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scribo ergo sum もの書き・八少女 夕のブログ Since March 2012


Posted by 八少女 夕

描写の話

小説を読む時に思うことがあります。「こりゃ私には書けないわ」って。この手の感想は、自分が書く人以外は持たないと思います。書いちゃう人は、読者として楽しんでいるその裏のどこかで、いつも自分が書くときのことを意識しているように思います。

で、大抵の方が書くものは「私には書けない」なのですが、それを感じるのは主題部分ではなくて、描写のことが多いのですね。あ、主題でも書けないものもありますよ。でも、今回は描写の話。

小説を書く時に、描写なしで済ますのはほとんど不可能に近いことだと思います。だからそれぞれが詳しいジャンルを舞台に話を語るわけですよね。

私の場合、日本だと関西を舞台にすることはほとんどありません。例えば関西圏のブログのお友だちが「近鉄が」「阪神が」「阪急が」と、電鉄会社の話題をしていらっしゃるとき、私の頭の中は「?」が渦巻いています。でも、たとえば品川から横浜に行く時に、「山手線で渋谷に出て東急線に乗り換えるよりも、京急でいくよね」というセリフは、何かを見なくてもサラッと出てきます。つまり、自分が知っていることは書きやすいのですが、知らない世界のことは調べてもまだ不安が残るのですよね。どんな嘘くさいことを書いてしまうか予想がつかないので、知らない世界のことは極力描写したくなくなるのです。

「大道芸人たち Artistas callejeros」をはじめとして、私の小説では、いくつかの例外をのぞいて、実際に行った事のある街をモデルにすることが多いです。頭の中で「あそこからああ降りてくると、あそこに出るんだよね」とイメージできた方が描写しやすいからです。また、食べたことのある料理、聴いたことのある音楽、着たことのある衣類などを八割方持ってきているようにします。その間に、「じつは全然知らないんだけど」というネットで調べただけのことや、伝聞の話を混ぜるのです。

「樋水龍神縁起」を書いた時に、神職のことはまるで知らなかったため調べまくったので、かなり嘘っぱちを書いている可能性があります。その一方で、全く調べずに書いたのが和服の話。とある有名百貨店で呉服の販売に関わっていた時に仕入れた知識がそのまま使えたからです。

一方で、どうやっても行けない場所を書く時は、どんなことが頭の中で展開しているのかというと、たとえば「樋水龍神縁起」の平安時代に関するような話は、やはり時代劇やかつて読んだマンガの影響が強いと思います。「森の詩 Cantum Silvae - 貴婦人の十字架」の中世ヨーロッパの話は、本やドキュメンタリー番組、それにヨーロッパでよく開催される「中世祭り」(コスプレ祭りみたいなもの)、残っている城などをイメージして書きます。

ただ、上記のように「私は見たことはないけれど、見たことのあるヤツなんかどうせ一人もいないじゃん」な話は、さほど神経質にはなっていません。

氣になるのは、やはり最初の例のように、わかっていないのに「関西を舞台にして、さらに電車の乗り換えをトリックに使ったミステリーを書く」みたいなことでしょうか。本人は「やった! すごいトリック」と思っていても、関西在住の方には一瞬で「これ、不可能」と断言されちゃうかもしれないでしょう? そういう失敗が怖くて書くつもりになれないのです。

あ、ミステリーを書かないのは題材だけの話ではなく、そもそも私の思考回路がミステリー脳ではないからだけなんですが。

その他に全然書けないのは、男らしさ全開のハードボイルドとか、最新医学の先端を題材にした小説とか、知識が全く足りていないもの。たとえばリボルバーと言われても、どんな形をしているのか頭に浮かばないんですよ。STAP細胞とES細胞は違うと言われても、どう違うのかわからない。時事ですらこれなんですから、話題にもなっていないごく普通の医療用語はお手上げです。

