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scribo ergo sum もの書き・八少女 夕のブログ Since March 2012

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Posted by 八少女 夕

ライン河を遡る

実は、今日から遅い夏休みです。二週間の有給休暇ですね。普段だと、もう旅立っているのですが、今回は明日から。というわけで、いつもの旅行用テンプレートに変わったら「行っちまった」という事だとご承知置きくださいませ。



昨日、会社で休暇前の最後の仕事を慌ただしく片付けていたら、このロベルト・シューマンの交響曲第3番変ホ長調作品97「ライン」(Symphonie Nr. 3 Es-Dur Op. 97 "Rheinische" )がラジオから流れてきました。おおお、なんとタイムリーな。

実は、今回はライン河を遡ってコブレンツの方まで行きたいねと話しているのです。もっとも、天候次第なので途中で引き返してくる可能性もありますけれど。

ご存知の方も多いですが、私の住む村にもライン河が流れています。正確にいうとヒンターライン(後ライン)です。ライン河はたくさんの支流を集めていきますが、源流と言われるところが二つあって、一つがビュンデナーオーバーランドのトーマ湖とされていて、こちらをフォルダーライン(前ライン)といいます。もう一つがサン・ベルナルディーノ峠の側ヒンターラインで、ここから流れてくる河が我が家の近くを通り、ライヘナウでフォルダーラインと合流した後、ボーデン湖、バーゼル経由でフランスとドイツの国境を流れて、最後はオランダまで行って北海へと注ぐわけです。

普段見ているのは、対して大きな河ではないのですが、ドイツに行く頃には「大河」というにふさわしくなっているはずです。

この河沿いに旅行をしたのは2005年でしたから、今からちょうど十年前だったのですね。去年連載していた「森の詩 Cantum Silvae - 貴婦人の十字架」で、主人公が旅をするシーンの一部は、この旅の思い出から組立てたのです。ですから、今回の旅は、「森の詩 Cantum Silvae - 貴婦人の十字架」を追想する旅でもあります。

そして、もう一つの目的が、アルザス地方に行くこと。私の曾々祖母はストラスブールの出身なのです。私のドイツ(当時はストラスブルグはドイツだったのです)の親戚は、第二次世界大戦後に、GHQからドイツとの交流が禁止されていた間にフランスから出て行ってしまい、もう連絡がつかなくなってしまっているのですが、せめて彼女に繋がる何かを探し出せないかなと願っているのです。

というわけで、中世妄想と、19世紀のアルザスと、それから、秋のライン河畔と、三つ巴で楽しんでこようと思います。
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Posted by 八少女 夕

ロマンシュ語について

前回の記事で、コメントをいただき読んでいるうちに、ロマンシュ語の事(それ以前にスイスの言語事情)がみなさんにはものすごくわかりにくかったらしいということに氣がつきました。

住んでいる私はもちろん、スイスの事が好きです何度も来ている方(私がお逢いするのはそんな方ばかり)には当然の事が、それ以外の方には著しく「?」なのですよね。

というわけで今日は、もう少しわかりやすくご説明する事にします。


まず、グラウビュンデン州について。下の地図で黄色く塗ってある位置にあります。あ、全体はスイスの地図です。スイスがどこにあるかなどの説明は、いいですよね(笑)

グラウビュンデン州

グラウビュンデン州はスイスの南東の端にあります。国境を接しているのは、オーストリア、リヒテンシュタイン、そしてイタリアです。

そして、下の地図はWikipediaから引っ張ってきました。
2000年時点のスイスの言語分布地図です。緑色がフランス語圏、オレンジがドイツ語圏、江戸紫がイタリア語圏、京紫がロマンシュ語圏です。ドイツ語とロマンシュ語が入り交じっている場所もあります。

四つの言語がスイスの公用語ですが、その四つを全ての地域で話しているのではなく、州ごとに決まった公用語があります。例えばチューリヒはドイツ語、ジュネーヴはフランス語、ティツィーノはイタリア語という具合に一つの事が多く、例外的に二つの言葉を公用語にしている州もあります。そして、グラウビュンデン州だけは例外中の例外。地図を見ていただくとわかるように、ドイツ語、イタリア語、そしてロマンシュ語を話す地域が含まれているので、公用語が三つあるのです。ロマンシュ語はスイスではこの州だけで話される言葉です。

