scribo ergo sum もの書き・八少女 夕のブログ Since March 2012


Posted by 八少女 夕

【小説】そよ風が吹く春の日に

この記事はカテゴリー表示のためのコピーです
scriviamo!


「scriviamo! 2015」の第九弾です。TOM-Fさんは、「マンハッタンの日本人」を新たに大きく展開させた作品を書いてくださいました。ありがとうございます。

TOM-Fさんの書いてくださった『この星空の向こうに』第2話サザンクロス・ジュエルボックス -Featuring『マンハッタンの日本人』
TOM-Fさんの関連する小説: 
「天文部」シリーズ
『この星空の向こうに』-Featuring『マンハッタンの日本人』


TOM-Fさんは、時代物から、ファンタジー入りアクション小説まで広い守備範囲を自在に書きこなす小説ブロガーさんです。どの題材を使われる時も、その道のプロなのではないかと思うほどの愛を感じる詳細な書き込みがなされているのが特徴。その詳細の上に、面白いストーリーがのっかているので、ぐいぐい引き込まれてしまいます。お付き合いも長く、それに、私にとっては一番コラボ歴の長い、どんな無茶なコラボでもこなしてくださるブログのお友だちです。

今年は、去年に続き『天文部』シリーズと『マンハッタンの日本人』を絡めて参加してくださいました。それも、ものすごい変化球で……。

もう前回で最終回かと危ぶまれていた『マンハッタンの日本人』シリーズですが、終わりませんでした(笑)しかも、なんかいいなあ、美穂。私も予想もしていなかった展開なんですけれど。今年はいったいどうしたんだろう。

今年も同時発表になっていますが、時系列の関係で、TOM-Fさんの方からお読みいただくことをお薦めします。


【参考】
読まなくても話は通じるはずですが、まとめ読み出来るようにしてあります。
「マンハッタンの日本人」あらすじと登場人物
「マンハッタンの日本人」シリーズ

「scriviamo! 2015」について
「scriviamo! 2015」の作品を全部読む
「scriviamo! 2014」の作品を全部読む
「scriviamo! 2013」の作品を全部読む



「マンハッタンの日本人」シリーズ 10
そよ風が吹く春の日に
——Special thanks to TOM-F-san


 桜かあ。春になっちゃったねぇ。キャシーはダイナー《Cherry & Cherry》のカウンターに肘をついて、ぼんやりと考えた。毎年、セントラル・パークに桜が咲く頃になると、人びとの頭の中からウィンタースポーツのことは消える。キャシーの頭の中からは消えないけれど、実際に滑ることは不可能になるので、陸の上でできるトレーニングを黙々とこなすようになる。次の冬のステップアップに向けての大切な時期ではあるけれど、滑ることそのものが好きなキャシーには残念な季節だ。

 それで仕事でのやる氣も若干そがれる季節なのだが、今年は同居人がプライヴェート上の悩みを振り払おうと、やけに頑張って働くのでダラダラするのに罪悪感が伴い、キャシーにしては真面目に仕事に励んでいた。美穂は早く出勤して、モーニング・セットのためにブラウン・ポテトを作っている。後から出勤してもいいのだが、それを作りながら、もともとその仕事をするきっかけになった男のことを思いだして、彼女がまためそめそしているんじゃないかと思うと、どうも二度寝を楽しむ氣になれない。それでキャシーは美穂と一緒に出勤して、掃除やその他の開店準備をすることになった。

 そうやって早くから用意していると、時間に余裕ができるのか、今まで見えていなかった粗が目につくようになる。ずっと動かしたことのない棚の中の食器の位置を変えて、出し入れがスムーズになった。そうすると配膳が楽になり、ナフキン入れやケチャップ・マスタード立ての曇りに目がいった。いつの間にか客たちの文句が減り、会話が増えたように思う。美穂が《Star’s Diner》ではじめた「オシボリ」とかいう、小さいタオルを手ふきとして出すサービスも、最初は仕事が増えるだけとしか思わなかったが、反対に客がテーブルや床を汚すことが圧倒的に減り、毎日ふきんやミニタオルを洗濯する手間はほとんど変わらないのに仕事が楽になっていくように思う。