まあ、そういうわけで、私の書く小説の舞台は、かなり似たり寄ったりな場所に限定されていると思います。使うモチーフもそうですよね。食べ物や飲み物の話が多いのは、ええと、私が食いしん坊だから、かもしれません。(かもしれません、じゃないだろう……)
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Comment

says...
そうですよね。私などは、地理関係の描写じゃなくても「私には書けないわ」ってものにしばしばぶつかります。
地理関係ならば、単に「知ってる」かどうかの違いだなって思うけれど(いや、そこは重要でもあるのだけれど……だからロケハン、ですね)、素晴らしい描写で力負けしているなぁ~って時は、もう、う~ん、私が書く物語の描写はどうしてこうイマイチなのかって、落ち込むことばかり。
いや、これで落ち込まないくらいに描写に長けているのなら、今頃物書きで身を立てているな、こうして自分の限界を知るからこそ身の丈に合った方法や書き方でやっているんだよな、とか妙に納得したりするのです。

ちなみに、私の書いているものなど、よく知りもしないことを知ったかぶりで書いていて、「そりゃないよ」ってその道の通、もしくはその現場にいる人には思われているんだろうな~(考えると冷や汗もの)。
逆に、私の仕事に関連した職業の小説やドラマもそれなりによく見かけるのですけれど「いやそれはないよ」ってことはものすごくあります。かなり有名になっているものでもあるので、いちいちツッコミを入れているのですけれど、それは逆にうちの職場の連中にしたら「突っ込むのが面白い」って程度で、あんまり気にもしていない。ただ、ドラマとかでは、視聴者がそれを現実だと思ってしまうことには異議を申し立てたいです(お話だからね、あくまでも、って思って見ていてくれたらいいのですけれど)。
致命的なものはともかく(列車の時間のトリックなどはもう致命傷ですよね。あれって時刻表を見るだけではなく、現地に行かないと分からないことってありますよ。たとえば、東京から青森に新幹線に乗っても、牛丼弁当は買えない、とか)、物語・人間ドラマとして面白いかどうかで「それはないよ」の部分を帳消しにできるかどうかですよね。ただ。致命的なものが何かってのは、ジャンルによっても、読む人にとっても、違うんだろうなぁ。
まぁ、こんなことが全てクリアできているのなら、職業作家になれていますよね。うん。だからいいことにしてほしい……と心から思うのであった……(ごめんなさい、ヴァチ〇ンの人たち、CiAの人たち……とか日々手を合わせています……祟りませんように)。
2015.02.22 05:54 | URL | #nLQskDKw [edit]
says...
ウムム・・・実にタイムリーな話題ですね。
サキがPの街を書くときの心境そのままです。でもこれは左紀の作品群の中では唯一の例外です。どうしても書きたかったので、こういう設定をやむなく使っているだけで普段はやらないことです。なるべく確信には触れないようにしていますが、まったく触れないでは物語は展開できません。だからこの物語がもしご存じの方の目に触れる事があったらと思うと、気が気ではありません。ではサキが書くときは普通どうするかというと、そうです、仮想世界を使うのです。
でもたとえそういう逃げ道を使っても、まだ心配の種はあります。サキ自身の知識や経験の不足です。一生懸命調べたり勉強もしますが、所詮は付け焼き刃です。こっちについてもご存じの方の目に触れる事があったらと思うと、気が気ではありません。
でも、僕はアマチュアーです。それで飯を食っている人と同じようには行かなくて当然と考えます。関係者や専門家に取材を出来るほどの人脈はありませんし、一日中それにかかり切りでは生きていけませんもの。
自分で読み込んで矛盾を感じないように書き込んでいくのが精一杯です。でも少なくとも自分の頭の中だけででも纏まりがつくように、思考を尽くして書いていこうと思っています。ここは開き直らなくてはまったく書けないという事態に陥りますから。
でも恥ずかしいなぁと思いながらも、やっぱり書きたい気持ちは抑えられません。
はい・・・。
サキはもともと文章書きでは無かったのですけれど。
2015.02.22 08:17 | URL | #0t8Ai07g [edit]
says...
知識は、記述できますが。
描写できるのは、知識ではなく、
イメージなのだと思います。
なんとなく。
2015.02.22 09:24 | URL | #em2m5CsA [edit]
says...
こんにちは。