Map Languages CH
By Marco Zanoli (sidonius 13:20, 18 June 2006 (UTC)) (Swiss Federal Statistical Office; census of 2000) [CC BY-SA 3.0 (http://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0)], via Wikimedia Commons

ロマンシュ語(もしくはレトロロマンシュ語)というのは、ラテン語から派生した言葉です。紀元一世紀ぐらいにこの辺りはローマの属州となり、ローマ帝国の版図すべての地域では公用語ラテン語を話すようになりました。でも、その後にゲルマン人がやってきて、現在のドイツ、オーストリア、スイスの一部はゲルマン化されたのです。そして、残りの部分の平地は、それぞれの支配した人びとの言語が優勢となり、イタリア語圏やフランス語圏ができたのです。でも、山の中で支配の及ばなかったところはラテン語が変化して独自の言語ロマンシュ語になったのです。ちなみに同じようにラテン語から独自の言語になった言葉(フランス語、イタリア語、スペイン語、ポルトガル語、ルーマニア語など)のことをロマンス諸語と総称します。

ロマンシュ語はスイス人口の0.5%ぐらいが話します。イタリア語に似ていると言えば似ていますが、まあ、イタリア語とスペイン語くらいの「似ている」かな。ドイツ語圏の人には全くわからない言葉ですが、イタリア語ができれば「なんとなくこんなこと言っているかな」と推測はできる感じですね。 もっとも、ドイツ語圏に支配されていて、長い間公文書などに使う公用語としてはドイツ語が使われてきたこともあり、かなりの語彙がドイツ語から流用されている事にも特徴があります。

イメージとしては、和語としての日本語にない新しい単語は外来語がそのまま取り入れられていますよね、あの感じです。例えば「テレビ」「パンナ・コッタ」みたいに。ああいう感じで、ラテン系の言語の中に突然ドイツ語の単語が入り交じるのです。

ロマンシュ語は絶滅の危機に瀕している言語です。子供たちは、全員ドイツ語とのバイリンガルですし、村を離れて都会に行けば話すのはドイツ語です。そこで結婚して家庭を作れば、その子孫はドイツ語を話す事になります。こうして年々ロマンシュ語を話せる人びとの数は減っており、州と連邦は危機感を持って組織的にその保護活動を進めています。

スイスの地理をご存知の方がロマンシュ語の分布をご覧になると、「ああ」とおわかりになるかと思いますが、基本的にアルプスの山の中の地域にあるのです。中央スイスに近い方の地域は、フォルダーライン河の流れるビュンデナーオーバーランドです。そしてオーストリアに近い方がエンガディン地方です。

この二つの地域は、過去にはあまり交流がなかったため、言葉はそれぞれの形で方言化しました。もちろんお互いに話は通じますが、共通ロマンシュ語(Rumantsch Grischun)を作る作業で大きな困難となっているのです。

ロマンシュ語をスイスの公用語として認め、保護しようとする動きが始まったのは、そんなに古い事ではありません。1938年にファシスト化したイタリアが、「住民がイタリア語を話す地域はみんなイタリア!」と領土拡大の侵略政策をとりはじめると「彼らが話しているのはイタリア語じゃない、独自言語だ」と、スイスはロマンシュ語を第四の公用語にしました。

実は、それまではかなり長い間「ロマンシュ語なんて話すな。ちゃんとドイツ語を話せ」と学校などではドイツ語を強要していたのです。これがロマンシュ語の人たちがイタリア語ではなくてドイツ語とバイリンガルになった理由でもあります。

そういう事情があり、ロマンシュ語はずっと方言としてだけ存在し、「公式ロマンシュ語」にあたるものが存在しませんでした。公式文書に書き記すべき文語がなかったのです。もちろんこれでは、学校でロマンシュ語を教えるのにも困ります。