 その変化は《Cherry & Cherry》の常連たちにも好評だった。緩やかに変化を見てきた人たちはそうでもなかったが、しばらく足が遠のいていて久しぶりにやってきた客たちは一様に驚いて何があったのかと訊きたがった。美穂は通常はキッチンにいて人びとと接する機会はあまりなかったのだが、説明を面倒に思うキャシーはその度に、キッチンから美穂を引きずり出して「この子が、変えてくれたの」と説明しては済ませていた。

 入口のドアが開いて、今日最初の客が入ってきた。あらぁ、久しぶりだこと。ジョセフ・クロンカイト。キャシーがフルネームを知っている数少ない客だ。と言っても、自己紹介をされて知っているわけではなく、CNNの解説委員としてテレビに出ている有名ジャーナリストだからなのだけれど。
「おはよう、ミスター・クロンカイト」
キャシーがいうと、その男は、驚いたような顔をしてから、言った。
「君か、キャシー」

「あ、今、がっかりしたでしょう」
「い、いや、していないとも。おはよう。ところで怪我をしたんだって。大丈夫か?」
「ありがとうございます。つまり、昨日の、財布を落としたお客さんってあなただったんですね、ミスター・クロンカイト。とてもおいしい食事をご馳走になったってミホが言っていたけれど」

 美穂はどうやらこの男が何者なのかわかっていないらしい。それもそうだ。ひと口にジャーナリストと言われても、コミュニティ紙編集部から従軍記者までさまざまだ。ジョセフ・クロンカイトは有名人と言っても俳優ではないので、ニュースを観ない人間にまでは知られていない。それに美穂は外国人だ。前に住んでいたアパートメントにはテレビはなかったし、キャシーと暮らしはじめてからも二人でCNNのニュースを観ることなどほとんどない。知らなくても不思議はない。

「君は、いいジャーナリストになれるね。もう何もかも聞き出したのか?」
「ふふん。日本人から何もかも聞き出せるほどの腕があったら、こんな所で働いていると思います? ところで、珍しいですね。二日続けてくることなんてなかったじゃないですか。ここの所全然来なかったし」

「取材でアメリカにはいなかったんだ。来ない間に、ずいぶんとこの店が変わっていたんで驚いたよ。これならもっと足繁く通ってもいいね。モーニングセットを頼むよ。ところで、今日はミホは……」
カウンターに腰掛けたジョセフが全て言い終わる前に、キャシーは「ふ~ん」という顔をした。目の前に素早く、カトラリーと「オシボリ」を置くと、キッチンに向かいながらウィンクした。

「残念ながら、ミホはオーナーに呼び出されて《Star's Diner》へ向かっているんです。一時間は帰って来ませんよ。今日は私だけで我慢して、また明日にでも来るんですね」
ソイミルクを通常よりも多く入れたコーヒーと、ブラウン・ポテトの少なめのモーニングセットを彼の前に置いた。

「悪いが、昨日以来、ブラウン・ポテトはたっぷり入れてもらうことにしたんだ」
「なるほど。わかります」

 ジョセフはことさら無表情を装っていたが、キャシーはその様子をみて心の中で笑った。ブラウン・ポテトって、こんなに効能のある食べ物だって、この歳まで知らなかったな。この人までがミホに興味を持つとはねぇ。これはひょっとすると……。

「あ!」
その声に我に返ると、ジョセフはスラックスのポケットに手をやっていた。
「どうしたんですか。まさか昨日の今日で、また財布をなくしたとか?」
「そのまさかだよ。家に忘れたのかな? なんて失態だ。すまない、後で支払いにくる」

 キャシーはため息をついた。この人の硬派で完璧主義のイメージ、見事に崩れちゃったわ。しょうがないなあ。
「後でって、遅くなるんでしょう。私たち、五時までの勤務だし、それ以後だと困るんですけれど」
どうしようかと考えはじめているジョセフが何かを言い出す前にキャシーは続けた。
「ミホに《Star's Diner》からの帰りに集金に行かせます。わざわざ出向くんですから、コーヒーくらいはおごってやってくださいね」

 ジョセフは言葉を見つけられずに、眼鏡を掛け直していた。キャシーは続けた。
「ただし。あの子はあなたの周りにいくらでもいるような、要領がよくて恋愛ゲームにも慣れている華やかな女性とは違いますから」