彩洋さんが落ち込むんだったら、私はどうすればいいんですか。
同じ知識があって、その上で描写が変わってくるのは、これはもはやその作者の力量の差ひと言で済んじゃうんですよね。
その話をしてしまうと、私なんかは「うるさい、そもそも書くな」と卵やトマトを投げられておしまいという氣も。だから棚に上げているんです(笑)

もっとも知識の話は「これは正しい」「間違っている」もしくは「間違いとは言いきれない」と判断ができるもので、そこには力量の差は入り込まない、いまの私は、その辺にこだわってしまっているように思います。

おっしゃるように、「プロじゃないから、いいよね」は、私も常に持っている最後の砦みたいな思いで、それに加えて「Pの街」みたいな姑息な逃げ道も用意していたりして。

私の職業は、たとえばドラマなどに出てきても、ボロが出にくいと思います。基本的に画面に向かってアルファベットを打ち込んでいるだけなので。反対にプロの小説で、氣になるのはやっぱりヨーロッパの描写かなあ。「あ〜、住んでいる人は、こんな超観光名所では待ち合わせないけれどなあ」などと思いますが、まあ、「これには○○市観光局とのタイアップってモノもあって……」と嫌みな意見を飲み込んだりして。

同じ嘘っぱちでも、「天下の副将軍が全国を徒歩でまわって毎週悪人を土下座させていた」なんてトンデモストーリーは騙されない人が多いと思いますが、さりげない職業上の「ありえない」描写などは信じてしまう方も多いでしょうね。

何が致命的かは、彩洋さんがおっしゃっていることの他に、どんなジャンルの作品によるのかというのもあると思うんですよね。本格列車ミステリーと打ち上げてしまったら、トリックそのものが不可能だと致命的でしょうが、同じ列車の時間に関する描写があっても、ただの恋愛ものだったら「スルーしとけばいいや」ですしね。

「森の詩 Cantum Silvae - 貴婦人の十字架」も、そういう意味では「学術論文じゃないし」さらにいうと「無料のブログ小説だし……」で逃げ切ることに(結局それか……)

コメントありがとうございました。
2015.02.22 15:03 | URL | #9yMhI49k [edit]
says...
こんばんは。

でも、不思議なんですが、サキさんがPの街を書かれるときって、本当に「いつ行ったんだろう」とびっくりするような記述が多いんですよ。ストリートビューという便利なものもある世の中ですが、それにしても全てがそれでバーチャル体験できるわけではないので「どうやって?」と驚いているのです。

それに、確かに場所などは「行けば確認できる」ことなんですが、全世界の全ての職業を体験することはできませんよね。やろうと思えばできることもあるかもしれませんが、例えば男性が出産を体験できないように、絶対にできないこともあります。詳しく知っている人の話を聴けることもあれば、それも不可能なこともありますし。

私の知り合いに、第二次世界大戦が勃発した時にちょうど軍隊にいたという方がいらっしゃるのですが、そういう方の話を聴ける機会というのも、とても貴重です。だから、私は、自分の知らない世界のことも書きますが、できるだけそうやって他の人が得られなかった機会のことをうまく題材にして書きたいなと思うのです。

まあ、でも、「知らないことを書いちゃいけない」なんてことはないんですよね。
ネットで、ある種のスペシャリストの方がたくさんの知識を披露していらっしゃるのを時おり見かけます。
この知識を使ったらどんなに面白いストーリーができるかと思うのですが、その方は小説には全く興味がなかった場合は、それだけです。
書きたいことを書いていく、その中で、「大嘘だけは書かない方がいい」というようなスタンスでいいのかなあと勝手に考えています。