共通ロマンシュ語(Rumantsch Grischun)を作る動きが本格的に始まったのは1970年代、そして、それが正式にグラウビュンデン州の公用語となったのは2001年です。現在はロマンシュ語の放送局もあります。でも、今でもまだ批判があったり、なかなか広まらないなどの問題が残っています。何故かと言うと、共通ロマンシュ語は各方言から少しずつ持ってきた言葉で出来ているのですが、そのせいで実際にその言葉で毎日話している人間が居ない、という逆説的な事になってしまうからです。エスペラント語のような感じでしょうか。人工言語というのは普及させるのは難しいのですね。ある程度の強制力とそれを日常的に使う一定数以上の人びと、そして十分な時間がないと、なかなか根付かないものです。NHK標準日本語や標準ドイツ語などのようにある方言が集権的に統制されて使われる事によってできた共通語の方が浸透しやすいのでしょうね。

このような特殊な言語ですので、イタリア語圏やフランス語圏で生まれ育った人がロマンシュ語を話せるという事はまずありません。(例外は、両親ともにロマンシュ語圏出身で、別の地域に移住しても家庭ではロマンシュ語で話し続けている場合)

他の地域のスイス人がロマンシュ語圏の人たちと会話をする時に使う言語は、ドイツ語か英語です。公用語が四つもあるにも関わらず、自国の人間と会話をする時には外国語を使わなくてはならない。このあたりは、日本の方にはとてもわかりにくい事情かもしれないですよね。

いずれ、もっと不思議な言語であるスイスジャーマン(スイス方言ドイツ語)についてもお話ししたいと思います。
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Posted by 八少女 夕

Frohe Ostern!

本日は復活祭、つまりイースターです。日曜日だからあたり前だけれどお休み。キリスト教国ではクリスマスと同じくらい大切なお祭りです。

Happy Easter!

二年前に「復活、おめでとう」という記事で書いたので、もう詳しくは書きませんが、復活祭というのは毎年日付が変わります。で、今年はこの日です。満月が昨日でしたからね。春分の後の最初の満月の直後の日曜日は今日なんですね。

春が来て、大地が息を吹返す季節。昼が夜よりも長くなり、花が咲き、人びとが掃除をしたり、自転車を引っ張りだしたりする時。

私は、(あまり敬虔ではない)カトリック教徒です。まあ、葬式仏教を信じる日本人程度に、と考えていただけるとわかりやすいでしょうか。キリスト教でそんな信じ方があるかと言われると困ってしまうのですが、その程度です。

それよりも、私は人びとの信仰の源、カトリックといった宗教のカバーに覆われて、太古から脈々と繋がる人びとの想いや祭りというものを尊重しています。春が来たことを喜び、太陽の復活を誉め歌え、命の息吹を感じる。それが復活祭の原点であると感じるから、一緒に祝っているのです。

それと同時に、移り変わり、緩やかに途絶えていきかけている何かが、再び復活してくれるといいなと願う日でもあります。諸行無常ですから、いつまでも同じということはないとわかっていても、できれば息絶えないでほしいなと願う、いくつもの事象について想いを馳せていたりします。

そんなことはさておき、今日は卵料理をを楽しもうと思います。

今朝は、昨日から仕込んでおいた「フレンチ・トースト」を食べます。「ホテルオー○ラ風」というには、漬けてある時間が足りない。そう名乗るには24時間も漬けておかなくちゃいけないらしいですが、私は12時間くらいです。

それに、土鍋プリンって、日本ではもう長く流行っているんでしょうか? 私は最近知ったんですが、簡単に大量のプリンができるんですね。土鍋あるんで、作ってみます。前に作ったときはちょっとスが入ったので今日は二度目のトライです。

みなさん、素敵な春の一日を!
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Posted by 八少女 夕

サンティアゴ・デ・コンポステラ

一日ツアーでスペインのサンティアゴ・デ・コンポステラに行って来ました。


巡礼で有名なスペインの北西端の街です。

ポルトからは車で二時間半くらいで行けるのですね。

夏にはたくさん巡礼者が来るのですが、まだ寒いので、大聖堂も空いていました。(満員ではない程度に)

感動するためには、やはり巡礼しなくてはならないようですね。最短100km歩くのです。ま、いつかは

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Posted by 八少女 夕

カーニヴァルの季節が来た

カーニヴァル

暖冬だと、雪道に悩まされることなくイタリア側のスイスへと行くことができます。スイスの高速道路というのは、とてもよく除雪されているので降っている最中でなければ、大抵は問題なくいけるのですが、いつ降ってくるかわからない状態だとちょっと怖いのですよね。