 他の客たちが次々と入ってきたので、キャシーは忙しくなり、ジョセフも彼女に対して美穂をナンパしようとしているわけではないという趣旨のことを言い出しかねた。

* * *


 美穂はタイムワーナーセンターの入口で守衛に話しかけるために勇氣をかき集めた。昨日はここに辿りつく前に、あの人が見つけてくれたんだけれどな。
「CNNのジョセフ・クロンカイトさんを呼んでいただきたいんですが」
守衛はせせら笑った。
「君、彼のファンか? 受付で呼べば本物のジョセフ・クロンカイトがのこのこ出てくるとでも?」
「え……」

 美穂は、ジョセフが有名人らしいとようやく氣がついた。モーニングセットの代金をもらいにきたなんて言ったらますます狂信的ファンの嘘だと思われるだろう。携帯電話の番号はあるから、連絡をして下まで降りてきてもらうことはできる。でも、仕事中で忙しいのかもしれないし、これっぽっちのお金のことで、本氣でここまで押し掛けたと呆れられるのが関の山だろう。自分のポケットから払って、終わりにした方がずっと早い。
「わかりました。帰ります」

 美穂は踵を返して、エスカレーターを降りた。この新しい大きなビルには、五番街の銀行に勤めていた頃に何度か来た。セントラル・パークに近い新しい話題のスポット。ニューヨークの今を生きる自分にふさわしいと来るのが楽しみでしかたなかった。仕事を失って以来、その晴れ晴れしさがつらくて避けていた。

 昨日、ジョセフに連れられて、久しぶりにこの建物の中に入って、別の惑星にいるように感じた。マンハッタンにいるのはずっと同じなのに、摩天楼にはずっと足を踏み入れていなかった。アパートと、職場と、地下鉄と、スーパーマーケットと、いつもの場所を往復するだけの生活に慣れてしまっていた。

 《Star's Diner》や《Cherry & Cherry》の仲間たち、常連たち、オーナー、キャシー、そして……。いなくなってしまった人の面影がよぎる。美穂の世界は、とても小さい所で完結していた。《Cherry & Cherry》から歩いて30分もかからない所にあるこの建物はその世界の外にあった。そして、もう二度と関わることのない、関係のない場所になっていた。

 昨夜のジョセフの言葉が甦る。
「……そうやってこの街の底辺をさ迷いながらも、少しずつ自分の居心地のいい場所を見つけられたからね。もっとそういう場所を増やしたくて、前だけを見て、上だけを向いて、無我夢中で頑張ってきた。気がついたら、ニューヨークに好きな場所がたくさんできていたんだ」

 美穂の好きな場所は減っていくばかりだ。上を見て、上を目指して頑張ったこともない。ジョセフも、ポールも、人生を大きく変えるために、必死で頑張っていた。ジョセフは戦火を逃れてこの国に逃げてきたと言っていた。地獄から歯を食いしばって這い上がってきたのだろう。穏やかで冷静な言動の底に、壮絶な時間の積み重ねがあるのだ。

 美穂は、そんな苦労はしたことがない。地元でも知られていない何でもない学校を卒業し、なんとなくアメリカに憧れて留学し、そこそこ頑張って得た銀行の事務職で天下を取ったようなつもりになり、失業や失恋したぐらいで世界に否定されたと嘆いていた。《Star's Diner》や《Cherry & Cherry》、それにキャシーと暮らすアパートメントは居心地が悪いわけではないけれど、ずっとここにいるべき場所、もしくはどこにも行きたくない大切な場所とは思っていない。むしろ、いつまでも甘えて迷惑をかけているのではないかと時々不安になる。不安定。それが今の自分に一番ぴったりくる言葉なのかもしれない。

 だからこそ、大きいものは何もつかめないのだろう。この街の中に好きでたまらない場所が増えていかない。居場所がいつまでも見つからない。

 昨夜ジョセフは、食事をしながらたくさんの興味深い話をしてくれた。世界を見つめている視点が違う。視野が広い。時間が経つのを忘れた。風が冷たかったエンパイア・ステート・ビルディングの展望台では、上着を脱いで美穂に掛けてくれた。彼女の日常にはほど遠い夢のような時間だった。職場の客と店員という立場を超えて、もっと親しくなれたらいいと思った。友人などという大それた立場ではなくて、尊敬する人として時々話すことができたら世界が違って見えるだろうと思ったのだ。だが、その想いは、彼がこの街で成功した有名人だとわかった途端にしぼんでしまった。