でも、文章書きはまだ楽かなあとときどき思います。イラストやマンガ、アニメだと、「わからないから描かないで誤摩化す」って方法は取れませんものね。

コメントありがとうございました。
2015.02.22 15:19 | URL | #9yMhI49k [edit]
says...
こんにちは。

なるほど。知識の上に、イメージあってこその描写ですよね。
知識は「間違っているか、間違っていないか」の判断ですが、その描写が作品に生きるかどうかは、イメージできてこそですよね。

コメントありがとうございました。
2015.02.22 15:22 | URL | #9yMhI49k [edit]
says...
そうなんですよね、本当に知識って、あればあるほどきっと物語を深く広く、ひろげてくれるはずです。

でも、専門知識が豊富だから小説的に優れた描写が出来るかというと、必ずしもそうでは無いような気がします。逆にその知識が邪魔をして、ストーリーに蛇足な描写ばかりを刻んでしまい、読む人に「いやもう、そこは端折っていいから」と思わせかねない怖さもありますよね。
物語に過不足ないくらいの描写。それはもしかしたら、「その物語を書くために収集した知識」くらいが適当なのかもしれない、と、最近思うようになりました。

プロの作家ならば担当編集者や監修さんが付いてくれて、酷いずれを修正してくれますが、アマチュアはとんでもないうっかりミスをしてしまいかねません。私も、後で気づいて「げっ」と思う事多数で^^;
それでも、物語をうまく運べていれば、それは後でいくらでも修正できるし、大丈夫かも・・・って、最近思います。

恥はやっぱり、かいちゃいますけど、しかたないですよね。
それよりも、小説を書きはじめて一番収穫だと思ったのは、小説を書くために、いろんな知識を取り入れたいと、目を配るようになったこと。今まで興味のなかったことにも、なにか使えるかも!って、食いついてしまうんですよね。
執筆上残念な失敗もあるけど、得るものもきっとたくさんあるんだろうな、とおもうこの頃です。
2015.02.23 00:03 | URL | #GCA3nAmE [edit]
says...
私は行ったことがあるところでも全般に風景の描写は苦手…
あんまり関心がないからかもしれません
美味しそうな食べ物の表現とかできればいいのだけど

鉄道トリックは「ダイヤグラムを眺めるのが趣味」
ぐらいじゃないと厳しいんじゃないでしょうか?
2015.02.23 09:38 | URL | #- [edit]
says...
こんばんは。

そうなんですよね。知っていることを「こんなに知っているんだよ」と書いてしまうのは、うるさくなるだけなんですよね。

特に、多くの人の知らないことを、詳細に渡って書いても誰もついて来れなくて、かえって主題への興味をそいでしまう、そんなふうに私も感じます。

その一方で、みんなが知っているのに、私だけ知らないことを怪しいままに書くのは恥ずかしいし、怖い、そう思います。ブログだと、指摘してくださる方もいるのでこっそり直せたりしますけれど(笑)

そう、アマだし間違ったら修正できると思うので、あまりたぶん、修正できないほどの重要な場所で、怪しいことを使わないのがベストなのかな〜なんて思ったり。

そして、本当におっしゃる通り、小説のおかげでかなりいろいろなことについて調べ、注意深く観察し、耳を傾けるようになりました。それが一番の収穫なのかもしれませんね。

コメントありがとうございました。
2015.02.23 20:42 | URL | #9yMhI49k [edit]
says...
こんばんは。

私は、ごはんは好きだけれど、美味しそうに描写出来ているかというと疑問(orz)
風景もねぇ。

鉄道トリックどころか、ミステリーそのものが苦手です。
あ、読むのは好きですけれど。
基本的にトリックを考えつくような、複雑な構造の脳みそがないみたいです。

コメントありがとうございました。
2015.02.23 20:50 | URL | #9yMhI49k [edit]

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