昨日の日曜日は、午前中晴れていたので行ってみました。道の状態は完璧でした。早く帰って来たので、帰りに家の近くでほんの少し降り出した状態で済み、ラッキーでした。

イタリア側のスイスは、例年よりも更に暖かく、お昼に4℃くらいありました。食事をしてから外に出たら妙に暖かい。この時は9℃くらいあったでしょうか。あ、もちろん摂氏プラスですよ、マイナスで話をしているわけではないです、今回は。

この日は、私たちが行った村で、子供たちのカーニヴァル行列がある日だったのです。そう、あまり暖かいので忘れていましたが、もうそういう時期なのですよね。

日本ではクリスマスほどには知られていないお祭りなので少し説明すると、カーニヴァル(謝肉祭)というのはキリスト教のカトリックの地域で行われる祝祭(みたいなもの)です。けれど、正確にはキリスト教の祝祭ではありません。カトリックのカレンダーと密接に結びついていますが、カトリックがこれを祝えということはありません。

クリスマスと同じくらい大切なキリスト教の祝祭が復活祭(イースター)です。イエス・キリストが十字架につけられて亡くなった三日後に復活したという信仰を祝う祭りです。彼が十字架につけられたのは、ユダヤ教の過ぎ越しの祭の始まる直前の金曜日でしたので、復活祭は「春分の日を過ぎてから最初の満月の直後の日曜日」と定められています。そのせいで、毎年復活祭の日は変わるわけなのです。

カトリックでは、この復活祭までの四十日間は肉や嗜好品を断って、イエス・キリストの苦難を思うべしという習慣があります(もしくは、ありました)。この四十日の断食の始まりが「灰の水曜日」という日です。この日にはミサがあり、司祭が参列者の額に灰を塗るのです。

さて、「明日から四十日間、肉も食えんし、酒飲んで大騒ぎなんて論外だ、なら今夜は騒ぐか」という日が、この直前の火曜日です。フランス語では「マルディ・グラ(太った火曜日)」といいますが、この大騒ぎがいわゆるカーニヴァルなのですね。とにかく飲んで食べて大騒ぎ、何もかも無礼講、という日なのです。

ヨーロッパの断食というのは日本人が普通イメージするような断食とは違います。肉断ちといっても、魚はノープロブレム、場合によっては家禽もOK。「全然断っていないじゃん」と思うんですが、それは習慣の違い、敬虔なカトリック教徒は、この「苦行」を黙々と四十日間続ける訳ですが、日本ほど「無宗教と言い放つことが普通」ではないにも関わらず、ヨーロッパでも敬虔な信者というのは激減していまして、私の近くの地域では四十日間の断食をしている人たちというのはそんなにたくさんはみません。もっとカトリックの強い地域では(スペインやポルトガルなど)では、今でもこの時期は魚だけという人たちがたくさんいるらしいです。

断食はしてもしなくても、カーニヴァルはなくなりません。「断食しないなら飲みだめ、食べだめはいらないだろう」という問題ではないようです。これはクリスマスが終わってから、春がくるまでの寒い時期を大騒ぎして吹き飛ばそうという祭りとなってしまっているからです。

私の住む州の州都は市町村としてはプロテスタントを採用しているのですが、カトリックの大司教座があるせいなのかカーニヴァルを盛大に祝います。たくさんのブラスバンドのグループが、それぞれの社会風刺をこらした仮装と山車を用意して、街を練り歩きます。参加者がカトリックなのかプロテスタントなのかはもはや関係ないようです。そして、大人も子供も楽しみます。中には、「一年間をカーニヴァルの準備のためだけに使う」と豪語する人すらいます。

昨日行った村は小さな村で、子供のための小さな行列がありました。それぞれ工夫を凝らした仮装で楽しむ子供たち。冬の風物詩です。

カーニヴァル
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Posted by 八少女 夕

お城行きの顛末

ここで書かないと絶対に記事にするのを忘れると思ったので、年末年始の旅行の事を書いておこうと思います。

もともと例年だと年末年始はアウグスブルグの友人の所を訪問する事が多いのです。で、今年もそのつもりで友人も「来いよ」と言っていたのですが……。どうやら彼女と大げんかした模様。空氣を読んだ私と連れ合いは「よいお年を」といって、さあ、どうしようとなりました。

せっかくの11連休ですよ。どこにも行かないなんてガッカリ過ぎる。その時に頭に浮かんだのが数日前にテレビで観たホーエンツォレルン城でした。

Burg Hohenzollern ak.jpg
Burg Hohenzollern ak“ von A. Kniesel (= User:-donald-), Lauffen - Eigenes Werk. Lizenziert unter CC BY-SA 3.0 über Wikimedia Commons.


