんだけれど、今また元の木阿弥で求職中。去年のことを思い出しながら、労働省に行ったその帰りにここで君にまた会うなんて、いったいどんなめぐり合わせなんだろう」

 美穂は戸惑ったまま、言葉を探した。ええと、これって「なんてすてきな偶然でしょう」ってシチュエーションなのかな、それとも「日本に帰っていなくってごめんなさい」ってことなのかな。少なくとも、今回も私には職があって、この人が失業者なのだとしたら……。

 その想いを見透かしたように、男は頬杖をついて言った。
「訊いてもいい? なぜここで働いてまでアメリカに居続けたい?」

 ダイナーには他には客もいなくて、忙しいのでまた別の機会に、と逃げることも出来ない。美穂は少し考えてから口を開いた。
「帰れないの」
「なぜ? 旅費がないってこと? それとも一度海外に出ると帰れない社会なのかい?」

 美穂は首を振った。確かに大して金銭的余裕はないが、片道運賃くらいはなんとかなる。出戻ったら両親とくに母親にはいろいろ言われるだろうが、結局は受け入れてくれるだろう。仕事だって、現在の時給2.8ドルと較べたら、田舎でももっとましな給料がもらえるだろう。帰れないのではない、帰りたくないのだ。

「ニューヨークで一人で生きているってことだけが、私のプライドを支えているみたい。それがダメだったとわかったら、もう立ち直れなくなりそうなの」
「でも、ウェイトレスの仕事なら東京にでもあるだろう?」
「うん。本当は、銀行の事務の仕事だって、日本でしていたの。でも、ここに来れば、私はもっとすごい人間になれると思っていたの。もっと素敵な人とも出会えるって信じていたし」
「で?」
「私は私だったし、あまり知り合いもいない。恋も上手くいかなかったし、今は生活だけで手一杯でニューヨークを楽しむ余裕なんかないわね」

「僕はニューヨークで生まれ育ったんだ。成功者にはエキサイティングな街だけれど、そんな思いをしてまで居続けたいというのはわからないな。日本は生存が脅かされるような国じゃないだろう? むしろこの成功するのものたれ死にも自由にどうぞって国より、生きやすいんじゃないか?」
「そうね。言う通りかもしれない。戦争のある国から逃げてきたわけじゃない私が、こんなことを言ってしがみついているのは、滑稽かもしれない。でも、そうさせてしまうのがアメリカって国じゃない?」

 男は黙って肩をすくめた。美穂は話題を変えてみることにした。
「どんな仕事を探しているの?」

 男はパンと音を立てて、持っていた求人紙を叩いた。
「なんでもいいよ。最初は証券会社やアナリストなんてのも探したけれど、今はドラックストアの店員でもいいんだ。ホームレスじゃなければ」

 美穂はそっとレジの脇の紙を指差してみた。
「キッチンスタッフ募集。詳細は店主まで」
いつのものだかわからない丸まった油汚れの着いた紙に汚い字で書かれている。男は目を丸くした。
「ここ、入れ替わりが早いの。だから、募集していない時にもこのままなんだって。でも、今は本当に探しているの。給料はロクでもないけれど、最後の手段にはいいかも」

 男はもう一度肩をすくめた。
「考えてみるよ。他に何も見つからなかったらね……」

 コインをかき集めてようやく代金を払うと、男は入ってきた時よりも少しだけ柔らかい表情で美穂に笑いかけた。

 美穂は男が出て行った雪景色の街をしばらく見つめて、それから彼のきれいに食べきった皿と氷だけが残ったコーラのグラスを片付けた。あ、名前も訊かなかった。でも、またいつか会うかもしれないわよね。二度ある事は三度あるって言うし。

 ニューヨークで迎える五度目の正月。美穂は今年がいい一年になるといいなと思った。


(初出:2014年1月 書き下ろし)


追記

驚くべきことに。これを発表したその日の内に、ポール・ブリッツさんがさらに返掌編を書いてくださいました!

ポール・ブリッツさんの書いてくださった返々掌編『食べる男』

すご〜い。しかも、私のイメージしていた方向性とぴったり! こうなったら「scriviamo! 2014」が終わる頃に、さらに続きを書いちゃおうかな〜。

ポールさん、本当にありがとうございました!
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