 ショッピングモールの入口では、音楽が流れていた。あ、またセリーヌ・ディオンだ……。『All By Myself』か。マイクに振られてしばらくは、この曲を耳にすると泣いていたっけ。「もう一人ではいたくない」と。

All by myself
Don't wanna be
All by myself
Anymore



 今の美穂は、この曲を聴いて泣きたくなることはない。特別な誰かにめぐりあいたいとも思っていない。もうめぐりあって、それで手を離してしまったのか、それともそれすらも幻想だったのか、わからなくなっている。

 わからない。一人ではいたくないのかな。それとも、このまま、波風が立たないでいられる一人の方がいいのかな。わからないのは、それだけじゃない。ただ生きていくだけの人生って問題があるのかな。成功を、上を目指せない私は、この国、この街には向かないのかな。

 とぼとぼと歩いていると、携帯電話が鳴った。誰だっけ、このナンバー。受けた途端、わかった。
「いま、どこにいるんだ?」
ハキハキとした声は、昨日と同じ。ジョセフ・クロンカイトは少し怒っているようだった。

「あ、その……」
「もしかしてと思って、守衛に電話してみたら、帰ったと言われたんだが。電話番号がわからなくなった?」
「え、いいえ、その……」

 面倒になったので自分で払って終わりにしようと思ったとは、言えない。そういう解決策は、この国では全く理解してもらえないことだけはよくわかっていた。ましてや、こういう理路整然としたタイプに言えば、確実に厄介な会話が後に続く。これはアメリカで美穂が覚えた有用な知識の一つだった。

「どこにいる?」
もう一度訊かれて、美穂は、ようやく自分が立っている位置を口にした。「そこを動かないように」と釘を刺された。人びとが忙しく行き交う明るいエントランスに美穂は立ち尽くした。

 世界は、ままならない。一人でいたくないと思うと一人にされるし、迷惑がかからないようにしようと思うと連絡をしなかったと怒られる。わかるのは一つだ。美穂は世界を動かしていない。世界が彼女を動かしているのだ。
 
 エスカレーターからジョセフが降りてくるのが見えた。周りの女性たちが彼に氣づいてチラチラと見ながらお互いに囁いているのがわかった。隙のない品のいいグレーのスーツ、セルリアンブルーと紺の中間のようなシルクのネクタイ、きつちりと撫で付けられた金髪。時に冷徹に見える縁なしの眼鏡。言われてみれば、有名人と言われても納得するオーラを漂わせている。そんな近付き難い人だが、昨夜見せてくれたような細やかな優しさもある。

「待たせたね。早めのランチをする時間はあるか」
美穂は大きく頭を横に振った。もうじき11時になる。
「できるだけ早く店に戻らないと。ランチタイムはとても忙しいんです。今、キャシー一人ですし」
「そうか。じゃあ、夕方に改めてお礼をさせてもらおう」
「そんな。いいです。昨夜も十分過ぎるほどでしたし、お忙しいのはわかっていますから……」

 ジョセフは有無を言わさぬ口調で美穂の固辞をさえぎった。
「そうはいかない。君に訊きたい日本語の単語もあるしね。キャシーは君たちは五時で上がりだと言っていたな。五時十五分に迎えにいくのでいいかな」

 何かがおかしい。美穂は思った。たかだかこれっぽっちの集金のことで、大袈裟だ。でも、抵抗しても無駄みたい。そういえば昨日、知り合いに日本人の女の子がいるって言っていたわよね。その女の子と恋愛でもしていて、相談したいことでもあるのかしら。

 雲の上の人と二度も食事に行けるのが、その女性のおかげなら感謝しなくちゃね。美穂はほんの少しだけ浮き浮きした足取りで、キャシーの待つ《Cherry & Cherry》へと戻っていった。桜の花びらの舞うそよ風に、マンハッタンの季節も動いていくようだった。

(初出:2015年2月 書き下ろし)

追記


TOM-Fさんの小説の方では、『When I fall in love』がずいぶんロマンティックに使われていましたので、こちらもお揃いでセリーヌ・ディオンの曲を使ってみました。

Céline Dion - All By Myself
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Tag : 小説 読み切り小説

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