前にもリンクしましたが、これは私が撮った写真ではありません。プロイセン王家の発祥の地に建てられたお城です。11世紀にはこの地にお城があったそうなのですが、現在のお城は19世紀に再建された比較的新しいものです。形としては、もう完璧な「ヨーロッパのお城」ですよね。

このお城、ノイシュヴァンシュタイン城ほど有名じゃないんですが、やはり南ドイツのシュヴァーヴェン地方にあります。つまり、飛行機に乗らなくても行けるのです。で、私の頭の中の「森の詩 Cantum Silvae - 貴婦人の十字架」の世界と重なってしまい「行く! 行ってみせる!」と前日に予約を入れたのです。

雪景色1

考えていなかったのが、天候でした。というのは私の住んでいる所では、大して降っていなかったし、全く積もっていなかったから。もちろん電車の遅れなどもなく、何の心配もしないで出発したのです。

でも、国境のあるボーデン湖あたりで「げ。何でこんなに積もっているの」という風景になり、しかも到着が10分くらい遅れたのです。このお城のあるヘッヒンゲンという街に行くためには、我が家からだと7回の乗り換えがあったのですが、その度に遅延だの運休だののオンパレードとなってしまい、一時は「本当に今日中に辿りつけるの?」と不安になったくらい。でも、幸い二時間半の遅れでホテルに辿りつきました。

で、チェックインの時に「あの〜、明日お城に行きたいんだけれど、行き方を……」と質問したら「え。雪崩で道が塞がれたんで、通行止めだと思うけれど」と言われてしまったのですよ。その時はまだ雪がやんでいなくて、この地方では四日止まずに降り続けているとのこと。ええ〜、ここまで来て、お城なしで宿泊だけ? 大ショックのまま、とにかく空腹なのでご飯を食べようということになりました。

ホテルブリールホフの夕食

泊ったホテルはホーエンツォレルン城のお膝元にあるブリールホフという400年の歴史のあるホテルなのですが、この地域ではグルメでも有名らしく地元の人もここぞという時には集まるという事。この日はそんなに混んでいませんでしたが、翌日の大晦日は180席近いレストランが満席。私たちは頼み込んで、キャンセルが来た途端紛れ込ませてもらって夕食抜きを逃れたのです。というだけあって、とても美味しかったです。

ホーエンツォレルン城

で、お城ですが、31日の朝は雪もやんでいて、道の雪もちゃんとどけられたらしく観光には問題なしとの事、私たちは朝一で出かけました。

シャトルバスでお城の入口まで行きましたが、そこから中庭までもけっこう歩きます。でも、私はこういうお城の光景に勝手に脳内妄想を爆発させていたので、歩くのも楽しかったです。夏はもっと歩きやすいと思うんですが、こんどは観光客だらけでここまで「お城は私のもの」というイメージは膨らまないでしょうね。

ホーエンツォレルン城

このお城、外側の撮影はOKなのですが、ガイドツアーのある部分は撮影禁止なのです。CD-Rになっている公式写真集も買ってきたのですが、WEB公開は不可という事なので、お見せできません。下のパブリックドメインになっている白黒写真、この伯爵の大広間は金と瑠璃色に彩られた荘厳な空間で、ぶら下がるシャンデリアには本物のロウソクの灯りがともされるそうです。今でもプロイセン王家が許可した特別な場合は、音楽会に使われたりするそうです。

Hohenzollern Grafensaal
Paul Sinner [Public domain], via Wikimedia Commons

個人的な感想ですが、以前観たノイシュヴァンシュタイン城はあまりにファンタジックで人が住む所とは思えない、どちらかと言うと舞台みたいだと感じたんですが、こちらは豪華だけれども、もう少し「本当に王侯貴族が住むかもしれない」と感じるものでした。やはり観光用で誰も住んでないみたいですが。

一番にんまりしたのは、図書室に掲げられた壁画のうちの一枚。1454年に一度取り壊された城が再建される所を描いた絵で、服装が私が今描いている「森の詩 Cantum Silvae - 貴婦人の十字架」の時代のものと同じなのです。「そうそう、こんな服!」という感じでニマニマしていました。CD-Rを買ってきたのは、これらの絵の写真が中で撮れなかったけれど、あとで資料にしたくなるかもと思ったからです。

辺境伯の部屋、国王夫妻の寝室、青いサロン、王妃の応接室と豪華で状態のとてもいい部屋を見学した後、宝物展示室でツアーは終わります。アルテ・フリッツのあだ名で有名なフリードリヒ大王の命を救った黄金の鍵タバコ入れや、盗難を免れた素晴らしい王冠(たくさんのダイヤモンドやサファイアで飾られています)などが展示されています。

ツアーはおよそ45分と言われていましたが、それほど多くなかった参加者たちが色々と質問しまくったせいか、一時間ほどでした。それから私たちはカフェに入ってスープを食べて暖まり、ショップで買い物をして満足していました。13時くらいまでゆったりしていたのですが、その頃にはもっとたくさんの人たちが来ていました。

私たちは帰りはホテルまで歩きました。お城の写真を撮りたかったので。途中でたくさんの車とすれ違いました。この日は大晦日のため15時でお城が閉まってしまうのですが、それを知らない人たちが次々と向かっている模様。あちゃ〜。

私たちは無事にホテルに辿りつき、冷えてしまったので熱いシャワーを使った後で、大晦日の晩餐へ。これも早めに行ったので、スタッフが戦争状態になる前で、おしゃべりをする余裕もあって楽しい食事になりました。

その分、夜の12時を待たずに寝てしまい、真夜中に花火の爆音で起こされる事になりました。スイスの田舎の村と違って立派な花火、ちょっとだけ窓からのぞきましたが、ちゃんと服とコートを着て写真を取りに行く元氣はなく、そのまま寝ちゃいました。

雪景色2

そして、元旦、往きに懲りたので早めの電車に乗りスイスに戻りましたが、天候もよくなっていて遅延も全くなく無事に戻ってくる事が出来ました。

以上、二泊三日の小旅行の報告でした。
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Posted by 八少女 夕

言葉と国境と国民

久しぶりに放置しているカテゴリー、「スイス・ヨーロッパ案内」です。私のブログって、こういうのを目指してくる方は……ほとんどいないんだろうな。でも、押し売りで語ってしまうことにしましょう。


突然ですが海外で書類を書かされる時、「Nationality欄」に「Japan」と書くべきかそれとも「Japanese」にするべきか迷った経験はないでしょうか。国籍だから当然「日本人」で長いこと考え込むような問題ではありませんが、これが「Staatsangehörigkeit」とドイツ語になると私は毎回悩みます。

もうひとつ。Japaneseの訳語、すぐに思いつくのは「日本人」ですか、それとも「日本語」ですか。そして、それはどちらもあなた自身の属性ですか。つまりあなたは日本語を話す日本人ですか。

多くの日本の方はあまりこういうことを意識しないと思います。外国で暮らす日本国籍の方か、日本で生まれ育った外国人以外、「日本人は日本語を話すもので、さらに日本に住んでいる」場合が非常に多いからです。

スイスではこういうことをしばしば意識します。今日の記事は、一つの公用語とあまり国境の変更のなかった歴史を持つ日本の方には多少わかりにくいスイスの事情について書いてみます。

スイスの公用語は四つあります。ドイツ語、フランス語、イタリア語、ロマンシュ語です。けれど、一人で四カ国語話せる人はほとんどいません。基本的に母国語は一つです。大抵の場合は一つの州に一つの公用語です。二つの公用語の州、そして、例外的に私の住むグラウビュンデン州だけ公用語が三つあります。しつこいですが、三か国語を全員がわかるのではなく、住んでいる市町村ごとにその言語が決まっているのです。

ロマンシュ語はグラウビュンデン州の限られた地域で話されている言語で、語学学校などで学ぶことも出来ないので、たとえばジュネーヴに生まれた人がロマンシュ語を話せるようになるのは、日本人が中国のミャオ族の言語を話せるようになるくらい珍しいことです。つまり、その地域に住まないと習得できません。

ロマンシュ語はイタリア語に近い語彙と、長い間ドイツ語圏の人びとに支配された歴史から文法や語彙の一部を受け継いでいるラテン語系の言葉です。しかも谷によってまったく違う方言で共通ロマンシュ語を作る作業も難航しました。一方、ロマンシュ語はそれ以外の地域の人には全くわからず、さらに長い間公用語としての地位が認められていなかったため、彼らはドイツ語を習得することが義務づけられてきました。だから大抵のロマンシュ語圏の人はドイツ語とのバイリンガルです。

さて、隣の州の人が自分にはわからない言葉で話すから、その人は外国人と同じでしょうか。国境の向こうに自分と同じ言葉を話すから、そっちのほうにシンパシィを感じるでしょうか。いいえ違うのです。

ドイツ語圏のスイス人とフランス語圏のスイス人の間には溝があると言います。(「ロシュティの溝」といいます)イタリア語圏のスイス人のことをドイツ語系やフランス語系は小馬鹿にしたりもします。それでも、彼らはドイツ人やオーストリア人やフランス人やイタリア人よりも別の言語圏のスイス人のことが好きだし、「俺たちはあいつら(外国人)とは違う」と思っているのです。

もっとも、外国の定義も日本ほど単純ではありません。歴史をみると、スイスのある地域はローマ帝国に属していたこともあるし、また別の地域はドイツ皇帝の支配下にありました。現在のイタリアの一部をスイスの州が持っていたこともありますし、建国が1291年と言っても、現在の国境と同じスイスになったのは1815年以降です。

あ、今のスイスは完全に独立しています。もっとも国土を囲んでいるEUに合わせなくちゃいけないこともあって、それが不満なスイス人もけっこう多いみたいです(笑)
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Posted by 八少女 夕

旅先でポルトガル史のお勉強

ギマランイス城にて

三回目のポルト旅行から無事に戻ってきました。服装の読みが甘かったらしく、風邪を引いてしまいましたが、あまり悪化もせずに終息に向かっております。出発の前はスイスもとっても暖かかったんですけれどね……。

スイスに戻ってきてから、かなり穏やかな天候で、むしろこっちの方が暖かいじゃないのと地団駄踏んでいますが、旅行中はスイスにも雪が降っていたそうで、やっぱりポルトに行ってよかったわと。

今回は世界遺産のギマランイスとブラガにも足を伸ばしました。別に狙っていたわけではないのですが、旅の途中からむくむくと頭をもたげていた新作のアイデアもガンガン仕入れ、なんだか休暇で行ったんだか取材旅行に行ったんだかわからない事になっております。

もともとギマランイスには電車でぶらっと行こうと思っていたのですよ。でも、地理勘もないし、連れ合いの足が痛かったということもあって、無駄に歩き回りたくなかったので効率よく回れるツアーを探したんですよね。そして見つけたのがポルトのホテル発着で昼食と各種入場料込みの一人65ユーロのツアー。学生の頃なら却下したでしょうが、この歳になるとやはりこの程度の金額なら楽を選びます。

で、シーズンオフということもあって参加者がいなかったんでしょうね、貸し切りツアーになってしまいました。運転手兼ガイドの方が10時間付きっきりで案内解説してくれたんですよ。歴史の面白い話てんこもりで、途中から連れ合いの脳みそはパンクしていたようですが、もともと史学科出身の私、なおかつ小説のネタになりそうな話ばかりで、もう小躍り状態でございました。どのくらい使えるかはわからないんですけれどね。これからまた資料を集めようかと思っています。

ポルトガルの歴史は世界史の時間だとほとんど飛ばされているじゃないですか、スペインとセットで大航海時代に一瞬出てきておしまい、みたいな。だから私もいろいろとわかっていなかったのですが、やはり自分の国の歴史として話してくれる方にきくと面白いんですよね。

ちなみに構想に取りかかっている新作は歴史物ではありません。現代ものだけれど、「大道芸人たち」のような普通の世界の話ではなく、「樋水龍神縁起」ほどではないにしてもありえない事が入っているお話です。
(っていうか、ついこの間、新連載始めたばかりなのにもう新作の話……)

ヒロインの名前を決めたら、なんとそれはギマランイスの近くの地名と一緒でした。それだけでニヤニヤしてしまっていた危ない私でした。
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Posted by 八少女 夕

ポルトにいます



今年もポルトに来ています。予報では雨だと言われていた今日も降るには降りましたが、すぐに青空が広がって、傘を使わずに楽しめました。

今夜はファドを聴いて旅情に浸ります。
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Posted by 八少女 夕

熊だらけの街・ベルン

需要があるのかわからないけれど、よく考えたら、あまりスイスやヨーロッパの観光情報って書いていないかもと思ったんですよね。もともと、ここは海外情報ではなくて小説のブログなので、わざと書いていなかったのですが。

検索ワードを見ても、スイス関係でここに来る人はほとんどいないんですよ。リンクしているお友達のところには結構行くみたいなんですが。まあ、いいか。そんなわけで需要はゼロかもしれないけれど、最近ネタに困ったりすることもあるので、書いてみようかな〜と。

ネタ詰まりの他に、なぜ突然そんなことをと思うかもしれませんね。
実は、スイスのことが大好きで調べている日本の方とお話をする機会があったのですよ。そして認識しちゃったのですが、どうやらその方が必死に調べるようなことを、片手間に書けるくらいのネタが私の頭の中にあるみたいなのです。そういうわけで時々スイスまたはヨーロッパ案内みたいな記事も突然出てくるかもしれません。あしからず。

で、今日はベルンの話。
ベルンの時計台


スイスの首都なんですけれど、ご存知でしょうか。チューリヒやジュネーヴの方が大きいし有名なんで「え、首都違うの?」って方もいらっしゃるんじゃないかなあと。そう、ベルンなんです。

スイスのちょうど真ん中あたりにあって、そんなに大きくないのですが、とても素敵な街なのですよ。実をいうと私はチューリヒやジュネーヴは便利だと思うのですが「スイスに行くならどこを観たらいい?」と訊かれてお薦めすることはあまりないのです。まあ、大体の方はどちらかは通るので、私がお薦めしようがしまいが観光なさるんですけれどね。

で、ベルンに話は戻りますが、とても素敵な小都市なのですよ。昔ながらの建物、アーケードが残り、アーレ川を眺める素敵なテラスもあります。そして、ベルンは名前もそうなのですが熊にゆかりがあり、やたらと熊モチーフのある街です。

街の中心部にある時計台では定時になると、音楽とともに熊が出てきてまわる仕掛けがあります。熊の彫像も道の真ん中に建っていますし、本物の熊もいるのですよ。

美術館も充実しています。サイズも適当で観光があまり疲れないのもポイントですよね。

スイスらしさを満喫するには都市と田舎と両方を観る必要があるのですが、都市の代表としてぜひ立ち寄っていただきたい街なのです。

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Posted by 八少女 夕

水のある風景

本題とは関係ないのですが、一昨日訪問して書いたコメントの八割がなくなっていて、ふてくされております。そういうわけで、ふてくされたまま昨日はコメントをほとんど書きませんでした。だからこれは消えたわけではありません。本日くらいには復活するかな……。で、この下から本日の記事です。

まあ、日本ほど暑くないんで、さほど涼をとりたいというわけでもないんですが。なんとなく。

シェーンブルンにて

海外旅行でカメラを持っていると必ず一枚か二枚は撮ってしまうのが、水辺の写真です。

思ったほどいい写真が撮れなくてがっかりすることもあるんですけれど。水に光が反射する感じ、その動きが好きみたいです。

この写真はウィーンのシェーンブルン宮殿の庭ですね。庭と言ってもものすごく広いんです。時期は七月でしたね。直射日光の強い暑い日で、庭の木陰と風で運ばれてくる噴水の水が涼しくて嬉しかったのを思い出します。
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Posted by 八少女 夕

Cadtell'Arquato



旅の途中です。美しいお城の街にいます。朝の光が優しいですが、これから暑くなります。今日はリボルノまで行くのです。
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Posted by 八少女 夕

ラインの滝にいます



シャフハウゼンに来ています。
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Posted by 八少女 夕

さよならポルト



一週間はあっという間でした。
ポルトにお別れして明日からまた普通の小説のブログに戻ります。
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